弥生と恵理子
その日、山崎弥生は、自宅を出ると電車を乗り継いで新宿へと向かっていた。
大学時代の一つ上の先輩で、同じ会社に勤務している高橋恵理子と待ち合わせをしているためだ。
弥生も恵理子も世間で言うところのお嬢様育ちで、都内の名門女子大から現在勤務している老舗商社の南インドシナ商会へと入社していた。
二人の父親ともにそれぞれ大手企業の役員をしていた為、現在の会社に入社したのもその縁故によるところが大きいともいえよう。
しかし、そうではあっても、弥生も恵理子も驕るようなことも無く、育ちからなのか謙虚で物静かな女性でもあって、頭脳明晰な才女でもあったのだ。
弥生が入社すると、恵理子と同じ秘書課に配属された為に、学生時代よりお互いに面識もあったこともあり、更に親密に交友して行く関係にもなったのだった。
そんな二人が、休日の土曜のこの日、新宿で待ち合わせをしていたのだ。
それは、昨夜の女子会で次の週末に女性たちが揃って、三社祭に浴衣を着て行くと決めていたために、二人で新しい浴衣と小物などを見に行こうと約束していたのだ。
弥生は、学生時代から母親の勧めで和服の着付けも、習い事として何年も続けてきたのだ。
恵理子はそんな弥生と一緒に買い物して見立てて貰おうと、昨夜、話して約束をしていたのだ。
最初に待ちあわせの場所に着いたのは、弥生のほうだった。10分ほど遅れて、恵理子も現れて、二人揃ってまずはランチを取る為にカフェレストランへと歩いて移動する事にした。
この二人が揃って歩いて行くと、すれ違う男達は皆振り返って観てしまう。
恵理子は、古風な感じかもしれないが黒髪セミロングの正統派の日本美人で、それとは対照的に、弥生のほうは、西洋的な小顔で目鼻立ちがはっきりとした顔立ちで167cmある身長から足もすっと長く、八頭身の現代的な美人であった。
そんな美しい女性二人が、歩くのだから男の目に留まらない訳が無いのである。
正午前の少し早めではあるが、カフェレストランに着くと、ランチセットを注文すると、2人は談笑をはじめた。
「恵理子さん、私、東京にずっと住んではいるのだけど、浅草からは少し離れているから、一度も、三社祭には行ったことっが無いのですよ...」
「弥生ちゃん、私も初めてよ...」
「そうですよね...恵理子さんのご実家も、杉並のほうでしたものね...」
「私も、何か凄く楽しみよ。結婚してから、みんなとこうやってワイワイとお祭りに行くなんて考えてもいなかったし、それに、旦那が許さないと思うしね...」
「恵理子さんの旦那さんは、相変わらずなんですか?」
「うん、相変わらずね。最近は、私も窮屈には感じているけど...でも、今回は弥生ちゃんたちと一緒だから、何も言えないと思うから大丈夫よ!」
「そうですか...大変なんですね、結婚すると...」
「...でも、平気、こうして弥生ちゃんたちとなら、出歩く事もできるし...だから、来週末は、凄く楽しみなのよ。」
「そうですね、私も、最近、彼氏がそんな感じで煩わしく感じることもあるし、もう、別かれちゃおうかなんて考えたりもしますよ...(笑)」
そんな話をして、弥生も恵理子も笑い合っていると、注文していたメニューが届いた。
食事を取りながら二人の談笑は、更に続けられた。
「ところで、弥生ちゃん、浴衣はどんなものを選べばよいかしら?...」
「そうですね...まだ、真夏とは違って、5月の初夏ですから、色合いなんかも色の濃いものが良いと思いますよ。合わせなんかも考えて選んで行きましょうね!...」
「お願いね、弥生ちゃん...それに、他の女の子とも被らないようにしないとね!...」
「そうですね、私と恵理子さんは比較的に落ち着いた柄の物を選びましょう。そうすれば、少なくとも、秀美ちゃんと美雪ちゃんとは被る事は無いと思いますからね...」
そう、弥生が言うと、恵理子と顔を見合わせて、何かを思い浮かべて想像するように二人同時に噴出して笑っていた。
斉藤秀美も田中美雪もどちらかと云うと、大人の女性というよりは、この二人から見ても女性というよりは娘という感じにしか思えないのかもしれない。
そんな斉藤秀美と田中美雪なのだから、大人の女性が着るような落着いた柄の物を好んで選ぶとは想像もできなくて笑ったのだ。
「でも、鮎川次長の件は驚きましたね...」
「え?、弥生ちゃん、どっちのことかしら?...」
「両方ですね。まさか、鮎川次長が離婚するなんて考えもしなかったですけど、それに、いきなりあの歳で役員に就任ですからね...」
「そうね、私は、素敵な方だとは思っていたけど、昨夜の女子会までは、殆んど話したことはなかったから...」
「私も、内田専務の秘書をしているから、仕事上でしか話したことはないですけど、以前から素敵な方だと思っていたんですよね...こんな男性と結婚できたら幸せだろうなと想って...」
「そうかもしれないわね...私も、結婚していなければ、弥生ちゃんと同じように考えたかもしれないわね...」
「そうなんですよね...鮎川次長も離婚した訳ですし、私も彼氏と別れて、この機会に次長にアタックしてみようかしら...」
弥生は、そう言うと意味あり気な笑いを見せていた。
「そうね、でも鮎川次長も離婚したばかりだし、まだ、女性の事など考えていないのではないかしら?...それに、今回の昇進の事もある訳だしね...」
「でも、あの鮎川次長の離婚を知った他の女子社員がほっておかないと思いますよ。しかも、あのお歳で役員にまで昇進した、言ってみれば超優良物件な訳ですから...」
弥生は、またそう言うと笑みを浮かべていた。
「そうね?、でもなぜ、そんな次長と奥さんは離婚されたのかしらね?」
「そこが謎ですよね...あれだけ社内でも有名なくらい次長の事を愛されていたみたいなのに、次長が浮気などするようには、思えませんしね?」
そう言うと、弥生は真剣に考え込むような難しい顔をしてみせた。
「夫婦というのは、一言では言い表わすことのできない、いろいろなことが在るのよ!...私には、次長の気持ちが少しわかるような気もするわ...」
恵理子は、そう、弥生に話すと、アイスコーヒーのストローで氷をかき混ぜながらグラスを見つめるように、ため息を吐いた。
「あっ、さすが、既婚者ですね...恵理子さんの話を聞いても思いますけど、相手選びって大事ですし、凄く難しいですよね...そう思うから、今の彼氏との関係も考えてしまうんですよね...」
弥生も、そう話すとため息を吐いていた。
「まだ、課長から何も言われてはいないと思いますけど、おそらく恵理子さんが、本部長になった鮎川次長の秘書になりますよね?...」
「そうなるのかな?...お優しそうな方だし、そうなったら嬉しいわね...」
「私にしてくれないかな?...恵理子さんは引き続き副社長の秘書として昇格した内田専務の秘書をするなんて成らないかな?...」
弥生は真剣に、そう考えていた。
それを機会に、もっと鮎川と親密な関係を築いて行きたいと考えていたのだ。
恵理子には冗談めかして話してはいたが、弥生自身も、以前より鮎川には好意を寄せていたのだ。
内田専務の仕事の用件で、鮎川と話すときはいつも胸が高鳴っていた。
そんな鮎川が、妻と離婚したのだ。
それを知った弥生は、今、交際している彼氏に対して、気持ちは醒めてしまい、いつでも別れてもよい思っていたのだ。
「それじゃ、そろそろ、お買い物へ行きましょうか?」
「そうね、そうしましょ!...じゃ、弥生ちゃん、選ぶ時、アドバイスしてね...」
二人は、そう話すと席を立って会計の為にキャッシャーへと向かった。
会計を済ますと、弥生の勧めによる呉服店のある百貨店へと二人して向かった行ったのだった。