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第8話:俘虜-apostles of greed

 ターミナルは混雑していた。

 忙しなく行き交う人と荷物。彼らは旅の疲れと思い出を引きずり帰ってきた。もしくは様々な思いを胸に旅立つ。すぐそこで起きた刹那の悲劇など知りもしない。仕事で疲労困憊だろうが、隔離される程の病にかかっていようが明人には妬ましいほど幸せに見えた。

 それほどまでに綾瀬を失ったことは大いに明人の精神を痛めつけた。


 暗い気分を打ち消すように明人は妹の姿を探した。藍に会えれば自分らしくもない未練を断ち切ることができる、という期待があった。

 すぐに十数人の団体が休憩所にいるのを見つけた。

 数人の学生と教師。そしてその学生達の親。

 明人はその中に懐かしい顔を見つけた。焦って険しい表情を和らげ、そちらに歩を進めた。彼女も明人に気付いて大きく手を振る。

「お兄ちゃん、こっちこっち!」

 毎日電話越しに聞いていた明るく温かい声が荒んだ心を癒すようだった。

「よう、藍。元気だったか?」

「っ、ちょっと!? お兄ちゃん!」

 明人は気分を変えるためテンションを上げて藍をハグしてみた。

 ふんわりとした感触とシャンプーの香りを堪能しようとすると、藍は小さく息を飲み、ビクッと大きく身体を震わせ直後に明人を両手で押し退けた。

「どうした。アッチじゃ挨拶はこんなだろ? あ、キスが良かったのか?」

 明人は怪訝そうに妹を見つめた。

 周囲の視線が2人に集まっていた。一緒に留学していた生徒は理解があるようだが、その親からは変な目で見られていた。

「そうだけど、ここ日本だし」

 藍は顔を赤らめ俯いてしまった。

「すまん。ちょっと変態チックだったか」

 明人が周りに目を走らせると、すぐにおかしな物を見るような視線は散り散りになった。

「そ、そうだよ。キスでもハグでも日本だったらカップルでやるもの…」

「そうだよ、ってひどいな。もうしないよ。日本の風土には合ってないみたいだし」

「分かったなら良いの」

 藍は少し間隔を空けるように後退った。どことなく冷淡なその反応が癪に触る。いけない、いけない。どうも他人の態度に過敏になっているようだ。俺は同情して欲しいのか。何がしたいんだ。

 せっかくの再会なのに明人はイライラしてしまっていた。

 ここで何も知らない藍に当たっても仕方がない。明人は何をしでかすか分からない気持ちをぐっと封じ込めた。


 明人は気を紛らわすために一年ぶりに会う藍を観察してみた。またも変態チックなのはいたし方あるまい。

 出立前と背は変わっていないようだ。極端に低い訳ではないが、小さい方だろう。瞳が大きいのも相まって幼げな印象を与える。

 それらが歳が1つしか違わないにしろ妹らしくて明人は好きだった。

 肩を少し越える程度の薄茶色の長髪を、白のリボンを使ってツーサイドアップとかいうツインテールとストレートを足した髪型にセットしてある。昔は髪が短めだったので新鮮である。

 明人の視線は頭から下がっていく。セーラー服とスカート、そこから覗く健康的に焼けた脚。

「何見てるのよ! バカ兄ぃ」

 これには藍の堪忍袋の緒が切れたらしい。口調が変わっていた。

「さすが我が妹。ツッコミが容赦ねぇ」

 悪びれる様子も無い明人に藍は更に腹を立てたようで、身体ごとそっぽを向いてしまった。同時に膨らんだ手提げが明人の腹に振るわれたが、容易く避けた。

「これがアメリカンクオリティか。凄まじい豹変っぷり。でも悪くない」

「何ブツブツ言ってるの。キモがられるよ」

 もっとおしとやかだったと思うが、何も言うまい。今の彼女を受け入れてやればいい。突然の変容も含め、明人は再会に満足していた。



 しばし時間が過ぎ、教師の号令でようやく解散となった。

「じゃあ。帰るか」

「うん。あ……それよりお母さんとお父さんは?」

 藍も最初に思ったことだが、明人のせいで聞くのが遅れていた。

「ああ、その事か。帰ってから話すよ」

 明人は落ち着いて対応したが、良心の呵責を感じずにはいられない。

「なによぉ。そっか、サプライズでもあるんでしょ?」

 藍は何の疑いも持たず、虚言をそう解釈した。その輝くような笑顔が明人を傷付ける凶器として用いられているとは知らず。

「詮索するなよ。楽しみが減っちまう」

「当たりね。楽しみだなぁ」

 明人からすれば亡き両親にそんな粋な真似ができたかは疑問だった。一年間異国の地で頑張った家族を迎えに来るのが当たり前のはずだ。

 明人はあまりに自然と受け取られたことを不思議に思ったが、欧米文化に感化されているのだと考えた。

「早く〜」

「はいはい」

 明人はいつの間にか止まっていた歩みを再開した。

 帰りたいようで、ずっと立ち尽くしていたい。進みたいけど、逆行してみたい。今まで感じた事のない感情が明人の中に芽生えていた。

「前ばかり見すぎたか。人間そう簡単に割り切って生きられねぇな」

「なに? ブツブツ言っちゃって」

「ただの独り言。気にすんな」

 そう言って心配そうな表情の藍の頭を撫でてやる。藍はまたビクリと揺れたが、大人しく撫でられていた。

「そういえば、目が赤いよ。どうしたの?」

 藍は目ざとく悲劇の残り火を見つけてしまった。

「そうか? 自分の眼は見れないから分からんが」

「もう。ひねくれ者なんだから。でも前からこんなだったっけ?」

「ああ、お前の兄貴はけっこうネジがトンデるぜ」

「……変なお兄ちゃん」

 呆れられてしまったようだ。だがそこで厭な話題は終わってくれたので、あれこれ聞かれることはなかった。

「お前も変だろう。さっきからびくびくして」

 次は藍が立ち止まる番だった。その表情には濃い(かげ)がありありと射していた。

「そんなことないよ。何でもない、なんでも……」

 以前から藍は嘘を吐くのが苦手だった。それは相変わらずのようだ。だが、今度ばかりはただの嘘ではない。何か暗い巨大なモノを抱えているのが伝わってくる。それくらい簡単に判断できた。

「厭なことがあったら相談してくれ。力になる」

 明人は励ますように力強く言った。藍が傷付くことは嫌だった。唯一の家族には幸せでいて欲しい。重りを背負うのは一人で十分だ。

「ありがと…」

 悲哀が滲み出た震えた声だった。何があったか知らないがとてつもなく不憫に見える。

 明人はそっと手を引いて藍を外へ連れ出した。今度は手を握ってもおかしな反応は見られなかった。



 そんな兄妹の顛末を森谷小夜は物陰から観察していた。

 今は目立つゴスロリな服装ではない。小夜の中ではあの服は幻象としての衣装と決まっていた。だから今は人間のつもりだった。

 小夜は藍の行動を振り返ってみた。

 男である明人に触られた時、小夜が思ったほど深刻な反応は見られなかった。それは兄だからなのだろうか。

 それとも私がアメリカ最後の夜にずっと慰めてあげていたことが原因なのか。だとすれば、完全に逆効果である。

 しかしこれは布石なのだ。

 小夜はこれから絶望に打ちひしがれる藍の姿に胸を膨らませた。

 レイプされ、帰り着いた我が家は地獄。

「そして、あたしに殺されるのですから。カワイソウ」

 信じていた友人に裏切られ殺される。あまりに悲惨な末路ではないか。

 そんな末路を用意したら、あの御方は願いを聞いてくれるかもしれない。小夜はアドバイスをくれた同胞に感謝した。

 去り行く2人の背中を眺め小夜の表情は綻んだ。

「だから最高のシチュエーションを用意しなくては」

 小夜はケータイで綾瀬に電話を掛けた。

 アメリカで別れ、次の日には日本のしかも自分の街に小夜が現れたのではアホらしいにも程がある。他にも計画に関係する奴らの認識を色々弄ってもらわなければならない。

 小夜は大掛かりな舞台を整えるスキルを持っていない。それゆえ、偶然綾瀬と出会えた事はとてつもない幸運だったのだ。

「出ないわね」

 ため息が出てしまう。お留守番サービスを名乗る女の声を中断させて小夜はケータイを閉じた。

 一刻も早く明人の情報が欲しい。

 今日帰る事は連絡したから綾瀬も知っているだろうし、どうしたものか。しばらく小夜は思索していた。


 当の綾瀬と明人は結託し、藍に襲い来る絶望の第二波を防ぐ策を弄していた。そして兄妹の住む街には幻象の天敵と呼べる霜崎遥が滞在している。どちらも小夜の計画に少なからず影響を及ぼす因子であることは間違いない。

 そして小夜はこのことを知らない。


 数回掛けたが一向に出る気配が無いので小夜は仕方なく空港を出た。

 秋も半ばを過ぎ日没は段々と早くなっていた。それに合わせて日に日に気温も下がっているようだ。

「寒っ」

 小夜は身を縮ませ、空を仰いだ。

 薄くかかった雲の上から月がネオンの溢れる街を遠慮がちに照らしている。こんな儚げな月でも見ていると、えも言われぬ活力が小夜の中で生まれてきた。

 その喜ばしい感覚に小夜は内心ほくそ笑んだ。幻象になって後、小夜と月夜は切っても切れない関係になっていた。

 それは小夜を正規の幻象たらしめ、長年の悲願を成就するための力を授けてくれる。

 小夜は重たい旅行鞄を引きずって懐かしい日本の夜街に歩き出した。



 遥は緋森市内の安宿の一室にいた。部屋を真っ暗にして隅の方で震えていた。

 毛布にくるまっても身体の奥底から沸く悪寒は消えない。その起因は自身の犯した殺人への罪悪感なのだから当然である。

「ふふふっ、気にするな。いつもの事だろう」

 誰かが話しかけてくる。深海から響いてくるような暗く低い声に背筋がざわめいた。

 幻象になって以来、この声は遥が1人で鬱々している時に語りかけてきた。軽い耳鳴り程度だったものが、今では会話すら可能になっていた。

 遥は顔を上げなかった。上げても誰もいないのだ。この声は自分の殺戮を快楽とする人格がもたらす幻聴なのだと感じていた。

「今回はいつもよりスッとしたねぇ。ずたぼろにされた女に報復できたし、バカな男の人生を修正できた。おまけにあなたも満足よね」

 同情するような、蔑むような口調で声が続ける。

「……」

 遥は耳を押さえ、不可視の存在からの戯れ言を締め出そうとした。そんなことはお構い無しに邪声は頭の中にこだまする。

「嬉しいんだろ、気持ち良いんだろ、ホントは。そろそろ私と交代したら?」

「……消えて」

 蚊の鳴くような声で遥は言ったが、愉しそうに声は続けた。

「そんなこと言うなって。仲良くやろうよ、ね?」

「黙れ! 私は起源を殺せれば良い。他の幻象なんか知らない」

 遥は耐えかねて怒鳴った。怒声が空虚な部屋に響いた。

「くすくす、強がっちゃって。今に殺したくてたまらなくなるわ。快楽殺人鬼の遥ちゃん」

 イラつく猫なで声で責め立て、声はピタリと止んだ。

「うぅっ……、違うの、そんなんじゃないのに…なんで?」

 遥は嗚咽を漏らした。自分でも気付かぬ内に涙が頬を伝っていた。

 寒くて辛くて、遥は悪魔が潜む我が身を抱いた。

 何処までも孤独だった。狂気を孕むこの心身()を誰かに慰めて欲しい。今宵はいつも抱えている願望が一際強く感じられた。

 遥は同時に閃いた。

 その思い付きはろくなものではなかったが、少なからず空っぽの我が身を満たせるかもしれなかった。


「榊原明人…」

 ついさっき、自らの手で殺した幻象の恋人とかいう少年の名である。

 恋人の仇がノコノコ現れるのもおかしな話だが、会って謝っておきたかった。それに幻象と仲良くなれるような稀有な性格の人間なら、何かしら得られるものがあると踏んだ。

 遥は少なからず彼に興味と下心を持っていた。やはり、遥にとって彼は《起源オリジン》の情報ソースなのだ。


 彼の家の場所は知っている。今朝学校を出た後、綾瀬の居所を探査していて偶然見つけたのだった。まさか同棲しているとは思ってもみなかったが。

 もうこの街に用はなかった。もとより起源の手口と似た事件が発生したことを知って来てみただけである。しかし半年もブランクがあったせいで収穫は無いに等しく、無駄骨であった。

何故今になって情報が出てきたのかは謎のままではあるが。

 ちょうど次の行き先を決めて立ち去ろうと考えていたところだ。

 しかしネットカフェ等で調べても起源の新たな手掛かりは皆無だったので渋っていた。

 だから明日明人にコンタクトを取ってそれを期に復讐を果たす宛もない旅に出てもいいと思った。明人と会う。自己救済のために選んだ道は容易く人を傷付けるひどく悪辣なものだとは十二分に分かっていた。

 明人の心を深く抉る可能性も高い。

 もしそうなって、万一《起源》に付け込まれるようなことになれば

「私と同じ、幻象になるかも」

 意図せず口を突いて出た最悪の結末に、遥は戦慄した。

 私を終わらせてくれる存在。

 生きていると誰かを苦しめる。それが遥の苦痛になってきている今現在、この思い付きは恐ろしくも魅力的な結末に感じられた。

「ダメよ」

 遥は浮かんできた破滅的な思考を振り払った。歪な剣を召喚し、刀身に額を当てる。貫くような冷たさが遥を律した。

 どれだけ傷付こうとも起源を殺して悪夢と化した人生にケリを付ける。幻象になった夜、大切な彼の亡骸を抱いて誓った。

 他者を傷付けずにはいられないこの身、この剣。最初から血濡られた道なのだ。ならば、最期まで外道に徹してやろう。冷酷に、貪欲に、自身に必要なモノを求めれば良い。

 明人はその対象でしかない。

「そうよ。そのまま、私を受け入れなさい」

 再びあの声が脳内に響いた。

 顔を上げると『遥』が立って、座りこむ遥に手を差し出していた。

「誰が!」

 遥は手にした剣で自身の幻影を横に薙いだ。

「強情なヤツ…」

 幻影はポツリと言い残して闇に溶けた。

「自分のことは自分で決めるわ。欲望の使徒で快楽殺人鬼の遥ちゃん」

 私はもう迷うこともないだろう。

 色々と根に持つ性格であると自覚していたが、こうもすんなり悩みが断ち切れると逆に猜疑的な気分になった。

 遥は寝床の準備をしながら思った。

 だが気分が良いのは悪いことではない。今日は久しぶりにぐっすり眠れそうだ。そう考える間にも遥の身体からは力が抜け、心地よいまどろみが全身を包んだ。

 視界を埋める闇は限りなく優しかった。


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