第二射
話としてこの話でおしまいです。読みにくかったかもしれませんが、これからもどうぞお付き合いください。
「貴方は何でそんなに、人を信じられるの?――拳銃持ってバカスカ撃ちまくっているのよ?普通危ないと思って逃げるかするでしょ」
隣を歩く彼の顔を見ることが出来ない。もしかしたら|もう一人≪片割れ≫の渡したレミントンを向けてくるかもしれないし、本当はただ利用されているだけかもしれない。そう考えると、止まらないのだ。猜疑心が、疑惑が、渦となって私を飲み込もうとしてくるんだ。
中々返って来ない返答にいらいらし始め、私は左手のマウザーを彼に向けた。
「こうされるかもしれないのに、何で信用できるの?……答えて――答えなさい」
呆然と見下ろす彼に、そして何故そのようなことをするのかと問いたげな視線に怖じ気付きそうになるのをこらえた。
私は誰にも愛されない。だから誰かを愛することもしない。
私は誰にも嫌われるから、だから誰かを好きになることもしない。
誰からも裏切られるから、誰かを信用する事なんかしない。
そう遠い昔に決心したのが揺らぎそうになってしまうのだ。そのどこまでも真っ直ぐな瞳が。今まで見たこともない正直な彼と言う存在を前にして、痩せ我慢にも似たそれが揺らぎ、波紋となって心をざわめかせるのだ。
こんな存在を、私は知らない。何故こんなにも惹かれるのだろう。何故こんなにも、心が抉られる様な痛みを覚えてしまうのだろう。
やがて彼は沈黙を破る様に口を開き、当たり前のことの様に伝えた。それが、その言葉が信じられず、それがとても緩慢な動きに見えた。
「だって、悪い娘には見えないから。本当にそう言うことを考える人って、護身用とはいえ、レミントンだっけ?――こうやって銃を渡したりはしない。それに、僕の事を助けてくれた。その拳銃だって、突き付けている割に引き金に指を掛けていないじゃない。そうじゃなくたって、人を信用するのに大層な理由は必要ないでしょ?」
爆発しそうだった。八つ当たりと分かっていながら彼に手を上げそうになった。拳銃を持つ手に力がこもり、銃身が彼の少し硬い胸板を強く押す。
心の中で何かが沸騰して、ぶつけたくなる。そんな物はまやかしだと弾劾したくなる。
告げられたくなかった。そんな簡単な真実を突き付けないでほしい。私は慟哭するようにそれを叩きつけた。
「――そんなのはまやかしよ!本当は心の底で嘲っているんでしょ!皆が使うような魔法が使えない出来損ないだって――本当は私を虐めるためにここに来たんでしょ!」
こんな問答に意味なんてない。字面だけを取ってみればただ自身の不幸に気持ち良く浸っているようにしか感じられない。私はこんなにあさましい人間だっただろうか?こんな意味もなく怒鳴れるほどの人間だっただろうか。
彼の顔が歪むのを見て思いだしそうになる。私に暴力を振るってきた彼らを。私の存在を黙殺していない者として扱うような人間の視線を。
「人を信じるのに大した理由が要らない?ふざけないでよ、人間なんて――他人なんて信じられるわけがないでしょうが!信じたって裏切られて、些細なことで打ち据えられて見放されて行く――それが人間の真実よ!心の底では誰か他人を嘲笑って見下している……それが人間の正体なのよ!」
こんなの、ただ私の価値観を押し付けているだけに過ぎない。言いながら自嘲するように考えていたが、口だけは別の生物のように喋ることを止めなかった。
こんな問答に何の意味があるのか、それは分からなかった。ただ分かることと言えば、とにかく、目の前の少年にイライラしていると言うことだけだった。それ以外には理解できなかったし、するつもりもなかった。
『おい!またあそこの階段から聞こえたぞ!』
『こっちに生き残りがいる!全員ぶっ殺すぞ!』
物騒な物言いだと思って気楽に構えたが、少年はそれだけでは終わらせない気だった。先程よりも強い瞳が、睨むように見据えていた。
少年のうっすらと日に焼けて体毛の少ない、男にしてはそれなりに手入れされている手が私の手を掴んだ。そのきっとどんな言葉でも形容出来そうにない澄んだ瞳が、私の瞳を見据えていた。
ああ、いつかこの瞳を見たことがある。あれはいつのことだったか、思い出せない。でも――
「確かに、君の言うこともそうなのかもしれない。でも、それだけじゃない筈だよ。それに、何で君を嘲笑わなくちゃいけないんだい」
そして事もあろうに、私の予想を少し斜めに行く答えが返ってくる。そんな分かりやすくて、でも大多数の人間は選ぶことのない答えが示される。
段々と音が高くなっていく。これは心臓の鼓動だろうか?それとも硬い底の靴が立てる追跡者の足音か。それはどんどん大きくなっていく。
「夕凪家の出来損ないと呼ばれているから?魔法が使えないから?……そんなのは瑣末なことじゃないか。君を罵り、嘲笑って蔑む理由になんてなりはしない。だってこんなに可愛い、ただの女の子じゃないか」
信じられない者を私は見ている。その信じられない、私にとって福音と呼ぶしかない存在の手が、私の頬に触れている。温かく、そして夢想か幻想のような儚い位に白い、けれど肉付きは悪くはない男の人の手が、頬を優しく撫でていた。
こんな存在を知らない。だけど、不思議と安心できた。
「あのぉ~、お嬢さん方。いちゃつくのは別に構わないんですがね、そのぉ~、時と場所を選んでほしいと言いますか」
「バッカ!これから殺すってのに何であんたは一々了承取ろうとするんだよ!馬鹿なの死ぬの、どっち!」
魔導装置を持った男たちがコントを繰り広げる中、彼は私の頬から手を離して階段を音も立てずに降りて、レミントンのポンプを引いた。
ガシャンという弾丸が薬室に装弾される音が響くと、男たちは異変に気が付いたのかコントを止めて不思議そうな顔で彼の方を向いた。その不思議そうな顔と言ったら、何を目的にここにきているのかも忘れ去っているのではと思うほどの間抜け面で、彼は私の傍を通る時、小声で言ってくれた。
「大丈夫」
引き金に指がかかり、それが完全に引き切られる。
ドン!というショットシェルの重い音と薬莢の転がるポンポンポンという軽い音が響き、彼の目の前にいた男たちは散弾を至近距離で食らって穴あきチーズになっていた。
これが先程まで銃を恐々と握っていた少年の変わり身だった。守るためなら何でもできるとばかりに躊躇いなく引き金を引き切った。そんな少年が、先程同様の笑みで、私に振り返って囁くんだ。
「信じられないなら、まずは僕を信じてくれない?それでも信じられないなら僕が信じる。君を、一人にはさせない」
なんともはや勇ましく言いきる彼に、私もそしてもう一人も心酔してしまいそうだった。
決心が揺らぐ、心が揺れ動いて定まらない。それはもう一人も同じで、こんな見たこともないような人間を目の前にしてどうすればいいのか分からなかった。少しでも気を緩めれば取り返しのつかないところまで彼に縋りついてしまいそうだった。
彼は媚薬だ。女を芯から蕩けさせてしまう、甘く芳醇な香りを放つ蜂蜜。それに頭の先まで埋まりたくなるのをどうにか堪えて、だけど――
「なんで、そんなに――だってさっき初めて出会っただけの他人なのに……」
「何でかなんて僕でも分からないけど、一人に出来なかったんだ。僕一人で逃げることだってできたけど、それは何かが違うと思った。――要するに、一目惚れなんだろうね」
言葉に尽くせない言葉があった。言葉にしてしまえば伝えきれない思いがあった。
だから端的に。だからこそ単純に。
――だからこそ、明文化してはいけなかった。その思いがありありと感じられて、冷たく凍りついていた身体に熱が通るような気すらしてきて、私はその心地よい酩酊感に浸っていたかった。
「僕は鹿嶋 悠。君の歪なところや優しいところに惚れ込んだ、ただの同級生」
「……夕凪 識。さっき貴方と話していたのは色。――こう云うのは良く分からないけれど、よろしくお願いします」
お互いに何を伝えたいのか不明瞭な感じは否めなかったけれど、まあいいかと流して 暫く歩いた。
まさかここまで学校が広いとは思わなかったけれど、規模を考えれば校舎なんて全体の三分の一といったところで、私達がいる場所もその三分の一にも満たない場所だ。広すぎて迷子になりそうだった。
そしてもう一つ、賊と生徒の死体が折り重なるように連なっているせいで道が悪く歩きづらい。そのせいで余計に広く感じられた。無駄に後者がでかいのも要因の一つではあるけれど、やはり精神的に来るものがあった。
やっとの思いで一階まで降りてみれば直ぐそこはグラウンドになっていて、その真ん中に生徒たち数百人ほどがひと纏まりに座らされており、その周りを十数人のテロリストが魔導装置を構えながら巡回するように歩いていた。ここにいても、見つかるのは時間の問題だった。
彼らを殺してでも私達だけは生き残ろうとしたとき、眼の端にあの妹がちらついた。どうしようもなくて途方に暮れている姿。それがなんとなく、まだ可愛げのあった時期の彼女と重なってしまって胸の何処かが痛む感触がした。何処も怪我していないのに。
何故か、手が動きそうになる。片割れはやめろとか叫んでいるけど、何で動こうとするのか私にはなおさら分からなかった。
そこに彼から提案があった。
「助ける?」
「そう、助けよう」
私は彼の言葉に耳を疑った。周りを十数人が固めている。ライフルやカービンに持ち替えても狙撃に気づかれれば一環の終わり。そもそも作戦として成立しない。そうだと言うのに、私はいつの間にか顎を引いて首肯を示していた。
分からない。何でこうも手を出したがるのか分からない。だけど分かることは一つだけあった。
家族を殺されたくはない。
何でか私にはそれだけは分かった。家族なんて、そしてそれに基づく感情だって希薄な私が何でそれだけは分かるのか私をしてとても不思議で、そして鮮烈だったからそれ以外には分からなかった。
「これはKarabiner98とスコープ。レティクルの真ん中に相手の頭を合わせて引き金を引けば弾が発射されるから、見つかる前に順に撃ち殺していきましょう」
「あ……うん――」
二丁のKar98の内片方を彼に渡し、スコープの倍率を調整しながら割れた窓から銃口を覗かせて一番奥に居る見張りの頭に照準を合わせた。
ただ割り振られた仕事のように、お互いに何も言わずに引き金を引き切った。
手の先から伝わる衝撃に熱、ほんの少し跳ね上がる銃身――どれも慣れ親しんだ感覚だったが、今日は違かった。蕩けるように頭の芯まで熱くなり、私を何かに倒錯させる。
硝煙の匂いは媚薬に。ならばそこから発射される弾丸は甘いリコリス飴なのかもしれない。
現実逃避気味に思考が断続的に繰り返され、そのたびに銃身から伝わる衝撃が脳天にまで響いてくる。ああ、なんて気持ちのいい狙撃だろうか。かつてこれほどまでに気持ちの良い狙撃なんてしたことがない。
目の前で血を噴出しながら倒れていく人間を、今日ほど美しいと思ったことはない。そう、あの時よりも、よっぽど綺麗に見える。私が処女を散らしたあの時よりも。
順に打ち抜いて行くにあたり、段々と相手側も何処から狙撃されているかを理解してこちらに魔導装置を向けてきていたけれど、魔導装置の有爆を狙って弾を打てば全て事足りて、物の数分もかからずに狙撃で制圧出来た。
呆気ない物だと思うけれど、今の時代はこんな骨董品よりも魔法の方が優れているとされているから、発砲音を聞いても分からないのかもしれない。魔法が使えないからどうとも言えないのだけれど。
周囲をクリアリングしながら彼と一緒に生徒たちのところまで向かう。
異音に気が付いたのか校舎から出てきた男や女を立射でヘッドショットを決めて、また少し進む。それを繰り返して、ようやっと彼ないしは彼女たちの一団に合流できた。
「――お姉ちゃん?」
「悠!……何で落ちこぼれのお前がここに……」
妹が、隣の彼の知り合いだろう人たちが詰め寄ってくる。戸惑いと、そしてどうすればいいのか分からないと言った、少なくとも歓迎的な雰囲気ではない彼らの意思。私にはどうしようもなかった。
隣の彼も、私と同じように虐められていたのか何なのか、とても不名誉な名前で呼ばれていたけれど、彼は意に介した様子もなく平然と立っていた。
熱を持って解放された喜びを分かち合っている姿。友達同士で抱き合う生の実感を得た瞬間。ああ、なんでこの人たちは私が持っていないあらゆるものを然も簡単だと言わんばかりに実践できるのだろうか。それが分からなかった。そして、目の前の彼女たちに何をすればいいのか、それもまた私には分からない物だった。
私の目の前には妹と姉と兄がいて、その三者とも私をどう扱うべきか迷っているような目で見ていた。
「……お姉ちゃん、それって――」
「Karabiner98(アハトウントノインスィヒ)。ボルトアクションライフルの大御所」
説明不足なのは分かるけど、他に何を説明すればいいのか分からない。内部機構を教えても多分妹からしたらいらない情報だろうから。
妹がおろおろと姉や兄に目を向けていると、兄が口を開けた。話が進まないと言いたげなのが表情からしてよくうかがい知ることが出来た。
「何でお前がそんな物を持っているんだ?魔法だって使えないだろ」
「――魔法みたいな力なら、持ってる。それ専用のスキルも」
「ならなんで今まで隠してきたんだ?――俺達は、お前が死んじまったんじゃないかと……」
何故この人たちはいつものように接しないのだろうかと考えをめぐらしたが、衆目のど真ん中で私を殴るようなことをすれば自分たちの立場が危うくなると思ったからだろうと中りを付けた。
考える必要がない位に分かり切っていることだと言うのに、なぜ彼らの今日の態度が違うと思ったのか、私には分からない。いや、妹も今朝の態度から一変していて、何だろうか……妙に視線が体に張り付いて仕方がない。いつもなら適当に舐めまわしてそれで終わりだと言うのに。
「とにかく、生きていたのなら良かった」
安堵の吐息を洩らす彼らに、私はまた首をかしげるだけだった。常に死ねと言われてきたのだから、死んでもらった方がありがたかったのではないのかと。勿論、本気で言っていないことなんて分かりやすいほどに分かり切っている。そして殺すほどの勇気もないことも。
だからこそ、分からない。この状況で死んだって注意散漫とか実力不足とかで片づけられる問題なのに、なぜなのだろうか。今日ほど彼らの気持ちが分からないと思った日は多分あまりないだろう。
「ねえ、お姉ちゃん……どうして助けてくれたの?」
「そうよ。ねぇ識、答えなさいな。普段から殴って、蹴って――今まで散々暴力を振るってきたのよ?普通の神経していたら、助けようなんて思わないわよ」
それは私も常々思っていたことだった。最初は妹の顔がちらついて仕方がなかったけど、ここに集まっている人間を囮に私達だけで逃げようと思ったくらいなのに、簡単に、彼の口車に乗ってしまった。今にして思えば、私はかなり軽率な行動をしてしまったのではないか?
彼の言葉が、誰よりも優先してきた私の意思よりも上回った。それは何よりも異常なことのはずなのに、体の芯がメルトダウンでも起したように熱くて、そして何よりも安心できた。
可笑しくなってしまったのかもしれない、私は。
「分からない」
それは内に対する答えか、それとも外に対する答えか分からなかった。けれども心のどこかでそれを愉しむ自分もいた。
分からない、知らない、理解することさえできない。そんな状況だと言うのに私はそれすら楽しんでいるかのようで、そしてだからこそ不快にも思わない。ただこの微温湯のような現状を続けたいとだけ、それが私が今感じている全てだった。
「そもそも助けようと言いだしたのはあそこの彼。確か鹿嶋 悠とか言っていた」
「……彼には後で礼を言わなくちゃならないな。それと識、ありがとう。俺達を助けてくれて」
「――頭、打った?」
殴られることを覚悟していたと言うのに何もされず、ましてや彼らにしては珍しいことに私に目を合わせてお礼を言ってきている。もしかしたら頭を打ったのかもしれない。それかやっぱり魔法か何かで頭をいじられたのか、とにかく今の彼らはマトモ(・・・)な状態ではないことだけは確かだった。
愕然と言った感じに驚愕に目を見開いている彼らには悪いけれど、とにかく今日の彼らは何処かおかしい。本当にあの不審者の集団に何かをされたのではないだろうかと疑わずには居られなかった。
『ケケケッ!言われてやがるゼあいつら!良い気味じゃねぇの、なぁ?』
片割れは何が面白いのか分からないけれど、どうにも私が言った言葉がつぼに入ったようで笑い転げている。笑うことができない私に見せ付けているのかもしれない。……ヤな奴。
口をパクパクと水揚げされた魚のように動かしていたけれど、彼らは結局何も言わず気まずそうに眼を反らした。
沈黙が私達の間を横たわり、騒がしい周囲の騒音をBGMにいつまでも黙って、見つめ合っていた。
隣の彼は――友達だろうか――数人の男子達に囲まれ、その輪の中心で朗らかに笑っていた。私に見せていたのと同じ、だけど何処か距離を置いているようにも感じられる作り物めいたそれ。それに対して、私は彼の周囲に居る男子達に少しばかりの優越感を覚えていた。
まるでもう助かったとばかりに騒ぐ彼ら。それらを見渡しながら、私は一人を見つけた。
医者の白衣を黒く塗りつぶした様な黒衣を纏い、赤紫色の不思議な髪色に鋭角に尖った瞳を持つ優男だった。その優男はにやりと口を歪ませながら手を叩き、その顔に似合うよく通る声を響かせた。
水を打ったように静まり返るグラウンド。何事かと私と彼、鹿島悠を見ていたけれど、段々とその視線は目の前の男に向けられていった。
異質。その言葉がよく似合う。恐らくこの学園の教員ではないこの男は、無防備なことに無手で手持無沙汰な風に、ともすればそれその物が構えのように悠然とそこに立って私たちを見渡していた。
「おめでとうございます、日本帝国国立魔導学園学園生の皆さん。そして、夕凪識さんと鹿島悠君。特に君達の働きは私の予想の範囲外――正にイレギュラーでした。この国の諺にして言うなら青天の霹靂、でしょうかね」
『見下してやがるゼ、あの男』
外人特有の片言や文法間違えもなくすらすらと言葉は漏れでて彼らに掛けられた。薄く引き絞られ弧を描いた唇が、にやりと垂れ下がってきている瞳が、彼らを見下していると私は半身に言われずとも理解できてしまっていた。
全てはこのための布石とでも言うように、これまでの事全てが前座だと言うようにその男は言葉をつづけていく。
「魔道の名門の子女が集まるこの学園、碌に訓練も積まれていない兵士にも満たない子供程度なら制圧にさほどの時間はかからないだろうとは思っていましたが、逆にこちらが制圧されてしまうとは思いもよりませんでした」
馬鹿にしている。嘲笑している。この男は言葉だけなら降参宣言しているように見えるけれど、腹の底では薄汚い本心が大蛇の様にうねりを持って嘲笑している。
憎しみか、それとも怒りか、はたまた両方か。きっとそれは私に理解できない。私が抱いたことのない感情だから。だけど、それでも嘲笑されていることだけは分かっていた。
傲岸不遜、というよりは気色の悪い人を見下す感情を丸出しに、目の前の男は続ける。この男にとっては、人間というのは実験対象か何かなのかもしれない。そうでなければ、こんなモルモットに向ける様な眼を出来ようはずもない。
「ええ、降参ですよ。――ただ、貴女にはこちらに来てもらいますよ、夕凪識さん」
「……何故」
「何故か?簡単なこと。こんなつまらない国で燻らせてその生命を散らせるほど、貴女の能力はそんな安い代物ではないのですよ。そしてだからこそここを襲撃したと言えますね。かさねがさね――オメデトウゴザイマス。確かに貴女の能力は素晴らしい。そう再認識させていただきました。貴女のような人間をこんな場所で殺すには惜しい」
理由を説明されても、私には理解できなかった。こんな力、何のためになるのだろうか。
狩猟?暗殺?兵役?傭兵?きっと何にも役に立ちはしない。私のこの力はきっと何の役にも立たない。物は使い方次第だと言っても、銃火器なんて、兵器なんて使い方を変えてもそう大して変わりはない。人を殺す為の物で、それに特化しているんだ。
訳が分からない。私の力が何の役に立つのだろう。あの死体が見えなかったのだろうか。死を運ぶ物体を創造するこの力が、役に立つなんて、何で言えるのだろうか。私にはこの男の言っていることが分からなかった。
「なぜ」
「……一つ、面白い話をしてあげましょう。今から十数年前、貴女方が生まれる幾年も昔にある戦争がありました。ある一国の世界制覇の思惑と、それに対抗するこの国を含んだとある五つの国のために世界中が巻き込まれ、そしてこの国は再びの苦渋と辛酸を舐めることとなりました。――その程度、授業で習っていると思いますがね……その後、とある大量破壊兵器による当時手を取り合っていた国同士による国土の焦土化作戦がはじまりました」
最下位のクラスでも当然の様に教わる、この国と周辺諸国の歴史。ある日突然にして起こったエーテルブラスト。そしてマネーショックから連鎖するように起こった第三次世界大戦とそれに伴って始まったアプサラス戦争。
何を再確認するように言っているのだろうか、この男は。何がこの場において必要だと言うのだろうか。
男は一人ごちるように続きを話した。まるで心底呆れたと言うように吐き捨て、何処か達観しているような、ともすれば高みから睥睨するような視点から物を言う。こういう奴こそ、真の人でなしか碌でなしなんだろう。
「人は戦争が好きなんです。争い合わねば生きてゆけないのです。故に、戦った。そう、あの時も、どの時も、あらゆる事象の特異点にこの日本は立っていたのです。不思議に思いませんでしたか?突如として当時の原子力発電や核融合発電を凌駕する圧倒的なエネルギー体である高濃度情報体結晶群が発見され、そして一時は平和に進むかと思われた世界情勢は何をこじらせたのか戦争にその食指を傾けて行き、そして第三次世界大戦が起こった」
目の前の黒衣の男はその端正な顔を歪めて吐き捨てた。
まるで全て見てきたかのような物言いに、私の中にある仮定が生まれて、そしてその過程を肯定するように、男は言葉をつづけて行く。まるで理解してほしいかのように……。
「少女たちを改造した兵士が駆け巡り、エーテルの大砲が火を噴き、そして戦争が終わったと言うのに再び繰り返された大国同士の喰らい合い。そして世界有数の大国はほぼ全てが更地になり、その生き残りは今も生き恥をさらし続けている」
この男の正体は明らかだった。某大陸の諜報機関の生き残り。それがこの黒衣の男なのだ。そしてあの死体の山はきっと男の同僚か前大戦を生き残った連合国側の人間達。それもかなり過激な、文字どおりに世界から爪弾きにされてしまった人たちなのだろう。
これは彼らなりの復讐と警告なのかもしれない。今の世界を作り出し、歪んだまま誰かが定めたのかもしれない道を疾走する私達に向けた、ささやかで、そして大きな復讐と警告。
彼らは死に場所を求めて戦っていたんだ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。
何でこんなことをと思う間もなく結論に行きついて、目の前で高説垂れるこの男に激しい嫌悪感を覚えた。
彼らの想いを利用して、彼らの苦しみを利用して、ただ己の欲望にために使った。それこそ、この男の批判した米国と何も変わりがないからこそ。
「今にして思えば、かの大国が滅んだことは結果論からすれば良いこと尽くめでしたね。裏で糸を引かれていたすべての戦争に終止符が打たれ、何処かの孤児を拉致して密偵に仕立て上げる様な負の連鎖が断たれたことは称賛するべき事柄です。ですが、残った我々はどうなります?公共の敵として今もなお後ろ指を指されて……。確かに日本国政府は我々の亡命を快く承認してくれました。連合国民が死ぬほど憎いはずのこの国がですよ。確かに感謝していますし恩義も感じています」
ならばそれでいいじゃないか、そうは問屋が卸さないのが世界だ。この男たちは、ただ死に場所を求めて、そして少なくとも彼らにとって正当な戦争理由を見つけてしまったから、武器を手に取り立ちあがったのかもしれない。
私達の与り知らない戦争のリベンジマッチ、多分そういう意図もあって、そしてそれ以上に何か伝えたいことがあったのかもしれない。でも私達にそれは分からない。伝わらない。これほど空しい闘争はないだろう。そしてそれを利用したこの男に、更に嫌悪感を覚えたのは必然と言えた。
本当に人を何だと思っているのだろうか、この男は。駒か、人形程度にしか見ていないのではないだろうか。でなければこんなことを画策なんて出来ない。
自分の視線がきつくなって行くのを感じながら、私は目の前の男の話を聞いた。
「ですがね、今の世界だって歪んでいるんですよ。いえ、なまじ日本などの魔道先進国が世界の頂点に立ってしまったから、だからこそ貧富の差よりも大きな溝が貴女達を苦しめている。貴女なら、夕凪識さんなら分かるはずですよ。反魔法の力を持って生まれてしまった、反神の生まれ変わり。それが貴女です」
意味が分からない。反神?反魔法?意味の分からない単語を羅列されて貰っても困る。生まれ変わりだとか、そういうスピリチュアルな話なんて胡散臭くて取り合っていられない。新手の新興宗教の教祖なのかもしれない、この男は。
よく分からないけれど、男にとって私という存在はこの日本という国に対する楔となる何かという位置づけの様で、私が何の迷いもなくそちら(・・・)に行くと信じているようだった。
誰がこんな男のところになんて行くか。こんな、最低な奴のところに。
「貴女なら分かるはずです。いや、貴女にしか分からない。――魔法が使えないと言うだけで、これまで散々に迫害されてきたはずです。貴女は、今のこの日本という国を、エーテル親和力でしか人を判断しないこの世界に異を唱える権利を持つのです。これがその、面白い話ですよ。どうですか夕凪識さん?我々と共に、この日本という国を、世界を、変えてみたいとは思いませんか?」
目の前に差し出された手は、しかし私の目にはうす汚く映った。人を道具か駒程度にしか見ていない男が、まるで私を理解しているかのような言葉を吐いているのが凄く気に食わなかったし、彼と同じ男性だとはにわかに信じられなかった。吐き気を催す位に、この男の甘言は腐敗した匂いがした。
別に、痛いのには慣れている。辛いのにも勿論、慣れている。嫌われているなら、私も彼らを嫌ってしまえばいいだけの事で、愛されないなら私も彼らを愛さなければいいだけの事なんだ。
だから、私がこの場において撮る行動は決まり切っているほどに決まっている。
この男は危険だ。先人が築いた平和を崩しにかかっている。間違っている、そんな論理は間違っている。たとえ歪んでいたって、わざわざこの男が語ったような悲しい戦争を繰り返す必要はない。それその物が前提からして間違っているんだ。
右手に持っていたKarabiner98を消して、代わりにマウザーC96に持ち替えて、男の頭に向けた。目測でも距離は二十メートル。……外さない。
「それが貴女の答えですか。――良いでしょう。ならばこの場は苦渋も何も飲んで退場させていただきましょう。……ですが、きっと貴女は後悔します。ここで腫瘍を摘出しなかった己の至らなさに、己諸共世界中の子供たちが不幸になる現実に、貴女は後悔します。そして最期に懺悔しながら、惨たらしく死んで行くことでしょう。その様を、私は地獄でゆっくりと観覧させてもらいます。See you Again.」
くだらない能書きを垂れ終わった男の眉間に銃の照準を合わせて撃った。初めて、自分の意思で、片割れに指図されずに行った人殺しだった。
『異世界転移の物語』第五章 ~Götzen-Dämmerung 偶像の黄昏~
かなり気になる単語を残してシラカワ博士をイメージリソースにしたキャラが死んでくれましたが、これが前作の前日譚に関係するキーワードです。まあこの作品全体にかかわる本の欠片程度なのですがねww
急遽予定変更して設定資料集でも書こうかと思っています。この話とこれに関係する事柄に関する設定を少しだけ盛り込んだものです。内容は前回の物よりは少なくなると思います。