灼血戦士ミリオンレッド~神に選ばれし最強の守護者~
自作、『白嶺学園風雲録』の作中に登場する架空の特撮ヒーロー。
その第一話だけを書いてみました。
――前を走っていたスポーツカーが爆散した。
鼓膜が破れんばかりの音圧が体を揺さぶり、とっさに両手で耳を押さえた。
それでもなお、混乱は手のひらを貫通してくる。
悲鳴が聞こえる。
爆音が聞こえる。
サイレンの音が聞こえる。
あちこちから黒い煙が上がり、乗り捨てられた車は道を塞ぎ、信号機が明滅を繰り返し、標識はへし折れ、割れたガラスが歩道に散らばっている。
混乱と混沌が街を包んでいた。
どうしてって?
詳しいことは知らない。
なぜ突然そんなことになったのか、なぜこの街だったのか、専門家じゃないオレには検討もつかない。
だが起きていることはわかる。
――破壊活動だ。
徒党を組んで街中で暴れている者がいる。
すべてはそいつらの仕業だった。
ふと、そいつらの一人がこちらを見た。
オレは震えながら逃走を再開する。
(一人? あれは一人という数え方でいいのか?)
そんなどうでもいいことを考えてしまう。
混乱の極地だ。
だって仕方ないだろう?
動物の頭に人間の体。
いわゆる【怪人】を見たのは初めてだったんだから。
「はっ……はっ……!」
肺が潰れそうに痛い。
喉が焼けそうに熱い。
でも大丈夫だ。このままなら逃げ切れる。
昔から逃げることだけは得意だった。
安全な方向、安全な場所、安全な距離というのがなんとなくわかるのだ。
ガキ大将に目をつけることが多かった子供時代も、一度だって捕まらなかった。
鬼ごっこでは負けなしだ。
そのせいで誰も遊んでくれなくなったけどな。
「はっ……はあっ……ひぃっ……!」
視界の先には交差点。
信号の光は消えていて今が赤か青かもわからない。
いや、構わない。危険の気配はない。車は来ない。だから突っ切る。
突っ切ろうとした。
その瞬間、視界の片隅に子供の姿が映った。
足を押さえてうずくまる、小学校低学年くらいの男の子。
体がブレーキをかけた。
慣性を殺すために靴底が運動エネルギーを熱量に換える。
投げ出されそうな上半身をなんとか引き戻す。
「っ――そこにいちゃダメだ! 来いっ!」
「えっ……?」
男の子が顔を上げる。
ダメだ。反応を待ってはいられない。
男の子の体を抱え上げて、再び走り出す。
「おじさん誰?」
「お、おじさんって言うなよぉ……! オレはまだ大学生だぞ……っ!」
ここ数日ヒゲを剃ってないだけだ。
ああもう。ちくしょうめ。
しくじった。
余計なことをしちまった。
――安全な感覚が遠くなり、危険の気配が近づいてくる。
前から。
後ろから。
左のパン屋の屋上から。
ビリビリと何かが肌に突き刺さる。
そうして、そいつらが音もなく目の前に降り立った。
タヌキと、サメと、ライオンと、オオカミの顔に、筋肉質で毛深い体。
ギョロリと動く眼球と、口から漂う獣臭。
その凄まじいまでのリアリティに、きぐるみという可能性は完全に消えた。
まさしく特撮番組の怪人だ。
「違った。これ人間。ただの人間」
「なんだよォ、外れじゃねェか」
「ヤツはまだ現れないのか。つまらんな」
「カカ。この人数ではな。震えて隠れておるのやもしれぬ」
驚くべきことに彼らは日本語を話していた。
いや、待てよ。オレに秘められた才能があって彼らの言語を理解できたとか、そういうパターンかもしれないぞ。
いやいやそんな訳はない。
ダメだ混乱している。
頭が正常に働かない。
……だって、わかってしまってる。
逃げるのが得意だからこそ。
もう逃げられないということが、どうしようもなくはっきりと。
「フン。せめてヤツをおびき出すために、大きな悲鳴を上げてくれよ」
ライオンヘッドの怪人が、オレの胴ほどもある太い腕を振り上げる。
自慢の危険感知センサーは振り切れて、もはや何を感じているのかわからない。
もはやできることなどなにもない。
小さな男の子を抱きしめて、目を瞑る。
――微風が吹いた。
ほんのりと温かい風が、目を伏せたオレの頬を通り過ぎた。
恐れていた痛みはやってこない。
その代わりに届いたのは――困惑する者たちの声。
「――ナンデ?」
「馬鹿な――俺様の一撃を、人間風情が――」
「貴様ァ! 何者だッ!?」
おそるおそる目を開く。
赤いジャケットを来た男の背中があった。
そいつがライオンヘッドの腕を受け止めていた。
さきほどの怪人たちの言葉が脳内で反響する。
なんで。
人間なのに。
何者なのか。
「――その答えは、お前たちが一番良く知っているはずだ」
男はそう言って、自由な方の腕で腰に下げていた小さな機械を引き抜いた。
怪人たちが驚き、そして怯える。
「『灼熱』」
男がつぶやいた言葉は魔法の呪文のようだった。
彼の体が火炎に包まれる。
触れていたライオンヘッドの体にも火が移り、悲鳴が上がる。
だが、そこに割って入れる者はいなかった。
あまりの激しさに二人のシルエットが炎に埋没していく。
少しずつライオンヘッドの形だけが小さくなっていく。
やがて悲鳴が聞こえなくなって、炎の体積が一人分になって。
そこにあったのは、直立する炎だった。
(……なんだ? 何が起きた? 自爆攻撃……?)
突然の現象に思考が追いつかない。
だというのに、そこからはどうしようもないほど――安全な気配がした。
「――改めて名乗る必要もあるまいな、大魔軍の怪人ども」
炎が吸い込まれるように消え、そこに立っていたのは先程の男ではなかった。
鎧のような部品が複雑に噛み合って成立する造形で。
頭部は角の生えたヘルメットみたいな形で。
けれど鎧を着ているにしては、ヘルメットをかぶっているにしては――つなぎ目もジッパーも、何もない。
知っている。こういう存在をなんて呼ぶのか。
子供の頃から知っている。
正義の味方だ。
「ミリオンレッド! ミリオンレッド!」
「ヤツめが現れおったぞ!」
「おお、ケイオス様――!」
残った怪人たちが次々に声を上げる。
そこには焦燥のようなものがあり――
『――狼狽えるな』
しかし、重く響いた一声で、かき消えた。
周囲が暗くなっていく。
見上げてみれば一目瞭然。変化は空から起こっていた。
真っ黒な雲が広がり、雷鳴が轟く。
それと同調するように空が震える。
「――魔帝ケイオスか」
『必ずや現れると思っていたぞ、ミリオンレッド』
空気どころか空間そのものを揺らすような重低音。
腕の中の男の子がキョロキョロと周囲を探しているが、おそらく声の主はここにはいない。
空の遥か彼方から、塗りつぶした黒のような危険の気配がする。
『前回の作戦で貴様の強さはわかった。私は馬鹿ではない。戦力の逐次投入などという愚は犯さん。ゆえに――』
ああ。
わかる。
数え切れないほどの危険が、ここに近づいてくる。
これが全部怪人だと言うのなら、いかにこのヒーローが強くても――
『――ミリオンレッドよ、我が全軍の前に踏み砕かれるがいい』
「三度目の戦いでもうこれか。思い切りがいい。敵ながらできる男だな、魔帝ケイオス」
ミリオンレッドと呼ばれたヒーローはぼそりとつぶやく。
それを弱気と受け取ったのか、腰の引けていた三人の怪人が彼を取り囲む。
「クックク! どうやらここが貴様の墓場になりそうだなァ、ミリオンレッド!」
「それはどうかな」
「抜かせェ!」
サメヘッドが襲いかかった。
遅れてタヌキとオオカミも同調してかかる。
それに対してミリオンレッドは拳を強く握り込み。
「――ブラスティングナックル」
爆発が起こった。
衝撃と共に炎が一瞬で膨れ上がり、四方に飛び散っていく。
炎と煙が晴れた後には、真っ黒に焼け焦げた三体の怪人が折り重なり、拳を突き出した姿勢で残心を取るミリオンレッドだけが立っていた。
「やはりな。俺ではなくお前の墓場になってしまった」
「いやカッコつけてる場合じゃないですって! なんかすごい数近づいて来てますよ!」
思わずツッコミを入れたオレの方を、彼は振り返る。
「わかるか。フフフ、五百人はいるようだな。全軍というのはあながち嘘でもないらしい」
「だから笑ってる場合じゃないですって! 逃げましょうよ!」
「逃げるのは駄目だ。ヒーローとは、逃げずに立ち向かっていく者のことだからな」
「そんなこと言ってる場合じゃ――」
言いかけて、理解した。
「オレたちがいるから、ですか?」
そう。
きっと彼一人なら逃げられるだろう。
でもここにはオレと男の子がいる。
しかも男の子は、さっきの必殺技の爆音で気を失っていた。
オレたちを連れて逃げてもすぐに追いつかれてしまうだろう。
だから、彼は逃げないのだ。
「お前達だけじゃない。ヒーローの後ろには戦う力を持たないすべての人間がいるのだ。ヒーローの立つ場所は常に絶対防衛線。下がることはできない」
「……じゃあ、どうするんですか?」
「戦う」
「勝ち目はあるんですか? あ、もしかして、どうにでもなるくらい強いとか――」
「真正面から五人ずつかかってくる――なんて条件でなら勝てるだろうが、囲まれたら正直厳しいな」
あっさりと希望を砕かれた。
「どうしようもないってことですか……」
「手はある。あまり使いたくはなかったが。どうしても賭けになるからな。だがこの状況だ。使うしかあるまい」
なにがしかの奥の手があるのだろうか。
なんにしても、他に手がないならそこに乗るしかない。
「君たちの命、俺に預けてくれるか?」
「とっくのとうに預けてますよ。他に預かりどころなんてないんですから」
「フフフ。そうだな。この状況ではな。俺がやるしかない。ならば逆説的にできるだろう」
「どういう意味です?」
「――人間の魂は困難に立ち向かおうしたときに熱を出す」
彼はそう言って胸に手を当てた。
「それこそが神器ヴァーミリオンのエネルギー源。それが困難であるほど、逆境であるほど、立ち向かう意志は熱となり、果てしない壁を撃ち破る」
語りながら空を見据え。
そして、ミリオンレッドは天に向かって叫んだ。
「全軍と言ったな、魔帝ケイオス! ならばそれこそが我が勝機! なぜ我が名がミリオンレッドなのかを教えてやろう!」
彼の胸元から炎が滲み出した。
腕からも、足からも、頭からも、全身から炎がとめどなくあふれ、流れ出す。
地面を這って、伝って、広がっていく。
「ミリオンレッド・ヴァーミリオン――――ッ!」
叫びと共に炎が噴出した。
紅色の炎。
赤色の炎。
朱色の炎。
赫色の炎。
茜色の炎。
色を変え形を変えながら炎の奔流が街を満たしていく。
先に倒れていた怪人たちの体がさらに燃える。
遠くの方で悲鳴が上がり、感じ取れる危険が減っていく。
『―――馬鹿な。ありえん。こんな―――貴様の力を、見誤まって―――』
重苦しく響く天からの声が、ノイズ混じりのかすれたものに変わっていく。
空を覆っていた暗雲さえも燃やし尽くしたかのように、陽の明かりが差してくる。
もちろんオレも男の子も既に炎に包まれているが、不思議と熱くない。
オレはもう何も言えず、何もできず、ただ彼の姿を見守っていた。
――すごい。
これが本物のヒーロー。
子供の頃に憧れた、物語の中の正義の味方。
いつの間にか信じなくなって、馬鹿にして、絶対にいないものだと思っていた存在。
オレは感動と感謝の言葉を彼に投げようとした。
――けれど、できなかった。
炎が収まって、そこに立っていた彼が、どうしようもないほど黒く焼け焦げていたから。
火のついた炭のように、あちこちが赤熱化し、ところどころが灰になって崩れている。
「ミリオンレッド……さん」
「……フフフ。よかった。賭けに勝ったぞ。俺自身を薪にしても足りないのではないかと、それだけが、怖かったのだ」
ぼろりと、彼の右腕が地面に落ちた。
「名も知らぬ青年よ。頼みがある」
「……はい」
「これを――神器ヴァーミリオンを、次のミリオンレッドに届けてくれ」
小さな機械装置のようなものを、彼は差し出した。
彼が『変身』するときに使っていたものだ。
おそるおそる受け取る。
そして火傷しそうなほどに熱いそれを、それでもしっかりと握りしめた。
「それが人類の切り札だ。だから頼んだぞ。魔帝ケイオスが次の軍勢を整えるまでに、必ず――」
微風が吹いた。
彼が現れたときと同じように、オレの頬を撫でていく。
それと同時に、白く燃え尽きた彼の体が灰になって崩れ落ちた。
「――はい。必ず」
そこに積もった灰に、オレは答えた。
それがこの場に居合わせた、そして彼に護ってもらったオレの義務だと思うから。
オレの返答に満足したかのように風が吹き、ミリオンレッドの灰が街中に散っていく。
「う、うぅん……あれ……?」
その風に鼻をくすぐられたのか、胸の中に抱いていた男の子が目を覚ました。
「あれれ? おじさん、悪いやつとヒーローは?」
「おじさんはやめろ。悪い奴らは全部ヒーローが倒しちまったよ。それで、ヒーローは――もう行っちまった」
「そっかぁ……あくしゅ、してほしかったなぁ」
自分の手をにぎにぎと動かす男の子に苦笑して、オレは立ち上がる。
「ほら、行くぞ。いつまでもこんなところにいても――」
――そのとき、オレの危険感知センサーが反応した。
強ばる体を無理くり動かしてそちらを向く。
むくりと、真っ黒に焼け焦げた二つの体を押しのけて、黒焦げの何者かが起き上がった。
「――ッ!?」
先の二つより下にいた分、焦げ具合が浅い。
その焦げた表面がバリバリと剥がれ落ちる。
その下から、表面がぐちゃぐちゃになったサメヘッドの怪人が現れた。
「マメダヌキ、ウルフウェア……まさか俺をかばうとは……どうしようもねェ……損得勘定のできないヤツらだぜ……」
調律の狂った楽器のような声で、サメヘッドがつぶやく。
「……だが生き残っちまった以上、お前らの分まで仕事をしねェとなァ……ヘヘッ……おいゴミムシ、そのヴァーミリオンを渡せ」
ふらふらと手を伸ばしながらサメヘッドが近づいてくる。
明確なダメージ。
だが、慣れ親しんだ感覚は、コイツをまだまだ危険だと訴えてくる。到底敵わない存在だと教えてくれる。
しかし、今なら逃げられる。
同時にそれもわかった。
そうだ。今なら逃げられる――オレだけ、なら。
足元に座り込んだ小さな男の子を見る。
それから、託されたヴァーミリオンを見る。
思い出せ。彼はなんと言っていた?
『――こいつを次のミリオンレッドに届けてくれ』
そうだ。それがオレのやるべきことだ。
人のために。
人類のために。
戦う力を持たないすべての人々のために。
「しょうがないよな――」
やらなきゃいけないことは決まっている。
だって――彼が言っていたのだから。
「――ヒーローとは、逃げずに立ち向かっていく者のことだ、ってさ」
「なんだと?」
怪訝そうな顔をする怪人を、はっきりとにらみつける。
大丈夫だ。覚えている。
彼が口していた言葉を。
その合言葉を。
うまくいくかはわからない。
ただ、立ち向かえ。
魂の熱量を振り絞れ。
足元の命を諦めないために。
「――『灼熱』」
つぶやいた途端、ヴァーミリオンが手の中に沈んだ。
激痛。
焼けるような痛み。
痛い、痛い痛い、痛い痛い痛い痛い――!
肉が焼ける。
神経が灼ける。
強く噛みすぎた歯が砕ける。
骨の中までドロドロに溶かされている。
体が燃える。
肉体が作り変えられる激痛に頭の中は真っ赤に染まり。
一瞬のうちに十回くらいは発狂した気がして。
出口のない拷問迷路を走り抜けるような感覚で。
それでも、頭の中にはっきりと焼きついた、赤い背中を追った。
だから迷わなかった。
「ば、馬鹿な……!? 貴様、使えるのか!? 神器ヴァーミリオンを!」
造り変わる肉体。
噴き出す蒸気。
迷路の出口を飛び出して、全身を覆う炎が散って。
「お、おじさん……?」
「おじさんはやめてくれ。オレは――たった今から、ミリオンレッドだ」