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第15話:幻闘-illusion battle


「今宵の特別ゲストはこちら、オーガの皆さん! 腕力、精力、浅知恵の持ち主でーす」

 闇が晴れるとそこは元の公園だった。

 筋骨隆々とした2メートル強の巨人が4体、手に手に棍棒や斧を持ち臨戦態勢にはいっているのを除けば。

「くだらない幻覚。1度ならともかく2度目は通用しない」

 小夜は冷徹に状況の分析をし、勝利を確信した。

「くだるわよ。夢幻だって分かってるんだろうけど逃がさないから。あなたの精神(ハート)なんてズタボロだよ」

 どこからともなくハイな綾瀬の声が聞こえてくる。

 おそらくは近くにいる。私は何も無い公園のど真ん中で突っ立っているか、寝ているだけ。

 グオオオッ!

 巨人が下等な唸りを上げて突進してきた。一歩が長大故に物凄く早い。

 小夜はさっと飛翔してかわし、斜めに急降下しながらタックルを空振りしたオーガへ斬りかかった。落下のエネルギーに羽ばたきが加わり弾丸のような速度である。

 右手の光剣がオーガの背中を斜めに切り裂き、巨体が汚い断末魔と血しぶきを搾り出して果てた。

 小夜は地面スレスレを飛ぶと再び空に舞い上がった。速度のため小回りが利かず、急上昇と急降下を繰り返しての攻撃にならざるをえないのだ。

 そうはいってもまさに光速の斬撃を鈍重な巨人たちが知覚することは無く、巨大な肉切れに変わっていった。

「終わりです」

 ふわりと着地して小夜は宣言した。身体中血で汚れていたが、呼吸1つ乱れていない。

 藍が誘拐された時と同じなら、これで《虚構の楽園(エリュシオン)》は消えるはずだった。



「……勝負にならないなあ。でもぉ」

 ややあって姿を見せない綾瀬からの返答があった。

 この異空間を司る《幻象》がこの場にいては、そうそう幻覚も消えはしないのだろう。

「く、ぁっ。こ、この痛みは……? どこから」

 突然小夜が小さく悲鳴を上げて、横腹を押さえた。

 外傷はない。巨人の血で赤くなった服がそこにあるだけだ。

 理由はどうあれ、敵がこの隙を見逃すはずはなかった。

 巨大な物体に体当たりされ、小夜の小柄な身体が吹っ飛ばされた。

 頭を打ったせいで視界が揺れる。

 地面に放り出された彼女に向かって、黒い塊が押し潰そうと落下してくる。

「くっ……」

 無我夢中で羽を動かし空へ回避した小夜は、地面に埋もれた謎の物体を確認した。

 それは小夜が斬りおとしたオーガ胴体だった。

 見れば周囲には骨をチラつかせ、赤黒い体液を滴らせた気味の悪い肉がいくつも浮遊していた。

「死体のリサイクル? 新しいわね」

 正体が分かれば、重量を活かした直線的な突撃しかできない肉塊など恐れるに足りない。

「なによクールぶって、出られないくせに」

 さして驚いた様子もなく軽くあしらう態度が、綾瀬は気に入らなかった。

「ふふん、だったら……おいでませ不浄の肉紐くんたち、生意気な小鳥を捕縛しろ」

 綾瀬の一言で巨人だったものが震えだした。よく観察していればそれは腹部だけだということが分かる。

 小夜もそれに気付き、警戒しつつ剣を構える。

 

 静寂は大きな肉を素手で引き裂いているような音で破られた。現れたのは言葉通りの無数の肉紐。正式名称オーガの腸管。

 人間でさえ7〜9メートルある器官だ。3メートル近い巨体にはどれほど詰まっているのか計り知れない。

「趣味ワル」

 感情をあまり出さない小夜も今度は顔をしかめた。一応元は人型をしていたのだ、その腸を引きづり出して操るなど生への冒涜だった。

 綾瀬の夢想によって動くそれは、繋がっている他の臓器を引き連れて上空の小夜に向かって伸びた。

「ふっ! たあっ!」

 小夜は絡み付こうとするそれらを微細な翼の動きによる華麗な円舞でかわしながら切り払っていく。

 光刃が一振りされる度に詰まった汚物と腐臭を撒き散らして腸管が両断される。

 千切れたものは分かれて再び動き出すが、それでも地獄に招かれた天使は圧倒的だった。

 しかし勝利は易々と手に入るものでない。

「が……っ」

 横腹を襲ったのと同種の痛みが今度は右肩を抉った。右腕と同化した剣の動きが止まる。

 さっきから、何なの――……

「いやぁ! 離れて、離れてよぉ」

 自らの叫びがこの痛みへの思考を中断させた。

 不快感の塊のような肉紐が小夜に群がり、縦横無尽に身体中をのさばる。

 ゴムのような感触に不釣合いな力強さで、剣を動かすのはおろか身じろぎすらままならない。

 吐きそうな臭いを放つ怪物の腸が雪色の翼に汚物を擦り込んでくる。

 見るの耐えない光景に小夜は気が触れてしまいそうだった。

 これは幻覚。そう念じても汚物の侵食は止まらなかった。

「天使を穢す背徳感ってすごいんだね。それじゃ邪魔なハネハネを取りまーす」

 無理やり翼が広げられ、腸管で固定された。肉の十字架に磔にされた憐れな天使の図だった。

 ぼきっ、べきっと恐ろしい音がしたかと思うと、脳内が漂白されるような激痛が全身を疾走した。

 ぬめる肉蛇に首を動かされて小夜が見たものは無残な光翼。折られて捻じ切られ、かつての純白を真っ赤な血に汚染された翼とむしられ散らされた羽根の織り成す異風景だった。

 オーガの巨腕が浮遊し、その暴力的重量が羽を完膚なきまでに破壊しようと執拗に振るわれる。

 白銀の羽根が儚く散って小夜の視界を埋める。

 翼は完全に折り取られ、眼下の公園に捨てられた。もう肩甲骨のあたりに翼の付け根のみが残るだけだった。

 攻撃対象を失った野太い腕が拘束された小夜の身体を豪打するのに時間はかからなかった。

 腕だけではない。褐色の脚、生気の失せた気色悪い頭部も寄って集って嬲ってくる。

 殴られ、蹴られ、時に噛み付かれて、あちこちの骨が折れた。生きたまま火葬されるような苦痛が燃え盛る。

 綾瀬の趣味なのか顔は全く攻撃されない。

 だが無事なことは必ずしも良いことではなかった。

 意志に抗い瞼が裂けんばかりに開かれて、小夜の紅眼に残虐無比な光景を焼き付けるのだった。

 

 安穏な死を望むほどの痛みに苛まれていたが、小夜の精神は崩れる足場にしがみついて離れない。

 肉体は何度でも再生するのが《幻象(フェノミナ)》の特徴だが、心は1つしかない。

 《起源(オリジン)》に願望を伝えた、そのときの分しか持ち合わせていない。精神崩壊、これすなわち《幻象》の死も同義。

 

 崩れ去る寸前の小夜の精神が暴虐の中に見出したのは消滅への覚悟ではなく、藍の笑顔だった。

 藍ちゃんは誰からも敬遠される灰髪と紅瞳を持った異形(わたし)に、分け隔てのない微笑をくれた。

 もう会えないかもしれない。心を壊されて、藍ちゃんを認識すらできなくなる。


「やだよおおお!」

 発狂していそうな声で小夜が叫んだ。

 死ぬ間際において高速で思考を巡らす。この悪夢を終わらせる方法を模索する。

 腸管が小夜のボロ雑巾みたいな身体を持ち上げ、更なる高みへと連れて行く。

 地上十数メートルに上り詰めると、グルッと一回転させてそのままの勢いでぐったりとした小夜を地上へ叩き落した。

 頬を切り裂くほどに風がぶつかってくる。地表が目前に迫る。

 落ちていく身体とは逆に、1つの矛盾が浮上した。

 何故、翼から血が出ているのか。

 現実ならこれはありえない。この翼に実体などないのだから。

 それが頭の片隅に引っかかった途端、落下感と激痛が和らぎ、代わりに脇腹と右肩の痛みが鮮明になってきた。

 さらに念じると半透明になった地面の向こうに綾瀬の姿が見え隠れする。

 小夜は矛盾への思考に全神経を動員した。

 ぼんやりとした地面に墜突する間際、真夏の太陽のごとき裂光が小夜の視界を埋めた。



「……ん? 《楽園》がおかしい」

 《虚構の楽園》に異常を感じ取った綾瀬が小夜が横たわる場所に視線を遣る。

 そこにはジャングルジムの棒で肩と脇を貫かれた天使が横たわっている、はずだった。

「いない! どこに……」

 焦って公園を見回す綾瀬。時すでに遅かった。

「はああああ!」

 高度な機動力を誇る翼を活かした光剣による鋭利な刺突。

 容易く綾瀬を串刺しにすると小夜はそのまま突進し、1本の木に綾瀬を繋ぎとめた。

 大きく木が揺れ、葉がさわさわと鳴った。

「ぐぎぎ、げぼっ」

 信じられないといった顔で綾瀬が小夜を見る。口は血を流すだけで言葉を紡がない。

「終わりです。輪廻を経て、再発生を待ちなさい」

 綾瀬の腹に沈んだ刃が鼓動するように光った。

 綾瀬の身体が端のほうから霧のように立ち上り消滅していく。苦しまないようにしてやったのは、同胞への思いやり故だった。



 小夜は浄化が完了すると、綾瀬の墓となった木に背を預けてほとんど倒れるように座り込んだ。

 《虚構の楽園》の後遺症か全身がひどい幻視痛に見舞われていた。

 精神的にもかなり消耗していて、憂鬱このうえない。心身共に傷の回復には通常より時間がかかりそうだ。

「……くぅ」

 小夜は深呼吸して歯を食い縛ると2本の金属棒を抜いた。

 右肩をやられたせいで剣と化した右腕を動かすのが困難を極めた。それで無理に綾瀬を斬ったものだから更に悪化したらしい。

 傷は2、3時間あれば塞がるだろうが、今それを待つ余裕はない。

 この町は住民たちが思うより危険な状態なのだ。そんなところを非力な人間の兄妹がふらふらしていたら何が起こるか知れない。

「行かないと……まだ話してないことがいっぱい、ある」

 立ち上がろうとして、小夜は傷を押さえて俯いた。荒い吐息が白く漂う。

 その靄を散らして誰かが目の前に立った。

「苦しそうだね」

「え?」

 小夜が頭を上げようとすると、顔を殴られた。後ろに突き飛ばされて、逆戻りになってしまった。

「あははっ、油断したなぁ。まさか破られるなんて思ってなかったし。でも二重に掛けといてよかった」

 酷薄な笑みを浮かべて綾瀬は負傷している小夜の脇腹に片足を乗せて踏みしだいた。

「ぐ……何でっ、邪魔するの」

 歯を食いしばって囁くほどの声で小夜が聞いた。

「アンタは明人を取ろうとするから嫌い」

 綾瀬から笑顔が消え、小夜の存在さえ認めないというような眼差しが放たれる。

「そんなことしないっ。だからどいて」

「ダメだよ。アンタが行ったら明人が怖がるでしょ」

「その明ちゃんが、《幻象》になっても、痛っ、いいの」

「……ふふ、あははっ」

 綾瀬は小夜の質問に本当に楽しそうに笑った。純粋で無邪気な子供のような表情で。

「それが、あなたの目的……なの」

「好きな人と永遠に一緒にいたいだけ。誰の差し金か知らないけど、アンタのおかげで明人は悲劇を味わってるから《起源》のお眼鏡にかなうかも。それに妹ちゃんもいるから心配ないよ」

 小夜は綾瀬を利用していると思っていたが、それは大きな間違いだったと気付いた。

 気分と感情で行動する綾瀬は知ってか知らずか小夜の計画を破綻させていた。

 小夜自身も藍との出会いから生まれた自分の変化を感じたときに計画に限界を感じていた。

 それを綾瀬が正体不明の怪物に昇華させたことで今プランは破棄された。

「……藍ちゃんを巻き込むな」

 計画が消えた空虚な心に残った本音が出た。

 小夜は右腕を綾瀬に向けた。月光を纏う手が小夜の意志に従って光の刃に変わる。

 綾瀬は驚いてバックステップで距離をとった。

「まだやる気? ふふっ今度は何を使って責めようかな……」

 無邪気を装って思考する邪気の塊。今にも悪魔の空間が再起動しようとしているのが伝わった。

「もう遊びに付き合うつもりはない」

 小夜が空いている左手を地に向ける。

「消え去れ!」

 見る間に公園の地表が淡い輝きを帯びていき、眩しい奔流となって公園を包んだ。



 ガラスの砕けるような音と共に、白光が止む。

「備えあれば……か」

 冷光の白雨(レイディアントスコール)を最初に放ったのは牽制のためだけではない。

 月を司る能力を持つ小夜は夜の間のみそれを利用した能力で浄化を扱うことができた。

 羽根が沈んだこの土地は小夜の命令で一挙に浄化され、仕掛けられた《虚構の楽園》も消滅したのだった。

 元はといえば浄化という名目で自分を虐めていた奴らを殺戮するために《起源》にもらった力。

 復讐はとっくに終わった。というよりやめた。

 何も生まないし、小夜自身満たされたことがなかったからだ。

 最近はもっぱら《起源》とあのお方のために尽力してきたのだが、それももう潮時かもしれない。

 

 小夜は重傷の心を背負ってのろのろと立ち上がった。依然として全身は実体無き苦痛に苛まれ、肩と横腹はジクジクと痛んだ。

 木立から出てみると、どこにも綾瀬の姿は無かった。逃げられたようだ。

 安堵で溜息が漏れた。命の奪い合いでピンと張りつめていた空気がふっと緩む。

 冷たいけれど静かで優しい風が公園を吹き抜けた。

「待ってて、いま行くから……」

 小夜はとっくに限界だった。

 でも、私が行かないと誰も《起源》や綾瀬を止められない。

 遥を誘導したことが悔やまれたが、もはやどうしようもない。

 自分が招いた結果だ。自分でカタをつけてやる。

 小夜は弱弱しい足取りで進んでいった。しかしながら、その心は力強い決意に燃えているのだった。



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