離別そして旅立ち
「今日が、この家とも最後か...」
新緑の若葉が青々とした爽やかな4月中旬の週末の朝、庭を眺め、ふと、荷造りの手を止めて鮎川祥吾は呟いた。
怪訝そうに男の周りをうろうろと、休日にはいつも甘えて傍らに寄り添うようにしていたトイプードルのあずきが荷造りの邪魔をして、遊んでほしいとまとわりついてくる。
「そうか、お前とも今日でお別れだな。あとで最後のお散歩に行こうな。」
「時々は、お前に会いに来るから、元気にしているんだぞ。」
祥吾にとって、今回の一連の出来事で唯一気掛かりな事は、長年にわたり愛情を注いできた、愛犬のあずきの事だったのかもしれない。
鮎川祥吾は、その年の秋には41歳になる。
12年に渡る結婚生活にピリオドを打とうとしているにもかかわらず、祥吾の荷物は驚くほどに少ない。
衣類はビジネス用のスーツが10数着ほどと段ボール箱に5箱程しかない。
ほとんどの家電製品と家具は転居先へは持ち出す事はせず、持ち出すものといえば、段ボール箱数個分の自分の買い揃えた書籍類と音楽CDと、その音響機材とノートPC 、そして、洋箪笥に寝具とベッドくらいなもでしかなかった。
情けないかもしれないが、男が家を後にして出て行く時なんてこんなものでしかないのだろう。
鮎川祥吾は、都内にある中国・東南アジアを中心にした輸入を手がける、老舗商社である南インドシナ商会に勤務し営業本部次長としての地位を得ていた。
温厚で人当たりもよく会社の規模からしても、順調に出世もして行ったと言って良いだろう。
会社の中でも、同僚・部下・上司共に信頼も厚く、取引先からも信頼され、仕事の上では順風そのものであった。
そんな鮎川にも、長年にわたる唯一の悩みがあった。
それは、12年にわたり連れ添ってきた妻の啓子との関係であった。
妻の啓子とは、友人を介して知り合い、お互いに一目惚れをして一年半交際をして結婚にいたったのだ。
妻と妻両親の希望もあり、都内近郊の西東京市の妻実家がすぐ近くに所有していた土地に家を建て、順調に結婚生活をスタートさせたのだった。
結婚数年間は、大恋愛だった事と、また、仕事も順調だった事もあり順風に何の悩みもない結婚生活にも思えたのであった。
しかし、そんな生活も数年の月日が経つと、状況は徐々に変化していったのだ。
妻の啓子は、異常なほどに鮎川に対して束縛をしなければ気がすまない性格だったのだ。
結婚当初は、鮎川自身もそうした妻の言動は、愛情の表れと感じていたので、気にもとめず、むしろ愛されている事に、喜びさえ感じてもしていた。
しかし、そんな感情はある時を境に、徐々に疑問へと変化し、自分の結婚生活が他にはないほどに窮屈なもの思えていくようになったのだ。
休日は、当然のように妻と過ごすことを妻の啓子は、鮎川に対して求めた。
鮎川自身も、何の疑問もなく妻の求めにも答え妻と過ごす時間を大事にしていった。
しかし、休日に接待・付き合いのゴルフに出掛ける予定ができると、決まって不機嫌になるり、次第にそれさえもやめるように、妻の啓子は鮎川に求めてきたのだ。
鮎川は、その都度、妻をなだめすかしたり、おちゃらけた言動で機嫌を取ったりして行ったが、次第にそれが無駄である事を悟り、そういった付き合いも極力避けるようになって行ったのだ。
酒宴の席も同様であった。
たとえ、同僚・部下との就業後の飲酒の席であっても、急な予定は許してもくれなかった。
前もって、予定を妻の啓子に報告して、誰が出席して、どのような飲酒の席が開かれるのかを説明しておかなければ、参加する事さえ許さない程であったのだ。
鮎川自身も、妻を愛していると自認していたため、少々窮屈にも感じていたが、そういった付き合いは極力避けようとして、妻の求めに応じて行ったのだ。
人当たりも良く面倒見が良い鮎川だったが、次第に業務外での付き合いには、誰からも誘われる事も無くなって行ってしまったのだ。
もともと、本人には全く自覚はないが、鮎川は女性にはとてももてたのだ。
彼は182cmの高身長でスラリとした、均整の取れて体格の持ち主であったのだ。
学生時代は、スポーツ万能で、独身の頃から結婚してからも休日にはランニングを続けていたせいもあって、40を過ぎた現在も、体型もそこそこ維持もしていた。
それにも増して、元来の彫りの深い日本人離れした顔立ちもあり、街を歩いていても女性が振り返って観とれてしまうくらいに、端正な容姿の持ち主でもあったのだ。
しかも、物腰は柔らかく、人当たりの良い性格でもあったので、もてない筈は無かったのだ。
だから、よけいに妻の嫉妬心を掻き立て、夫の鮎川を束縛しようとしたのかもしれないのだが...
だからといって、過度の妻の束縛には鮎川自身にも限度があったのだろう。
そんなある日に、鮎川の気持ちを徐々に変えてしまう、最初のある事件が起こったのだ。
年末に会社の忘年会が有る事を、鮎川はいつものように妻の許可を得るために、事細かく説明した上で参加したのだ。
久しぶりの楽しいお酒の席とあって、鮎川自身も楽しい時間を過ごす事ができたのだ。
当然のように、都度、妻の啓子へ電話を掛けて、状況を説明する事も忘れる事もなく、二次会への参加の許可も得て、まさに一年の疲れを癒す楽しい酒宴の席になるかに思えたのだ。
そんな楽しい時間を過ごした鮎川は、終電前の電車に無事に乗る事もできて、ほろ酔い気分の少し浮かれた気持ちで自宅へと歩を進めて行ったのだ。
『やっぱり、大勢の気心の知れた仲間と交わす酒は楽しいものだ。もっと、こういう席にはこれからも参加したいな...』
そんな事を考えながら、自宅の玄関を開けて入ってみると、一変して鮎川の酔いは一気に醒めてしまった。
そして、次第にその状況を把握するのに頭の中が混乱していったのだ。
玄関には自分の大き目の旅行カバンとスーツケースが無造作に置かれ、恐る恐る中を確認すると、自分の衣類が丸め込まれるようにぐしゃぐしゃに放り込まれていたのだ。
鮎川は、暫し困惑したが、妻の啓子がやった事であると理解したのだ。
もともと、妻の親が所有する土地に家を建てて住んでいたのだから、これは、妻が酒を呑んで帰宅が遅くなった自分に対しての怒りの抗議として、暗に、「この家は自分のものだから鮎川に出て行け」というメッセージだとすぐに理解できたのだ。
さすがの鮎川もこのような妻の行動には興醒めをすると供に、度を越していると感じざるを得なかったのだ。
鮎川は、酒の酔いが醒めた事もあるが、妻の啓子に対する愛情もこのとき初めて醒めて行ったのかもしれない。
鮎川は、このとき初めて自分自身の置かれている状況の異常さと虚しさを感じて、悲しい気持ちにさいなまれたのだ。
はたして、こんな事をされてまで、結婚生活を続けていく意味がどこにあるのだろうかと...
それ以来、鮎川の心は、次第に妻の啓子から離れていったのだろう。
本来、鮎川は他人との争い事などは、好まない性格の持ち主でもあった。
そんな鮎川は、妻に対しても争うことを嫌い、どんなにも理不尽に思える事でも極力妻の啓子の言うことを聞いて、口論にはならないようにも気使っていたのだ。
しかし、その一件があって以来、そういった妻の言動にもひとつひとつ疑問を感じ始め、愛情が薄れて行くのを次第に自分自身も感じていった。
束縛しようとする妻の言葉に対して、嫌悪感を抱くようになっていったのだ。
それ以来、妻の啓子の言動で、納得の出来ない事や不満に感じる事を口にするようになり、次第に口論にまで発展するように成っていたのだ。
だからと言って鮎川自身は、啓子と別れようなどとは、一度たりとも考えた事は無く、それまで通りに妻からの窮屈な激しい束縛の生活を続けても行ったのだ。
このまま、年月を重ねて行って、束縛と嫉妬の激しい啓子と人生を供に歩みつづけ、年老いて行くものなのだろうと...結婚・夫婦なんてそんなものだと思っていたのだ。
しかし、そんな想いとは裏腹に、すべてが一夜で崩れてしまうなんて、鮎川自身も考えてはいなかったのだろう。
鮎川は3月の年度末決算で中間管理職で連日の深夜までの激務が続いていったのだ。
部下たちも年度目標のクリアするために必死に取引先を飛び回り、一年で一番営業本部全体が忙しくなる日々なのだ。
そんな事は、毎年恒例のことであったので、皆、激務に耐え、なんとかこの3月決算を乗り切ろうとしていたのだ。
そんな疲労困ぱいで一週間を乗り切り、鮎川は週末の帰宅の家路へと歩を進めていた。
旧市街にある我が家は高台の中腹にあって、歩みを進め角を右に曲がってなだらかな坂を少し降って行くと、家影が見えてくる。
しかし、その日はどうも様子が違って見え、いくばくかの違和感を感じた。
それは何かと考えたのだが、防犯上の意味合いもあって夜は外灯を点けているので、歩いている途中でいつも見えていた我が家がこの日に限って良く確認できないのだ。
さらに歩を進め近づいて行くと、我が家は人の気配が感じられないように、家の明かりは見えず真っ暗なのだ。
我が家では、室内で犬を飼っていたためリビングには何かしら明かりは点いているのが当たり前なのだが、それすら、感じられない。
(啓子は何処かへ、出掛けているのか?...でも、愛犬のあずきまで居ないのか?)
鮎川は、そんな事を考えながら、家路に歩を進めた。
敷地に入ってもその違和感は変わらない。
人も愛犬の存在がどうにも感じられないのだ。
カバンから、鍵を取り出し玄関扉を開けると、室内には明かりは無くシンと静まり返っている。
帰宅を待ちわびて、いつも吠えるあずきの声さえも聞く事ができない。
(今日は、何かがおかしい...)
不安を感じながら、鮎川は、玄関脇の明かりのスイッチを点けて、リビングダイニングへと向かって行った。
リビングの入り口で明かりのスイッチを入れて中に入り、カバンをソファーに置いて、喉を潤そうとキッチンへ向かったのだが、いつも妻が用意してくれているはずの、自分の夕食さえもテーブルには何も無く、それよりも何よりも、リビングの小屋にいつも居るはずの愛犬のあずきの姿までもが無いのだ。
とりあえず、妻は自宅には居ないようなので、携帯電話に掛けてみたが、どうも電源が入っていないようでもあった。
おかしい事だらけに感じてもいたが、仕事でくたくただった事もあり、冷蔵庫にあるもので食事の準備をして、とりあえずは入浴する事にした。
(いったい啓子は何処へ行ったのだろう?...あずきまで連れて?)
湯船に浸かり考えはするものの、答えなど出るはずもない。
簡単なもので食事を取りながら缶ビール飲みつつ、妻の携帯へ電話してみるが相変わらず電源は切られたままのようだ。
自分の携帯電話を確認しても、啓子からの着信もメールも何も入ってはいない。
それでも、鮎川は、事故や急病などの心配はする事はなかった。
それは、愛犬のあずきが一緒に居るであろうことが予見できた事が大きかったのだろう。
(数百メートル先の実家にでも、何かの用事で出掛けているのかな?)
その程度にしか、考えなかったのかもしれない。
0時近くになり、仕事の疲れと夕食時に飲んだビールの酔いから、次第に眠気を感じてきた。鮎川は、とりあえず、食事の片付けを済ませ、夫婦の寝室へと向かい横になる事にしよう考えた。
寝室の明かりを点けてみると、自身のベッドの上には、あの忌まわしい記憶をよみがえらすように、鮎川の旅行カバンとスーツケースが置かれているではないか...
(どういう事だ!?いったいこれは何故?...)
唖然として困惑もしながらも、鮎川は、他人事のように冷静でもあった。
度重なる、妻、啓子のこのような行動には慣れても居たのかもしれない。
そう考えながら、自分のベッドに近づいてみると、枕元に封書を二つ見つける事ができた。
嫌な気もしたが、自分の名前が書かれている封書を開けてみると、妻からの非常に短い手紙が書かれていた。
鮎川は、不安もあったが手紙を開いて読んでみた。
(あなたとは、これ以上一緒に生活をしていくことはできません。離婚してください。この家は私の親から受け継いだ土地に建てたものですので、数週間以内に転居先を決めて出て行ってください。添えてある離婚届の記入もお願いします。)
鮎川は、動悸が高鳴り、一方的な手紙でこのようなものの言いように怒りさえも感じた。
(いったい、おれが何をしたと言うんだ!)
力が抜けるようにベッドに腰を下ろし、カバンとスーツケースをどけて倒れこむように横になり、12年間の結婚生活と自分の今置かれている状況に頭をめぐらしていったのだ。
鮎川は、独身時代も結婚してからのギャンブルと名の付くものは、一切無縁でもあった。
ゴルフでさえも、妻が嫌がる事もあって、ほぼする事もなくなっていた。
酒もたしなむ程度で、付き合いの酒の席でさえ、妻の許可を得ていく程度でしかなかったのだ。
女はどうだろう...当たり前だが、妻啓子の拘束が厳しく外に女を作る事さえ、不可能なのだ。もっともそんなことも考えた事も無いのだが...
他に何があるのだろう?
休日は常に家で妻のそばに居て、妻に尽くしていたつもりでもあった。
(そんな、おれがなぜ?...)
(今、決算で残業続きが気に入らないのだろうか?)
何をどう考えても、鮎川には納得できるものではなかった。
(ん?...もしかして、おれではなく啓子が浮気をしているのか?)
そう考えたりしてみたら、急速にどうでも良いように、鮎川自身思えてきた。
(ばかばかしい、そうだとしたら、おれは何のために12年間も我慢をして耐えてきたのだ!)
自分に否がないのならと考えて行くと、逆に心も晴れやかな気持ちにもなってきたのだ。
(そうだ!これは、この生活から抜け出すこれはチャンスかもしれない。)
そう考えていったら、うれしい気分にもなってしまっている自分が可笑しく思え、こんな状況にもかかわらず、薄っすらと笑みさえ浮かべてもしまったいた。
幸か不幸か、妻の体質に原因があって子宝には恵まれず、互いに納得した上で夫婦二人の生活を送っていたのだ。
鮎川は、考えていた以上に身軽でも有ったのだ。
(よし判った...妻の申し出通りに、離婚しよう!)
意外にも、すぐに結論は出た。
(妻の署名捺印済みの離婚届はここに有る事だし、妻の気が変わらないとも限らない。直ぐにでも出して、この家からも出て新しい生活の準備をして行こう!)
そう心に決めた鮎川の行動は、早かった。
翌日には、印鑑・資産関係の書類・預金通帳と当座の荷物をカバンとスーツケースに詰めて自宅を後にした。
家を出た鮎川は、会社に程近いビジネスホテルへと長期滞在して、都内で居住先を探し始めていった。
春先の転居シーズンで転居先を見つけることは困難かと思ったが、翌週には、会社から地下鉄で30分程で通えそうな本所の築は古いが1LDKの安めの物件を見つける事が出来て早速契約をしてしまった。
こうなると、もう、鮎川には前へと進むしかない。
離婚届も気心の知れた学生時代の友人に保証人欄を記入してもらい、その週で決算も終了する事から、翌週には有給休暇をもらって、離婚届の提出と転居の手続きを終えさせてしまった。
そして、次の週末には残りの自分の荷物を引き取りに行く事を、Eメールで、もうすでに元妻となってしまった啓子へと送ったのであった。
もっとも、返信はなかったのだが...
敢えて、離婚届を提出した事は、書く事もなく本当に用件を伝える短い文章で済ませた。
翌週の週末の金曜、仕事を終えた鮎川は、引越しの準備をするために12年間慣れ親しんだ元の我が家へと向かっていた。
Eメールで啓子には、最後の荷物搬出のために金曜の晩から作業をすると伝えてあった。
これに対しても、啓子からの反応は何もなかった。
いまさらだが、鮎川自身も啓子とは、顔を合わせて話したくもなかったので、あえて連絡をしたのだが、予想通り、啓子は自宅を開けていて、愛犬のあずきだけしか居なかった。
引越し会社からは、段ボール箱も届いており、それぞれのものに別けて梱包をしていった。
夜中の作業していると4時間くらいで一通りの荷作りは出来たのだが、かなり汗をかいたようなので、浴室でシャワーを浴びる事にした。
ついでにも思ったので、浴室の鮎川の使っている浴室道具もある程度まとめて、廃棄するものと持って行くもの別けたりもする事にした。
浴室と洗面所の棚などを整理していると、なぜか不可解に思えるものまで出てきたのだ。
明らかに、自分の使った事のないメンズ用シャンプー・洗顔フォーム・それに使った形跡のあるシェーバーが棚の奥のほうに隠すように有ったのだ。
(啓子のヤツ、もう、男をここに連れ込んでいるのか!...もしかしてだいぶ前からなのか?)
こうなると、浮気をしていたのは確かなのだろうと思えたのだ。
怒りもあるが、今となっては証拠を集めて叩き付けるだけの気力も、鮎川にはないのは事実でもあった。
なにより、もうこれ以上、元妻の啓子を関わりを持って不愉快な気分になるよりも、一刻も早く自分のこの家で過ごした結婚生活を忘れて、前に進んで行きたいとの考えのほうが、遥かに強かったのかもしれない。
翌日の荷物の搬出は午前中の早い時間に引越し業者を頼んであった事もあり、午前中には終わってしまい、荷物を引越し業者に預けて見届けると、最後の愛犬の散歩へと出掛けて行った。
愛犬のあずきは、何も知らないので無邪気に喜んでいたが、鮎川にとっては複雑な思いを感じる最後の散歩となっていた。
いつもよりも、長い時間、公園を歩かせ、元自宅に戻ると、両隣だけには転居の挨拶に行く事にした。
「こんにちは、鮎川です。」
「あら、こんにちは鮎川さん、どうされましたか?」
話したのは、奥さんのほうだった。
両方のお隣さんは、ともに六十過ぎのご夫婦で、そんなに多くは話した事は無いが、当たり障りの無いお付き合いをさせていただいていた。
こんな形で、家を去ることになってしまったので、正直なところ話したくも無かったのだが、けじめとして最後の挨拶だけはしておこうと思ったのだ。
「実は、今日で私だけ転居する事になりましたので、長年、お世話になりましたのでご挨拶に伺わせていただきました。」
「あら、単身赴任か何かで家を開けるのですか?」
「いえ、お恥ずかしながら、この都度、離婚する事になりましたので、私はもうこちらに戻る事はありません。」
「あら...そうだったのですか!なんと言ったら良いか判りませんが、残念な...」
「まあ、私にも至らないところがあったのでしょう。しかたがありません。」
「じゃ、旦那さんのご友人といわれる方が、最近時々、来ていたみたいですけど、それは...」
「私は、そういう状況ですし、それに友人など自宅にはもう何年も招いていませんよ。妻がそう言っていたのですか?」
「あっ、私の勘違いね...いえ、何でもありません。ごめんんさいね...」
(この奥さん、何か知っているな!まあ、聞いても答えないだろう。)
「まあ、そういうことですので、本当にお世話になりました。」
「残念ですし、寂しくなりますけど、どうぞ、お元気で...こちらこそ、お世話になりました。」
「はい、それでは、失礼させていただきます。本当にありがとうございました。」
同じように、もう一方のお隣さんとも無難に挨拶を済ますことが出来た。
(やれやれ、こんな話をするのは、もうたくさんだな!早くすべてを終わりにしてしまいたいものだ。)
そう思いながら、鮎川は自宅に戻り、元妻の啓子への手紙を書いて、啓子の両親へも最後の挨拶をして、この家とも別れることにした。
啓子の両親は、60代で供に健在だか、特に毒があるわけでもなく、鮎川自身とも良好な関係であったと思う。
ただ、啓子が鮎川との離婚の事をどう話しているかも判らないので、ある程度の警戒を持って話さなければならないのだろう。
手紙を書き終えると、鮎川は数百メートル離れた、啓子の実家へと向かって行った。
念のために、啓子が書き置いて行った鮎川宛の手紙も持っていく事にした。
今日が、最後であろうことは判るが、多少の緊張もしていた。
インターフォーンで呼び出してみると義母が対応してくれ、直ぐに居間へと通された。
義母は、離婚の話など知らないかのように明るく鮎川に話しながら、居間まで案内されると、義父一人がソファーに腰を下ろし、新聞を読んでいた。
「祥吾さん、今、お茶を入れますのでそこに座ってくださいね。」
そう言うと、義母はいそいそと台所のほうへと行き、残されたのは鮎川と義父のみが、静まり返った居間のソファーに残されてしまった。
なんとも気まずい空気の空間だ。
鮎川から先に話を切り出してみた。
「お義父さん、ご無沙汰しています。近くに住みながら、なかなか顔を出さずにいて、すみませんでした。」
「おう、祥吾さんも、仕事が忙しいのだろう!、そう気にしなくても、良いから楽にしなさい。ところで、今日は何か話でも有るのかい?」
(どういうことだ?啓子は自分の親にも何も話してはいないのか?)
「いえ、では、お義母さんもこちらにこられたら、一緒にお話しましょう。」
「そうか?、なんだか判らんが...お~い、母さん、祥吾さんが話があるみたいだから早くこっちへ来れんのか。」
「はい、ただいま行きます。」
どうやら、義両親には、啓子は何も話してはいないようだ。
これはこれで話をするのが難しいと、鮎川は思った。
しかし、離婚届も提出して、進みだしてしまったのだから、啓子から話していなくても、鮎川がここを去る以上は、今、話さないわけにも行かないのだ。
「すみませんね、祥吾さんが来るとわかっていたら、何かご用意していたのですけど、こんな物しかなくて...」
「良いですよ、お義母さん、お気遣いは無用にお願いします。直ぐに帰りますので...」
義母も義父の横に座って、義父のほうから問いかけてきた。
「それで、祥吾さん、何の話なんだね?」
突然訪問してくるような鮎川でもないので、何か特別な話があるのだろうと、感じたのかもしれない。
「お義父さんも、お義母さんも、啓子から何か話しは聞いていませんか?」
まず、その事を聞いた上で、鮎川は話をまとめてから話そうと考えたのだ。
「いえ、私たちは特には何も聞いてはいませんよ!たまに来る事はあっても、特に変わった話は何もないわよね...お父さん?」
「そうだな、おれも特には聞いていないぞ。何かあったのかね、祥吾さん」
やはり、啓子はこの両親にも何も話してはいないのだ。
鮎川は意を決してこれまでの経緯を丁寧に話していった。
仕事から帰宅したら妻が留守で寝室に行ったら手紙と記入済みの離婚届があった事。
手紙には、家から数週間以内に出て行くように求めてきた事。
それ以来、鮎川からの電話にも出ず、話すことを拒否されている事。
その日の翌日から、鮎川自身は家を出てホテルに滞在して転居先を見つけ、今日は引越しのために、一時的に2週間ぶりに帰宅した事。
妻は、鮎川が家を出た後のその間、自宅には戻って生活しているような様子である事。
離婚届は、妻の希望通り、先週末に提出した事。
そして、現在、自分の居なくなった自宅には男を連れ込んでいる形跡がある事。
鮎川からの一通りの話を終えると、義両親二人揃って表情が強張り、絶句して何もいえない状態でしばらく時が流れていった。
「そんな話は聞いておらんよ...何かの間違いではないのかね、祥吾さん」
そう呟くような力ない言葉で、義父が答えるのがやっとのようだった。
気持ちを落ち付かせるように、義父が湯飲みに口をつけると、鮎川は更に話を続けた。
妻の啓子が、置いていった手紙を見せて、今日、鮎川が来たことは、妻の啓子の近況の報告ではなく、お世話になった義両親への最後の挨拶である事。
啓子と現状では、直接話をすることを拒まれた状態なので、持参してきた手紙を啓子に義両親を介して、渡してほしい事。
財産分与などの話し合いがあるため、後日、弁護士を介して話し合いの場を持ちたい事。
「ちょっと、待ってくれ、祥吾さん...おい母さん、啓子に電話をして、直ぐにここへ呼べ!」
それを聞くと、義母は慌てるように、受話器を取り啓子へと電話しているようだった。
『もしもし、啓子?...直ぐにこっちへ来なさい!...そう、直ぐに!...今、祥吾さんが来ているから...もしもし?...もしもし?...』
「お父さん、電話、切られちゃったわ...」
「なんてヤツだ、あいつは...祥吾さん、本当に申し訳ない。この話は私ら夫婦に預けてはもらえんかね...」
義父も義母も、鮎川が訪問したときとは打って変わって、悲壮感に満ちた顔で鮎川へ、すがるように訴えかけてきた。
それは当然の事だろう。
これまで、何の問題も無く義両親も近くで入り婿のように12年間生活してきて、今日、このような形で離婚の話をされたのでは、納得できないのは当然である。
しかし、鮎川にとっては、すでに動き出してしまった事なので、止める事もできないのが、事実でもあるのだ。
鮎川は、更に話を続けた。
「私自身も、その手紙を読んで動揺もしましたが、啓子といくら連絡を取ろうとしても、話すことが出来ません。それで自分なりに考えた結果、離婚届は提出はさせてもらいました。しかも、ご近所が気付くくらいに、既に自宅へ男を連れ込んでいるようでも有りますし、もう、私自身はあの家で、やり直す事は不可能だと考えてもいます。」
義両親は、黙って鮎川の話を聞いていた。
「お義父さんとお義母さんには、本当にお世話になりました。ありがとうございます。私が至らなくてこのような結果を招いてしまい申し訳ありません。」
しばらくの沈黙の後で、義父はやっとの思いで重い口を開き、ため息のようなやるせない言葉で呟くように、話しはじめた。
「もう、どうにも成らんという事には、正直、納得できないが、あの馬鹿娘の啓子が、居ないのでは話にもならん。私たちもなんとか捕まえて、よく話を聞きだすから、改めて話し合いの場を設けてくれんかね。祥吾さんには本当に申し訳ないと思っている。すまん...」
鮎川にとっては、結果が出てしまった事なので、理由が何であれ、そんな事はこれから先の人生にはどうでも良いとさえ思えていた。
しかし、現実問題として、資産等の分与の話し合いをせねばならないのも事実であるので、このまま全く、啓子に会う事もせずに、結婚生活に幕を下ろすこともできないことは充分に理解もしていた。
「大丈夫ですよ。お義父さん、法的な話し合いの場も有りますので、全くこれで啓子に会わずに終えるとは私自身も思ってはいません。少し冷静になるのを待って、その時は、お義父さんたちを交えて改めて話し合わせて頂きますので、その時はよろしくお願いします。」
「祥吾さんが、そう言ってくれると私たち夫婦としても救われる思いだ。娘を話し合いの場に連れ出すから待っていてほしい...すまんが、そういう事でよろしくたのむ。」
とりあえずの義両親への離婚報告は、終えることができた。
義両親への報告でひとつの山を越えたと感じた鮎川は、義両親宅を後にすると今までよりも増して晴れやかの気持ちになっていった。
(もう、本当に前へと進まなければならない...)
自宅に戻り、しばらく愛犬のあずきをかまい、あずきにも別れを告げると、本当に新しい旅立ちをするかのごとく、良くも悪くも思い出の詰まった我が家を後にして、転居先へと向かっていったのであった。
鮎川からの啓子への手紙はこんな内容だった。
(顔を合わせて話し合うことも無く、このような決別に成ってしまった事は私としては非常に残念です。
しかながら、12年間良くも悪くもいろいろな事がありましたが、本当にありがとうございました。
落ち着いて話ができるようになったら、会って法的な整理の話し合いはせねばなりません。
啓子が話し合いに応じられるくらいに落ち着いたら連絡してください。
最後に、啓子が、もう、他に男を作るのは自由ですが、まだ、名義が私である内はあの家は私の家でもあります。その事だけは、忘れないでください。)