第14話A:災会-happy? reunion
無人の道に靴音が響く。酒が回っているような不揃いのリズムを奏でて、深秋に見合った哀愁を感じさせる。
精神が荒んでしまいそうな冷たい風に身を縮ませながら、榊原明人はさまよっていた。
いつもなら独り言を漏らしながら歩いていそうだが、今はそんな気力も持ち合わせていないようだ。
つい10分前に妹・藍の信頼を始めとして様々なモノを失った彼は、今や浮浪者やホームレスと同格に落ちぶれていた。
築いてきたモノが一瞬で消し飛ぶ。派遣切りや株価大暴落に遭ったらこんな気持ちなんだろうな、とまだ見ぬ大人たちの世界に想いを馳せてみたりしている。
ひとまず晩御飯と泊まる所を探さねばならない。この時期、食事を抜いて公園で寝ようものなら黄泉の国への約束手形が発行される可能性は極めて大である。
こういう非常時にネットワークが広いと便利だ。人脈があればなんでもできる。
明人はケータイを取り出した。
「よお親友。俺だ。今家を叩き出されたところなんだが、そっちに泊めてくれないか。理由? 詳しいことはあとで説明してやるから。…………こっそりだな、オッケ。じゃあな」
今のは空元気である。精神状態はそれはそれは陰惨なものだ。
本来なら藍を助けに行くのが道理だろうが、完膚なきまでに打ちひしがれているのである。
泊めてもらえるのはもう確定した。明人は友人に会うまでにテンションを取り戻しつつ、今後の行動をどうするか思索することにした。
何においても最初に藍を奪還しなければならない。
小夜が《起源》の情報を流したおかげで、遥と分断されてしまいこちらの戦力は皆無だ。このまま行けば簡単にくびり殺されて試合終了。
だいたい同じ作戦会議を前にやった。その時は遥を利用することを思いついたが、今は弄する策もなし。
考えたところで答えなんか出やしなかった。ただの強い人間ならまだしも、相手は常識を超えた未知の存在である。
「力が欲しいな」
渇望が思わず口を突いて出た。それは誰にも届かないはずだったが、闇の中から応える者がいた。
「へえ。そうなんだ」
「誰だ!?」
相槌など予想もしていなかったので慌てて辺りを見回す。無人。
どうしようもない状況を打破したいという欲求が幻聴を耳に届けたのかもしれない。だが今のは誰かの声に似ていた。
僅かに期待していたこともあり肩を落として前を向き直ると、眼球前数センチの所にナイフがあった。
月光を受けて凶悪に光る刃の向こうでは、見知った顔が笑っていた。
「明人、ひさしぶり〜」
「あ、綾瀬?」
消滅したはずの綾瀬がそこにいた。復活には相当の時間がかかるだろうと勝手に考えていたのだが、どうやら間違いだったらしい。
驚きと嬉しさそして愛しさのあまり飛びついてハグしてやりたくなったが、綾瀬は華が咲いたような笑顔のままでナイフを下ろさない。どうも様子がおかしい。
「どうした?」
「明人、明人っ、あははっ!」
突然笑い出した綾瀬に冷たいモノを感じて咄嗟に身を引いた。案の定、明人の首があった位置にナイフが白い軌跡を描いた。
「なんで避けるの? 私がキライなの?」
綾瀬は露骨に嫌な顔をして見上げてきた。
「そういう問題じゃねえ。当たったら死んでたんだぞ」
「え〜、死んだりしないよ。だって明人は車の爆発も当たらなかったし、看板も避けたじゃん」
どういう理屈なのだろう。綾瀬理論はつねに常識の遥か上を行く。
「あれをやったのはお前か?」
「うん♪ そだよ」
明人は昼間の謎の襲撃のことを想起した。となると、遥が言う『もやもやした気配の幻象』は綾瀬で、部屋に金属片を投げ込んだのも綾瀬ということになる。
しかし、動機が不明だ。恋の続きを約束して一時死別した綾瀬に襲われる心当たりなど皆無だった。
「なんであんなことを……」
「うーん、お家に帰れないし妹ちゃんにも嫌われた明人には関係ないんじゃないかな」
「それとこれとは関係ないだろ。一体どうしたんだ?」
綾瀬に非があるように振舞いつつ、明人は己の内に原因を探った。まるっきり見当も付かない。
「明人がさぁ、ハルカたんなんか家に呼んでさ、いちゃいちゃしてるから。おめめがグリーンアイドモンスター」
綾瀬のほうから答えが示された。女の子は怖いな、と明人は身にしみて感じるのだった。
しかも実際に綾瀬の瞳は茶色から暗い緑に変わっていた。
「とんだ愛憎劇に発展しちまってるぜ。あと意味が分からん」
明人は驚き呆れるばかりだ。
綾瀬が本気で怒っているのか、じゃれているのか清々しいくらい解釈不能である。太陽みたいな笑顔が、完全な正体不明の怪物の頭部に見えてしまう。
「ああ、そういえばかわいいリボンだな」
綾瀬はヘアピンの代わりに大きな赤いリボンで髪を結んでいた。風が吹くと蝶がのんびり羽ばたいてとまっているように見える。
ちなみに服は明人の学校の制服。一体どこで何をしていたのやら。
「かわいいだって。いやぁんもう、明人ったら殺したくってたまんないっ!」
「なんでそうなる!」
褒めて正気に戻るかと思ったら、悪化した。
再びナイフを振ってきたとき、説得は無理だと悟った。綾瀬は全然脈絡の無い、ますます不可解な存在になってしまったようだ。
こんな危ない子を連れて行ったら友達も迷惑するので、宿泊はふいになるかもしれないなと関係ない思考が働く。
そんな中、明人は1つの可能性に辿り着いた。最初に思いつくべきところではあるが。
「分かった。また幻覚だろ? ふざけて遊んでるんだな。かわいいヤツめ」
眼のこともあるので自信があった。
「なら、検証しちゃおうか。明人とらぶらぶ無理心中!」
「まてまてまて、お前ナイフじゃ死ねないだろ。ただの他殺だよそれ」
「……ばーれーたーかー」
徒労だった。というよりためしてショウテン、する勇気なんか持っちゃいない。思考が全く読めないのが綾瀬の歪んだパーソナリティであると再確認しただけだった。
どうしてこんな子と付き合ってるんだか、今じゃ理由が浮かばない。
月と星がこの喜劇をケラケラ嗤って見ているような気がする。そう思っているならそのありもしない目は腐ってる、と叫びたい。
これはどちらかというと恐怖劇だ。
殺気が肌を焼き、綾瀬の視線が矢のように刺さる。ほんわかした言動のくせにそれらは本物だ。
もし綾瀬が外套を着ていたら、中から遥の死体が出てきそうなくらいの修羅場なのだ。
明人は背を向けて一目散に駆けた。一応の措置だった。もちろん、逃げ切るなんて不可能なのは承知している。
ひとまず、綾瀬の気が済む方法を考えながら逃げるのだ。
幸い綾瀬の方もすぐに追い詰めるつもりはないように見える。
綾瀬の場合、何を考えてその行動に至っているのか逆に怖いというのもある。明人はネズミをいたぶる猫気分でないことを心の中で祈った。
夜の町に靴音が響く。もはや空虚ではない。生命の躍動を感じさせる力強い疾駆。
明人にとって綾瀬との奇妙な再会がもたらしたのは恐怖だけではなかった。頭の片隅、心の底では彼女を信頼しているのだ。希望もまた確かに存在しているのであった。