最終話(部長編)
扉のノックはしなかった。鍵がかかっていないことは分かっている。
部長は彼のいる部屋に入った。
窓際に行き、カーテンを開ける。
月に照らされて中庭の木々の姿が良く見えた。
「毎日ここに来てたときは、カーテンをとりあえず開けるのが俺の仕事だった」
話しかけても、頭に大きな傷のある彼が反応する様子はない。
「ごめん。あんな別れ方したのに、まだ死んでなくて」
部長は照れくさそうに頭を掻いた。
「なんか、俺、もうちょっと死なないみたいなんだよね」
部長は返事がないことを確認すると彼のベッドの足下に腰掛けた。
「山口さんがさ、もう少し“オマケの人生”を楽しみなさいって、解放してくれたんだ。気が利いてるだろ?」
彼のとは別の、窓側に置かれた空のベッドを見つめる。
「シズカはツヨシと一緒に山を下りたよ」
「あいつの兄貴はよく泣くな」
軽くため息をつく。
「でも、妹が死んだときくらい泣いて良いことにしような」
部長はしばらく目を閉じていた。
「おまえさ、“カッコウの巣の上で”っていう映画知ってるか?」
思い出したように部長が彼に問いかける。
「その映画の最後で、インディアンの患者が、床の噴水を投げて窓を叩き割るんだ」
ゆっくりと立ち上がり、彼女がいつも座っていた窓際のロッキングチェアに近づいた。
「こんなふうになっ!」
そういうと、ロッキングチェアを掴んで窓の方に放り投げた。
大きな音を立てて、ガラスが四散した。
警報装置のベルも鳴らないし、看護師も飛んで来ない。
夜の湿気を帯びた冷たい空気が入り込んできた。
昨日の大雨が嘘みたいに静かな夜だ。
虫の鳴く声だけが響いていた。
「それから、脱走する前に、手術で口も利けなくなった友達を哀れんで、枕で口を塞ぐんだ」
部長は彼の顔をじっとみつめた。
「おまえはどうしたい?」
彼女のベッドに置かれていた枕を手に取る。
彼から返答はない。
彼のすぐ脇に近づいた。
「俺はこうしたい!」
部長は枕を投げ捨て、彼を肩に担いだ。
「あのインディアンみたいに格好良くないけど、俺はおまえを見捨てない」
そう話しかけると部長は彼を肩に担いだまま、窓ガラスを抜け、中庭へゆっくり歩き出した。
風が吹き、中庭の木々が鳴った。
部長と肩に担がれた彼の姿が遠くなり、闇に紛れ見えなくなっていく。
ベッドの下から、一匹の犬が這いだしてその背中を追いかけて行った。
了




