初の対魔物戦?
俺は、魔物の牙によって体を貫かれ、その壮絶な痛みによって自分の体と心が壊れていく幻聴を聞いた。
その後、急速に周りの音が遠ざかっていく。
魔物の牙によって意識が刈り取られる直前、周りの音が完全に消えた直後。
俺は鈴の音と、声を聞いた。誰かの声、知らない声だ。
━━━、━━━━━━。
目が覚めたとき、俺は魔物の口内ではなく殺風景で真っ白な、まるで転移時に一度送られた神の代理人のいた神殿に似た場所にいた。
いつか━━━どこかでこの場所を見たか、或いは訪れた事があった気がした。
昔の事で忘れているのか、はたまた気のせいか。
そしてこの世界は、死後の世界か、あるいは走馬灯か。
鈴の音が響く世界の中、俺とその声の主は向かい合っていた。知らない顔だ。その人は俺に質問をしていた。
俺はその声に半ば無意識で返答する。何の質問をされたのだったか━━━なにか、大事な事を話したような気もするし、特に意味のない、世間話レベルのやり取りをしていたような気もする。俺がその時、その人の問いかけにどう答えたのか、今では思い出す事は出来ない。
ただ、話はそんなに長いものではなかった。
俺はその後、声の主と何か約束をした。
内容は覚えていない。━━━よくよく考えれば、相手の言葉すら覚えていないのに何故『約束をした』という話の内容が分かるのか。
が、俺は確かに約束をしたのだ。確か、それはどちらかというと脅迫の色を帯びて俺に要請された為約束というよりも取引に近かった、拒否権は無かった━━━気がする。
━━━それは俺にとって、内容を思い出す事は出来ないがとても重要な、約束だったはずだ。
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ーーーー体中が熱い。
白い世界での滞在を終えて次に目覚めた時、周囲の風景は一転、薄暗いダンジョンのものに戻っていた。ゴツゴツした灰色の通路━━━所々にある光を帯びる鉱石は、ここがどんな場所かを明らかにしてくれていた。
「痛ってえ……」
……何故、俺は生きている?あの魔物は何処へ?一緒に行動していた二人は何処にいるのか、そもそも俺の意識がまだあったときにいた場所とここは同じ場所なのか?辺りを見回してみるが、俺を食った魔物は見当たらないものの燐光石はそこら中にある。
こうして五体満足な自分の体を見ると、意識が途切れる前にあった出来事が夢のように思えてくる。が、実際にはズタボロな自身の体を━━━瀕死の身と言っていいだろう━━━を見ると、そんな感慨というか、現実逃避に浸っている暇は無いということが分かる。
恐らく、体力はかなり削られているだろうし、血も相当流れたはずだ。何故血が止まっているのかは分からないが、俺には好都合である。
周囲の様子は━━━それはそれは静かなものだった。常に賑やかだった今回の行軍。ダンジョン内でたった一人という環境は、まるで世界に自分しかいないかのような、ゆったりとした時間の流れを感じさせる。
自身の体を改めて見ると、全身酷い状態だった。
服はズタボロ、というか全体的に焦げているような、さながら胃酸に溶かされたような見た目で、体中に巻かれていたプロテクターは全て外れるか、割れて固定具だけが残っていた。防具としての役割はもう果たさないだろう。プロテクターだったものの破片が辺りに散らばっている。
一応ナイフの類は近くに落ちていたが、かなり刃こぼれしている。あちこちぶつかったのだろう。ナイフのホルスターは壊れてしまっており、俺にナイフでの切り傷が無いのは奇跡だろう。あるいは、夜食ちゃんが掛けてくれたスキルが持続型だったか。彼女の治癒スキルならナイフの切り傷くらいどうってことない。
……成程、止血もそのお陰か。
服がこれだけ損耗しているということは、確かに俺は魔物に食われたんだろう。
だが体全体に傷を負っているとはいえ、よく見ると食われる前に攻撃されてできた内臓の深手の一部が修復されていた。修復と言っても止血程度で痛みもあり、安静が必要な事に代わりは無さそうだが。
しかし……そもそも、魔物に喰われてまともな耐性もない、一般人並みのステータスである俺が死なずに済みましたー痛いのは捕食時の脚だけでしたー…なんて、あり得るのだろうか。まず死ぬというか原形を留めないだろう。死んでしまえば治療は一切できない。持続型もその効果が消え、蘇生魔法を使う必要があるのだ。持続型の治療━━━夜食ちゃんの治癒スキルはあの脚に阻害されていたように見えた。俺が死亡するまでの間にあの脚が離れ、消化を回復が上回った?━━━そしてその結果俺は消化器系を生き残ったか、途中で吐き出され放置されている?
説明がつかない事ばかりで、うんうん唸っていた俺は、その気配に気付かなかった━━━
ここはダンジョン、凶悪な魔物の巣窟である。
「……ッ!?」
俺は間一髪で、肉薄してきた影に対して回避行動を取る━━━しかし初動が致命的に遅く、右肩をざっくりと切られてしまった。
---グォォォォォ……
俺に攻撃をしてきたのは、大きな熊のような化物。勇者一行と行動していた時には見かけなかった魔物だ。まあ、単に瞬殺されてしまっていて俺の視界に入らなかっただけかもしれないが。
名前は確か、例のダンジョンに持ってきていた本に書いていた……青黒い体毛、赤い目。ブルーベアーだ。
青い体毛は魔物らしい特性━━━普通の熊の何倍もの防御力をその巨体にもたらす。というか体毛が体を守る鎧代わりになっているそうだ。流石異世界。
この魔物には基本的に剣での応戦は向かない。体毛の方向に沿って剣を振るうというのはかなりの精度が必要で、体毛を裁断するのはさらに難しい。レイピア等で刺突攻撃を行うか、打撃で直接内蔵に衝撃を与える必要がある。が、俺はそんな武器持っていないし、ぶん殴って直接衝撃を与えようにも十分な威力が出せるだけのステータスが無い。
また、この魔物は他のダンジョンではよくいる魔物のようで、危険度的にはレイグル大洞窟の30階層相当━━━未だ未到達の階層なので予測ではある上、レイグル大洞窟にそこまでの階層があるかは不明だ━━━の身体能力を持っている筈。ステータス全般もそれ相応の高さだ。
だが、俺が肩を抉られたとはいえ回避できたという事は、この魔物はそんなに俊敏に動ける訳では無いという事だ。恐らく劣化種、それも生まれて比較的間も無い個体だろう。初動が遅れ、尚かつ元からかなり傷を負っている状態の俺の緩慢な動きであっても、致命傷は避けられるような、狩りの下手な個体。
---グォォォォ……
低い唸り声を出し続ける熊。もし……一般人相当のステータスしかない俺が避けられるような攻撃しか出来ない個体ならば、筋力などの他のステータスも本来のブルーベアーよりずっと低いはずだ。
俺は次の攻撃をされる前にナイフを持ち、臨戦態勢をとった。
ブルーベアーが深く沈み込んだ。どうやら次の突進が来るらしい。
溜め込んだ力を解放し、一瞬で距離を詰めて来たタイミングで俺はナイフを突き出す。ナイフで牽制をしながら横をすり抜け、そのまま熊の進行方向とは反対側へと全速力で駆け出す!
俺は叫ぶ!!
「一人で魔物なんかと戦えるかよぉぉぉっ!!」
俺の行動が予想外だったのか、熊はギョッとして少し反応が遅れた様に思えたが、その後直ぐに俺の方へと向き直り今度は溜めることなく俺を追いかけてくる。
「捕まってたまるかぁぁぁぁ!」
やはりスタートダッシュで作れる隙と距離は僅かなものだったようで、真後ろを取られてしまう。俺は全速力で駆けるが、時折あるカーブで横Gが掛かり、止血されているだけの俺の内蔵に痛みが走る。だが、そんな事を気にしている場合ではない。真後ろには凶悪な魔物がいるのだ。
まずは、何処かのパーティー、或いは何者かと合流をする。それさえ出来れば、恐らくこの魔物を撃退してもらえるだろうという考えがあった。
「てめえ、後で絶対に見返してやるからな、覚悟しとけよっぉぉぉ!?」
道端の小石に躓いて転びかけながら、敗走する盗賊みたいな捨て台詞を吐く。
少しずつ、彼我の差は縮まっていく。主にカーブでの方向転換が俺よりも熊の方が幾分か俊敏。四足歩行だからか、まともに減速せずに曲がれるブルーベアー。
異世界のダンジョンの中、俺はデタラメなルートを走りながら、時折相手を罵倒する。というか、魔物って言葉を理解するんだっけ?相手に大体の意図は伝わっているのかいないのか、俺が声を発する度に反応しているような気がするブルーベアー。傍目から見れば人と熊が喧嘩しながらかけっこをしている風にも取れる訳だが、本人達は至って真面目━━━というか殺し合いの最中である。
この『逃げに徹する』作戦を考えた当初は、セカンドプランを考える猶予を得るための時間稼ぎ━━━あるいはよっぽどこのブルーベアーが弱い個体なら、ある程度引き離したら何処かに隠れて撒いてしまおうと思っていた。しかし時間の猶予は殆ど得られず、撒くことも出来ない。逆にジリジリと距離を縮められてしまっている。
俺のステータスは非常に低いのでこのまま走り続けても撒ける可能性は低いと思われるが、魔物と1対1で戦えるような戦闘訓練を受けていないのでこの方法を続けるのが恐らく生き残る可能性は一番高い━━━。
この死力を尽くした逃走劇の決着までは、当初予想していたよりもずっと長い時間が掛かることとなる。
つまり、俺の異世界での実質初の対魔物戦は不戦敗、または不戦勝である。
次回は木曜0時か木曜1時予定です。
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