第12話:破滅-ruination
「……とまあ、こんなもんだ」
「ふうん。なら、私は取り押さえるくらいでいいんだ?」
「ああ、その間に俺が説得する。聞かないようなら……頼む」
「そ。榊原君もそこまで鬼じゃないんだね」
「そりゃあ人が死ぬのは見たくないだろ」
作戦は極々単純かつうまくいけば一滴の血も流れないで済むものであった。遥としてもそれは望むところで、明人の株の下落も止まったところだ。
だからと言って殺人の道具として使われるのはやはり気分のいいものではない。
こんな形で人に頼られるなんて。
そう思わずにはいられなかったが、《起源》の情報のため我慢することにした。
くきゅぅぅ。
緊迫した空気が一時弛んだせいか遥のお腹が可愛らしく鳴った。この沈黙の中ではやけに大きく聞こえるものである。
実のところ車が店に突っ込んだり、看板が落ちてきたりしたせいでこの2人は昼食を食いそびれていたので、致し方ないことではある。
「な、何よ?!」
遥はかぁっと赤くなって睨んできた。完熟トマト的な赤さだ。
「いや何も言ってないし、あぶねっ!」
ドアの近くにいた遥は戻ってきて明人に平手を食らわせようとした。明人の鼻先を掠めたそれはホラーな速度だった。
「まあ、座れや。お菓子ならここにあるぞ」
「ふん」
ふてくされたような態度で遥は腰を下ろし、チョコの袋を開けた。
一粒口に入れ、ゆっくりと味わいながら溶かしていく。
「そんなに美味いか?」
明人はたかがスーパーのチョコにうっとりしている遥に聞いてみた。
「うん」
「ガーナとかのプランテーションで働く貧しい子供達の血と汗の結晶だからな」
「う、なんで今言うのよ」
至福の時を邪魔されてぎろっと睨みつけてくる。
また平手が飛んできそうなので明人は射程から退いた。
「知識としていいかなと思って、ん美味いな。そう思うと人類発祥の地アフリカの味がする」
「なにそれどんな味よ」
一応聞いてくれるあたりノリはそこそこイイらしい。
「デザートの味」
「……あげる座布団ないよ」
なるほどツッコミもこなせるようだ。
「山田め。仕事しろ」
「あ、え、クッションならあるけど」
遥が自分の座っていたやつを差し出す。それがどうにも天然っぽくって吹き出しそうになる。
「い、いや。別にお前に山田役をやれってわけじゃ」
「あんまりにも入れ込んでるみたいだから」
「わかった分かった。そんな意外な一面見せてお近づきになりたい腹か」
「そ、そんなんじゃない! バカじゃないの」
そっぽを向いても、チョコはほおばる。
案外かわいい所もあるんだなと、思って見ていると大げさな音を立てて謎の物体が窓を突き破り、2人の飲んでいたコップを粉砕した。
「な、なんだ?!」
明人は腰が抜けかけて立てないでいた。首は動くので見てみると、その物体は歪な形の金属だった。鈍い銀色の欠片で四角く尖っていて当たっていたらただでは済まない。
遥はすでに臨戦態勢で剣こそ出していないものの、狩りをする肉食獣のような雰囲気を纏っている。
「あのもやもやした気配の《幻象》が近くにいる」
「もやもやって、ここ8階だぞ。近くったって」
もちろん窓の外は鳥が飛んでいるような高さである。
はっとした瞬間立てるようになり、明人は部屋を飛び出した。リビングのドアを開けると目の前に藍と小夜がいて眼を丸くしていた。
「いま凄い音がしたけど、何だったの?」
藍たちも音を聞きつけて見に行こうとしているところだったようだ。
「俺の部屋になんか投げ込まれた」
そう言いつつ小夜を見る。当然のごとく状況が分からずポカンとしている。どうやら疑う余地はないようだ。
「なんかって何? 石とか?」
「金属片ならぬ金属塊だ。当たってたら命が無いくらいの」
言っていて初めて安心した。本当に危ないところだったのだ。
「お兄さん、誰がやったのか心当たりあります?」
小夜が初めて口を利いた。葉が摺れるような静かな声だ。
「いや、ない。藍は?」
端的に答えて、藍に振る。明人は何となく話したくないような、片意地のような感覚を味わっていた。
「ううん。さっき友達にメールしたけど、こんな帰国のお祝いはやだな」
これはアメリカンジョークなのか。コメントしづらいらしく小夜さえ、苦笑いする始末である。
「あ、あれ? 変なこと言ったかな、私」
どうしたものか。
「榊原くん。掃除機持ってきて」
微妙な空気は遥の声で破られ、3人は止まった時が動き出したようにあたふたと片づけを始めた。
「せっかく掃除したのに今度は窓無しかよ。3日連続ソファで寝るのはキツイな」
「贅沢ね、平気よ。私野宿したことあるし」
やはりお腹が減っているようで他の人より多くお菓子を口に運びながら、遥は平然と言った。 このご時勢に女の子が1人野宿など考えられないことだが。
「たくましいな」「大丈夫だったんですか?」「へえ」
三者三様の反応が返される。
皮肉ったような明人と心配そうな藍。小夜は興味なさそうである。もとより遥を警戒しているのである。
居場所が無くなった明人と遥は予定とは違えどリビングに戻ってきていた。
現在の時刻は午後5時半過ぎ。秋も深まりつつあるゆえ外はもう暗くなってきているが、今宵は雲も少ないので明るい月が拝めそうだ。
「小夜ちゃん、暗くなってきたけど、どうする?」
藍がだいぶ前に灯りの点き始めた街を見て言った。藍は友人で、しかも女の子に暗いところを歩かせるのは抵抗があった。
「そうですね……、じゃあそろそろ帰ります」
小夜も頷いて支度を始めた。
明人はそれとなく遥に合図した。遥は当然気乗りしなさそうな顔をしていたがこればかりはしょうがない。
小夜の気が変わっていて元から殺す気がなかったとしても、確かめる意味で決行するしかなかった。
「下まで送ってくよ」
「ありがと。お兄さんと彼女さん、お邪魔しました」
「ああ、やっぱり彼女だよね」
小夜は玄関のところでお辞儀して藍と連れ添って出て行った。加えて2人とも決定的な誤解をしていた。
「俺達も行くか。彼女さん」
「誰が。アンタなんかと」
小夜の位置は完璧に追跡できた。遥の能力をもってすれば朝飯前である。
途中藍をすれ違った時はヒヤリとしたが、遥を送っているのだと思っているようなので何も怪しまれるはずもない。
今は小夜の後ろ姿を前方に捉え、ひそかに後をつけていた。
どの道を行ってもあまり人影はない。帰宅ラッシュもまだだろう。第一小夜が通る道は昼間はともかく平生から人通りが無い。
こうして追っているのもなるべくウチから距離をとるためだ。
「ん……?」
急に小夜が振り向いた。その視界にあるものは明度の乏しい街灯に照らされた寂しい道だけだった。脇は空き地と草むらばかりで人影はない。前方も似たようなものだ。
その直前に明人は直感としか言いようの無いものに突き動かされ、枝分かれした道に逸れていた。
怪しい興奮が全身に染み渡っていた。心臓は高鳴り、たぎる血液を送り出し続ける。身体が火照っていた。
「なに笑ってるの?」
隣にいる遥が怪訝な表情をしている。
自分ではそんなつもりは無いのだが、どうも頬が緩んでいるらしい。
「分からない。1つだけ言えるのは今かなり楽しいって事」
「変態」
遥は明人の言葉に多大な嫌悪を抱いた。男とは時としてこういう生き物なのかもしれない、という認識が生まれた。
そうこうしている内に小夜は歩き出していた。
「この道はかなり長い一本道だ。俺はこっちから先回りするから、遥は見張っといてくれ。あとケータイの電話は繋げたままにしといて」
つまりはアルファベットのディーの縦線のところで小夜を挟むつもりである。
「分かった」
このあたりの土地勘がない遥は従うしかなかった。短く返事をすると、すでに明人は音も無く走り去っていた。
走っていると夜風が気持ちいい。こんな時間に走ることなど万年帰宅部には縁のないことだし。
体力に自信がある方ではないが、交感神経が活発なせいか疲れを微塵も感じない。
ケータイに繋がるイヤホンから時折遥の声が聞こえる。小夜の歩くスピードは先ほどと変わらず、十分に追いつけるものと思われた。
「おい榊原。こんなところで何してんだ?」
「ちっ、山下」
反対からクラスメイトの男子が自転車に乗ってやってきた。思わぬ障害に明人は舌打ちした。
「どうした。お前ジョギングなんかするようなやつだっけ?」
「たまにはな。思い立ったその1回でやめちまうけど」
「はあ、ダメな奴だな。そういや昨日だったよな、藍ちゃんの帰国」
そんなことはどうでもいいただのキッカケ作りで、山下は本題の藍のことを切り出した。こいつもファンの1人なのだ。
「ああ。お前に見せるツラは無いってさ」
長くなりそうな気配に苛立ちながら答える。山下のほうは気にした様子も無く、あれこれ聞こうとしてくる。脳内春男が。
イヤホンから遥の声が聞こえるが、どう山下をやり過ごそうか必死で明人は正確に聞いていなかった。
「明日は学校に来るよな? 全校朝礼で帰ってきた生徒が挨拶する予定だし」
「たぶん藍じゃないと思うが。そんな練習してる素振りもないし」
「そりゃ残念。けど……」
「しまった! 一旦運動し始めたらしばらくは続けないと筋肉的な意味が無いんだった」
しびれを切らした明人はテキトーなことを言って話を中断し、走り出した。
「お、おう。じゃまたな」
呆気にとられる山下の声などもう聞こえなかった。
『榊原くん、今どこ? 私いつ出れば』
「今ディーの頂点だ。小夜は目の前まで来てるし、取り押さえるのもこのまま俺がやる。はぁ、手を上げたら攻撃してくれ」
明人は焦りに似た感情に駆られケータイを切った。
ギリギリ間に合ったようで小夜はまだ通路にいる。
明人は呼吸を整え、また後ろを振り向いている小夜に向かって歩き出した。
「きゃ!?」
小夜の肩を突き飛ばすようにして、脇に生えている木に押し付け動きを止める。小夜の手からケータイが落ちたので、それを届かないところに蹴っておく。
一連の動作は自分でも驚くほどスムーズにできたのが何とも言えず嬉しかった。
小夜は逃れようとして抵抗していたが、その力は《幻象》とは思えないくらいか弱く拘束し続けるのは容易かった。そして明人の顔を見るなりもがくのをやめた。
「久しぶりですね。藍ちゃんのお兄さん」
家にいた時の口調そのもので話すのがむかついた。
「黙れ殺人鬼。気安く妹の名前を呼ぶんじゃねえ。なんで俺の親を殺した? なんで藍に近づいた?」
肩を掴む手に力を入れると小夜の表情が歪んだが、毅然とした態度で答えた。
「幸せになるためよ」
「ふざけんな!」
感情を爆発させながら小夜を木に叩きつける。ブレーキが壊れてしまったような気がした。
「いたっ、痛いよぉ」
しばらく続けていると小夜は弱気になり、呻くだけになった。
それが嗜虐心と復讐心を掻き立てた。自分の変態性に気付かされるものではあるが、さして気にならない。
「俺が受けた痛みは、こんなもんじゃねえ」
呼吸も荒々しく明人は乱暴に小夜を突き飛ばした。小さな身体はアスファルトに転がり、うわ言のように痛い痛いと繰り返した。
「俺の生活を弄くり回して、何が目的だ? 答えろ、化け物!」
小夜は泣いていた。月明かりの下、紅い瞳から零れた涙が雪のように白い頬を光りながら伝っていく。服も所々破れており、同様に真っ白な肌が見えている。
なんだか以前見たことのある光景に思えて仕方がない。
『あなたもわたしを虐めるの?』
塗りつぶされた記憶の一片が去来し頭を揺さぶった。生まれ出でる頭痛と共にこの症状の原因である小夜に怒りを覚えた。
明人は泣きじゃくる小夜の腕を引っ張り無理やり立たせた。
「ごめんなさいごめんなさい……」
小夜は俯きぶつぶつと忌々しい謝罪の言葉を垂れ流すだけだった。
こんなだからますます虐められるのだと、明人は思った。だから歯止めが利かなくなりまた手を上げてしまった。
「お兄ちゃん!」
明人の手が振り下ろされる瞬間、全身全霊を込めた藍のパンチが明人の顔面を打った。
明人は獣のような唸りを上げてよろけ、結果小夜を解放してしまった。
小夜から誰かにつけられてる、という電話をもらって、藍は家を飛び出した。言い表せない不吉な予感が満ちていた。
多くの場合このような予感は現実となる。今回も例外ではなかった。
駆けつけてみれば、男(兄)が少女(小夜)を襲っていた。
その光景は藍に陵辱の夜を思い出させるに十分足りえた。そして満身創痍といった感じの小夜を見た瞬間藍の心は決まった。
そこからの行動に何の迷いも恐怖も無かった。
もう誰にもあんな目には遭ってほしくない。大切な友達を助けたい一心だった。
小夜を背中に隠し、藍は明人と対峙した。
「何してるのよ! お兄ちゃん!」
藍は怒鳴った。
なんでお兄ちゃんがこんなことを。その気持ちでいっぱいだった。
「藍、藍か……。は、ははっ、してやられたというわけだ」
明人は空を見上げて嗤っていた。それはどうみても異常をきたしているように見えた。
藍の拳はもちろん痛かったが、精神的なダメージの方が大きかった。そのせいか、この状況の全てを悟った心地になった。
「俺は全部思い出したよ。結局、俺が悪かったんだな。因果応報ってワケだ」
自虐的に嗤いながら明人は独り言ちた。
「ねえ、何言ってるの?」
藍の声は明人に届いていない。明人は熱に浮かされたような目つきで小夜を見つめて問うた。
「満足か?」
「……」
対する小夜は無言。明人は少し声を大きくして今一度聞いた。
「藍まで利用して、俺に仕返しができて満足かと聞いているんだ」
「……私はそんなの望んでいません」
小夜はそれだけ言ってまた藍の後ろに隠れた。
「はははっ、そうなのか。はずれか、残念だ」
明人の眼が数瞬殺意に染まった。そして間隔を空けず、右腕を白光と暗黒の空へ突き上げた。それは殺せという合図。
通りの暗所から小夜の背中に目掛けて銀色に輝く三つ又の刃が凄まじい速度で迫った。
「ぐああっ!?」
明人は己が耳目を疑った。
それは誰1人として反応できるはずの無い完璧な強襲だった。
にも関わらず遥の悲鳴が聞こえたのは何故だ?
答えは目の前にある。
「あれ? 何とも無い……」
妹の、藍の胸には3本の刀身が沈んでいた。
藍はきつく閉じた眼を恐る恐る開けてそれを確認した。ワケが分からなかったが、すぐに剣は暗がりへと戻っていった。
藍が剣を跳ね返したということは藍はやはり人間である。しかし人間が今の奇襲に反応できるものだろうか。
理由を考える間もなく、暗がりから現れた遥が低い姿勢で刺突を繰り出した。
「やめてっ!」
同じ方向から来た攻撃だったので、藍はすぐに反応し両手を広げて立ちふさがる。
なんで遥さんまで。今夜の事態は藍の許容量をゆうに超えていた。
「無駄よ」
伸びた剣の切っ先は蛇行し藍を避けて小夜に襲い掛かった。
小夜は身体を引く程度の最小限の動きで3本の刃をかわすと、立ち尽くす明人の背後に素早く回り込んだ。そのまま明人の腕を後ろに捻り上げる。
「全員動かないで」
その静かな、それでいて有無を言わせぬ命令に皆従う他なかった。
遥は苦虫を噛み潰したような表情で小夜に敵意を浴びせていたが、観念したのか三つ又の剣を消し去った。
「私はこの男に襲われました。木に叩きつけられて、とても痛かった。それを藍ちゃんに知られたから、今そこの協力者に私たち2人を殺させようとしたのです」
被害者になりきって小夜は語り始めた。
その内容は脚色されたものであるが、今何か言ったところで現行犯の言い訳に過ぎないのは重々分かっていた。
明人から見た小夜の表情は、ほくそ笑みを堪えたようになっていて、これから始まるであろう明人の公開処刑を導いていた。
「警察に電話しようよ」
敵を見るような眼で明人を見つめながら藍が言った。
「いえ、その必要はありません」
「なっ!?」
明人はこのまま警察に突き出されるものと思っていたので、間抜けな声を上げてしまった。
「私はよく虐められてたんです。このアルビノの体質のせいで。その頃はもっと酷いこともたくさんされましたし、今日のなんかはどうってことないです。だから見逃してあげます」
小夜は色素欠乏症である。白い肌と紅い眼はそのためだ。《幻象》になっても消えることはなかった。
明人も思い出していた。
加えて今の証言に決定的な欠落があることも分かった。
「お前を助けぐえ!」
「お前を助けたのは俺だ」そう言おうとしたのを小夜の察したのだろう。腕が折れそうなくらい締め上げられた。
「ホントに、それでいいの?」
藍は家族が捕まるのは嫌だが、それで小夜の気持ちが収まるのかも不安だった。
チラリと明人を見る。さっきは何を言いかけたのだろう。本当に自ら望んで犯罪を犯したのだろうか。
怒りと諦めと救いを求める感情がごちゃまぜになって憐れな顔をしている兄。
なんだか少し、ほんの微々たるものだが、小夜は満足そうな表情をしているみたいに見える。
そして変な剣みたいなものを持っていた兄の彼女。彼女もまた悔しさを前面に押し出した様子が窺える。
私は何か勘違いをしているの? 何かが引っかかる。錯覚としてもいいくらいの微かな違和感を藍は感じ取った。
「はい。藍ちゃんに知られたことで、彼も反省したはずです。帰りましょう」
小夜は誰にも分からないように明人の手に紙切れを握らせて解放した。
藍と手を繋いで歩き出す。その時遥に一瞥をくれた。
『私には盾がある』そんな脅しが込められているように見えた。
「う、うん。そうだ家まで送るよ。心配だもん」
小夜に言って藍は最後に明人を見た。
「藍……聞いてもいいか?」
幾分冷静になった口調で明人が尋ねた。
「何?」
「どうして、遥のことが分かった?」
他に聞くべきことはあるだろうが、明人はこれを選択した。
「私ね、お兄ちゃんのことなら何でも分かるから。小夜ちゃんに暴行したのは予想できなかったけど、話してるときおかしくなったふりして企んでるなって思ったの」
これは藍が心に秘めているものだが、もう1つの理由はレイプされた後異常なまでの気配察知能力を得てしまっており、それで遥の隠れていた位置が分かったのだった。
「仲の良さが裏目に出たのか。それより死ぬのは怖くなかったのか」
どんな攻撃が来るのか藍が知るわけがない。もしかしたら銃とかナイフだったかもしれないのに小夜を庇ったのが不思議でならない。
「もう誰にもあんな目に遭って欲しくないし、小夜ちゃんは大事な友達だから……」
「そうか」
あんな目。何があったんだ。聞きたい。でも手の届く範囲にはもう寄ってこないだろう。
明人は去り行く2人の背中を見送った。その寂しげな表情は本人でさえ知らない。
「してやられたわね」
「ああ」
「あなたは唯一の家族の信頼を失い。誰も味方はいない」
「お前は? お前もいなくなるのか?」
「そうね。さあ、《起源》の情報を教えなさい」
「……この街にいる。正確にはここから東にある山の廃寺だ」
「何で知ってるの、いや、やめとく。それじゃ、もう会うこともないわね。ありがと、そしてさよなら」
遥がいなくなっても明人はしばらくそこにいた。
「……小夜。お前は何がしたいんだ?」
明人は手の中のメモを握り締めて呟いた。そこにあるのは遥に教えた寺の住所だった。
「これが虚無か」
何もない、何も。全ては小夜の思い通りになって、自分は全てを喪失した。
妹も、親も、綾瀬も、遥も。家にも入れてもらえないに違いない。金も無い。財布は家にある。
これが《幻象》に関わった者の末路なのか。
「はっ、終わってたまるか! 過ぎ去ったことに意味があるのか。未来だけ見れば、いい。今までだってそうしてきた。だからこれからも」
心の片隅に溜まる闇は決意を嘲笑う。
お前はただのガキだ。不都合なものは切り捨てる、自分の信念を唯一無比の完全と思い込んでに頑なにしがみ付く、傲慢なガキだ。過去を背負うことの大切さも、高を括る拙劣さも理解しない愚かしい存在だ、と。
燦然と輝く星と満ちていく月に反吐が出そうな心地だ。顔を撫でる涼風も軽やかな虫の声も気に入らない。何もかも。