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第14話B:災会-happy reunion


 明人は闇雲に夜道を逃亡していた。彼を追う靴音はだいぶ前に途絶えていたが、油断は禁物である。なにせ追手はあの綾瀬である。気がついたら目の前にいました、なんてことはよくあることだろう。

「ひい、ふう……」

 明人は息切れを押し殺しながら、偶然通りかかった公園の片隅に身を潜めた。草木が茂って枯葉が人知れず積もっており、隠れるにはお(あつら)え向きだ。

 辺りを窺うも街灯に照らされた寂しい遊具群しか確認できない。BGMは声だけなら好感が持てる秋の虫たちのコーラスだ。

 すでに冷えた汗が流れてきた。しばし休憩だ。すっからかんの腹で肌寒い町を疾駆すれば体力の消費も半端じゃない。


 息遣いも安定し、冷静になってみると思い出したことがある。

 興奮しているほうが空腹や疲労は感じない。休憩はミスかもしれなかった。

 そんなことより事態は深刻だ。

 綾瀬の凶行(いたずら)は今に始まったわけではないが、今回は度を越している。まして性格的に本心が図りがたい。猫が鼠を嬲るようなものなのか、じゃれているだけなのか分からない。どっちにしろ殺人未遂はかなり悪質だ。

 綾瀬を信用しているし、嫌いになったわけではないが恐怖を感じたのも事実。

「お前何がしたいんだよ……」

 明人は深く溜息を付いた。活力を吐いて、代わりに空虚と無力と寂寞を吸い込んだみたいだ。血管に流入した秋の毒が全身に回って、筋肉を弛緩させる。

 どっと疲れが押し寄せて、明人は地べたに腰を下ろした。柔らかな枝葉の死体が優しく受け止めてくれた。

 両親の死。綾瀬や藍、遥との決別。策を巡らせる小夜。毒はネガティブを生み出し、今まで何とも思わなかった出来事をトラウマに進化させていった。

 現実逃避だってことは百も承知、それでも眠って目覚めたら平穏無事な世界に戻っている、そんな夢を見たい。

「俺はよくやったよ、そろそろ休んでもいいんじゃないか」

 深層心(ダム)に溜めた陰鬱が噴き出す。引き起こされた黒い鉄砲水が全てを飲み込んでいく。粘着質の闇に(いざな)われ、明人は眼を閉じた。



 どれくらい時間が経っただろうか。何かが明人の顔に触れた。

「うっ」

 (かじか)む身体になお冷たい氷のような感触にビビッて眼を開けたのだが、周囲は真っ暗なままだ。

 背後に人の気配がある。息がかかるほど近くにいるそいつの手で目隠しされているのだと分かった。

 綾瀬? もう追いかけっこは終わりなのか。

「だ〜れだ?」

 後ろから聞こえたのは紛れも無い藍の声だった。

 だが、藍がここにいるわけがない。今頃は小夜に……。

「綾瀬だろ。もう手の内は割れてんだよ」

 力無く答えると、藍の声は場違いに明るい調子で返してきた。

「ぶー。正解は『明人のことが大好きで24時間一緒にいたいと思うあまり、トイレのドアをこじ開けようとしたらさすがに怒られた綾瀬ちゃん』でした〜」

「わかるかっ!」

 明人は思いっきり身体を捻ると後ろの人物に覆いかぶさる形で倒れこんだ。

 そして勢いがつきすぎたせいで少々乱暴ではあるが、くちびるにキスをした。綾瀬をびっくりさせて黙らせるために考案した最終手段をこんな形で使うことになるとは後悔の至りだった。


「んんっ!? むぐぅっ……!」

 やけに暴れる。驚きすぎてパニックになっているのかもしれない。

 草むらで絡み合う2人を月がおっかなびっくり照らし出した。

「いやあああ!?」

 謎の人物が明人を跳ね除けて、草むらから飛び出した。

「うわああっ!? どういうことだ!?」

 キスしていたのは恋人達(ラヴァーズ)、ではなく正真正銘兄妹(ブラザーズ)だった。

「お、お、おにぃちゃん! なにすんのよ!」

 直感した。紛れも無く本物の藍が怒鳴り散らしている。明人は本当に言葉を失ったかのように、やわらかい感触の残るくちびるをパクパクさせるだけだった。

「ねえ知ってる? 近親相姦ってタブーなんだよ」

 神出鬼没豆型不快生物みたいな文句が聞こえた方向に、明人の首が粗悪なロボットのような動きで向いた。

「明人顔色悪いよ。病院行けば?」

 極悪な天使の笑みを湛えた美少女、もとい綾瀬はどこまでも愉快そうだった。

「お、お、おまっ……!」

 脳内が遠心分離機にかけられたようにごちゃ混ぜで、正常な思考などできない。明人は溢れ出るままの感情に身を任せ、足音荒く綾瀬に歩み寄っていく。

 明人の烈火の如き憤怒の形相を見て、綾瀬も今度ばかりはやりすぎたと思ったのだろう。怯えて逃げることもせず、ぎゅっと眼を瞑った。

 明人は縮こまっている綾瀬の肩を掴むと、今度こそ恋人の震えるくちびるにキスをした。

 綾瀬の鼓動も速くなっていくのが分かる。明人自身もそうだった。

 たっぷり十数秒ほどの口付けを交わした後、明人は一旦離れた。口元を結ぶ透明な架け橋が月灯りを反射してキラリと光ると、やがて途切れた。

 どこか切なそうな表情で瞳を潤ませている綾瀬を無言で抱きしめる。

 独りよがりの性分は損なものだ。気付かないほどの寂慮を少しづつ蓄積し、最後には呑み込まれてしまいそうになる。だから今は支えて、繋ぎ止めていて欲しかった。

 とても温かく自分を迎えてくれる彼女に少しでも疑心を持っていたのが恥ずかしくなった。思わず腕に力が入る。

「ちょっと、いたいよ」

「ごめん。でももうすこし、このままでいさせてくれ」

 もぞもぞと身体を揺らす綾瀬だが、嫌そうには見えない。明人は湿り気のある声で謝り、彼女が楽なように幾分力を弱めた。

「……明人、泣いてるの?」

「泣いてねえ。なんでもねえよ!」

 明人は声を荒げたが、水気を払拭することはできなかった。

 綾瀬もいつものように馬鹿にするでもなく、ただ悲愴を汲み取って明人の背に手を伸ばした。自分より大きいこの男がひどく小さくて弱弱しくて、愛おしく思えた。


 しばらく抱き合っていると明人の方から離れていった。綾瀬は少し残念そうな、それでいて満ち足りた表情を浮かべていた。

「……サンキューな、それとおかえり」

「何それ、カッコつけてんの?」

 綾瀬が戻ってきたら最初に言ってやろうと思っていた言葉。彼女は予想通りこちらが困る反応を示したわけだが、それがまた嬉しい。

「口でくらいカッコつけさせてくれ。俺なんて何もできない人間なんだからさ」

「キスはできるじゃん」

 カウンターが鋭い。今思い返して少々気恥ずかしく感じていたところなのだ。

「いや、その、なんだ……」

「ふ〜ん、やっぱり妹ちゃんがいいんだ。このシスコン!」

 綾瀬の言葉は藍が敏感に聞き取っていた。恋人達の愛情を垣間見て、誤キスの件は不問にしようと思っていたのに、その一言で再炎上した。

「兄さん、そうなんですか?」

「……そんなわけないだろ」

「なんですかその間は!?」

「シスコンシスコンシスコン……」

 冗談がキツすぎたようだ。藍はツーサイドアップの髪を立てて憤っているし、綾瀬はナイフを明人にだけ見えるようにチラつかせている。 それ幻覚だよな、信じていいよな?

 大丈夫ラヴァーズだし、という根拠のもとそれを片付けると、明人は妹に向き直った。

「すまん。ホントあの時は気が動転してたんだ」

「……もういいです」

 藍は半分赦して半分恨んでいるようだった。もう構わない方がいいと思った。

「じゃ、なんでここにいるんだ?」

「小夜ちゃんと家にいたら綾瀬さんが来たの。それで気付いたらここに」

 綾瀬を見ると、したり顔で小さく舌を出していた。

「なら目隠しは?」

 構わないと誓ったばかりだが、謎が深いので聞きたくなってしまった。藍には我慢してもらおう。

「……あれしたら兄さんが元気になるし仲直りもできるって綾瀬さんが」

「頼まれたくらいでよくやる気になったな」

「私だって兄さんが小夜ちゃんにあんなことするなんて信じられなかったし、何かワケがあるんじゃないかなって」 やはり話さないわけにはいかない。これ以上先延ばしにしても悪影響しかでないだろう。

「もちろんある。長いけど、いいな?」

 明人の問いに神妙に頷く藍。明人は深呼吸して、発端となった春の朧月夜の話を始めようとした。



 その時、公園の上空に冷たい光を纏う人影が飛来した。それは明人ら3人の姿を見るや、その背に負った光翼を音も無く羽ばたかせた。

「冷光の白雨(レイディアントスコール)

 放たれた羽根は光輝く豪雨の如く公園中に降り注ぎ、遊具を両断し、地面に無数の穴を開けていく。

 3人の中で襲撃の前兆に気付いた者はおらず、回避もままならぬうちに光に飲み込まれた。

 光弾が止み、夜の静けさが戻ると襲撃者は怯む3人の前に降り立った。


「さ、小夜ちゃん……そのカッコは……」

 最初に立ち直った藍が、友人の異形への変貌を目の当たりにして驚愕のあまり固まってしまった。

「どうなってんだよ、なっ……」

「もう来ちゃったんだ」

 明人と綾瀬も復帰し、小夜とまみえた。

 全身を覆えるほどの巨翼を生やした小夜。その姿は天使を彷彿させる。

 だが灰色の髪と深紅の双眸までも強調され、どこか堕天使のような雰囲気も醸しだしている。例のゴスロリならさらに際立つのだろう。

「藍ちゃんは返してもらいます」

 諸諸の反応を無視して小夜は落ち着いた足取りで歩み寄ってきた。

「まずいな」

 小夜を見据えるも何かできるわけでもなかった。

「妹ちゃんと逃げて。私が足止めするから」

 綾瀬もいつに無く真剣な面持ちで異形と対峙する。

「綾瀬……気をつけろよ」

 明人は突っ立ったままの藍の手を引いて駆け出した。本当は綾瀬の傍に居てやりたかったが、足手まといになると直感し戦略的逃走を選んだのだった。



「綾瀬さん、貴方では無理です。私も同胞を傷つけたくはありません」

 外気以上に冷たく、心電図の平行線みたいな声だった。

 最初に会った時はもっと普通に喋っていたはず。お仕事モードってわけね。

 綾瀬に恐怖は無かった。明人のためにも負けられない。

「あはっ。そんなのはやってみないとね」 使い古された文句を言ってみる。意外と悪くない気がした。

「そうですか。――静かなる月、聖なる夜光よ、我が手に浄化の刃を」

 一瞬で小夜の右肘あたりから先が月光を集めたような淡く透き通る光の長剣に変化した。

「《月宮の天使(セレナ)》、いきます」

 小夜の名乗りが終わると同時にあらかじめ公園内に張った《虚構の楽園(エリュシオン)》が展開された。発生した夢幻の闇に2人の少女が呑み込まれた。

 

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