飯塚渡・桜8
お母さん、やめなよ。
まただ。また若菜の声がした気がした。
これは幻聴と呼ばれるものなのだろうか?
そばには子猫がいた。
手に何か握っている。多分カミソリだ。
「あ……」
しまった。またやっちゃったのか。
私の部屋以外を汚したくなかったから電気をつけて確認する。
電器をつけるのは久しぶりの事だった。
腕は血で汚れてはいなかった。
良かった。渡を困らせることやってなくて。
子猫が足元についてきていて、頬をこすりつけてくる。
「…ありがとうね。若菜」
そんな声に反応するように私の方を見上げてくる子猫。
なーと声をあげた。
お母さんは思いつめすぎ、もうちょっと楽観的に行こうよ。
いい加減私の事なんか忘れてお父さんと仲良くしてよ。
そんな声が聞こえた気がした。
やっぱり若菜の声で。
気の性であってほしくない。
もし…本当にもしこの子猫が若菜の生まれ変わりだとしたら。
また巡り会えたのだとしたら。
どれだけ幸せなのだろう。
外に出よう。
若菜の声がする。
家にこもってるからどんどん追いつめていくんだよ。
今日は休日だから、お父さんもいるでしょ?
どっか連れて行ってもらおうよ。
「…嫌」
外は嫌だ。なんでかわからないけど、この部屋から出たくない。
もう、私だって外出たいんだよっ
庭でもいいから外に出させてよー
ドアをカリカリ爪でひっかく子猫。
それでもやっぱりそれなりの勇気がいる。
「あなただけ外に出ればいいじゃない」
ドアを開けてやる。
でもそこから出ようとはしなかった。
お母さんが一緒じゃないと嫌。
そんなこと言われたって嫌なものは嫌だ。
心の準備ができていない。
子猫とにらめっこをしているとたまたま通った渡が、うおっとびっくりしたような声を出した。
「びっくりしたーこれ何?」
一人と一匹を指さして言う。
「…若菜が外出たいんだって」
「なんだ、そんなことかーそれなら僕が連れてくよ」
お父さんもお母さん外に出すの手伝ってよー
子猫が渡の手から逃げて私のそばに来た。
「今の、聞こえた?」
渡が私に問いかける。
「うん、聞こえた」
何も隠すことなんてないので正直に答える。
すると渡はほっとしたような表情を浮かべた。
「良かったー僕だけじゃないんだ…」
「渡だけじゃないって?」
「いや、拾ってきた時にさ。若菜に呼ばれた気がしたんだ。たまに声が聞こえるんだよ」
「私も。たまに声が聞こえる」
これはいったいどういう事なんだろうね。
渡は不思議そうにしてた。
私にもわからない。
常識じゃ起こりえないことが、この家で起きている。
ねえねえ外行こうよー3人で!
若菜が死んでから、数年たった今。
私が若菜にしてあげられることなんてない。
「桜、若菜もこう言ってることだし、外、出てみない?」
駄目、かなあそう言ってさびしそうに笑う渡。
あの頃からだいぶ白髪が増えた。
そんなことに今更気づいて、申し訳なくなる。
たまには渡の願いをかなえてあげたい。
頑張れば、できるのだろうか。
分からない。一生外には出られないかもしれない。
でも…と迷ってると渡が私を引き寄せた。
え?
久しぶりに廊下に出た。
思ったより、あっけなく私は私だけの世界から出た。
子猫が嬉しそうに鳴いた。




