困惑の三社祭(1)
この日の鮎川祥吾の起床も、休日とはいえ早いものだった。
来たるべく女性たちの来訪に備え、不器用ながらにも部屋中の掃除と整理をしていたのだ。
一通りの部屋の片付けを終えると、近所のスーパーマーケットへと飲み物などを買い求めにいそいそと出かけて行った。
鮎川の住む本所の辺りは、普段は比較的に静かな場所だった。
隅田川沿いに首都高速の高架が在るものの、大通りを一本入ってしまえば、下町の町並みがまだ色濃く残る地域でも有ったのだ。
この日はそんな静かな町にも、遠くには太鼓と笛に音が聞こえてくる。お囃子の音であろうか?
生粋の下町の江戸っ子達を熱くさせる祭りが、この三社祭だ。
「粋といなせと侠...義理と人情とやせ我慢」の下町の江戸っ子の気質をまだ色濃く残す町、浅草で、初夏を色どる5月の半ばの週末金土日の3日間に行われる祭り、それが、浅草三社祭なのだ。
江戸っ子達は、三社祭りが「浴衣の解禁日」というくらいで、この祭りを境にして、これから季節は夏の到来を意味するものでも在るらしいのだ。
鮎川自身は、東京近郊の出身なので、そんな下町の江戸っ子気質とは全く無縁である。
鮎川は、そんなことも知らないので、初夏とはいえ5月のこの時期の浴衣は、季節的には少々早いのではないかと考えてもいたのだ。
しかし、そんなことは杞憂に過ぎなかった。
その日は、天が祭りを祝ったのであろうか、朝から晴天に恵まれ、気温もかなり高くまで上昇すとの予報が既に出てもいたのだ。
(今日の天気であれば、浴衣でも寒くはなさそうなのは良いが、いい歳して祭りで浮かれているみたいで気恥ずかしくもあるのだよな...)
そんな事を考えながら、飲み物などの重たい荷物を両手に抱え、自宅マンションへと歩を進めていった。
自宅に戻ると、11時をもう既にまわっていた。
しばらくすると、恭子からのメールで、既に恭子と田中美雪、そして斉藤秀美は銀座線の蔵前まで着いているとのことだった。
山崎弥生と高橋恵里子が到着し次第に5人で鮎川の部屋へ向かうとの連絡であった。
(今日は、井上さんは車で来たのではないのか...まあ、車だとお酒も飲めないから、当然か...でも、思っていたよりも、早めに着そうだな?...)
鮎川は、そんな事を考えながら、買ってきた飲み物を、冷蔵庫に入れていった。
しばらくすると、恭子から再びメールが入ってきた。
5人全員揃ったので、これから向かうとの事だった。もう、10分もしないで着てしまうようだ。
最後に、もう一度、鮎川は、自宅内を点検するように見て回った。
5人も女性が居たら、何を観てどういわれるかも解ったものではないのだから、鮎川なりにもう一度確認するつもりだったのだ。
(特に、斉藤秀美は、要注意だからな...あいつは、何を言い出すかもわからないし...)
そんな事を考えながら、自宅内を何度もうろうろとまるで落ち着きのない子供のように歩き廻っていると、自宅のインターフォーンが鳴り、女性たち5人が到着したようであった。
『鮎川本部長、井上です。到着しました。』
『おう、今、ロックを解除するから上がって来て...』
鮎川は、恭子にそう話すと、マンションエントランスのセキュリティーロックを解除して、恭子達が入れるようにしてやった。
鮎川自身も、玄関を出て、エレベーター前まで迎えに行く事にした。
エレベータで上がってきた女性たちを見てみると、女性たちは皆、私服で浴衣を着ている者は一人もいなかった。
(なんだよ、あれだけ、飲み会の時は騒いでいたのに、誰も浴衣を着ては居ないじゃないか!...)
そう思った鮎川は、挨拶もそこそこに、恭子へそのことを聞いてみた。
「みんな、いらっしゃい...ところで、あれだけ言っていたのに、皆、浴衣ではないのだね?...」
「おじゃまします、本部長...いえ、皆、ちゃんと浴衣は持ってきていますよ。」
恭子がそう言うと、他の女性たちと一緒に、鮎川の顔を見てにっこりと微笑んできた。
鮎川は、一瞬、どういうことなのかを理解できないでいたのだ。
「...?」
「本部長のお部屋をお借りして、弥生ちゃんにきちんと着付けてもらって、着替えるんですよ!...ねえ、弥生ちゃん!」
「えっ?、おれの部屋で着替えるの?」
鮎川が、そう言って驚きながら、女性たちを見てみると、確かに、大きな荷物を皆が持っていることに気が付いたのだ。
動揺しながらも、鮎川は、女性たちを自分の自宅へと招き入れて行った。
鮎川の自宅は、玄関を入ると、右側に収納スペースの納戸が有り、その反対側の左側に洗面所・浴室・トイレがそれぞれある。
廊下を進んで行くと14畳ほどのリビングダイニングが有ってその左側に8畳の寝室が在るという、そんな1LDKの構造になっていた。
女性たちは、荷物をリビングの部屋の隅に置くと、それぞれ別々に分かれて、家中を観て廻っていた。
前にも、恭子と田中美雪が来た際に、同じように家中を見られてはいたのだが、鮎川には何とも心地よいものではなかった。
(女の人って、他人の家に初めて来ると、皆、こうやってチェックして行くものなのか?...)
そんな事を考えながら、女性たちの事を待っていると、一通り観て満足したのか、皆、リビングへと戻ってきた。ソファーとダイニングの椅子にそれぞれ腰を下ろし、やっと落着いたようである。
「このお部屋なら、女性とすぐにでも一緒に住めますね...」
笑いながらそう言ってきたのは。山崎弥生だった。
鮎川が返答しないで少し困っていると、斉藤秀美が、また、悪だくみをするかのように笑いながら話してきた。
「本部長は、最初から女性と住むことも考えて、このお部屋を選んでいたりして...」
鮎川は、返答に苦慮しつつも何とか答えた。
「まあ、急な転居だったし、会社に近くて比較的に家賃が安かったからね...それに、この辺りの下町も気に入っているしね...他には大意はないよ!...まあ、そんな感じだよ。」
何とか弥生と斉藤秀美の話を切り返すように、鮎川が話すと、今度は、井上恭子が女性たちに指示を出していた。
「それじゃ、とりあえず、持ち寄ってきたお料理はキッチンのほうに置いておきましょうか?...そのまま出しておいても平気なものと冷蔵庫で冷やすものとを分けて入れておきましょう。」
恭子がそう言うと、皆で、キッチンとダイニングテーブルの上に持ってきた料理を出してあれやこれやと、何やら楽しそうにはしゃいでいた。
鮎川は、とりあえず、買ってきてしまっておいた卓袱台と座布団をリビングへと運んで来て部屋の隅に置いて、女性たちの様子を伺ったいた。
「それじゃ、早速、浴衣に着替えましょうか?」
恭子がそう言うと、更に続けた。
「本部長、じゃ、寝室のお部屋のほうをお借りできますか?」
(やはり、そうきたか...仕方がない、使わせるしかあるまい...)
「うん、構わないよ...別に何もないけど、自由に使ってくれて良いから...」
「じゃ、そうさせていただきますね...美雪と秀美ちゃんが最初に弥生さんと行って、着替えてきなさいよ!...私と恵里子さんはその後で、弥生さんと一緒に着替えるから。」
恭子がそう言うと、弥生がそれに続くように話した。
「そうですね、じゃ、美雪ちゃんと秀美ちゃん、荷物を持って一緒に寝室のほうに行きましょう。」
田中美雪と斉藤秀美はうなずくと、弥生と供に鮎川の寝室へと行った。
残された鮎川と井上恭子とそして高橋恵里子は、しばし3人だけの談笑をして行った。
時間にして30分ほど経っただろうか。田中美雪と斉藤和美は浴衣に着替えて、リビングへとやってきた。
田中美雪の浴衣は薄い水色を基調とて蝶をあしらった物だった。
一方の斉藤秀美のほうは、ピンク色を基調にゆりの花をあしらった物だろうか。
いずれもモダンな柄で、鮎川から観てもこの二人のには合っていると、そう思える浴衣姿であった。
鮎川も、馬子にも衣装ではないが、二人に少し観とれていると、田中美雪がはにかむような笑顔で、鮎川に話しかけてきた。
「どうですか、本部長...似合いますか?...」
「うん、そうだね...二人ともとても似合っているよ。和装すると、感じも変わってくるんだね。」
「私なんかでも、惚れちゃいそうですか?...本部長?」
「...」
鮎川は、返答に困ったが笑顔でただうなずいてみせた。
「じゃ、今度は、私と恵理子さんの番ですね...恵里子さん行きましょう!」
「そうしましょう...恭子さん」
恭子と恵里子は話すと持ってきた荷物を抱えて寝室へと向かって行った。
鮎川は、田中美雪と斉藤秀美をソファーに座らせると、キッチンからグラスと冷たいお茶を出してやった。
鮎川が、お茶を入れてやると、また、悪そうな顔で笑う斉藤秀美が鮎川へと話してきた。
「本部長?、後で3人が出てきますけど、誰が一番綺麗だと思いますかね?」
(また、お前は、答えづらい事を聞いてくるな...斉藤秀美!)
「そうだなぁ、3人とも浴衣でなくとも綺麗だし、2人と同じくらい似合ってるんじゃないかな?...」
(我ながら、上手く切り返したろ?...どうだ、斉藤秀美!)
そう言うと、更に斉藤秀美は話してきた。
「本部長?、私達2人もですけど、肌着は和装用に着てますけど、ブラは今着けていないのですよ!...」
(お前、そんなこと言われても、おれが答えられる訳ないだろう!...)
「...」
鮎川は、困って何も答えられないで居ると、更に、悪そうな顔をして笑う斉藤秀美は、続けて話した。
「今頃、三人とも、本部長の寝室でブラを外して裸になっていますよ...誰が一番胸が大きいと思います?...私は、3人とも見たこと有りますから知っていますけど、本部長にも教えてあげましょうか?...」
鮎川は、斉藤秀美の言葉で、お茶を噴出しそうになり、中年男ながらにも赤面してしまいそうになった。
(斉藤秀美...お前は、おれをからかって楽しんでいるだろう?...こいつの挑発なんぞに乗ってたまるか!...)
一方の寝室の三人はというと、斉藤秀美の言う通りブラを外して、裸になっていた。
3人ともブラを外して肌着の肌襦袢を羽織ろうしていたのだ。
「恵里子さんと恭子さんは胸も大きいし形も良くてうらやましいわ...」
弥生が、恵里子と恭子を見詰めてポツリとつぶやいた。
弥生の言うように、恵里子と恭子は、胸の形もよくEカップほど有ったが、弥生はCカップと二人からするとやや小ぶりであったのだ。
弥生はそう話すと、今度は何を思いついたのか、笑いながら、恵里子と恭子の二人に続けて話してきた。
「ねえ?、この後、本部長の浴衣の着付けをここでやるでしょう?...さりげなく、私たち三人のブラをベッドの上に置いておくなんてどうかしら?...」
そう弥生が話すと、恭子は笑いながらうなずいていた。
「ちょっと、からかいましょうか?...本部長が、どんな顔をするのか、面白いかもしれないわね...」
「私は、ちょっと、恥ずかしいわ...本部長に下着を見られるなんて...」
恵里子だけは、少しの乗り気ではない様子だったが、弥生と恭子に押し切られて、三人のブラを並べてベッドの上に置いておく事にした。
そんな話を三人はしながら、弥生の手際の良い着付けで、三人とも浴衣姿へと着替えていったのだった。
リビングに居た三人は、相変わらずの斉藤秀美のとんでもない話で鮎川はたじたじに困り果てていた。
(もう、はやく井上さん達来てくれないかな...斉藤秀美の話には、手を焼くよ...)
そうこうしているうちに、やっと寝室の扉が開いて、恭子たち三人は浴衣姿でリビングへと出てきた。
「お待たせしました...本部長どうですか?...似合ってますか?」
恭子がそう言うと、三人とも笑みを浮かべて、くるりと回り浴衣姿を鮎川へと披露したのだ。
恭子の浴衣は濃い藍色の落着いた色合いの扇を文様をあしらった物だった。
弥生は濃い目の紺色で、恵里子は濃い朱色で色違いでは在るが同じような花柄をあしらった物であった。
三人が三人ともそれぞれ、浴衣も女性3人も美しく、鮎川はただ見とれてしまい、言葉を発する事さえも、忘れてしまうほどであった。
そこに、また斉藤秀美が、鮎川に言ってきたのだ。
「本部長、黙って見とれてないで、何か言ってくださいよ!...3人の中でだれが一番綺麗ですか?...」
(あほか!、3人とも綺麗だろうが!...順番なんてつけられるか...)
「三人とも、凄く似合っているし、凄く綺麗だよ!...5人とも凄く綺麗なんで驚いたよ。」
そう言うと、恭子がにっこりと笑い鮎川に言ってきた。
「そうでしょう!...今日一日、私達5人に本部長は囲まれて過ごすんですからね...」
「そうだね、何とも形容しがたいけど...」
鮎川が、そう言うと今度は山崎弥生が鮎川へと何やら含むような笑いを見せて話しかけてきた。
「本部長、それじゃ、本部長の着付けのお手伝いをしますので、浴衣と一緒に肌着は買われてきていますよね?」
「そうだね、店員に言われるままに買ってはきているけど、肌着もあったと思うよ。」
「それじゃ、肌着に着替えたら、呼んでください。着付けのお手伝いをしますので...」
山崎弥生にそう言われると、鮎川は、寝室へと向かって行った。
しかし、鮎川は、弥生と恭子に恵里子がそれぞれ薄っすらと笑っている事が、どうも気になってしかたがなかった。
鮎川が、寝室へと向かうと、恭子と弥生は、リビングに居た斉藤秀美と田中美雪に耳打ちをするように不敵な笑みを見せて話していた。
「二人とも、あとで本部長が出てきたとき、よく顔を見ておくのよ!」
恭子がそう言うと、田中美雪が何の事かと問いかけてきた。
「えっ?、何かしたんですか?...寝室に何をしてきたんですか?...」
続けて、弥生がそのことについて話してきた。
「実はね、寝室のベッドの上に3人でちょっと悪戯をしてきたのよ!...」
「何をしてきたんですか?...教えてくださいよ...」
こういう話が大好きな斉藤秀美は目を丸くして、弥生へとせがんできた。
「あまり、大きい声で笑うんじゃないわよ...実は、私たち三人のブラをベッドの上に並べて置いてきたのよ...」
斉藤秀美は、声を上げて笑いそうに成ったので、恭子がその口を押さえるようにすると、田中美雪と斉藤秀美は、声を押し殺して笑った。
そんなことをしている4人を観て、恵理子もこの楽しい空間に一緒に居る事が嬉しくて、そのことに対して笑みを浮かべていたのだった。
鮎川は、寝室に入りクローゼットから先日に買って来た浴衣一式を出そうとしたのだが、入ってすぐに、ベッドの上にとんでもないものが3つ置かれている事にすぐに気が付いた。
ベッドの上には、普段では、とても鮎川の寝室にはにつかわしくない女性のブラジャーが3つきれいに並べられて、置かれていたのだ。
(これって、しまい忘れたんではないよね?...きれいに並べられているし...)
鮎川は、動揺しながらもクローゼットから買って来た浴衣と肌着などを出し、着替えながら、この状況を頭の中で整理していった。
(これは、あの3人の悪戯だよね?...おれはどう反応する?...下手に触るのもおかしいだろう?...3人に言うのか?...いや、何を言ってよいかわからんだろう?...どうする、おれ?...)
鮎川は、動揺して殆んどパニックだったかもしれない。
結局、答えの出ないまま、何も言わずに平静を装おうと考え、ステテコと肌着に着替えると、寝室の扉から顔を出し、山崎弥生を呼ぶ事にした。
「山崎さん、用意ができましたので、お願いします。」
「はい、今行きますね...」
鮎川は、女性たちを観ていくと一様に、クスクスと笑っているように感じ、特に斉藤秀美が悪い顔で笑っているのが気になったのだ。
(やっぱり、3人の悪戯だよね...斉藤秀美の他人を食うような笑いを見れば解るわ...)
山崎弥生は、笑みを浮かべながら寝室へと入ってきた。
(山崎さんにも、聞けないようなぁ...黙っているしかないか...)
「じゃ、着付けのお手伝いしていきますね、本部長。」
弥生は、後ろから鮎川に浴衣を羽織らせると、手際よく着付けをして行った。
鮎川は、そんな弥生の手際のよさに感心しながら観ていたのだが、今日のこれからの時間の事を考えると、楽しさよりも少し気が重いようにも感じられたのだった。
それぞれ、個性の違う美しい女性たちではあるが、鮎川ひとりの手には余る、美女達でもあったのだ。
鮎川は、何事もなく、ただ時間が過ぎて行くことを願うのであった。