独りの夜(1)
前日に発見したチャットルームを、その日も何度かサイトを開いては、鮎川は観ていた。
鮎川は、かなり、丹念に観ていたので、おおよその使い方が段々と理解できてきた。
赤裸々な会話もあるが、そうではなく純粋に会話を楽しんでいる人もかなり居るようでもあった。
鮎川も、もし、チャットするなら後者の会話を楽しむ目的だろうと思うのだが、まだ実際に自分で部屋を作ってチャットをするまでの勇気はなかった。
話してみたい気持ちが強くなってきた、鮎川ではあるのだが、どんなことを話す題材にしたら良いのか、そのテーマが今ひとつ、思い付かなかったのだ。
そんなことを考えていたら、鮎川のスマートフォンに、井上恭子から、一通のメールが届いた。
鮎川は、すっかり、恭子のことを忘れていた。
(うわっ、すっかり井上さんが来る事を、忘れていた!…今更掃除もないけど、ゴミくらいは整理しておかないと…)
[鮎川次長、こんばんは!…明日はお約束通りに朝から、お手伝いに伺います。9時過ぎにはお伺いしたいと思うのですが、如何でしょうか?]
(休日なのに、早すぎだろう!…もっとゆっくりでもよいのに…俺まで早く起きなければならないか!…と言うか、ここのところ、夜明けと供に起きているのも事実なのだか…)
そうなのであった…カーテンのない部屋で寝起きをしていた鮎川は、ここまで2週間、この部屋に引っ越してきて、陽の光で毎朝のように早くから目覚めていたのだ。
なんとも間抜けな話なのだが、目覚めはおろか、下手をすると室内の姿も丸見えで生活を余儀なくされていたのだ。
取り敢えず、鮎川は恭子へメールの返信を送ってみた。
[こんばんは、鮎川です…私の方は早めには起きていますから、何時でも構いませんよ。家を出るときにでも、何時くらいになるか連絡いただけてば構いませんので…明日は、宜しくお願いします。]
鮎川にしては、当たり障りのない返信を送ったつもりだった。
送って間もなくすぐに、恭子からの返信も送られたきた。
[じゃ、もっと早めに行きましょうか?(笑)…嘘です…先ほどのメールの通り9時頃を目安にお伺いしますね!…おやすみなさい…]
やれやれである…
そのメールを読んだ鮎川は、翌日の事も考えて、その日は早めに寝ることにした。
ノートPCをシャットダウンすると、寝るための支度をするのだった。
ベッドに横になると、愛犬のあずきの事が想い浮かんできた。
帰宅すると、いつも鮎川にまとわりついてくるあずきの姿を思い浮かべていたのだ。
そう考えていたら、あることに気がついた。
(もし、啓子に男ができていたとしたら、あずきまでその男にもっていかれるのか?)
そう考えたら、やり場のない怒りと悔しさが鮎川の心の中に湧き上がったきたのだ。
(やはり、佐野と栗橋と冗談めかして話したように、あずきの親権は、俺が取ろうか?…)
そんな事を、鮎川は真剣に考えてしまった。
連休明けには、弁護士と話して、詳細を詰めるつもりでもあった。
本来なら、一度はきちんと向き合って、啓子と話すべきなのだろうが、全て弁護士に任せて丸投げするつもりでもあった。
もう、今となっては、何を話したところで、元には戻れないし、啓子の話を聞いて、平静を保てる自信も、正直、鮎川には無いのも事実だった。
啓子からの、離別を告げる手紙を読むまでは、鮎川自身は一生を添い遂げるつもしでいたのだから…
鮎川自身、自分なりに妻を愛していたのは自覚していたのだ。
そのな事を考えたりしていたら、いつの間にか、鮎川は、寝息をたてて深い眠りについていた。