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α空間の狂ってない彼女  作者: 6月32日
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クリムゾンでおはよう

 病棟の朝はキング・クリムゾンの“21世紀の精神異常者”で明ける。

 病室に放送を切るスイッチは存在しない。歌声は電子回路で歪められて叫びに近い。毎日、特に一日の始まる朝にこの声を聞きたいと思う人間を想像することができない。

 しかし、いるのだ、そんな人間が。


「おはようございまーす! 今日も、元気に薬をいっぱーい飲んで、がんばりましょう! 正しい治療は、正しい服薬習慣から始まります。さあーみなさん、看護師さんの言うことをよーく聞いて、開口確認、よろしくお願いしまーす!」

 曲が間奏に差し掛かりボリュームが下がったところで、嬉しげにアナウンスしたのは、理事長だった。普段とは別人格のような突き抜けた明るさ。朝からメーターが振り切れている。

 ……………

 あの日からボクは病棟での生活を続けている。

 部長はまだ戻って来ない。

 扉の向こうに消える直前、一瞬彼と目が合った。ボクは御輿になった彼から、目を背けた。


 病棟のどこにいても、職員たちの目がある。対応は表面上丁寧でも、“余計なことを考えず、大人しくしてろ”と言われている気がした。


 薬を飲まされているため、昼間から眠い。開口確認と言って、薬を飲んだ後、きちんと飲み込んだか口を開けて見せることになっている。うまく舌の下に入れて後で吐き出す強者つわものもいるようだが、ボクはそんな器用なこともできず、抵抗を感じながら毎食後の嚥下えんげを繰り返している。


「余計なこと」を考えないように、眠気にまかせて病室のベッドで寝ていると、職員から注意を受けた。昼に眠ってしまうと、夜に眠れなくなるので、患者対応の仕事が増えるらしい。思考を抑える薬を飲んで、それでも眠らないことはむずかしかった。

 眠らない。考えない。その境界の細い領域を進む必要があった。

 他の入院患者も思考を止めながら起きているように見える。皆一様に意志の欠けた目をしていた。


 環境が変化したのに、自分の気持ちは学校にいるときとほとんど変わらない。自分が思うほど他人はこっちを見ていないと言い聞かせる。どうやったら自然に見えるのか自問自答を繰り返す。すみっこを選んで座る。人目を避けている印象を与えないようにと願う。


 この病院の方が学校より楽だと感じるときがある。きっと患者たちの目に力がなく、視線の恐怖に怯えなくて済むせいだと思う。そんなこともあり、絶望しかなかった入院日から少しずつ心境は変化している。きっと、この諦めも含んだ“慣れ”が彼らの狙いなのだろう。絶望と薬を一緒に飲み込ませる。諦めが体の一部になったとき、やっとここの患者らしくなるのかもしれない。


「ね、あなた、どんな病気で来たの?」

 いきなり女性患者に話しかけられた。年齢は二十代に見えた。長い髪を後ろで束ね、病的な痩せのため、目の大きさが目立ち過ぎていた。

 モアイ像のように表情のないまま、多くの患者が大画面のテレビを眺めている中で、時々まだ薬の効いていない者がいる。彼女はそんな患者の一人で、みんなから“ユウさん”と呼ばれていた。


「ぼくは病気でここに来たわけじゃないので」

「みんな、最初はそう言うのよ」

 ユウさんはそういって小さく笑った。

「わたし、知ってるわよ。あなた、院長の娘とおんなじ学校から来たんでしょ? あの子、彼氏とか、いるの? いじめられてたってほんと?」

「院長?」

 聞くと、シズカちゃんの父親である本当の院長は今年の始めに夭逝ようせいし、現在は理事長の羅無蔵らむぞうが院長代理も務めているという。

 

 シズカちゃんがこの病棟にいるとは気づかなかった。

 彼女を患者たちの集まるデイ・ルームで見かけたことは一度もない。ユウさんによれば、部屋に閉じこもって出てこないらしい。それが偉そうで気に入らない、そういう口振りだった。

 

 “彼女に会いたい”

 もちろんその気持ちは彼女の元気な姿を一目見たいという純粋な部分が大きかったけれど

 “彼女から頼んでもらって理事長の気持ちを変えることはできないだろうか?”

 そんな考えが頭をよぎったのも事実だった。

 

 夕方、病室に帰ると服を脱いでベッドの上に横たわった。

 ノックの音がして、勢いよく病室の扉が開いた。

 男性の看護師が立っていて、「ほら、面会だぞ」と言う。

 よく見ると足下にアイツが立っていた。


「ドジョオオオオ!」


 ドジョウは嬉しそうに猛スピードででこちらに向かってくると、ボクの脇を通り抜け、ベッドの上の洗濯物に食らいついた。それから息を荒くして靴下の匂いを嗅ぎ続けていた。

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