第13話B:発生-Nemesis
そこで見たことは一生の思い出になった。
同廃工場の広めのフロア。天井に張り付いた薄汚れた窓と空いた穴から漏れる日光で部屋は明るい。
大小様々な廃棄機材が並んでいて、終末的な雰囲気を醸している。
「お願いします! もう1粒、もう1粒だけ柘榴をぐええ!」
声がユウの情けない懇願を聞いてすぐ逃げればよかったのだけど、私は反射的に物陰に身を潜め様子を窺ってしまった。
柘榴? あまり馴染みの無いフルーツ。何の話をしているの?
「何度来ても無駄だ。金もねえ奴にやれるかボケがっ!」
メリケンサックや鉄パイプで武装したいかにもな連中にユウがボコボコにされはじめた。
私は早くも来たことを後悔した。しかし、見つかることがどうしようもなく怖くて全く動けなかった。
しばらくすると暴行は終わり、私の死角から透き通るようなのに悪意に汚れた少女の声が聞こえてきた。
「ホント使えないわね。人間って」
また意味が分からない。まるで自分は違うみたいな言い方。
「まあ、そう言いなさんな。あっしはくれてやっても良いとおもいますがねぇ」
今度は低い男の声が聞こえた。これは喋り方が変に時代がかっていた。
「これはアタシの仕事よ。アンタに従う筋合いなんて無いわ、《起源》」
オリジンって何? この人たちは何者? 疑問は尽きない。
「くっく、ちげえねぇ。正論でかえされちゃぁ、このあっしも言い返せませんぜ」
「その話し方、癪だわ。ていうか何でここにいるのよ? 用が無いなら消えて」
少女はどう考えても年上の男に高圧的な態度を取っている。
対する男は穏やかというか余裕の有り余っている様子。少女の言うとおりイライラする。
「迷惑かもしれませんが、まだここに残りやすよ」
「迷惑よ。どうして?」
「なに、新たな同胞を生むだけでさぁ。ちょいとアンタの仕事にも絡みますがねぇ」
「勝手に決めないでくれる? どうしようもなく自己中ね」
「ははっ。テメェにだけは言われたくありませんぜ」
「なんですって?! 貴様、殺すわよ」
口喧嘩の最中恐ろしい波動が部屋を揺るがした。
常人の私でさえ分かる鋭く濃厚な感覚。殺気とか邪気とかそんな感じのもの。私は叫んでしまいそうになり慌てて息を止めた。
「ん? 今なにか動きやしたね」
「気のせいでしょ。アンタの」
「シッ! 隠れても無駄ですよ」
男は何か言いたそうな少女を制し、見えないはずの私に語りかけた。と同時に私の身体を何かが突き抜けた。ドアノブ静電気を強くしたような痛みが走る。
「いたっ!?」
私は鋭い痛みに思わず飛び上がり、結果としてこの部屋に居並ぶ者を確認することとなった。
うつぶせて動かないユウと武装した5人のチンピラ。それだけなら納得もいくけど、小学校中学年くらいにしか見えない小柄な女の子と紫苑の羽織を着た男は場違いだ。
和服の男は気味悪い笑みを浮かべて、それ以外は驚きを隠せないようで止まっていた。
その隙に私は一目散に逃走した。幸い足には自信がある。きっと逃げ切れる。ユウには悪いがやはり命は惜しい。
「どこ行こうってんですかい? お嬢さん」
「ひぃ!?」
開けっ放しの出口まで行くと和服の男がニヤニヤ嗤いながら待っていた。
いつ来たの? 理解できない現象に恐怖が背中を這い上がってきたが、私はまだ諦めなかった。すぐに別の出口を探そうとして踵を返すと
「がっ……!」
お腹にスイングされた鉄パイプがめり込んでいた。振るったのはチンピラの1人だった。
痛みが浸透して自分の身体が崩れ落ちるのを感じた。
跪いて、犯罪者たちを見上げているのが屈辱的だった。
「《起源》、コレが貴方の獲物ってわけ?」
「ええ」
「ふうん」
いつ来たのか少女が私を見下ろしていた。
暗黒色のドレスで盛装していて、流れるようなプラチナブロンドが映える。闇夜と星の群れを思わせる綺麗な出で立ち。
だけど、私を見下ろすブルーの瞳は冷酷さと邪悪さを惜しげもなく発散する。
初めて人間を怖いと思った。いえ、初めてはあの孤立した時代。今目の前にいるのは、もっと違う何か。
「ユウを、返してください……」
幼い少女に哀願するのは情けなく思ったのだが、逃げられないだろうからせめてユウだけでも助けたい。それに怖い。
「アンタ、ユウって名前だったんだ。虫けら」
少女が後ろに佇むユウに話しかける。虫けらと呼ばれても、怒る様子はない。絶対におかしい。
「はい」
「コレとどんな関係?」
「昔の、彼女です」
「へえ、それは面白いわね。《起源》、コレをちょっと借りるわよ」
私を指差して、物みたいな扱いをする。気に食わない。
「はあ、あっしのものだというのに……。ま、何するかによりますな」
「私は、お前達の所有物じゃない」
お腹の痛みを堪え、憤りを言い放った。
「この私に口答えをするの。虫けら風情が、調子に乗るな」
「《墜落の魔姫》さん、話が先に進みませんぜ。ほっといて、続きを話しな」
私を蹴りとばそうとした少女を和服男が宥めた。オリジンだのハデスだの、意味不明なコードネームを使ういかれた連中だと思う。
「……ええ。さしずめ貴方の気に入りそうな神話の再現よ」
「ほう。怪我はしないんで?」
「もちろんよ」
「なら許可しまさぁ。ですが、あまり時間をかけすぎないよう」
「分かってるわ」
嫌な予感しかしない。このどこまでもふざけた連中は何をするつもりだろうか。
「さあ、始めましょうか。冥府の王の審判を」
私は、はじめユウがいた部屋に連れ戻された。近くにユウもいる。
「どうするつもりなの?」
静寂に耐えかねて私は少女に聞いた。
「ゲームよ。勝てたら、逃げていいわ。それを私たちが追うこともない」
「ホントに? 約束よ」
思わぬところにあった救いの綱。私は必死に飛びついた。
「ええ。ルールは簡単。その虫けらと2人で工場から出られれば勝ちよ。ここが大事だけどね、途中で振り返ったら負けよ」
和服男がほう、と溜息を漏らした。
「それだけ?」
「もちろん私だって邪魔はするけれど、暴力はしないわ。そんなところかしら」
勝てる。
そう思える条件だった。
ユウは顔色が悪くて、何かに怯えるようにキョロキョロとして落ち着きがない。勝利に不可欠な彼にはしっかりしてもらわなければならない。
遠い昔のようで、実は1年も経っていない。私はその間の寂しさを全部吐き出すみたいに甘えてみた。
「ねえ、ユウ。何があったの? いなくなった時すごく悲しかったんだから」
「あ、あ、ごめん。俺……い、いや……」
しっかりと受け止めてくれると思っていたのに、期待は裏切られた。ユウの反応は痛々しくて目も当てられない。
ユウの挙動はまるで保健で習った薬物患者だ。それなら話が繋がる。
ここにたむろしている連中は麻薬の虜となった憐れな人たち。和服男と少女は麻薬ディーラーのような存在なのだろう。
男はともかく、少女に疑いを持つのは変かもしれないが、傲慢な態度や歳不相応な大人びた喋り方には何か異質なものを感じずにはいられない。
「しっかりして! 昔のユウに戻ってよ! ねえ! こっち見てよ。話聞いてよ」
ユウはもっと頼れる男子だったはず。こんな状態になるなんて、よっぽどひどい目に遭ったらしい。
「無駄話は済みまして?」
疑問形なのに、圧倒的な命令が込められた声。まだ話は全然終わってない。
私はきっと少女を睨み、その軽薄な笑みをたたえた顔に敵意を剥き出しにした。
少女はそれが気に食わない様子で笑みを消し、凍えるような憤怒を露にしていた。ちょっと仕返しできたみたいで子気味よい。
「ほら、立って。行くよ、ユウ」
「お、おう」
少女を尻目に、私はユウの手を引いて駆け出した。スタートなんて宣言されてなくても構いやしない。
手を握ると汗で湿ったユウの手も握り返してくる。
『俺をここから救い出してくれ』
そんな無言の期待が込められているみたいで、私に力をくれた。
甘えてばかりの私だったけど、今度は私がユウを護ってみせる!
走り出しても後ろの連中は何もしてこない。
逆に不気味で振り向きたくなるが、ルールを思い出してはっとする。 危ないところだった。
手を繋いだユウの足取りはおぼつかなく、否応なしに進むのが遅れてしまう。怪我でもしていて障っているのかと思われたが、振り向くわけにはいかない。
焦りが生まれる。至る所に仕掛けられた『無』からくる不安という微細な罠が注意を後ろに向けさせようとする。細心の注意が必要だった。
「何があっても絶対振り向いちゃだめだよ」
「……」
「ユウ?」
ユウは答えない。
握る手の感触はあるのに、そこにいるのかと聞かれれば分からない言ってしまいそう。
どうしようもないので私は歩き続けた。
曲がりくねって迷宮を成す遺物達が視界に現れた。広大なこのフロアはゴミで埋まっていた。どこで道を間違えたのかこの部屋は初めて来る。
迷路はかなり人為的なもので奇妙極まりない。
奴らがわざわざ造ったのだ。となると、私は手招きしていた奴らの元へ自ら身を投じたことになる。ユウは活餌だったのだ。
和服男と少女の嘲笑が聞こえるようだ。そんなものに引っかかる自分と奴らに腹が立った。
来た道ではない。しかし、後戻りはできない。万が一、袋小路に辿り着こうものならそれはゲームの敗北を意味する。慎重に選ぼう。
「つまらない、興ざめ。人間は暇つぶしにもならないわね」
真後ろで少女の声が聞こえた。
冷や汗が流れ、瞳が無意識に後方を向こうとするのを必死に止めた。前を見ながら少女に聞いてみた。
「出口はちゃんとあるんでしょうね」
「当たり前でしょ。勝つと分かっている試合ほど低劣なものはないわ」
小ばかにした調子で少女は話す。
本当は勝ち目なんてないのかもしれない。心を暗影が通り過ぎた。
私は迷路を造るゴミ壁から突き出ていた鉄パイプを引っ込抜いていた。いざとなったら、こんな幼い子でも……。
「そんなものでこの私が殺せるとでも?」
今度は完全にバカにした微笑を含んだ口調で嘲られた。
「お前みたいなやつに殺す価値なんか無い」
私はわざと少女をキレさせるように言葉を選んだ。沸騰しやすい性格なのだと、会話から読んでいた。
「ッ……人間風情がっ! もういい、死ね! 殺してやる!」
思ったとおり少女は感情を爆発させた。少女の中にある何か凶悪な気配がドバドバと溢れ、後ろでうねりを上げている。
後ろを向けないわけではない。もう契約は破棄されたのだから。
でも私は振り返らない。膨張していく怪異と目を合わせたら、発狂しかねないと思ったから。
怖くないわけが無い。極限の憤怒を直に浴びるという未知の経験に震えが止まらない。しかし、私にはまたしても確信があったのだ。
「肉体と精神が砂となるまで殺し尽してあげるわ!」
少女が絶叫し、形あるもの全てを切り裂く暴風が私の背中に迫った。私は頼りないユウの手を握り締め、眼を閉じた。
「《不壊》」
男の声が聞こえ、私の身には何も起きなかった。
車の衝突みたいな暴音が数回聞こえ、辺りが静かになった。そこで私は後ろを向いた。
「やっぱり助けてくれたんだ」
「やっぱり? なるほど、はめられたというわけでさぁね」
キレるかもしれないと構えたけど和服男が愉快そうに返してきた。
彼は私たちと少女の間にいて、予想通り先の攻撃から護ってくれたようだ。
「その子の仲間じゃないの?」
私は何があったのか地面に転がっている少女を指して聞いてみた。
「いやぁ? あっしらは基本単独行動でさぁ。協力なんてぇのはその時々でね」
男は変な言葉遣いながら声が弾んでいて、よく分からないが楽しそうである。
「あの、私たち、帰っていいですか?」
無理とは知りながら聞いてみる。今までの会話から私たちに用があるのは少女ではなく、この男らしいが。
「はははっ。そいつは聞けねぇ相談でさぁ」
「やっぱり……」
分かってもらえない。だったらやることは1つ。
「えええい!」
私は鉄パイプを振り上げ、思いっきり男の胴を殴りつけた。
ガキンとおおよそ人を殴ったのに相応しくない音がして、腕が千切れそうなくらい痺れた。鉄パイプは衝撃で吹っ飛んでいった。
「くうっ……! な、何なのよ」
「そんなの効きませんぜ。諦めて話を聞いてくだせぇ。貴方の友人を自殺させたり、失踪させたりした不肖のあっしの話を」
「えっ……?」
数瞬は不理解が脳を支配した。たった数瞬。
「あ、あなたがみんなを……っ!」
人生をめちゃくちゃにした男を目の前にして、私の理性は崩壊寸前だった。
殴っても蹴っても効かないという認識だけが、私を暴力の衝動から遠ざけていた。
「姉さんの人生は変わったな。暗闇とそこからの脱出を経て、強くなった。さあ、最後の試練でさぁ! 存分に享受し、行き着く先をあっしに見せなせぇ!」
爛々と目を輝かせながら和服男が高らかに宣言した。
「支配と束縛、逃れえぬ永遠の快楽をここに。《冥界の柘榴》!」
和服男の言葉を合図に少女の奇怪な言葉と共に赤い閃光が一帯を包み、その強烈な光に眼がくらんだ。
ユウの身体がビクンと跳ねて、稚拙な人形繰りのような動きで私のほうを向いた。
「大丈夫? ユウ顔色悪いけど」
「平気だよ。むしろ気分が良すぎるくらいさ」
本当に自然にユウの手が私の首にかかった。だから全く反応はできなかった。
「どうし、やめ、て……」
息が苦しい。押し退けようと伸ばす腕も力を失っていくのが分かる。そのままユウは私を押し倒した。
霞みつつある視界にユウを捉える。ユウは無言で私の首を絞め続けている。眼の焦点は合っておらず、キトキトと忙しく動き回っている。
「私を侮辱した罰よ。愛する虫けらに殺されろ!」
いつの間にか立ち上がった少女が悪魔じみた高笑いを響かせている。
護ってくれるものと思っていた和服男さえ直立不動でこっちを見ているだけだ。
「足掻いてみなせぇ。人間、生に執着してこそのモノでさぁ」
「かってな、いいぐさ、ねっ!」
飛びそうだった意識が負感情のキメラに引きずり戻され、融合した。
刹那、私の脚がユウを跳ね除けていた。
私は起立し、息を切らせながら悪魔2匹を見据えた。今相当怖い顔をしているんだろうな。
「ユウを元に戻して!」
「いやよ。コレはもう私のものなんだから。ああ、証拠を見せてあげようか。それなら納得でしょ」
少女がその小さな手を広げてみせた。すると、見る間に紅く輝くあめ玉大の粒がいくつも手のひらに現れた。まるで手からルビーが湧いているような光景だ。
「ほら、虫けら。お前の欲しくて欲しくてたまらないものよ」
それを地面に落とすと、死体のように動かなかったユウがものすごい勢いで起き上がり紅い粒に飛びついた。
ホコリまみれでも何でも構わないみたい。ユウはただただ紅い粒を口に入れ、惜しむように落ちた床を舐めていた。
「や、いやぁ……。ユウ、なんでそんなこと……?」
ショックが大きすぎた。
いくら呼んでも、彼氏は、ユウは、その人間は、犬のように這いつくばりせっせと舌を使って紅い粒の余韻を集めている。
頬を何かの液体が伝っていった。
「あ、そうだ。前に《起源》からもらった《出来損ない》がいたんだったわ」
とてつもない悪意を発露させながら、少女は指を鳴らした。
何者かの足音が少女の背後から聞こえてきた。
見たくない。もういや。
眼を閉じたくてもできない。できたことなんて、自分が泣いているのに気づいたことだけ。
「紹介するわ。愚かで卑しくて汚い虫けらどもよ」
少女がまた紅い粒をばら撒いた。人の形をした虫けらが嬉々して群がる。
「いやあああ!」
絶叫なんかしても無駄。事実は変わらない。でも止まらないのは、たぶん精神を守るためなんだと思う。
虫けらは全部で8匹。どれもこれも知った顔。
だって、それは、失踪した友人たちのなれの果てなんだから。