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第16話:血戦-bloody battle

 苔むした石段を登ると、こんもりと茂った木々の中に使われていない古寺が幽霊のように建っていた。

 その周りを囲むように置かれた燭台には蝋燭の灯が揺れ、厳かな雰囲気を作り出している。

 《起源(オリジン)》の好みそうな趣向である。

 決戦の舞台に立った遥は獰猛な三つ又の剣《怨疾毒蛇(エリニュエス)》を構え、仇が現れるのを待っていた。

 蝋燭の焔が身を縮ませるように靡き、開け放たれた本堂の奥の闇が動いた。

 ワオーン

 どこかで野良犬の遠吠えが聞こえた。

 じれったいほどゆっくりと時間が流れて、その人物が全貌を明らかにした。

「な……」

 遥は驚きを露わにしていた。現実を目の前にしても信じられない。

 莫迦みたいに口を開け閉めした後、ようやく言葉を吐き出すことができた。

「…………アキラ」



「なんだ、驚きすぎて挨拶もできないのか」

 彼女は柔らかな光を放つ蝋燭の側に立った。

 細めのジーンズにピチッしたロンT、黒のジャケットを羽織っている。

 短めに切られた髪とスラリと伸びた背、多様な武道を嗜んで鍛えられた身体。それでいて女の子らしさを失わない美しい曲線を描く。

 同性の遥でさえ見惚れてしまいそうなかつての友人がそこにいた。

「どうしてこんなところに……? それより生きて……」

 震える声で疑問を口にする遥。数多の感情がひしめき合う中から、友達を刺した感触が甦ってきそうで怖かった。

 そんな遥を見て、アキラは微笑んだ。

「怖がらなくても、ちゃんと生きてる」

「これ、幻……?」

「夢でも幻でもないさ。あたしはちゃんと存在してる」

「っ……来ちゃダメ!」

 こちらへ踏み出そうとするアキラに遥が叫んだ。刹那、伸びた銀色の毒牙が暴れた。

 《起源》を切り刻めると期待していた《怨疾毒蛇》が腹を立てているようだった。

 ギリギリ掠ることもなく、2人は安堵した。


 遥は剣を消し去ると自分からアキラに寄っていった。

 近づくほどに罪悪感と懐古感が募り、泣き出したくなった。

「ごめん。取り乱して、でも会えて嬉しい」

 それは本音だった。

「あたしも」

 どちらからともなく身を寄せる。

 それは殺しかけ殺されかけた罪の関係が元に戻ろうとしているかのようだった。


「……他のみんなは?」

「……あの時死んだよ。残ったのはあたしだけだ」

「ごめん。私があんな」

 謝ると同時にアキラが《幻象》だけど《出来損ない》なんだと気付いた。

 そうでなければ《毒蛇》による傷は再発生しても治らず、永劫の苦しみを味わなければならないから。

「いいよ。あの時遥も正気じゃなかったみたいだし。じゃなきゃあんなことはできない」

「うん……」

 いたたまれない気持ちになって遥は目頭が熱くなった。

 赦されるわけないのに、どうしてアキラはこんなにも優しいのだろう。私にはできないな、と遥は感服した。

「そういえば、なんでここに――」

 銃を乱射しているような、何かがすごい速さで石段を駆け上がってくる音に問いが掻き消される。

 遥は考えるより先に、アキラを引っ張って横に飛んだ。

 真っ黒な物体に今立っていた参道の石畳が抉られた。

 グルルル

 大きな犬が戦慄を覚えるような唸りをあげて、2人を睨んでいた。

 夜より暗い闇色の毛、血に飢えた紅い眼、犬というより狼のような凶暴性を漂わせる。

 姿勢を低くし敵意とナイフのような牙を剥き出しにする様は、命を狩り慣れた殺し屋のものだった。

「なんだコイツは」

「《幻象》……? でも動物のなんて聞いたことない」

 のそりのそりと魔犬がにじり寄ってくる。それに合わせて遥たちも下がっていく。

 山の中腹を切り崩して建てた狭い境内なので、すぐに舗装された岩肌に背中がついてしまった。

「アキラ、闘える?」

「はっ、あたしを誰だと思ってんの」

 もともと武術に長けているアキラが《幻象》になってさらに身体能力が底上げされているのだ。これほど頼もしいことはなかった。

「そうだよね。でも、あんまり私に近づかないで」

 《毒蛇》が勝手に動いて斬ってしまうかもしれない。それだけは絶対にしたくない。

 頷きを交わすと2人は左右に散った。


「こっちだ、クソ犬!」

 アキラが挑発すると、魔犬が風を切り裂いて飛び掛った。

「やあっ!」

 気合の入った掛け声と共に長く力強い脚が中空の魔犬を蹴り上げた。

 蹴り上げるとほぼ同時に、アキラは目の前に浮遊する魔犬にストレートを叩き込んだ。

 流れるような一連の動きに遥は一瞬見惚れてしまった。それも束の間、魔犬が遥の方へ飛ばされてくる。

「はっ!」

 遥はアキラの意図を汲み、大きく踏み込んでそれに銀の刃を叩き込んだ。コートが鋭い風に煽られ音を立てる。

 闇色の獣は真っ二つに裂かれ、粘っこい影のようなものを撒き散らせて地面に落ちた。

「やった」

 連携が華麗に決まり、遥は素直に喜んだ。

 なんだか友情が確認できたみたい、そう思うともっと嬉しく感じられた。

 遥がアキラに微笑むと満足げに頷いていたアキラの表情にひびが入った。

「痛ッ!?」

 違和感を覚える間もなく、遥は左太ももに何かを打ち込まれ、すぐさまその場を離れた。

 去り際に自分の踵のあった所に斬撃を繰り出すと、何か手応えがあった。


「アイツ不死身か……」

 2人の目線の先で魔犬は立ち上がった。

 遥に真っ二つにされた胴体がどろどろとした影のような物質となって、地を這い身体を再構築しようと集結していく。

 不完全な犬型の身体からは先の切られた鋭い針が飛び出ていて、ドロリとした黒色のモノが滴っていた。

 このまま好きにさせるわけにもいかない。

 再生途中の怪物に遥が銃弾を浴びせかける。

 当たる度に黒い粘液のような身体をよじらせるが、効いている風ではなかった。

 遥は弾の無駄だと判断し、銃撃を止めるとアキラのところに左足を踏み出した。作戦を練るなら今しかない。

「いたっ」

「大丈夫か?」

 膝をつきそうになった遥を、アキラが支える。

「平気、すぐ治るから。それよりもアイツを」

 完全に元に戻った魔犬が水でも浴びてきたみたいに身体を震わせていた。

 それが終わると、闇の獣がギラつく双眸で2人を睨みつけた。戦意は衰えず、むしろ傷を負ったことでますます猛り狂っているようだった。


「あたしが引きつける。遥は回復に専念して」

 アキラは一方的に言いつけると、本殿の裏手に向かって走った。そこには蝋燭が無く、どこまでも深い黒が居座っている。

「そっちは危ない」

 人間同様、《幻象》は特殊な者を除いて夜目が利かない。しかも五感の鋭い獣相手では極端に不利なフィールドだ。

 遥の叫びも虚しくアキラは闇に飛び込んだ。

 魔犬は遥と裏手とを見比べるように首を動かした。その微々たる逡巡の後、遥に突進してきた。

 これでアキラに無理をさせなくて済む。

 遥は安堵しつつも、気を引き締めて魔犬を迎え撃つべく剣を振るった。

 3つの刃が軌跡を生む。

 しかし、黒い怪物は大きく跳躍すると遥を跳び越した。

「く……うあっ!」

 無防備な背中を魔爪が切り裂いた。コートの生地と一緒に血が弾け飛ぶ。

 魔犬は見向きもせずに寺の裏へ回っていった。

「ぎゃあああ!」

 すぐにアキラの絶叫が聞こえた。

 遥は弾かれたようにその暗がりに走った。足や背中の傷は気にならない。

 アキラを助けないと。それしか頭に無かった。


 

 思ったとおり裏は表よりさらに分厚い木の葉の天蓋のせいで何も見えない。

 アキラの荒い息遣いが聞こえた。

 遥は危険を承知で意識を探知に向けた。

 すこし離れた所で動かずにじっとしている点とその周りを徘徊している点が見えた。

「アキラから離れて!」

 遥が叫ぶと、その点は遥に突進してきた。

 すっと身体をずらすと、脇を死の風が吹き抜けるのを感じた。そこに回し蹴りは放つ。

 鋭い蹴りが魔犬を正確に捉え、明るい表側に叩き出した。

「アキラ、早く出て」

 遥は一言叫ぶと魔犬を追って表へ躍り出た。立ち直りつつあるドス黒い物体に剣を振り下ろす。

 魔犬は滑るように斬撃をかわすと、石畳を叩いた衝撃で痺れている遥に飛び掛った。

 遥はすでに影響の無い左手の銃口を向けていた。放たれた3発の鉛弾が回避不能の状態にある魔犬の頭部を穿った。

 しかし魔犬は止まらない。刃を取り揃えた強靭な顎が白い首筋を狙う。

 遥は咄嗟に左腕を戻してガードした。魔犬の大顎がその腕に喰らい付く。

「ぐうっ、あああぁあ!」

 想像を絶する苦痛に遥は、髪を振り乱して身悶えた。そのせいでバランスを崩して、魔犬に覆い被される形になる。

 魔犬の牙は骨にまで届き、さらに噛み砕かんと喰いしばる。

 さらに鎌のような形に変形した前脚が振り回され、コートを裂いて白い肌を刻んだ。

 飛び散った血が月光を浴びて白く光る石畳を汚していく。

 このままじゃ殺される。

 遥は言うことを聞かない身体を無理やり奮い立たせ、無事な右手で無駄に大人しくしている《毒蛇》を魔犬の喉元に突き刺した。

 血なのかもよく分からない墨みたいな液体が大量に噴き出して、遥の身体にぶちまけられた。

 魔犬は千切れそうな頭部を従えて遥から飛び退いた。


「はぁ、はぁ……っう」

 使い物にならなくなった腕を庇いながら何とか立ち上がると、遥はみるみる傷が癒えていく魔犬と対峙した。

 視界が不安定に揺れ動く。ふとした拍子に気を失いかねない。

 コレは使いたくなかった。でもそんなことも言ってられない。身体が動く内に使わないと乗っ取られる。

「罪深き鮮血の虐殺者よ、この身体貸してあげるわ」

 遥の囁きで《怨疾毒蛇》の3つの刀身がめっちゃやたら暴れ出した。

 それは異形の舞。血に飢えて気が触れた銀色の怪物の狂乱であった。

 ズクン、ズクン……

 心音が異常に大きく聞こえ、嫌な感覚が身体中に染み渡っていく。

 忌諱すべきもう1つの自分が歓喜の産声をあげた。同時に遥は意識を手放した。 

「……ククッ」

 ヒステリックな笑いが血塗れた少女の口から漏れた。

 そこに立っていたのはもう人間と呼べるモノではなかった。

 痛々しい傷が徐々に塞がっていく。虚ろだった瞳は爛々として禍々しい光に侵蝕されていく。

 《復讐の女神(ネメシス)》の原点。

「ク、ハハハッ!」

 闇色の獣でさえ、その変容を感じ取ったらしい。

 自らと同じで傷が塞がっていく遥に一瞬恐れを成したものの、遥の哄笑に対抗するように咆哮した。

 ダダダダッ

 吼え声と共にブラックホールの如き口内から放たれたのは無数の銃弾。魔犬は遥に撃ち込まれた弾を撃ち返していた。

 弾のほとんどは乱舞する刃に弾かれたが、数発は遥の身体を貫通した。が、その程度のこと、狂える虐殺者は気にも留めていない。

 《女神》は弾が撃ち尽くされるのを待って、それを合図に飛び掛った。踊り狂う蛇の柄を片手で持ち、魔犬へ突き出す。  

 魔犬は頭部を黒い槍に変え、地面を蹴った。

 激突する両者。

 槍が《女神》の肩を深々と抉った。のも束の間。

 《女神》の配下の銀蛇たちが暴れ、粉々にしていく。

 《女神》は満面の笑みで魔犬を地面に叩きつけ、斬り潰した。犬型のモノがミキサーに入れられた果実よろしく粉砕されていく。

 最後の力を搾り、全身を変異させた無数の針で殺戮者の身体を貫くも無意味だった。

 バラバラにされ無に帰す魔犬。再生しようと集まる影も、跡形もなく消滅していった。

「また1匹! ああ、ハハハッ」

 《女神》は楽しくて堪らなかった。狂気染みた高笑いを隠そうともしない。 

 その喜びに同調して《毒蛇》も魔犬の黒い物質で濡れた身を躍らせる。


「遥……?」

 アキラが重そうに身体を引きずりながら現れた。

 友人へぐりっと首を向ける《女神》。正気などどこにも見当たらない。

 刹那、アキラの前に現れる。

「もう1匹み~つけた」

 血に酔った遥を見て、アキラは恐怖した。

 あの日の遥が目の前にいる。

「なんか見たことあるヤツだな。ま、カンケーないけど」 

 遥が胸の前にうねる剣を構える。

 全身の筋肉が強張り、呼吸すら止まる。まさしく蛇に睨まれた蛙のようだ。

 あっ。あたし死ぬんだ。そう思ってアキラは目を瞑った。


 いつまで経ってもあの劇毒を盛られながら切り刻まれる苦痛はやってこない。即死はこんなものかもしれない。

 アキラが恐る恐る瞼を開けると、苦しそうな友人と眼が合った。

 胸の数センチ手前で銀色の死刑執行人が前後していた。

「に、逃げて……あき、ら、っ」

 遥が消え入りそうな声で囁いた。汗だくになって暴走する本能を懸命に食い止めていた。

 アキラは半歩下がってしまった自分を叱りつけた。

「がんばれ、そんなのに負けんな」

 アキラの口から自然と応援の言葉が出ていた。

 その言葉に遥がゆっくりと頷くと、《毒蛇》が薄れ始めた。時折威勢を取り戻して抵抗するも、遥の意志が勝利した。

 完全に剣を消し去ると、遥は倒れて死んだように動かなくなった。

 だが、その表情は八苦を滅した行者のように穏やかだった。



「……お疲れ、遥」

 アキラは包み込むような優しい口調で呟いた。しかしその表情には翳りが見える。

 一旦遥から視線を上げて、空を見る。何もしてくれない月が彼女を見つめ返しただけだった。

 アキラはもう一度遥の幸せそうな顔を見つめた。何をしても赦してくれそうな人懐っこい表情だ。

 アキラは血が滲むほど唇を噛み締めると、遥をおんぶして廃寺を後にした。

 暗黒たる石段。ともすれば足元さえおぼつかない。

 ポニーテールに纏められた遥の髪が踏み出すたびに揺れていた。

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