3-3 ハンバーグと胡瓜
霊岸島を走り永代橋に達したので、また自転車で川面に下りた辺りで、やっと緑色の住人を発見したので、そのまま反対岸まで自転車を漕ぎまくった。
気をつけないと、この川は船に轢かれる事がある。
その辺を注意しながら、かなり大きな声で叫んでみた。
そうしないと奴らは気付いてくれない。
「おーい、そこの河童さん」
そして、やっぱりまったく気にしていないようなので、もう一言トッピングに加える。
「美味しい胡瓜はいらんかえ~」
そして、くるっと振り向く河童。
にこにことしており、一目でその心情が非常にわかりやすい。
こいつは、最初に会った奴と一緒の系統だな。
むしろ、河童という種族には桜田門にいた、まともな奴の方が珍しいタイプなんじゃないかと思った麗鹿。
きっと、それは正しい認識だ。
「うわあ、自転車に乗った胡瓜の配達人とは珍しい。
ねえ! 早く、おくれよ~」
自分で頼んだ覚えも無いくせに配達物を急かす河童。
もはや濃厚に漂う残念臭。
「はいはい。
いいけど、話は聞かせてちょうだいよ?」
「何の話ー」
「河童のお話さ」
「えーとね、河童というのはね。
頭の上にお皿があって……」
「ちがーう。そういう話じゃない!」
駄目だった。
更に残念な奴だった。
だが、聞き込みだけはしておかないといけない。
とりあえず胡瓜を与え、船の通らない隅っこに連れ込んで話を聞かせてもらう事にした。
胡瓜を夢中で齧りながら、そいつは話してくれた。
「河童が姿をねえ。
そういうのって、いくつか理由があるんだけど。
普通はやらないよね。
なんていうか、そいつらはストレス溜まってるんじゃないのかな。
ほら、人間だってやるじゃないか。
コートの前をパーッと広げたら素っ裸とかさ。
あるいは、何か訴えたい事があるとか。
まあ俺には無いけどさ」
「ああ、それは君には聞いていないけどね」
変質者の河童? 確かに河童はコートどころかパンツ一枚履いてはいないが。
目の前の河童の、濃淡はあれども全身が緑一色で局部のシルエットすらも定かではない、シンプルな全裸具合を眺めながら唸る麗鹿。
「ありがとう。
参考になるような、ならないような。
しかし、首都圏の河童にはこれ以上聞いても無駄なのかもしれん。
ああ、これはとっておいてくれ」
更に胡瓜をまとめて手渡しておき、千切れんばかりに手を振りながら笑顔で見送る河童を置き去りに、そのまま陸に上がると羽衣は脱いでそのまま神田まで帰る。
帰りに寄ったスープカレーの店でラムハンバーグのメニューにした。
それをお行儀悪く突き崩しながら、事務所でプレミアムビールをいただく麗鹿だった。
今日はなんとなく気分で、コンビニで買った胡瓜の漬物がつまみに加わった。
あれだけ目の前で胡瓜を美味しそうに食われては、その誘惑に打ち勝つのは難しい。
今日は、河童のお友達を増やしただけで終わったようだ。
明日から、更にそれが増えそうな嫌な予感がするのを無理矢理に押さえ込んで、スーツを脱ぎ去りいつものセクシーなワイシャツ姿でベッドに倒れこむ麗鹿だった。
「あっさー、あさですよー、れいかちゃーん!
やい起きろ、このねぼすけ鬼」
煩い。
この前、宗像が特別に拵えさせたとかで、勝手に送りつけてきた目覚まし時計。
こいつは自由にメッセージを録音できるのだ。
性能は悪くないので使っているが、宗像の声で起こされるのが難点だ。
あいつめ、面白がっておるな。
そう思いつつ、今日は行かねばならん。
行かねばならんのだー。
だが、ベッドは温かい。
離れたくない!
その苦悩に麗鹿は眉間に皺を寄せ、苦悶に顔を歪め悩ましい声を上げて、なんというかまるで『あの時』の顔のようだが、実際にはまるで違う。
そう、『地方出張』なのだ。
ついに宗像が重い腰を上げて、地方に出張る決意を固めたのだ。
昨日、帰りがけに電話で報告したら、ついに地方巡業を決意したらしい。
麗鹿に訊いてもらってわからぬのであれば、もう行くしかあるまい。
河童出没地点を示すマップを持って。
いい歳こいた大人、しかも東京警視庁で警視長などという階級を持ち、『鬼の宗像』などと呼ばれたような男のする仕事ではない。
こちらで別の仕事もあるので、用がなければ地方になど行きたくはないのだ。
しかも東京の妖魔番でもあり、闇斬りをその管轄に持つ、その道の切り札のような男なのだから。
だが、麗鹿は違う。
「待っていろ、地酒ちゃん。
地方の美味い物よ」
そう思うと、ベッドの温かみにも決死の思いで決別の鐘を鳴らし、鋼鉄の意思で立ち上がれた。
麗鹿、大地に立つ。
そして例によって、よろよろと、まるで『アレ』の後のように色っぽくベッドから起き上がり洗面所に向かう。
単に寝起きが悪いだけなのだが。
またエロい格好のまま歯磨きをしていると、ちょうどスマホが鳴った。
「んぶー、べいからー」
「おはよう、ちゃんと起きられたか?」
麗鹿の寝起きの悪さを知って以来、必要な時には律儀にモーニングコールしてくる宗像であった。
「ひほうの、ひらけふぁ、わらしぼ、ばっているー!」
どうやら、地方の地酒が私を待っていると言いたかったようだ。
宗像にはちゃんと通じている。
「わかった、わかった。
名酒鬼殺しとか待っていてくれるといいな」
「ぶん!」
仕度はどうせ山崎が整えているので、麗鹿は体一つで行くだけでいい。
まるで、最近はあいつが吸血鬼の従者か何かのように麗鹿に付き従っている。
きっと、あの『鬼の接吻』が忘れられないのに違いない。
やがていつもの部屋に着いた麗鹿を、宗像と山崎の二人が出迎えた。
宗像はやや仏頂面で、山崎は楽しげに。
若い方は、ここ専門(留守番含む)で他に仕事は持たないのだから。
「おはよう~」
陽気に挨拶してくれる麗鹿。
地方巡業といえども、格好はいつものカラス装束のままだ。
「おう、おはよう。
楽しそうだな」
「うん!」
麗鹿に力いっぱい頷かれて、仕方なく笑みに付き合う宗像。
かなり疲れそうな予感がしているのだ。
これが正業である警察業なら気が進まないどころか、鬼の宗像の本領発揮と行くか、と気を引き締めるところなのだが。
実際は「河童を求めて」の巡業なのである。
気の引き締めようもないのだが、これも仕事なのが嫌になる。
きちんと、「我々は、如何に河童を求めて流離ったのか」を、領収書と共に報告書に纏めねばならないのだから。
警視総監経由で、警察庁宛に。
ひいては日本政府、内閣総理大臣宛に。




