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第20話B:結絆-bound by bond

 明人は灯りが点る部屋部屋を内包した地上12階のアパートを見上げて溜息をついた。

 遥の呼び出しから始まり、小夜との対峙、家を追われ、帰ってきた綾瀬に驚かされる。妹と禁断の接吻を交わすし、《起源》と少女の戦闘に巻き込まれ、わけも分からず薄気味悪い連中がうろつく街を歩き回った。

 濃密過ぎる非日常体験のせいで、ひどく懐かしい感じがした。

 これで、最後だ。

 明人はしみじみと家の雰囲気を噛み締めながら、女子3人を振り返った。

「藍と綾瀬は先に戻っててくれないかな。俺は、コイツと話がしたい」

 藍と笑いあっていた小夜の表情がにわかに厳しくなる。

 とっさに不穏なものを感じ取った藍だったが、真剣な雰囲気に押されて言葉が出なかった。

「つーかーれーたー。早く入れてよー」

「は、はい」

 子供のように駄々をこねる綾瀬に促されて、藍は背を向けた。明人は心の中で綾瀬に感謝した。

「……夜食、作ってるから。2人とも早めに戻ってきて」

 何かを危惧するような口調で言い残して、藍たちは自動ドアを抜けていった。

 冷たい夜の秋風が枯葉を弄んで音を立てる。それ以外静まり返った街路を明るいとはいえない電灯が照らしている。

「……お前のこと、信じていいのか」

 ポツリと明人が漏らした。それは小夜に対する疑念というより、自らへの問いを反芻しているようだった。

「藍のことは分かってる。俺だって知らない仲じゃないんだし疑うようなことはしたくない。けど力のない俺たちが身を護るのにできることなんて、それくらいしかないんだ」

「証拠がないと信じてくれないんだね」

 小夜はおもむろにポケットに手を入れた。そして取り出したものは、夜闇に包まれてもなお紅く輝く宝石に見えた。

「街を回ってたときにも見たが、それは何なんだ?」

 一目見ただけで畏怖にも似た感覚を引き起こされ、冷や汗が背中に浮いてくる。それなのに触れてみたいという欲望を掻き立てられる。

「《墜落の魔姫》の使う薬。快楽と引き換えに隷属を余儀なくされる代物よ」 《魔姫》、薬、隷属。それは遥が悔恨と悲愴に震えながら語った出生との共通項。

 だが何故、何故それを小夜が持っている? 《魔姫》は遥に滅ぼされたと聞いたのに。

「《幻象》でも抗うのは難しいわ。まして人間なんて」

 小夜の声が耳元で聞こえ、明人は我に返った。小夜は背後から明人の首に手を回していた。

「――――ッ」

 冷ややかな肌の感触に心臓が跳ね上がった。恐怖も加わり反射的に撥ね退けようとしたが、小夜は肢体を絡めてそれを許さない。

 男がか細い少女を振り払えないという異常な構図を《幻象》の力が可能にしていた。

 小夜は明人の口をこじ開けて、魔薬を1粒放り込んだ。

「げほげほっ!」

 白い月の抱擁から解放された明人は大きく咳き込んだ。魔薬を吐き出そうにも一瞬で溶けてしまい、おぞましい甘さが残っているだけだった。

「やっぱり騙してたのか!」

 ぼうっとする頭で必死に怒鳴る。

 酩酊感はすぐになくなり、五感、六感に至るまでの全感覚が鋭敏化していく。身体中の澱んだ気が全て消え去り、血流が全身を駆け巡る。世界はみるみる明るくなり、タガが外れたように気分のインフレが止まらない。

「くくく、ははははハはっ!」

 何がおかしいのか自分でも分からないまま、明人は笑いながら拳を繰り出した。

 《魔姫》の命令がない今、紅い魔薬はあらゆるリミッターを外す機能しか備えていない。自分と藍を裏切ったという怒りが増幅され、凶暴性を燃え上がらせていた。

「分かった? これがたった1粒でも支配される、危険なものだってこと。そして私の能力は――」

 風を切って振るわれる挙の連撃をかわしながら、小夜は右腕を光の刃に変えた。そのまま一抹の躊躇もなく明人の胸を刺し貫く。

「私が不浄と思うものを消し去ること!」

 肉に埋まった刃が煌々と輝いて、明人は全身を支配していた魔薬が浄化されていくのを感じた。

 しかし無償というわけにはいかない。たとえるなら、身体中の細胞に張られた根を力任せに毟り取られるような痛みが身を焼いた。

「ぐぐぐああええええ!」 明人はその場に倒れこむと思いっきり吐いた。脂汗がだらだらと流れ、異様な寒気に肌が泡立った。

「明ちゃん」

 呼ばれるままグロテスクな吐瀉物から顔を上げると、小夜が見せ付けるよう例の丸薬を口にしていた。片手に盛るほどの量だ。

 やめろと叫びたかったが、総身がこわばって声が出ない。

 ついに白い喉をゴクリと鳴らして、小夜は魔薬を嚥下した。

「あなたの両親を殺したのも、藍ちゃんを酷い目にあわせたのも、全部これが原因。

 でも悪いのはこんなものに溺れてしまった私自身。――私の覚悟、見せてあげる」

 凄まじい快楽に冒されながら小夜は宣言した。

 その間にも口角が釣りあがり、狂った笑みを作っていく。雪のような頬に赤みが差し、熱っぽい吐息を漏らす。

「おい、しっかりしろ」

 ようやく余韻の抜けた明人が肩を揺すったが効果は薄い。焦点の合わない目が時折まっすぐになる程度である。

 《魔姫》の狂気に魅入られて変貌していく小夜を繋ぎとめる手段など、一介の人間が持ちうるはずもない。

「待ってろ、今綾瀬を呼んでくる」

 それは覚悟を見せると言った小夜への裏切り。誰かに助けられること望んでいるはずがない。

「一人にしないで……もう一人ぼっちは嫌なの。何でもするから……」

 必死に明人の手を掴む小夜。低い体温と共に離れるのを病的に恐れる気持ちが伝わってくる。

 薬が描き出したのは色を欠いた少女の深層。忌み嫌われ、拒絶され続けた孤独。

 赤い瞳を濡らして訴える小夜を見ていると、辿ってきた道が分かるような気がした。

 認めてくれる誰かを探して、精神的、肉体的に異形揃いの《幻象》の中に飛び込んだこと。《魔姫》に脅されて、命令を実行していたこと。

 思わず支えてあげたくなる脆さ。例に漏れず腕を回した明人を、なんと小夜は突き飛ばした。

「もう媚びたくない! 対等でいる! 藍ちゃんと一緒にいたいの!」

 そう絶叫して、自らの身体をかき抱く。

 収めようもなく奥底から沸き起こる震えは、小夜の葛藤を如実に表していた。

 小夜の全身から光が零れた。体内に巣くう汚濁を浄化する聖なる輝き。

「――――ッ!」

 伴う苦悶もまた明人の比ではない。堪えられない悲鳴が上がる。

 鋼鉄の茨でがんじがらめにされて転がされるような激痛。快楽と依存の棘はどこまでも深く鋭く突き刺さり、抜こうとする手さえも貫き穢す。

『帰ってきたと思ったら、またどこかに行ってしまうのね』

 頭の中で幼い声が響く。魔薬が活性化する。

 《魔姫》の支配下にあった小夜は、投薬でその繋がりを取り戻していた。

 叩きつけられる悪魔の誘惑を追い払うように、小夜は狂ったように頭を振った。

『聞きわけのない子。私が来いと言ったらすぐ来なさい』

 命令と共に黒々とした夜空に紅い波動が迸る。

「何だ……」

 それは《魔姫》の一端に触れた明人にも見ることができた。

 アキラを呼び戻したあの呼び鈴。服従を強要する横暴の象徴。

「もうあなたには従わない! 藍ちゃんと一緒にいるって決めたんです!」

 光が輝きを増す。それは身を焼く焔に薪を投じることになるが、自由へのただ1つの道でもある。

 苛烈を極める葛藤。衝突により生まれる痛みも否応無く高騰していく。

 ぐらりと小夜の身体がバランスを崩す。いつ堕ちるとも知れない危うさが見て取れる。

「小夜!」

 明人の叫びに小夜はほんの少し微笑んだ。この孤独な戦いにも手を差し伸べてくれたことが嬉しかった。

「――けない」

 小夜はなんとか態勢を整えて、うわ言のように呟いた。

『何? あなた一度堕ちた分際で這い上がれると思っているの』

 《魔姫》が嘲る。もう虫の息だと見下した調子がありありと聞き取れる。

「あなたなんかに、負けるわけにはいかないの!」

 小夜は気概に満ちた声を張り上げた。包む光はもはや直視できないほど強烈になっていた。

『っ、お前の大切なもの全部奪ってやるから――!』

 途切れる憎悪の声。天使の刃が呪われた戒めを断ち切った瞬間だった。



「頑張ったな」

 明人は背中の小夜に囁いた。

 ぐったりと脱力して目を瞑る小夜の顔はいつも以上に蒼白い。眠っているのかと思ったが、淡い笑みを口元に浮かべた。

「明ちゃんのおかげだよ」

 ほとんど力が入っていない弱弱しい声。あの後いきなり倒れたことといい、消耗が著しいようだ。

「俺は何もしてないだろ。小夜が1人でやったんだ」

「違う! そうじゃなくて、名前、呼んでくれた」

「あ、ああ、まあな」

 気恥ずかしい沈黙を従えて、エレベーターに乗り込む。

 鈍重な動きで上昇していく箱に耐えかね、明人は墨に灯籠を浮かべたような街を見下ろしてみた。すると小夜が折れそうな声で鳴いた。

「……ごめんなさい」

「いきなりどうした」

「ちゃんと謝ってなかったから。お母さんやお父さん、藍ちゃんのことも。あと今日の色々。本当にごめんなさい」

「気にしなくていいよ。それより藍にはちゃんと言ったんだな?」

 自分より藍を気にかける態度は褒められよう。しかし小夜は、自身を(ないがし)ろにしていそうな気配に言い知れぬ不安を感じた。

「うん。でも親が亡くなったってことは《楽園》が伝わらないようにしてて」

「俺がそうさせたんだ。あんなこと、知らないほうがいい」

「そう……今は私も仕方ないと思ってる。でもそれじゃダメだよ。私はいつか本当のことを話す」

 小夜は力強く言い切った。

 意外そうな顔をする明人。

「もっと保守的な奴かと思ってたんだけど」

「それは明ちゃんのほうでしょ」

「そうかもな。それよりさっきから明ちゃんって」

「いいじゃない。せっかく仲直りできたんだし」

「そうだけど、綾瀬がなぁ……」

 脳裏に浮かぶのは包丁を持った大きなリボンの美少女。あれは刺激が強すぎた。

「ふふ、鬼嫁だよね」

「嫁じゃねえよ」

「そんなこと言うと怒るんじゃない? 帰ったら嫁宣言ね」

 なんで俺はいじられキャラになってんだと、つくづく思う。何か仕返しを……。

「お前だって、なんからしくない台詞吐いてたじゃん。藍ちゃんと一緒にいたいとか負けないとか、帰ったらお姫様(あい)のナイト宣言な」

 むず痒さを紛らわすために言い返す。

「……それは、言っちゃダメ……でも、ナイト……」

 小夜は背中に顔を押し付けてそれきり黙ってしまった。

 反応はかわいいのだが、何かあぶないものを目覚めさせてしまったのかもしれない。

 

「ただいま」

「おかえり!」

 重なる2組の声。完成した輪。その半分が非日常の存在でも、それは強固で温かく回っていく。

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