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第11話:契約-can't break

 小夜を見た瞬間、明人の呼吸は止まった。身の毛がよだつ。

 昼食を抜いていてしまったことによる空腹さえ感じなくなった。

 あの月夜の悪夢が目の前に実体化しているのだ。

 記憶の中より短くなったが灰色の髪と真紅の双眸は変わらず、これといった差異は禍々しいあの衣装に身を包んでいないことだけだ。

 そんなちょっとした事で恐怖は拭えない。

 明人は過去の自分がしたように、今この時を塗り潰したくなった。


 小夜はそんな明人を見ていなかった。矮小な人間に抱く危惧など道端の小石に対するそれと同程度しかない。

 その瞳には明人の後ろに立つ遥しか映っていない。

 何故コイツがいる。どうして明ちゃんと一緒にいる。《復讐の女神(ネメシス)》の名を冠する《幻象(フェノミナ)》にして忌むべき裏切り者。高慢にも起源、ひいては他の幻象(わたしたち)に仇成す反逆者め。

 だが今は行動を慎まなければならない。コイツは憎たらしくも強大な幻象であるのだ。

 小夜は畏怖と敵意を押し隠しつつ遥を見上げた。

 そうしているとあろうことか遥は小夜に微笑みかけてきた。その笑顔が何を示しているのか、考えれば考えるだけ混乱してしまう。

 小夜は気まずくなって視線を藍に戻した。



「今ニュースでやってたけど、駅前でいろいろ事故があったんだって。それでお兄ちゃん大丈夫かなって話してたところよ」

 藍がのんびりと話す。無知ゆえにさぞ幸せな心地なのだろう。

「あ〜、俺たち実はその現場にいたんだ」

 言いながら明人は不思議に思ったことがある。

 小夜は事故のとき家にいたらしい。なら屋上にいた人影は一体誰なんだ。

「えええ!? 怪我とかしてないよね?」

 それを聞いて藍の態度が豹変した。いささかオーバーではなかろうか。

「ああ。この遥のおかげで九死に一生を得た感じだ」

 明人は後ろに隠れるようにして立っている遥を向いて言った。遥がこのヤバイ状況を理解してくれるように願いつつ。

「お邪魔してます」

 当の遥は穏やかに挨拶なんかをしている。浮かぶ微笑みが眩しい。

「こんにちは。あっ! すいません。座っててください。今飲み物とか持ってきますから」

 藍は遥を見るなり自分の粗相に気付き、立ちっぱなしの明人らを座らせようとした。

「いや俺の部屋に行くからいいよ。自分で持ってく」

 どうしてこんな状況になっているのか情報も欲しかったが、明人は撤退することにした。

 殺すつもりならもうやっているだろうから、しばらくは大丈夫という推測のもとの決定だ。

 とはいっても明人が戻ってきたことで小夜の考えが変わる可能性もある。

 それが心配ではあるが部屋で当初の作戦を遥に伝え、すぐに戻ってくればやはり問題はないはずだ。

 ちょうど藍が買ってきたであろうお菓子とジュースを持って明人はこの部屋を後にした。引きざまに小夜を見ると、どこか安堵したような顔をしているように見えた。



 明人は掃除したばかりのキレイな部屋に遥を招き入れ、ドアを閉めた。

 早速遥を座らせ、話を切り出した。

「お前アレに気付いたか?」

「あの《幻象》の子のこと? 気付いたけど」

 アレとはもちろん小夜のことである。

 それは2人の共通理解になっていたが、遥は特に驚いた様子が無い。明人は不審に思った。

 実のところ、遥は明人の傍に他の幻象がいたのを不思議に思っていなかった。相手をしているのが藍である違いはあれど、自分や綾瀬のようなのがもう1人いたというだけだ。

 《幻象》が一所に複数体発生しているのは稀ではあるが。

「アレが学校で話した両親を殺した幻象だよ」

「え? そ、そんな奴がどうして!? しかもあんなに馴染んで」

 その一言で、状況が遥の思っていたような微笑ましいものではないことを思い知らされた。

 明人の落ち着き払った態度も理解できず、柄にも無く取り乱してしまう。

「さあな。藍は事件の時留学してたんだが、アレはどうもそれを追っていって知り合ったらしい」

 当惑する遥に明人は自分の推測を語った。小夜からの電話のこともあるので、ほとんど確信に近いものである。

「ふぅん。なんでアイツが襲ってくるのか分かる?」

 《幻象》は個々の発生の起因に固執するものであり、それが行動原理になっている。例えるなら肉体を持った怨霊みたいな物よね、と遥は自虐的に付け加える。

 明人がそんな事はないと否定しようとした。よくは知らないが《幻象》自体はそんな忌むべき存在ではない気がする。

 遥は明人を遮り話を進めた。

「だからそれが分かれば解決してあげられるかもしれない」

 静かな悲哀に満ちた独白。

 その対象は俺なのか、小夜なのか、明人には分からなかった。

 綾瀬が言っていたように遥は《幻象》を憎んで恨んでいて、だから殺そうとしているのだと考えていた。

 しかし今のを聞く限りそんな風には思えない。

「お前はなんで《幻象》になったんだ?」

 時間は惜しいが、いい機会なので聞いてみることにした。これからやろうとしていることに相互理解は不可欠な要素である。

「今そんなこと話してる場合じゃ……」

 遥は扉の方をチラチラ見ながら、困惑した表情を浮かべている。

「大丈夫だ。アレにその気があるなら藍はもうこの世にいない」

 言っていて胸が痛んだ。藍が殺されるなんて想像もしたくない。

「じゃあ手短に話すわ。……私はごくごく普通の女子高生だった。母と父と弟がいて、みんな仲も良かったしお金持ちじゃなかったけど十分幸せだったわ。いま思えば……」




「そんなのってありかよ」

 話を聞き終わり明人は絶望感に襲われた。

 例えようもない凄惨なドラマ。話し終えた遥も思い出したことでひどく沈痛な面持ちになり俯いてしまった。

「余計なこと聞いちゃったな。ごめん」

「いいよ。気にしてないし。むしろ、ありがとうだよ」

 顔を上げた遥は満足したように苦笑していた。

「この話をしたの初めてだけど、共有してくれる人がいるっていいなって思ったから」

 初めてにしては話がまとまっていた。もしかするとずっと誰かに話したくて練習していたけれど、話す機会が無かったのかもしれない。

「そうか。なら俺も力になれてよかったよ」

 その言葉は本心であったが後ろめたさもある。

 今の話で意図せずこれから言おうとしていることが余計に残酷になってしまったからだ。しかし、成功確率も上がったと思われる。少しお近づきにはなれたのだから。



「ちょっと間が悪いけど、お願いがあるんだ」

 明人は本当に申し訳ないという表情で遂に人としての禁忌を切り出した。

「なに?」

「実はアレを、妹の隣にいた幻象を殺して欲しい」

「何を言って……?」

「このままだと平穏無事には過ごせないんだ。俺にはできないし、綾瀬もいない。お前しか頼れないんだよ」

 ここで綾瀬の件を持ち出してくるなんて非道だとは思う。でもここは譲れない。

 遥も綾瀬と聞いて翳りが見えた。

「それが私に会いに来た理由なの?」

 遥の口調が冷気を帯びた。逆に彼女が怒りに燃えているのは痛いほどよく分かる。

「ああ」

 ここで嘘を吐いても意味は無い。明人は正直に返事をした。

「私帰る」

 遥はポツリと呟き、立ち上がってドアに手をかけた。

 期待した私がバカだった。彼は生存の手段としか私を見ていなかったのだ。奈落に突き落とされたような気分だ。

 そこへさらなる追撃をかける一言が明人から放たれた。

「俺さ、たぶんその《起源(オリジン)》って奴のこと知ってるわ」

「え?」

 遥は驚いて振り返った。

「アレを殺してくれたら、続きを教えるけど。どうする?」

 悪魔だ。遥はそう思った。

 先ほどの話を聞いて、このタイミングで《起源》の話を出す。遥が存在理由そのものの情報をみすみす逃すことなどできないと知っているのだ。

「あなたホントに人間? こんな酷い事を言って……」

「なんとでも言ってくれ。俺と妹が生き延びるためにはこれしかないんだ」

 明人自身も苦しくないはずが無かった。

 遥に優しくしていたのはこのためだけではない。本心からの親しみがあったからだ。

 だけれど弱き人間ゆえそんなことは言えない。本音の叫びは遥に届かない。そこには綾瀬という障壁がある。

「私は、誰も殺したくないのに。そう、話したじゃない」

 遥は泣きそうな声を漏らしながら立ち尽くしている。

 交錯する2つの感情がせめぎ合っていた。《幻象》として《起源》を滅ぼしたいという欲望と、人間としての良心がない混ぜになっているのである。

「知ってるよ。でもあえて言うんだ。他に手は無いから」

 明人は遥を追い詰めるように言葉を繰り返す。

 そして

「……やってあげる。でも勘違いしないで、私は自分のためにやるの。お前のためじゃない」

 遥の態度は一変していた。

 もう明人を人間として見てはいなかった。《起源》の情報が無ければとっくに殺されていただろう。そう考えると身体が震えるのを禁じえない。

「ありがとう。……本当にごめん」

「いいから。さっさと作戦を教えなさい」


 実のところ明人が持っている情報などたかが知れている。

 この街に《起源》がいる。その程度だ。

 遥にはとんでもない犠牲を払わせるのに、得られる情報の少なさに殺されたって文句は言えない。それだけ非道なことをやっているのだから。

 それで自分が死んでも、藍が無事でいてくれるなら……。


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