2-5 浮気調査
「怪しい。絶対に怪しいわ」
その少女、山浪結花は自室でずっとそれを繰り返していた。
ちょっとしたアイドルグループにスカウトされてもおかしくないような可愛い顔を台無しにするほど、眉間に皺を寄せ腕組みをして、うろうろと冬眠に失敗した熊のように歩き回っていた。
ここ最近、父親の行動が妙に怪しいのだ。
いつもなら、社長のくせにすっぱりと、遅くても夜7時までには何があろうと帰るという性格。
万難を排して、家族との食卓に間に合わせる強引な、秘書泣かせ重役泣かせの人だった、あのお父さんが毎日『御前様』だ。
理由を聞いても、うにゃうにゃと訳のわからない事を言っているだけで、家族を困惑させるのみだ。
多分、浮気だ。
母親もそれに気付いているようで、毎日浮かない顔をしている。
「家庭崩壊の危機よ!」
そして、ついに意を決したように部屋を出た。
懐に女子高生が持つには相応しくない、二十万円というお金を持って。
思い余った彼女は、母親にも相談できず、貯金を叩いて探偵に頼むことにしたのだ。
そして、彼女がやってきたのが、よりにもよって上谷探偵事務所であったのだ。
ここを頼んだのには特に理由はない。
家から近くて、聞いたら料金が安かったというだけである。
ネットで調べたら、他のところは結構するらしいと判明したので。
彼女の父親は大きな会社の社長をしていて結構な収入があるが、娘は無闇に甘やかさない方針で、やたらめったらと小遣いを与えたりはしない。
自分で使えるお金は他の子と比べたら多少裕福というだけの事である。
そのため倹約する癖はついていた。
父親は創業者一族の出身なので、たかが浮気が発覚したくらいで社長を辞めさせられるような事はない。
そういうのが出世に響くような雑魚社員とは違うのだ。
しかし、我が家は崩壊寸前だ。
ならば打って出るまで。
だが、その事務所の前まで来て、彼女は躊躇った。
その薄汚れたドアの趣、その向こうから漂ってくる、魂に訴えかけてくるような何か。
何かが腐ったような気配。
彼女は今、人生で一番踏み切れないでいた。
思いっきりのよさでは定評のある彼女なのだが。
しかし、それが幸いしたようだ。
たまたま、そこに通りかかった麗鹿が、訝し気にそれを見咎めた。
なんというか、例の狂歌のお気に入りの女子高生を頭に浮べて、なんとなく引っかかったのだ。
あれ以来、とびきり可愛い女子高生を見る度に、狂歌の眷属ではないかと疑ってしまう妙な習性がついている。
ここも渋谷からは地下鉄直通で来れてしまう範囲だ。
充分、あいつの縄張りだろう。
だが少女は麗鹿と目が合うと、恥ずかしそうに俯いてしまい眼を逸らした。
「うん、この少女はシロだな。
上谷の毒牙にかかる前に救わねばなるまい」
あまりに一方的で、妙ちくりんな義侠心に突如かられた麗鹿は、その少女に声をかけた。
「やあ、君。探偵に何か御用かい?」
振り向いた少女は、思わず固まった。
何か真っ黒で怪しい女の人が声をかけてきた。
どうしよう。
もしかして、社長の娘だから誘拐されちゃうの?
その心の動揺は、霊力を用いなくても明らかに見て取れたので、苦笑しながら麗鹿は自己紹介した。
「わたしは鈴木麗鹿。
ここで探偵事務所をしている。
少なくとも、そこの向かいのへっぽこ探偵よりは腕が立つつもりだが。
良かったら、お茶でも飲んでいかないかい?
可愛いお嬢さん」
そう言って、麗鹿はサングラスを外した。
その個人的な好みが分かれる太目の眉を除けば、完璧とも言える麗鹿のマスクに思わず見惚れてしまった、山浪結花。
思わず、顔を赤らめて、どもりながら返事をした。
「ど、ど、どうも。
え、えっと、お姉さんも探偵さんなんですか?」
「ああ、訳ありで、そっちの事務所みたいに大っぴらにはやっていないけどね。
その分、腕は確かさ」
捜すのは、概ね人間ではなく妖魔の類なのだが。
オプションで退治も付くし。
この人は信頼できる。
何故か、山浪結花は何の理由もなく、そう思ってしまった。
それは間違っていない。
ただ一つ、『人』という部分を除いては。
「さあ、どうぞ。殺風景な場所だけどね」
そう言って中に入れてもらったが、確かに殺風景だ。
通された事務所には、簡単な応接セットとPCの置かれた質素な事務机があるくらいだ。
だが、それなりの家庭で育った山浪結花にはわかる。
これは仕事のできる人の部屋だと。
機能優先、しかし安物は使ってはいない。
必要にして充分。あまり使われていなそうな、これらの簡素な調度も、おそらくは特別な仕事を請け負っているような人だから。
ここは、体裁を整えるためだけに用意された部屋なのだと看破した。
さっと出されたのは、紅茶。
ポットとかで淹れたものではないが、使っているのは高級ブランドのティーバッグで、ティーカップも上質なブランドのカップだ。
ビジネスライクかつスピーディーに、しかしその中でも顧客に対しては万全の心遣い。
そのように受け止めたのだ。
ただ一部、誤解がある。
不精な麗鹿が不精なりに美味しいお茶が飲みたいという理由だけで、そうしているだけだ。
実は、この事務所を開設して以来、客など一人も来た試しはない。
ただの麗鹿の住居となっている。
もっぱら東京警視庁を窓口とする、警察庁ないし日本政府が彼女のクライアントだ。
「さて、お嬢さん。
お話を聞かせていただきましょうか」
お気に入りの缶クッキーを少女に勧めながら、麗鹿は話を切り出した。
実は上機嫌である。
この地に拠点を構えて、なんとなんと初めてお客様を迎えたのだ。
日頃はごろごろと麗鹿が寝転がるしかないようなソファに、なんと可愛いお客様がいる。
もしここに座っているのが上谷なのだとしたら、ドアを開けてアイアンクローで廊下の端にある壁に向かって叩きつけるか、可燃物の日にするか不燃物の日にするか迷いながらゴミに出すかのどちらかである。
狂歌と、その眷属の少女だったとして歓迎しただろう。
ただイチャイチャし始めたら、鬼の力を持ってして箒で外に掃きだすだけだが。
多分純粋なパワーだけなら、あいつには楽勝で勝てるだろう。
もし宗像が来たのだったら、カップやきそばでも作って一緒に飲んだくれるだろう。
部屋に入れてやったとて、あいつと色っぽい展開になる事などは決してない。




