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第13話C:発生-Nemesis

 

「働かざる者死すべし。汚らわしい虫けら共、食事は終わりよ。そこの愚か者を捕まえて連れてきなさい」

 陰湿な微笑を浮かべ、少女が命令を飛ばす。

 虫けらと呼ばれた私の友人たちが、よだれを垂らしながら床から顔を上げた。みんな虚ろな目をして、でも私を見てほんの少し戸惑っているみたいにも見える。

「やめてよみんな。正気に戻って……」

 私はか細い声で頼んだ。悪魔2匹への怨恨は不活性化してしまっていた。

「俺達は正気さ。働いて、給料をもらって、また働く」

「就職したのと同じようなもんさ」

「遥もおいでよ。キモチイイし、楽チンだからさっ」

 全ての苦から脱したような穏やかな仕草。もう蟻のように這いずり、紅い粒を(ねぶ)っていた時の面影はない。不気味さを通り越して、懐かしささえ感じてしまう。

 だけど、それが私を嬲る。

「イヤ。こないでよ」

 私は耐え切れなくなってゴミの迷路の中に駆け込んだ。

「待ってよ。アタシたち友達でしょ」

 追ってくるのは友人たち。万に一つも鬼ごっこをしているわけじゃないのがとても辛い。



「《墜落の魔姫(ハデス)》さん、あなたはヒドイお方だ。神話のハデスなどもまだ人間味があるというのに」

「私は人間じゃないのよ。そんなもの要らないわ」

「そうですか。ああ、あなたの持ち時間は10分くらいでよろしいですかな?」

「何の話よ?」

「あなたが彼女を追い掛け回す時間でさぁ」

「ええ、十分よ」

「ふむ、つまらない洒落でさぁ」

「何言わせんのよ、クソヤロー!」

「淑女たる者そんな口の利き方はよろしくないと思いますがね」

「ああ、もう! お前嫌い! この時間はさっき私を殴った仕返しに充てさせてもらうわ」

 少女がどこからとも無く持ち主と同じくらいの大鎌を持ち出して構えた。

 刃まで完全な黒に覆われており、柄にはルビーがいくつもはめられている。さしづめ、全身に紅い眼を持つ暗黒の大蛇のよう。

「死を統率する神の名、身をもって知りなさい!」

「その名はあっしが付けたということをお忘れなく」

 


 元凶の2人が戦闘(けんか)を始めたことなど知る由も無く、私はガラクタ迷路を突き進んだ。

 高さ180センチくらいの迷宮壁を作っているのは、主に鉄パイプと学校机と工場の廃材。どこから集めたのか知らないけど、途方もない量だと思う。

 通路は人1人通れるくらいのものから、車でも行けそうなものまである。それが分岐だらけなので犬でも目標を探すのに苦労するだろう。

 そして1番問題なのは隠れる場所が無いことだった。壁には潜り込む隙間がない。

 だから走るしかない。体力には自信があるが、相手は8人もいる。挟まれでもしたら一巻の終わりだ。

 壁を登ることもできるが所詮机なので何とも不安定で頼りない。倒れてきたら、と考えるとあまり有効な手ではないかもしれない。

「早く出口を見つけないと……」

 壁の向こうで足音が聞こえたので、私は慎重に歩き出した。

 

「あ、ハルはっけーん! これでご褒美は私のもの」

「ヒナちゃん……」

 迷路で初めて出くわしたのはヒナちゃんだった。

 ぽやぽやした性格で人気があった子。足は遅かったはず。

「ごめん」

 私はユーターンして、近くの選ばなかった分岐を曲がった。

 しまった!

 道が狭すぎて前から他の子が来たら挟まれる。

「まってよ〜」

 ヒナちゃんが追いついてきた。もう進むしかない。

 私は駆け出した。

 けっこう長い一本道で、早く脱出したいのに別れ道が無い。

「おっ、遥いた! こちら琴美、遥を発見した。現場に急行せよ」

 そこに横道があるのか、ふっと前方に人影が現れた。その人影は私を見るなり大声で無線機に喋りだした。

『急行って、どこに行けばいいのか分かんない』

「バカ! 気合で何とかしなさい」

『ふええ……』

 無線からは情けない声が放出されている。

 聞いていて思わず口元がほころんだ。

(琴美と……由香里かな。変わってないなあ)

 2人は、いいにくいんだけど、その、れ、れずっ気があって付き合っていた。今もそれは変わらないらしい。

 どうしてこんなことになってるの。心がチクリとした。

「がんばって! 捕まえたらキスしてあげる。あっ遥が逃げた」

 琴美がラブコールをしている隙に私は意を決して壁を登った。

 机部分に足をかけて、ゆっくり慎重に……よし、上れた。

「ヒナ! アンタがとろいから逃げられたじゃない」

「そんなぁ。コトちゃんが百合百合(ゆりゆり)してたのが悪いんだよ」

 合流した2人が下で騒いでいるのを尻目に、私は隣の通路を確認していた。広いし人気もない無い。

 かなり高く感じられ、下を見ると眼が眩んだ。でも飛ばないと他のみんなが集まってくる。それからじゃ遅い。

 私は机の縁に腰掛け、手で机を押して飛び降りた。

 嫌な揺れが両手に伝わって、壁がヒナと琴美の方へ倒れていく気配がした。

 着地して見よう見まねで受身を取ると、ちょうど壁が崩壊するところだった。

「ひいゃあああ!」

 金属のなだれに2人分の悲鳴が飲み込まれた。

 左右の壁もつられて倒れていく。圧倒的な質量の鉄が歪む鳥肌の立つような音で耳が壊れるかと思うほど響きわたる。

「あ、ああっ。ヒナちゃん、琴美……私が、殺したの?」

 ぼんやりとそれだけが実感できた。

 せっかく会えたのに、病院に行けばクスリを止めてまた一緒に遊べたかもしれないのに。あれじゃ助からない。

「琴美! 琴美ぃ! ねぇ、返事してよ!?」

 見計らっていたかのように今1番会いたくなかった人物がやってきた。泣きながら無線を握り締めている由香里である。

「遥! 琴美に何したの!?」

 私を捕まえることなど頭に無い様子で由香里が突っかかってきた。

 後悔の想いから制服の襟を掴まれるのにも何の抵抗もしなかった。

「私の琴美を、よくもおおお!」

 鬼のような形相で睨みつけられ、私は顔を背けてしまった。

 いくら禁忌的な同性との恋であっても、相手を失う辛さには何の変わりも無い。私だってユウを殺されたら何をするか分からない。

 由香里の手が首に上っていき、力が込められる。

「殺してやる。命令なんてどうだっていい!」

「ぐ……」

 死んじゃってもいいかな。それで、由香里の気が済むんだったら。

 諦めていれば後はすぐ終わる、はず。

 あれ、いつの間にか身体が浮いてる。由香里が私を宙吊りにしてる。こんな、ちからが、あったんだ……。



「由香里! やめなさい!」

「ふえっ……!?」

 突然尻に衝撃を受け、遠のいていた意識が戻ってきた。

 私は地面に座り込んだ姿勢のまま、霞む瞳で由香里が私をほったらかしにして駆けていくのを見た。

「私は平気だから。ほら、こっちおいで」

「うええ……、琴美ぃぃ」

「よしよし、泣かないの」

 信じられない。

 崩れた鉄パイプと机の中から琴美が這い出していた。服こそ破れているものの無傷に見える。

 今も号泣している由香里を抱き止め、平然と立っている。

 チャンス。このワケのわからない状況を理解しようとはせず、私は酸素不足で喘ぐ身体に鞭打ってこの場から立ち去ろうとした。

 その矢先、長身の人物とぶつかった。

「待てよ。ここで逃げられちゃ、また見つけるのに苦労するんでな」

「うっ、……アキラ」

「久しぶりだな」

 アキラは口調だけなら男子と勘違いされそうだけど、れっきとした女子である。柔道とかやってて強くて頼りがいのある人。

 そういえば、私の周りが狂い始めた発端となった女子の自殺の調査を最後まで諦めなかったのがこのアキラだった。つまり私たちのグループ中で1番最初に失踪した人なのだ。

「あんだけ大きな音がしたのに来てるのは3人だけか」

 呆れたように呟きながら、アキラは私を羽交い絞めにした。

 痛くないように気を遣ってくれているらしく拘束は堅くない。逃げ出そうと思えばできるかもしれないけど、おとなしくしとくことにした。

「いや、さっきヒナの声もしたしな。埋もれてんのか?」

「う、うん」

 聞かれて思わず答えてしまった。アキラの態度も失踪前と何も変わってなかったからかもしれない。

「ならスゴイのが見れるかもしれない」

 アキラが妖しく笑った。以前はしなかった笑みだ。

「いったああ!」

 ヒナちゃんの声が聞こえたけど姿は見えない。すると、目的を忘れていちゃいちゃしている琴美と由香里の後ろの鉄山が噴火した。

 パイプやら机を吹き飛ばして出てきたのは探していたヒナちゃんその人だった。

「ひっ!?」

 私は目を見張ると同時に戦慄した。

 ヒナちゃんのお腹と右脚にはパイプが刺さっている。血が滴ってものすごく痛そうなのに、いつもと変わらない態度が恐ろしかった。

「ヒナ。無事だったか」

「おー、アキも来たんだ」

「そりゃ、褒美がほしいからな。それより、その刺さってるの抜いたらどうだ?」

「うひゃあ。グロいねぇ。いろはが好きそうだけど、ここはいっちょ」

 ズブリ、と嫌な音がして2本のパイプが引き抜かれた。無論痛かったみたいで、ヒナちゃんもその時は顔を歪めていた。

 血が止まることは無いが、それでも抜いてしまえば何ともないのか、ヒナちゃんは傷を服で隠してピンピンしている。

「なんで、そんな……」

 見た目は変わらなくても、中身が根本的に変容してしまった友人たちを前に私は茫然自失していた。

「ご主人はな、ちょっと変わった仕事をしてるんだ。その時部下のアタシらが脆かったら使い物にならんわけよ」

「そう。それで、ちょっぴり改造とか強化されてるってとこね」

 アキラの説明に割り込んできたのは、いろはだった。

 相変わらずミステリアスな雰囲気を漂わせてる子。実はスプラッター大好きであって、ヒナちゃんの発言はそれを受けているのであった。

「そんな、ワケ分かんない話……」

 あるわけない。

 私の口から出たのは最大の疑問だった。

 ここへ来てから感じ続けている異質な感覚の正体。おそらくは誰も信じないだろう非現実的な現象の連鎖。


 気付いたら周りは5人の友人達に囲まれていた。

 ヒナちゃん、琴美と由香里、いろは、そしてアキラ。

「あるんだよ、それが。私たちは、《幻象(フェノミナ)》。自らを世界の理に組み込み不死となりし超常の現象(ひと)

 アキラが劇役者染みたセリフを言った。

 ふぇのみな? 不死? 超常? なにそれ。

 認めたくない心に絶望的なほど非現実的な光景が脳裏に甦る。

 少女の手に湧いた出した紅い粒。警察が何も掴めなかった事件の黒幕、オリジンと呼ばれていた男。鉄の洪水に巻き込まれても平気な友達。

「さて、ここまで喋ったんだしもう飲ませるか」

「遥もやっと仲間入りだね。全然怖いことなんかないから」

「だって死ななくなるんだから」

 アキラは私を拘束したまま、他のみんなが楽しそうな笑顔でにじり寄ってくる。手に手に例の紅い粒を持って。

「やめてよ! こんなのおかしいよ。意味わかんないし!」

 必死にもがいてもアキラには敵わない。私はガッチリとホールドされ成す術が無い。

「由香里〜。あ〜んして〜」

「あ〜ん。はあぁぁっ、とりょける……」

 私に食べさせるのに4人も要らないと思ったのか、琴美と由香里がお互いの持っていた粒を食べさせ合いだした。

 2人は急速に浸透する極限の悦楽に呆けたような表情になって、へたりこんだ。さっき少女がばら撒いていた粒よりはるかに強力そうだ。

「それハルに食べさせるやつなのにー」

 ヒナちゃんが不平を漏らす。彼女自身も食べたくて仕方ないみたい。

「ほっとけ。アタシたちはご主人からもらえばいい」

「……そだね。はい、ハル。おとなしくお口開けててね」

 ヒナちゃんが再び迫ってきたので、私は硬く口を結んだ。ちらりと横を見ると、いろはが紅い粒をこっそり口にしていた。

「開けてくれないと食べれないんだけど」

「なら鼻から入れろ」

 怖いことを言うアキラ。

「それじゃハルが痛いよ。私ムリ」

「なら代わって。拷問チックなことには興味があって」

 いろはがしゃしゃり出てきて、ヒナちゃんの粒をひったくった。紅い粒の影響に耐えているのか顔が赤い。それが興奮しているみたいに見えてゾッとした。

「ほどほどにしろよ」

「わかってますって」

 メガネが怪しく光る。その奥の瞳にも狂気と呼べるものが微かにチラついていた。

「ぜったいムリ! やめてよ! お願、んくっ」

 最後の懇願をするために開けた私の口に紅い粒が吸い込まれた。これが狙いだったんだと今さら気付いた。

「けほっけほっ、い、イヤだ……バケモノになんかなりたくない……」

 全身を駆け巡る快楽の電流。思考を止め、四肢から力を奪っていく。

 抗うことのできない快感に私はビクビクと肢体を震わせ、ひたすら身悶えた。

 自分の身体が別のものに変化していく悪感が満ち溢れる。その一方で、やっとみんなと一緒になれるという安堵も生まれていた。

 ああ、世界が優しい霧に溶けていく。目が、覚めたら、また、みんなと…………。




 生暖かい液体が顔にかかる。ぬるぬるとしていて気持ち悪い。それに臭い。

 ぼんやりしている頭を叩き起こして目を開く。

「う、ん……」

 赤い。あたり一面。

 誰かが怒鳴っている。

「虫けら! こっちにきて護りなさい」

「命の無駄使いでさぁ。《出来損ない》でもないヤツを差し向けるなんてなぁ」

 甲高い悲鳴が巻き起こり再び赤い雨が降ってきた。

 こんな所で寝てたら風邪引いちゃう。そう思って、身体を起こすと今度はちゃんとした物体がお腹に落ちてきた。

 なんだろう? ぬるぬる濡れた黒い糸。白い丸いのが上に2つ、赤い部分に挟まれて下にはずらっと並んで、やっぱり赤い液体を流して。

 これじゃまるで。人の顔みたい。

「やめっ!? イタイイタイー!」

「そんな病気時代遅れですぜ」

 次は蒼白い光がバチバチ唸って、小柄な何かを襲っている。小柄な何かはくねくねよがって、なんだかエロい。

 お裾分けみたいに私にもビリッときた。それで頭がシャキッとした。

「いやぁあああ!」

 私はお腹に乗っていたいろはの頭部を投げ捨て、あらん限り叫び泣いた。

「おはようごぜぇます。遥さん」

 和服男がヒナちゃんを片手に持ってプラプラさせていたのを放して、私に向き直った。

 落ちたヒナちゃんは人肉が焼ける異臭を纏って、ピクリとも動かない。

「すいませんねぇ。そこのちっこいのがけしかけてくるもんですから、殺しちまいましたよ」

 しゃがんで目線を合わせてきた。苦悶の表情が張り付いたいろはの生首を持って。

 見るのに耐えかねて眼を逸らす。

 顎で指された少女は不機嫌そうに鎌を回していた。あとは死体ばかり。迷路に逃げる前に会ったチンピラと女の子2人のものだ。女の子のものは、たぶんあの時失踪した薫と奈緒だと思う。みんな胴体が真っ二つになっている。

 これ、みんなこの人が……? こんな酷いことをして。なんで楽しそうに笑ってるの?

「怖い眼をしてまさぁ。彼女らを支配してますのはそこのロリでっせ。あっしは攻撃されたんで反撃したまででさぁ」

 私は反応しない。言葉も首の振り方も忘れたかのように。

 少女が鎌を振った。深紅の宝玉が暗い光を放つと、迷路では会わなかったユウと純が進み出た。

 和服男は頷くと、腰に挿していた鞘から見事な日本刀を抜き放った。武器というより芸術品の域に達するような輝く麗美なフォルムだ。

 そのまま何の前触れも無く純を肩から斜めに切り伏せた。瞬きの合間に刃が発光したかと思うと人間が悪臭を放つ肉塊に成り下がっていた。

 乾いた血がこびり付いた刃をユウの首に添えながら、男は私を見つめた。

「やめて。ユウには手を出さないで……」

 必死に声を絞り出した。意味も無く殺された純のことも辛いけど、私にはやっぱりユウだった。

「ははは」

 無慈悲に跳ね飛ぶユウの首。

 首を刎ねた男の哄笑と噴出した温かい鮮血を浴びて、私は壊れた。


 

 私は意味を伝える機能を欠いた音を吐き出し、男に殴りかかった。

 失うものは無い。あるとしたらすでに価値を失ったこの命。

「さぁ、遥さん! 新たな人生、第二の生。何を望みまさぁ!」

 有頂天にいるかのような調子で男が叫んだ。まるで歓迎しているみたい。

「殺す! お前らを殺してやる!!」

 ありったけの憎悪と怨念、殺意と呪詛を込めて私は絶叫した。

「願わくば、その望み果たされんことを」

 男の声を最後に匂いが消え、音が消え、光が消えた。私の拳は男に届くことはなかった。

 身体は得体の知れないモノ混ざり合い、心は砕け形を失くす。魂さえも揺らぎだす。

 要した時間は永遠にして須臾かもしれず、範囲としては極所的で全域で、程度にすると膨大で過小な変異が鎮まった。

 紅い粒を呑まされた時より急激な変化だった。死んでいるのか、生きているのかも定かではない。

 


「うらああ!」

「ぐううっ」

 響き渡る金属の慟哭。

 私の斬撃は届かなかったが、男は見えない盾と一緒にぶっ飛んで迷路の崩壊に巻き込まれた。

「オリジン!? もう手に負えない。退くわよ」

 少女の声が耳に入った時には、身体が勝手に動いていた。

「お前もあの男の仲間だろ」

 自分のものとは思えない低い声が出た。私は目で捉えることしかできないからどうしようもない。

 手に持つ柄から伸びた白銀の蛇たちが対象を切り刻もうとのたうちまわる。

 少女は一瞬怯えを見せたが、すぐに嘲笑を浮かべた。

「お前は《柘榴》を摂った。すでに私の手の中よ」

 少女が手をかざすと途端に私の身体は動作を止めた。何も考えられない。収まっていた快楽が大急ぎで起動したような感覚。

「これ没収。『赤ん坊』に持たせても害しかないわ」

 私の手から動くのをやめた剣が抜き取られた。

「ぐえっ!?」

 また血だ。切り裂かれた少女の喉元から溢れ出る。

 剣はひとりでに暴れて何回か斬り付けると少女の手を離れ床に落ちた。

 私の身体に自由が戻ってきた。蛇を結合したような剣を拾い上げる。

「ご主人!」

 アキラがひゅうひゅうと息を漏らすことしかできない少女に駆け寄る。私を睨みつけて何か言おうとしていたみたいだったけど、蛇にお腹を刺されて投げ飛ばされた。

「まずいよ。早く逃げないと。走って!」

「い、イエッサ!」

 琴美と由香里が逃走する。

 危ない! 蛇が後ろに……

 警告しようとしたけど間に合うことなく2人は胸を貫かれて倒れてしまった。最後にキスしようとにじり寄ったのに、蛇がめっちゃやたらに串刺しにしたので叶わなかった。


「ひゅう……」

 微かな呼吸音が聞こえ、視点が戻された。

 じりじりと這って無様な敗走を見せてくる少女がいる。

「しぶといな。なんだ、その目は」

 恨みがましい瞳を向けてきた少女が前方にゴロゴロと行ってしまった。蹴りがこんなに強いなんて知らなかった。

 私は生にしがみついて何とか逃げ延びようと頑張っているちっぽけな存在を追い詰めていく。あっという間に追いついてしまって面白くない。

「私の友達を薬漬けにして飼いならしていた罪は重い」

 冷たい鋼鉄の蛇が少女の背中を這う。まったく自然な感じでザクザクと滅多刺しにしていく。腹ペコ蛇の池に突き落としたらこんなだろうな。

 一方少女は色々と不随になって動けない。また蹴られて、転がって全身を強打しながらに生の終点に近づいていく。

「遺言を聞いてあげたいけど、喋れないんじゃムリだな。さよなら」

 少女が何を求めてか手を振るので斬りおとしてあげた。この一撃で葬る予定を狂わされて、私はご立腹のようだ。

「死ねッ!」

 あ、あれ? 和服じゃない男が串刺しになった。誰これ。

「……はるか……まさかこんなことになるなんて」

 虫の息で話しかけてくる男。血が止めどなく流れているのを見ていると何だか悲しくなってきた。

「わた、わたしのなまえ……」

 やめろ。そんな名で呼ぶな。

 私を支配していた何かが音を立てて瓦解していく。猛り盛っていたどす黒い感情が萎んでいく。

「ホント、ダメな彼氏でごめん。お前だけは巻き込みたくなかった」

 この男との思い出が走馬灯のように頭を、心を走りぬける。知らないはずなのに何故か涙が出た。

 ああ、もしかしてこの人は

「ユウ、なの……?」

「そうッ、ぎいいい!」

 ユウを刺し貫いていた蛇が死後痙攣を起こしたように蠢いて消えた。それが、トドメになった。


「ユウどうしたの? 続き話してよ」

 ほら、立って。力入れて。ここから出よう?

 外はあったかいよ。桜だって咲いてる。そうそう、私きれいなところ知ってるんだ、見に行こうよ。

 寒いの? だって震えてる。身体冷たいし。熱でもあるの? でも、熱なら身体ってあつく……

 もういい! 私が連れて行ってあげる。

 もっと踏ん張って。私女の子なんだから、肉体労働向いてないから。

 ユウ!? 怪我したの? こんなに血が出てる。あはは、お花見なんかより病院だったね。

「見て見て! こんなに花が散って、風強いね今日」

 とっても久しぶりのお天道様が眩しい。ユウもおんなじみたいで俯いてる。

 私は目を細めて上を見上げた。サクラ吹雪の優しい空は、悲しいほど青く澄んでいた。胸が痛いな。



 そこからの記憶は曖昧だ。

 警察が来て病院に行って家族と話した。何を聞かれても何のことだか分からない。

 破壊尽くされた工場からは大量のガラクタしかでなかったそうだ。懐かしいあの人達はどこへ。

 医者によると極度の疲労状態と記憶障害をきたしており、少し入院した方がいいとのこと。様子を見て、精神病院に移ることもありえるとも言われた。

 そこから何時間、何十時間経っただろうか。初めての、もしかしたら幾度目かの病院での夜に誰にも気付かれず、影のように闇に溶けて面会人がやってきた。

 私は眼が冴えて眠れなかったので、天井とにらめっこしていたところだった。

「遥さん、気分はどうですか?」

 私が無言でいると、男は独白にはいった。

「名前が決まったんで伝えに来たんでさぁ。あなたの名は《復讐の女神(ネメシス)》。原義は義憤でありますがどうでもいいでござんしょ。呵責ない復讐者の側面とそれをなだめる慈愛の側面を持ち、その狭間で苦しむ女神でさぁ」

 一旦話が止まった。何の反応も示さない私を見て男は落胆したようだった。

「ふむ、心が壊れてんですか。我々《幻象》は銃や剣より精神的な損失がよっぽど致命的だというのに。ああ、剣といえばあなたの得物もそうでしたな」

 銀色の蛇が脳裏に浮かんだ。触れるものを容易く八つ裂きにする三つ首の蛇。

「《怨疾毒蛇(エリニュエス)》。あなたの深遠たる怨嗟が生んだその剣は、我らにとっては劇毒の塊。受けた傷は治りませんぜ。血に飢えた復讐の三女神が撃つ鞭のようでさぁね」

 雲がどいて月明かりの元、男の全容が露になった。あの和服男だ。

 ざんばらに切った黒髪。痩せた長躯の影を部屋に伸ばして、腰帯に刀の鞘が挿った和服を着込みニヤリと嗤っていた。心なしか眼は嗤っていないように見えた。

「もう普通の生活は望めませんぜ。殺意と狂気を糧に追って来なせぇ。あっしは《起源》。悠久を生き、永遠を分け与える者なり」

 そうして男は去っていった。

 

 数週間後、再び身体が乗っ取られたようになった。その日の夜、病院を抜け出した。

 そして街にいた名も知らぬ《幻象》を殺した。そのときの快感といったら例えようも無い。

 気がついたら血塗れで、その血はだんだん消えて行って、何が何だか分からないまま病院に連れ戻された。

 自らの異質性を実感し、他人にばれることを恐れた。

 私は家族にも何一つ告げることなく病院を脱出し、故郷を捨て果てしない復讐の旅路についた。



 木々に囲まれた石造りの階段を上り、色褪せているであろう鳥居をくぐって、遥は指定された廃寺の境内に到着した。

 外界は寒々しい月夜だというのに、ここはあちこちに立てられた蝋燭のおかげで朧げな温かい光に満ちていた。

「約束どおり殺しに来たぞ。《起源》!」

 遥の声に蝋燭の焔が厳かに揺れた。

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