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α空間の狂ってない彼女  作者: 6月32日
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最終話(部長編)


 扉のノックはしなかった。鍵がかかっていないことは分かっている。

 部長は彼のいる部屋に入った。

 窓際に行き、カーテンを開ける。

 月に照らされて中庭の木々の姿が良く見えた。


「毎日ここに来てたときは、カーテンをとりあえず開けるのが俺の仕事だった」

 話しかけても、頭に大きな傷のある彼が反応する様子はない。


「ごめん。あんな別れ方したのに、まだ死んでなくて」

 部長は照れくさそうに頭を掻いた。

「なんか、俺、もうちょっと死なないみたいなんだよね」


 部長は返事がないことを確認すると彼のベッドの足下に腰掛けた。

「山口さんがさ、もう少し“オマケの人生”を楽しみなさいって、解放してくれたんだ。気が利いてるだろ?」

 彼のとは別の、窓側に置かれた空のベッドを見つめる。

「シズカはツヨシと一緒に山を下りたよ」


「あいつの兄貴はよく泣くな」

 軽くため息をつく。

「でも、妹が死んだときくらい泣いて良いことにしような」

 

 部長はしばらく目を閉じていた。



「おまえさ、“カッコウの巣の上で”っていう映画知ってるか?」

 思い出したように部長が彼に問いかける。

「その映画の最後で、インディアンの患者が、床の噴水を投げて窓を叩き割るんだ」

 ゆっくりと立ち上がり、彼女がいつも座っていた窓際のロッキングチェアに近づいた。

「こんなふうになっ!」

 そういうと、ロッキングチェアを掴んで窓の方に放り投げた。

 大きな音を立てて、ガラスが四散した。

 警報装置のベルも鳴らないし、看護師も飛んで来ない。

 夜の湿気を帯びた冷たい空気が入り込んできた。

 

 昨日の大雨が嘘みたいに静かな夜だ。

 虫の鳴く声だけが響いていた。



「それから、脱走する前に、手術で口も利けなくなった友達を哀れんで、枕で口を塞ぐんだ」


 部長は彼の顔をじっとみつめた。


「おまえはどうしたい?」

 彼女のベッドに置かれていた枕を手に取る。

 彼から返答はない。


 彼のすぐ脇に近づいた。


「俺はこうしたい!」

 部長は枕を投げ捨て、彼を肩に担いだ。

 

「あのインディアンみたいに格好良くないけど、俺はおまえを見捨てない」

 そう話しかけると部長は彼を肩に担いだまま、窓ガラスを抜け、中庭へゆっくり歩き出した。

 

 風が吹き、中庭の木々が鳴った。

 部長と肩に担がれた彼の姿が遠くなり、闇に紛れ見えなくなっていく。


 ベッドの下から、一匹の犬が這いだしてその背中を追いかけて行った。 

了

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