第13話A:発生-Nemesis
明人から情報を得た後、遥は一旦寝泊まりしている宿に戻った。
制服に着替えて、黒いコートを羽織る。コートの中には、様々な武器が隠されている。
《起源》を狩る準備は整った。
外は暗く、喧騒も遠い別次元のものに感じれる。
戦場に赴く遥は明人に話した自らの過去を思い出していた。
想えど変わらぬ、忘れようもなく絡みついてくる記憶。
あれは高校1年の窒息しそうに蒸し暑い夏のことだった。肺が爛れてしまいそうな風の季節。
私には優しい彼がいて、友達もいっぱいいて、暑さで苛立つ教師達の下らない授業を聞きに学校に行くのも苦にはならなかった。
そんなある日、親しかった友達の1人が自殺した。線路に身を投げて、電車に轢かれて。
動機は全く不明。いじめがあった気配はまるでないし、自殺を考えるまで思い詰めた様子だって微塵も感じられなかった。
ただ単に自殺。あまりにも証拠が無く、捜査はテキトーに済まされた。
それを認めなかった友達がいた。亡くなった子の1番の親友。
私も信じられなかったから、彼女に誘われたときに二つ返事で協力することにした。
調査と言ってもただの自己満足だったのかもしれない。聞き込みも情報収集も中途半端。生半可な正義感を振りかざした挙句得られたものは、とある噂1つ。
最近ここらで和服の怪しい男を見るようになったという話だけ。それも『誰々が見たっていうのを聞いた』とかばかりで目撃者に出会えない。
しかし、親友の子はそれを頼りに捜査に燃えた。何が彼女をそこまで駆り立てるのか、私には分からなかった。
私たちが捜査を抜けても、彼女は1人友人の幻影を探し続けた。
しばらくしてその子は失踪してしまった。まるでこれ以上踏み込むなという警告のようだった。大きすぎる犠牲を払って私はやっと事の重大さに気付けたのだ。
怖くなった私は、彼女が和服の男を追っていたことを警察に言って、その後この事件に関わるのを止めた。
それで犯人が捕まって解決すれば良かった。でも失踪事件は続き、犠牲者は8人にまで上った。それは全て、私の彼氏を含む友人達であった。
私は嘆き悲しむことと、姿無き犯人を恨み続けることしかできなかった。
かつての生活はもう無い。学校は色褪せ、そこにいるのは皆私より幸福な人々だけ。
いじめ? 病気? お金が無い? ましてや恋の悩み?
そんなものはいくらでも解決法がある。私の苦悩に光り輝く道は無い。
闇の牢獄に放り込まれた私を、檻の外から幸せ者が笑覧する。
同情は凶器、励ましは毒。
檻の中、囚われの私にそんな汚物みたいなものが投げ入れられる。彼らは慈悲だと思っているだろうが、ただの偽善に思えてしまう。
中には本当に心から私のことを考えてくれていた人もいたと思う。だけど私はこの悲哀が他者に理解できるはずがないと塞ぎ込み、孤独な悲劇のヒロインに身をやつして拒絶した。
結局の所、私はそんな汚物でも欲しかったのかもしれない。ただ事件で傷つき捻じ曲がった私の心が、慰めが含有する微々たる嘲りを拡大視し、純真無垢な善意から眼を閉ざしただけなのかもしれない。
本当は宝石のように煌びやかで温かいものなのに。
その時点で道は定まってしまった。
感謝の無い不遜な私には、いわれもない誹謗中傷と社会的制裁が加えられる。その内学校のみならず地域にも悪評が伝播していった。
災難を被ったのは私なのに、責め立てられるのも私。世の不公平を呪うには申し分ない屈辱だった。
自分のことで精一杯だった私は、その時失踪事件が収まっていたことに気付かなかった。まるで私の受難を楽しむかのように。
しばらくするとみんな私を構うことをやめたみたいだった。
平穏無事に2ヶ月が経とうとしていた。事件は未解決だが収束を迎えたらしい気配に人々は安心して、私への興味は削がれたらしかった。私を見ると嫌な顔をするのだけれど、以前のような暴力的な反応は無くなっていた。
私も暗鬱に過ごすのは嫌だったから、勇気を振り絞って教室に戻ってみた。
それまでの私は保健室に入り浸って極力他人と顔を合わせないようにしていた。
そしたら何のことは無かった。
最初は話しかけても粗悪な人形繰りみたいにぎこちない反応が返ってきたり、冷ややかな視線に晒された。でも私も必死だった。日常を取り戻すために。
それが伝わったのかみんな少しずつだけど私を見てくれて、クラスに溶け込ませてくれた。
話を聞いてみると事件が残した傷跡は私にだけあったんじゃなかった。
それは当然の事。だけどその時初めて気付いたのかもしれない。
失踪した友達にも家族はいるし、私以外の友達だってもちろんいる。
やっぱり私は傲慢に1人で悲劇のヒロインを気取っていただけ。みんなはそれが気に入らなかっただけなのだ。
被害者はこの街の住人全員。
遅すぎる認識に私は唖然とした。でもこれで、やっと平静な暮らしが戻るのだ。
私は崩壊した関係の修復により一層力を注いだ。私の努力をみんなは認めてくれて急速に世界は色づき、未来を差し示す光がのさばる闇を滅ぼした。
失ったものも多い。戻らないものも多くある。それでも、これから得るものだって捨てたものじゃない。
いままで通りの世界とはいかないけれど、精一杯前を向いて歩くことはできる。
自分で言うのもアレだけど、悲劇を超克した人間は強いと思う。
この世の知らなくてもいい悲しい側面を覗いたから。自分の非力を知ることで他人を認められるようになるはずだから。
季節は巡り春になった。明るくてあったかくて幸せな、私の好きな季節。
2年に進級し私はバスケ部で活躍していた。1年の頃から入っていたが事件のせいでしばらく休んでいたので、復帰してからは遅れを取り戻そうと懸命だった。
日が長いから練習も長い。帰るのはどうしても遅くなっていた。
学校の近くの学校最寄の駅から電車で約10分、着いた小さな駅から徒歩5分で家に着く。
駅の近くでふと誰かに名前を呼ばれた気がして、振り返ってみる。
けれど誰もいない。微かに懐かしい匂いがした。なおも眼を凝らしていると雑踏の中、思い出となってしまった後ろ姿が見えては消えた。
「ユウ……」
知らず知らずの内に私はいなくなってしまった彼の名を呟いて、私は直感的に駆け出していた。
離れず追いつけない距離を保って私とユウは追いかけっこをしていた。
ユウはゆらりゆらりと人垣を抜け滑るように歩いていく。まるで亡霊だ。
私はなかなか追いつけないことに苛立ちながらも、無我夢中に光に集まる羽虫のように彼だけを見て追跡した。
いつの間にか私はユウについて、町外れの廃工場に入っていった。
たしか缶詰かなにかを作っていた所だと聞いたことがあった。そこは私が小さい頃に閉鎖され、未だ買い手がおらず淘汰された場所だった。
どうしてユウがこんなところに用があるのか、全然検討も付かなかった。
中はひどく暗くて薄気味悪く、ホコリとカビの臭いが鼻を突く。
こんな汚らしい場所でも利用者がいるらしい。
壁の至る所に稚拙なラクガキが描き殴られ、スプレー缶やタバコの吸殻やアルコールの容器が散乱している。
ああ、ここは危ない奴らの溜まり場なんだなと理解し、辺りを見回すとユウはもういなかった。
ヤバイことに巻き込まれるのは嫌だったが、ユウが巻き込まれているかもしれないのをほっとけなかった。
ただの善意が再び私を日常の立ち入り禁止区域に踏み込ませてしまった。
今度こそ戻れない暗流に足を滑らせ堕ちたのだ。