2-7 愛の時間
部屋の前でノックして、名を告げて入室を許可されたので、案内係は下がっていった。
「よお、狂歌。あのな……」
麗鹿は、その台詞を全てを言い終わる事は出来なかった。
なぜなら、そこで跪き、それはもう嬉しそうに狂歌を崇め讃えている男がいたからだ。
それこそは、まだ写真でしか見た事がない山浪結花の父親『山浪太一』その人であった。
狂歌はベッドの上に腰掛けてはいるが、もちろん二人とも服はしっかり着ている。
おっさんは、オーバーアクションで狂歌を讃えるために上着は脱ぎ捨てているが。
「な!」
「美しい狂歌様。
ああ、なんと愛らしい御御足、艶やかな髪、白魚のような指。
可愛らしい顔も、その地上に星が煌くかのような瞳も、もう堪りません」
彼は突然の訪問者などには目もくれずに、ただただひたすら髪の先からつま先まで、愛くるしい狂歌の、その全てを褒め称えていた。
「あ、いらっしゃい!」
「いらっしゃい、じゃない!
何をやっとんだ、お前は~」
今、ハリセンがその手元にあったのならば、スパーンと小気味良い音を立てて、神鬼と吸血鬼のどつき漫才を演じてみせたところだ。
「何って。
下僕に、このわたしの素晴らしさを讃えさせているだけよ。
悠里、あの子は高校生だからさ。
夜にこんなところにいさせるわけにはいかないし」
「だからって、なんでそんなおっさんを……」
「ああ。
よくわからないんだけど、この間ちょっと遅い時間に街を歩いていたら、いきなり車を止めて声をかけてくれたのよ。
『君、小学生がこんな時間にこんな所を歩いていちゃあいけないよ』って」
うーん、結花ちゃん。
お父さん、いい人だね。
思わず、頭を振った麗鹿。
そういう人は魅了がよく効くのだ。
山崎なんかも、そういう口かもしれない。
つまり『いい人』というのは、根っからの下僕体質だ。
「まあ、それはわかったんだが、何故この人はこうしているんだ。
毎日来ているんだよな。
まさか6時間ずっと、こうなのか?」
「そうよ。
いやあ、最初はおかしなロリコン野郎が声かけてきたのかと思って成敗してやろうかと思ったら、娘の話とか始めちゃってさ。
いいおっさんみたいだから、しばくのは止めたんだよね~」
麗鹿は段々頭が痛くなってきた。
そういう事だったのか。
なんとなく、なんとなく理解できてきた。
「えー、それで?」
狂歌は、麗鹿の声が段々と剣呑な響きを帯びてきているのに、まったく気がつかない。
「それでもう、延々と家族の話ばっかりするもんだからさあ。
こういう男を魅了したら、思いっきり崇拝してくれるんじゃないかと思って。
そうしたら、このザマなの。
こっちも気分は悪くないしさあ。
『愛人』にしてあげたわ」
「待て、待て、ちょっと待てーい」
大慌ての麗鹿。
先ほどの剣呑な気分など全て吹っ飛んでしまった。
「愛人って、どういう事だ」
「え? 文字通りの意味よ。
月極めでお小遣いを貰ってるわ。
なんか悪い?」
絶句する麗鹿。
この小学生(見かけだけ)とお小遣いで愛人関係?
お父さん社長、超スキャンダルではないか。
どうしようか、これ。
依頼主には絶対に言えない。
「あと、他に5人ほど愛人の手持ちが。
今は、それで生活してるのよ。
いいでしょう」
「なんだと!?」
少し気分を落ち着かせる努力を試みてから、しばし考えた後に訊いてみる麗鹿。
「なあ、その社長。
ずっと、その今やっている、お前への賛美が続くんだよな」
「そうよ」
「6時間、ずっと?」
「そうよ」
「じゃあ、いつ愛人関係の時間を?」
「今よ?」
「はあ?」
狂歌は言った。
そのささやかな小学生ボディの胸を張って。
「この盟主、女王たるわたしに対する賛美こそ、まさに究極の愛よ!」
「アホかー、お前は。
奉仕する方が金を払うってなんだ!」
これはアカン。
その場に頭を抱えて蹲る麗鹿。
「だって、他の男達はお金を払うだけで、わたしを讃える事さえ許されていないのだから。
素晴らしい御褒美ではなくて?」
これは更にアカン!
「ふふふふ……」
何時の間にか立ち上がり、低い声で不気味に笑っている麗鹿。
「ん? どうしたの? 麗鹿たん」
「あ・ほ・か~!
今すぐ、その下らん遊びを止めろ~。
この大馬鹿者が!」
「遊びじゃないもん。
狂歌には必要なエナジーだもん」
どうやら吸血鬼にとって必要なものは、乙女の血ではなく、おっさんの果て無き情熱的な賛美だったらしい。
こめかみを押さえ、頭をやや仰け反らせながら、引導を渡しに行く麗鹿。
「ええい。
そいつにはな、大事な家族がいるんだ。
大迷惑だから、そいつは解放しろ。
替わりに独り身の寂しい老人でも連れてきて、やらせてやれよ。
そっちは、むしろ人助けだから」
「えー。
狂歌、その人の事、かなり気に入っていたんだけどな~」
「だ・め・だ!」
その牙を剥いた麗鹿の文字通り鬼の形相に、さすがにマズイと思ったらしく狂歌は仕方なく折れた。
「ちぇー、わかったわよー。
もう、つまんないなあ」
少しむくれた狂歌は、電話で残りのおっさん達を招集した。
こんな時間からか。
家族に言い訳が大変だろうに。
せめて本当に若い女の子との蜜月なら、おっさん達も少しくらいは報われるのだろうが。
「あ、あのう。
僕は一体どうしたらいいんでしょうね」
非常に困っている山崎が訊いた。
十八歳未満とかでなければ、愛人関係は別に犯罪ではない。
狂歌も別に見た目通りの歳ではない。
しかも性交渉すらない関係なのだし。
幾ら巻き上げているのか知らないが、女の方が阿漕過ぎる関係だ。
むしろ、山崎や麗鹿がそこに居座っている方がどうかと思う。
「ああ、もうちょっと待って。
おっさん達がやって来たら、問題がないかどうか色々と訊いておいて。
もう、わたしはパス。
やる気パワー・ゼロよ」
そして、一通り話を聞いてはおいたのだが、どれもこれも似たり寄ったりの、よったような話ばっかりだ。
落としたハンカチを拾ってくれた親切なおじさんに対して、これはわたしに気があるに違いないとか。
お店でレジの順番を譲ってくれたからとか。
実にくだらない理由で、強引に愛があったという事で愛人にされてしまっている。
まさに自意識過剰な自己中の権化だ。
一応は経済状況を確認したのだが、皆凄く裕福な人ばっかりだった。
お金持ちはゆったりしているから、心の懐も豊かなのだろうか。
それが災いしている気もするが、なんか幸せそうだ。
何かの宗教みたいだなと麗鹿は思ったのだが、家族のいない人や奥さんに先立たれたとか、寂しそうな人が多かった。
まあ需給は合っているようなので、山浪結花の父以外は放っておいた。
そのうち、渋谷に東京中の金持ちが集まって、狂歌に愛人手当を与える怪しい宗教とかができるかもしれない。
手先になるような可愛い女の子の眷属はいっぱいいるのだし。
「山崎、帰るか……」
「そうっすね。
僕はもう世の中が信じられないですよ。
まだ、この間のガルーダの方がマシだったような気がする……」
そこまで言うか、山崎。
そう思う麗鹿であったのだが、だがあえて、そこは否定しないでおくとする。
麗鹿も半分くらいはそれには同意できるのだ。
「わたしは、あと依頼人のあの子への報告もしないといけないしな。
まあ、魅了が解ければ、あのお父さんも直に元に戻るだろう。
やれやれだ。
やっぱり渋谷っていうのは、どうにも相性がよくないな」
溜め息を吐きながら、気取ってベッドの淵に腰掛けている狂歌への賛美がまだまだ続く、両膝をついて熱唱している愛人賛歌六輪唱を置き去りにして、二人はそっと部屋を抜け出すのであった。




