1-03 矜持
「我は人間に借りがある。しかし、我が身ひとつで辱を雪ぐことは叶わん」
巨獣が語る。
「腹立たしいことに、人間への復讐には人間の力が必要なのだ」
一息ついたところで四肢を折り曲げ、地面に横たわる。
その姿だけを見れば、人に飼われる猫や犬と変わりはない。
規格外なのは、やはりその大きさ。
地に伏してもなお、座り込むジャイルよりも頭の位置が高い。
「……もしも断ったら?」
ジャイルが問う。
「人間に借りがある、と言ったはずだ。手足として扱えぬのならば殺すまでよ」
淡々と、しかし威圧的に言葉を返す。
巨獣の眼差しがジャイルを突き刺した。
「もっとも、お主は断らぬがな」
「なぜそう言い切れる」
「お主を闇に葬ろうとした者の真意を知りたいのであろう?」
まさにその通りだった。
背中に蹴りを受けたことも、あの場で自分を足蹴に出来たのが勇者しかいないことも明らかだ。
仲間以外の第三者による攻撃の可能性もゼロではないが、まずあり得ないだろう。
もしそうであったなら、誰も助けにこないはずがない。
命を預け合って闘い抜いてきた仲だ。
今頃、安堵の声を掛けられ、共に帰郷の路を辿っているに違いない。
勇者の明確な意思によって、ジャイルは突き落とされた。
では、なぜそんな行動をとったのか。
最も重要な部分がまるで明らかになっていない。
「もっとも、お主の望みになど興味はないがな。我の元に落ちてきた小虫を使ってやるだけの事だ」
あまりに上からものを言う巨獣の態度にジャイルは微かな憤りを覚えた。
しかし、怒ろうが震えようが、この現状を変えられるような力が湧いてくるわけではない。
彼は肩の力を抜き、大きな溜息をついてから口を開いた。
「魔物の奴隷だなんて、ふざけた話だな」
ひとつ間違えば即座に首元を噛みちぎられてもおかしくないような挑発的な言葉。
ジャイルの意志に反し、声は上ずり震えていた。
「けど、確かにやり残したことはある。俺にはまだ戦士としての誇りもある」
ジャイルの声に強い意志が宿る。
「奴隷になるつもりはないが、利用はされてやる。そして俺もあんたを利用する」
誇りを汚され、地面を這い屈辱に塗れて生き続けるくらいならば、潔く死を選ぶ。
絶望的な状況にありながら、ジャイルの質実剛健な戦士としての本質は失われていない。
「その程度の意気もない屑では困る。その誇りとやら、結末を楽しみにしているぞ」
相変わらず意地の悪い表情のまま、口の端を上げて巨獣は笑う。
飄々とした巨獣の態度に呆れつつ、ジャイルは訊いた。
「俺は名乗った。あんたも名前を教えてくれよ」
「ニルと呼べ」
魔物と戦い続けた男と、人間に雪辱を誓う魔物の奇妙な出会い。
赤黒い瘴気が立ち込める魔界の底でしばらくの間、ジャイルとニルは言葉を交わし続けた。