2-1 視線
「視られている」
確かに、そういう感覚。
その日、初めてそれの存在に気がついた麗鹿はそう感じていた。
それは果たして、何者かが目という感覚器官で見ているのか、あるいは別の何かで見ているものなのか。
視線に憑かれている、とでもいうか。
本体はここにはいない。
いつからなのだろうか。
胡乱な気配に、事務所のドアを開けた途端、麗鹿は思わず立ち止まったのだ。
麗鹿の、人ならざる鬼なればこその、鋭敏な五感のみならず霊的な感覚、またオーラを感じる力。
視線を感じるというのは、眼から伸びてくるオーラを体表面のオーラで感じるからだといわれる。
初めて会う人間のはずなのに、一目で妙に気があったり、また火花が散ったりするのは、オーラの接触により、情報のやり取りがあるからだろう。
互いに無意識のうちに相手の情報をサイキックに読み取るのだ。
鈍感な人間は、そういう事に長けず、相手に情報を読み取られるだけだ。
もちろん、その方がよい場合も往々にしてあるのだが。
多少鈍感なほうが人間関係にはよい事もある。
本人も些事に悩まなくて済むのだし。
ことに眼と手の先からは、ビームや刀のようにオーラがよく伸びるため、視線には強い情報が含まれる。
もともと人間は五感のうちでも、視覚から80%の情報を得ていると言われている。
サイキックな感覚でも、視覚の延長戦上でそれを働かせている事も多い。
千里眼のように脳内に映像を結んだり、未来視や透視など何かのビジョンを視たりというのも一種の視覚の延長だ。
それ、麗鹿に憑いた視線は特に不快なものではなく、少なくともお向かいのボケ探偵のものではない。
どちらかといえば、好奇心をその内に秘めたという類のものか。
不可解なものではあったものの、悪意は無いと判断し、麗鹿は用件を片付けるために出かける事にした。
呼び出し主は宗像なので、行き先は警視庁だ。
本日は闇斬りの依頼ではなく、相談ごとらしい。
麗鹿関係の予算は、警視庁ではなく日本政府から出されているので、行くだけ行ってもその分は何がしかの手当ては貰えるし、何よりも面白そうだから。
この面白いという部分がまた、麗鹿にとっては馬鹿にならないのだ。
何しろ、油断していると人間とは桁違いの退屈をしてしまう人種なのだから。
徒歩で神田駅まで、街の営みを観察しながらゆっくりと歩く。
今日は、とりあえず狩りは無いのだ。
そういう時は、そうする事にしているのだ。
特に今日は出がけに妙な気配があったので、それに注意しながら。
鈴鹿の状態であれば、一撃で把握できるのだろうが、まさかあの風体で出歩くわけにもいかない。
それに、なんとなくだが、その姿は今知られてはならない気がした。
鬼の直感は馬鹿にならない。
まあ、さほど気になるようなものではない。
それはそれで何かあれば、面白いとは思っているのだが。
この前の鳥のような、辟易とするような気配ではない。
もう視ていないのか、それとも麗鹿に気付かれたと思って視るのを止めたのか。
「まあいい。監視者よ。
そのうちに、是非とも合間見えようぞ」
まるで見えない相手に聞かせるように小さく一言呟き、麗鹿は地下鉄の東京メトロ銀座線へと向かった。
勝手知ったる東京警視庁。
すったすったと中へ入っていき、地下へと降りていく。
地下室は嫌いではない。
大地の気の流れに身を任せられるという点において、御山にいるような感覚がある。
鬼にとっては居心地のいい空間だ。
別にそのために、わざわざ地下に部屋を用意してくれたわけではないのだろうが。
「やあ、今日はどんな相談だい?」
「ああ、ちょっとね。
微妙な事件があったらしくて」
「微妙?」
「いや、被害があったような、なかったような」
「なんなんだい、そりゃあ」
この宗像にしては、やけに歯切れが悪い。
しかし、先日の鳥のような大騒動ではないようだ。
「いや、実はね。
吸血鬼が出たという噂があってな。
派出所にも、そういう事を言ってくる人もいてな。
一応、調書は取ったらしい。
独自にこちらで調べてみたんだが」
「それで?」
「それが、まったくよくわからん。
別に首筋を咬まれた奴がいるわけでもない。
いかにも吸血鬼って感じの姿を見た者がいるわけでもない。
ただ、妙な貧血を起こした奴らがいてな。
そいつらがその、この前の山崎みたいな感じ、というかポーっとなっちまってな。
あちこちで起きたらしいんだが、そいつら全員が、こんな事を言っていたんだそうだ。
『ああ、バンパイア様』とね。
『御姉様』と言っている奴らもいたらしい。
それで被害者? が全員女子高生なんだそうだ。
だが特に深刻な被害があったわけではなくてな。
どう思うね。
山崎の件があったんで、ちょっと訊いてみたかったんだが」
そう言いつつも、首を捻り加減な宗像。
無理もない。
ここは、先日のような斬った張ったの荒事専門の闇斬り武門、いや部門なのだから。
「なんだ、それは? よくわからんな。
血を吸う吸血鬼っていうのは悪鬼の類のはずだが、元々は西洋系の奴らで土着の奴とかにはおらんはず。
鬼の眷属は吸血鬼の眷属に少し似ておるが、なんというか山崎みたいに一時的に惚れるというか尊敬するというか、そういう感じのもの。
あとは、わたしの眷属剣のような霊的な僕を作るとか。
貧血を起こすようなケースは、おそらくは吸血鬼が指先など精気を吸い出しておるのだろう。
我々鬼が好むのは酒と食い物だしな。
まあ悪鬼は人を食らうから血も啜るだろうが、それはちと違うだろうし」
何かこう、惚れ薬でも一服盛られたかのような症状だ。
確かに、山崎の症例とよく似ているといえば似ているのだ。
「だよなあ。
やっぱり、鬼系ではないか。
吸血鬼も鬼の仲間かなとも思ったのだが」
「まあ仲間と言えん事も無いが、生態があまりに異なり過ぎるので、まったくの別種と考えた方がよいぞ」
芳しくない答えに、いっそ誰か妖魔の分類図鑑を作ってくれとか思う宗像であった。
「いや、そんな事件が頻発しているそうなんで、こっちにも調べてくれとお達しがあってな」
「ダイエットとか言うて、朝飯を抜いた馬鹿共が幻覚でも見たとか?
まったく、近頃の娘っ子ときたら。
朝飯は大事なものだ。
昔はそれが食べられん奴がようけおってな。
ほれ、最近でも太平洋戦争の最中とか」
「あんたの最近は、俺の生まれる前の話が多いからな」
麗鹿と話をする時は気をつけないと、二百年くらい前の話でも平気で最近扱いするので要注意だ。
「ドラッグという事はないのかえ?」
「ああ、検査の結果は全員見事にシロだったよ」
「なんだかな。
鳴鈴、お前はどう思う?」
「さてな。
だが、そうそう邪気のある相手ではないようだ。
話を聞いた分では犯人は女のようだから、被害者の女の子たちに不埒をするわけでもないし」
宗像も、溜め息をつきつつ椅子から立ち上がる。
「じゃあ、悪いがお前達も何か情報を耳にしたら、また連絡をくれ」
麗鹿は、頷くと部屋を出ていった。




