因縁の二人(九)
パラケルススは空を見上げた。
一羽の鳥が飛んでいる。かなり高いところにいて、ほとんど黒い点にしか見えず、種類まではわからない。
パラケルススが頭上を指さし、鳥を取得、と口にすると、鳥も空から姿を消してしまった。
もちろん鳥も実際には消えたわけではない。概念界に転移しただけである。
これで概念界には〈人間〉と〈鳥〉が送られたことになる。パラケルススは取得したばかりの二つの〈アイテム〉を使って、〈合成〉を行うことにした。
もっとも基本的な錬金術。それが二つのアイテムを合わせることで、一つの新たなアイテムを作り出す〈合成〉だ。
現実に物を合成するにはいろいろ手間がかかるが、彼女の錬金術は、概念化させた〈もの〉を、合成したり、分離したり、ふたたび物質化させる、魔法に等しい技術である。概念界に入れたアイテムは、合成したいと思えば、すぐに合成できる。
パラケルススは、鳥と人間を合成、と唱えた。
異次元の収納スペースで〈鳥〉と〈人間〉が概念化して一つに融合し、〈鳥人間〉という新しいアイテムができたことを、パラケルススは直感的に知覚した。
次にパラケルススが自分の立っている歩道のすぐ横の車道を指さし、鳥人間を取り出せ、と言うと、概念の〈鳥人間〉が実体化して、概念界から現実世界に送り込まれてきた。
車道の真ん中に白い小型の人力飛行機が出現する。
「は? ……はあ!? 何だよ、これは!?」
飛行機の中で男が叫んでいる。さっきまで人ごみの中にいたのが、気がついたら、見知らぬ変わった乗り物の中に閉じ込められていたのだ。混乱するもの当然と言えよう。
「くそっ! わけわかんねえけど……飛ぶぞ! 俺は!」
だが男はポジティブな性質だったらしい。男は自分が乗っているのが人力飛行機であるることを把握すると、レバーを力強く握り、ペダルを全力でこぎはじめた。
馬力が足りないのか、人力飛行機が離陸する気配はない。それでも道路を走る奇妙な乗り物は、たちまち注目の的となり、こちらにも野次馬が集まってくる。
「また新しい騒動の元を作ってー」
「にぎやかしよ。にぎやかし」
ホムンクルスの小言を軽く流すパラケルスス。
「とはいえ、あんまりうるさくなると私の行動にも支障が出るわね。さすがにこのあたりが限度かしら?」
今日だけに限っても、パラケルススはすでにいろいろなアイテムを作っている。
鉄仮面を作った。これは鉄パイプから分離した〈鉄〉と、道路に落ちていた〈マスク〉を合成したものである。
もちろん捨てられていたのは仮面ではなく、ガーゼでできた口を覆うマスクだったのだが、概念化させることでそれは広義のマスクになる。概念界で融合した二つの素材が、自然とフルフェイスマスクのかたちに変化していくのを、パラケルススは幻視によって確認していた。
鉄仮面が完成した直後に、目の前を自転車に乗った子供が通りかかったので、パラケルススは何となくその子供と鉄仮面を合成した。
概念界から戻ってきた子供は、懸命に鉄仮面を外そうとしていたが、やがて自力では取れないことがわかると、諦めてふたたび自転車にまたがった。
別の場所では人間と人間を合成した。概念界で融合したその男女は〈二人〉という概念になった。更にパラケルススはその〈二人〉と〈服〉を合成して〈二人羽織〉を作った。
パラケルススは素材を入手したのとは別の場所で〈二人羽織〉を実体化させた。羽織から顔を出している男は――おそらくはうしろにいる女も――異次元の概念界に数分とはいえ留まっていた影響で意識を失っていた。
交差点では信号待ちをしていた老人を取得し、手持ちの椅子と合成して、橋の上に放置した。
やりたい放題である。しかも大半は思いつきの行動だ。パラケルスス自身も、なぜこんなものを作ったのかと首を傾げたり、後悔することはしょっちゅうだった。
それでもパラケルススは気の向くままに錬金術を行うことをやめようとは思わない。最終目的である賢者の石を作るためには、日頃の練習が欠かせないからである。
だが大量に人や建物がなくなれば、社会的な問題になり、結果的にパラケルススも行動しづらくなる。後になってもっといい使い道を思いついたのに、材料がもうないということも起こりえるだろう。だから、パラケルススは定期的にある砂時計を使うことにしていた。
バッグから砂時計を取り出す。やはり数時間前に錬金術で作った特殊な砂時計である。これを引っくり返せば、時間を砂時計を作った瞬間に戻すことができるのだ。
時間が戻れば、当然、砂時計を作った後にやったことはなかったことになる。鳥の人間の合成も、老人と椅子の合成も、鉄仮面と子供の合成も――いや、鉄仮面と子供を合成したのは砂時計の作成より前だったろうか。思い出せなかったが、とにかく、今日のだいたい二時半以降の行動はなかったことになる。
だが、すべてがなかったことになるわけではない。たとえ自分の行動がなかったことになっても、それを行った記憶までなくなってしまえば、かなりの確率でまた同じことをやってしまうだろう。それでは元の木阿弥だ。
だから、砂時計の使用者であるパラケルススの記憶は時間が戻ってもなくならないようになっている。仲間としてパラケルススと行動を共にしているホムンクルスにもその効果は適用される。また、砂時計を作ったとき、概念界に収容されていた生き物もパラケルススの仲間という扱いになることがあった。
そういえば、この砂時計を作ったとき、概念界には二人羽織の材料を入れていた気がする。砂時計を使えば、あの男女も時間が戻ったことを認識してしまうのではないか。
いやいや、伝説の錬金術師パラケルススともあろうものがそんな不注意を犯すわけがない。砂時計を作ったときは、ちゃんと概念界から生き物を排除していたはず――いや、やっぱり二人ばかり人間を所持していたような……。
「まあ、どうでもいいわね」
パラケルススは開き直った。
たかが一般人である。時間が戻ったところで、世界に重大な影響を及ぼすような行動をとったりはしないだろう。
「路上で二人羽織してるような子たちだもの。しかも片方はカルト宗教の教祖の孫娘。時間が戻ってるなんて言ったって、誰も信用しないわ」
「二人羽織させたのはパラケルススだよね?」
ホムンクルスがつっこむ。本人たちがやりたかったわけではないのだ。
「端から見れば、自分の意思にやってるようにしか見えないわよ。だから、またやらせてあげるわ」
「うわあ……」
パラケルススがくすくす笑う。ホムンクルスは二人を憐れんだ。
いつしかパラケルススは病院の前にいた。この病院でも取り返しのつかないことをいろいろやってしまったような気がする。
砂時計があれば、ある程度は取り返せると言っても、作る前にやったことまではなかったことにできないのだ。たしか医者を何人か消してしまったような覚えがある。
「砂時計を作ってから消した方がよかったかしら?」
「砂時計に関係なく、無意味に消すのはやめた方がいいと思うよ?」
「意味はあるわよ。私がやることには全部」
そう言いつつも、パラケルススは医者を何に使ったのかもう思い出せなかった。
「やり直す用意もしたことだし、これからは遠慮しないわ」
「今までは遠慮してたの!?」
ホムンクルスの驚愕を無視して、パラケルススは砂時計を引っくり返した。
同じ頃、病院の中では上杉祥吾が精神的疲労と尽きない疑問に音を上げていた。
彼の疑問に答えられる唯一の人物の手で、これから流れたはずの時間が戻されようとしていることなど、祥吾には知りようもないことだった。