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深淵の英雄  作者: 接骨木 凌
第1章
3/19

1-02 宣告

 目の前で唸りをあげる魔物。

 驚きのあまりいまだ沈黙を続ける男。


 その様子にしびれを切らし、魔物が吼える。

 迫る命の危機に男は身構えた。


 右手を魔物にかざし、強く念を込める。

 

 放たれるのは、辺り一帯を焼き尽くす業火の魔法──のはずだった。


 実際に現れたのは、紙ですら満足に燃やせないような小さく頼りない火の玉。


 炎を操る魔法の中でも最低級のもの。


 放たれた火球は魔物の鼻頭に当たって地面に落ち、間もなく消滅した。


「笑えぬ冗談だな」


 魔物は一言そう発すると、前足を振り上げ男を目がけて叩きつける。


 その一撃を男はすんでのところで転がるようにして躱し、今度は右手を固く握って殴りかかった。


 しかし、その瞬間に魔物は姿を消していた。

 1秒たりとも目を離していないのにも関わらずである。


「質問に答えよ」


 再びの問いは、またしても男の背後から聞こえてきた。


 即座に振り返る。

 目と鼻の先で魔物が刺すような眼差しを向けている。


 捉えることが出来ないほどの高速移動。

 あるいは魔法による瞬間移動か。


 得体の知れない強大な力。

 そして、特別な力を持たない今の自分。


 尋常ではない能力を持つこの魔物を倒すビジョンなど、彼は想像する事が出来なかった。


「俺は、落ちてきたんだ」

 

 ようやく発することのできた言葉。


 なぜここにいるのかという問いに対して、答えになっているとは思えない回答だった。


「なぜだ?」


 間をおかず、獣が問う。

 男は僅かな躊躇いと共に硬直した。


 勇者の一団は、魔物にとって最大の敵。

 ここにいる理由と共に、自らの身分を明かせば容赦なく襲い殺される可能性もある。


 しかし、この状況において綻びのない偽りのストーリーを組み立てられそうにもない。


 何より目の前に立つ巨獣の眼光が、どんな嘘でも看破しそうに思えた。


「魔王を殺した。俺は勇者の仲間だ。仲間だった。戦士として戦って、蹴落とされた。魔王を殺したのに、俺は勇者に裏切られた。そしてここに落ちてきた。今はそれしか分からない」


 気付けば、矢継ぎ早に繰り出していた。


 この獣が発する圧力は、魔王のそれとは比べ物にならなかった。


 自らの行動や思考が強制、あるいは抑止されるような暴力的な威圧感。


 なぜここまで強力な魔物が、魔王を討伐した今も存在しているのか。


「……なるほど、勇者か」


 男の予想を裏切り、ずいぶんと落ち着いた様子で獣は呟いた。


 しかし、その表情は大きな変化を見せていた。

 眉間をひそめ、品定めをするように目の前の人間を凝視する。


「とても魔王を打ち倒せるほどの力を持っているようには見えんがな」


 その言葉を受け、男は自分自身の体に目をやった。


 多少の筋肉がついているとはいえ、戦士といえるほどの屈強さとはかけ離れている。


 それに加えて、先ほどの情けない火炎魔法を見れば魔物がそんな疑問を抱くのも当然のことだろう。


しかし、それは当たり前のことだった。


「最後の最後、魔王を殺した後に勇者に没収されたんだよ。全部な」


 上空の赤黒い霧が風に流されていく。

 月光が男と獣を明るく照らし出す。


 彼は今の自分がすべきことを考えた。


 戦う必要も逃げる必要もない。

 そもそも不可能だ。


 巨獣のご機嫌取りも無駄だろう。


 最初に目があった時、そして魔王を討伐したと告げた時に食われなかったことが答えだ。


 求められているのは会話。

 そして言葉。


 今から語る言葉がどんな結末を呼ぶか想像すら出来なかったが、彼はとにかく早口でまくし立てた。


「勇者ってのは他人に能力を分けられるし、分けた能力を回収することも出来るんだ。分けた力だけじゃなくて、誰かが自分で蓄えた力を回収することも出来るけど、それには必要なものがあって──」


「刻印、であろう?」


 男の言葉を獣が奪う。


「……さすがにここまで強い魔物だと、刻印のことも知ってんのか」


「勇者の刻印によって力を与えられ、最後には裏切りによって全ての力を奪われた、と」


 獣は笑みを浮かべた。


「お主、名は?」

「……ジャイルだ」

「死を目前に繋いだその命で、何を成す?」


 思ってもみなかった言葉に、ジャイルは動揺しながら目線を落とした。


 何をしたいか、などこの状況において考える間もなかった。

 その必要がなかった。


 ジャイルにとって魔王討伐が唯一の目的だった。

 誰も怯える必要のない世界をつくるという夢を掲げていた。


 しかし、今となってはその夢の行く末を目にすることが出来るかどうかも分からない。


 生きる意志があろうとも、生殺与奪が獣の思うままであることは間違いない。


 そして、何よりも失ったものが大きかった。


 痛烈な裏切りにあい、宙を落下する最中、明確に死を覚悟した。


 心臓が鼓動を打ち続けていても、その時点で心は一度死んだのだ。

 

 明日の自分を想像することさえ難しい。

 まして目の前には魔王を超えるほどの力を感じさせる生物。


 ごった返す思考の波に、言葉もなく俯いたまま押し黙るジャイル。

 

 そんな彼に向けて、魔物は再び予想だにしない一言を口にした。


「堕ちた戦士よ、我の奴隷になれ」


 ジャイルは驚愕のあまり目を見開いて顔を上げる。


 見つめ返す獣の口元は悪戯な笑みを浮かべていた。


 風に誘い戻され、赤黒い霧が再び月の光を遮ろうとしていた。

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