第一射
前作の後日譚として短編で書いていたのですが、すべて合わせると横書きワードで30ページを越えそうだったので連載形式で投稿します。
要素的に前作の内容とか戦争が関わってきますので、大体どういうのが関係するのか程度に前作の設定資料集を読んで頂ければ、たぶんスッキリする部分も出てくると思います。
ついでですが、題名のドイツ語の部分はウェーバーさんの戯曲『魔弾の射手』の原語です。読み方はデア・フライシュッツです。
赤い液体が、ペタリと内股に座る少女の肢体を濡らしている。
少女の右手にはルガーP08。
左手にはマウザーC96
両の銃口から漂う硝煙からは火薬と死を運ぶ香りが黙々と漂い、その煙が五感すべてを惑わす媚薬のように廃工場を満たしていた。
幼く未発達な体が天を仰ぐように逸らされ、その丸っこい身体のラインが強調されるが、しかし漂う血と媚薬の匂いによってその姿を妖艶に魅せる。駆け付けたSATもこれには立ち止まるしかなかった。
硝煙の漂う二丁の銃をその小さな手に握り、誘拐犯の血に濡れ艶めかしく彩られた少女に、不覚にも美しいと思ってしまったのだ。
何も映されない、機能停止した機械の様な瞳が、廃工場の天井に穿たれた穴から差し込む光を受ける。
これは一つの芸術作品だ。SATの隊長は思った。
■
私は魔法やスキルが蔓延する世界で唯一完全なキル系統の魔法とスキルしか覚えていない。
誰にも教えられなかった。私の力がただ人を殺す為だけの力だなんて、口が裂けても言えなかった。だから代々血筋で魔法や将来が決まってしまう世の中で、名家に生まれながらなんの力もない普通の、一般的な魔法すら使えない欠陥品としての生活を送ってきた。今までも、これからも。
私の通う学園は倍率がとっくに100倍の×3桁は超えている、難関を通り越してコネでしか通えそうにない学園だけど、私はそれを小学校入学時点で入試を受けて入学した。充分に頭は良い方だと自負はしている。
お父様が言うには『お前にコネを使うのは勿体無い』とのことで、魔弾を撃ち込んでやりたかったのを覚えている。結局養われている身だから何もやらなかったし、端から私にそんなことをする気力はない。
――だって
「ねぇ、今どんな気持ち?」
私は今も昔もずっと、肉親たちから虐められているのだから。
そうやって長く虐められているうちに、幼少期には記憶が飛び飛びになっていることなんてざらだった。元いた場所から半径100キロメートル離れていることもあった。その間に二日三日たっていたから連れ戻された後でお仕置きという名の虐待を受けたことも、数知れずある。
決定的なのは、これかもしれない。
兄や弟や妹たちから徹底的に痛めつけられて、自室でその痛みに耐えていたはずが何故か夜のピアノバーで水を飲みながら、穏やかな気持ちで『主よ、人の望みの喜びよ』や『月光第一楽章』や『カノン』を聞いていたのを覚えている。結局連れ戻されたが。
間違いなく、何かがいる。何かが私を操って、何処か知らない場所に逃げようとしていることは分かった。
――そして酷く暴力的なのも。
「何か言えばいいじゃない、お姉ちゃん?……大事な大事な薄汚い子犬ちゃんが殺されて、言葉も発せないのかしら?」
そう、今この瞬間もその何かは手に愛銃を出現させて目の前の妹を殺そうとしている。私達にその力があるから。
学校裏の林で育てていた犬の亡骸を抱く腕に力がこもる。
黙っていればすぐに去ってくれる。
そう念じて念じて、目の前の女の言葉を無視する。
「貴女が育てていたからかしら?元々野良のくせに警戒なく私に近寄ってきたのよ。すごく可愛かったわ。ついつい水酸化ナトリウムを飲ませる位には、ね?」
温かい何かがこぼれる感覚がした。目の奥からじわじわと、そして最後には止め処なく零れ落ちていく。
妹が息をのむ音が聞こえたけど、それよりも何よりも悲しかった。
とても穏やかに見えない死の表情。冷たい四肢に力はなく、昨日までのように私のお腹や胸元にすり寄ってくる気配はない。確かにこの犬は死んでいた。
「あ――貴女に居場所なんて必要ないのよ!私達が居場所。私達が貴女の鎖。それを忘れないでよね」
ほら、帰ってくれた。
無警戒に踵を返すその姿に、私の右手はおろか左手まで愛銃を出現させようとしてくる。今日は特に機嫌が悪いみたいだ。声を聞いたことはないけど、なんとなく気持ちが分かった。
埋めないと。
必死にあの娘を攻撃しようと動く両手を押さえつけて、犬の亡骸を抱きかかえながら教室から足を踏み出した。
私のいる最下位クラスは、他のクラスと校舎自体は繋がっているけど離れた場所にあるから、誰かの目に留まることなく教室からすぐそばにある林に行くのに時間はかからなかった。
掃除用具入れに何故か収まっていたスコップを引きずりながら林の奥まで進んで、この犬と出会った場所の土を掘り返した。銃に比べればスコップの重さなんて成犬と子犬くらいの物だった。
□
最初この犬と出会ったのは林の中で一番大きな木の根元だった。
教室にいても自習だけで、授業と言える授業なんて、テレビやアニメで見るような授業なんて受けたことがなかった。
いつもテキストやDVD、学校から支給された音楽プレーヤーの教材が先生で、生徒は私だけ。テキストの内容やDVDの内容、音楽プレーヤーの教材の内容が出来ていれば単位が貰える。やらなければ単位はおろか卒業資格さえくれない。校長先生が自分の足で赴いてその口で言っていたのを覚えている。
でも偶に妹がやって来ては机の上に広げた私の私物を隠したり雨樋に詰まらせたり、教材をトイレに投げ込まれるなんてこともあった。そのたびに購入し直していたから何時でも金欠だった。
そうやって、その日も妹に虐められていた。
何とか無事だったお昼ご飯のコッペパンと水の入ったボトルを抱えて林までやってくると、お気に入りの大きな木の根元でそれに齧りつく。
生まれてこの方、誰かにお弁当を用意してもらった事はなかった。家に帰れば確かに食事は出るけど、誰かと一緒に食べることなんて稀で、偶に一人でお茶碗を突っつく私を妹が馬鹿にしにやってくるくらいだ。
そんなだから自分で昼食を用意しようと厨房を借りに行けば、料理長曰く私が使っていい食材は一欠けらもなく、飯を作っているだけありがたく思ってほしいらしい。勿論ありがたく思っている。
だから、これまで一度も誰かに用意してもらった昼食を食べたことはないし、お弁当というのもコンビニで売っているような物しか知らない。
そうやって一人で昼食を取っているところに現れたんだ。あの犬が。
クゥンと小さく呻くように鳴く声を聞いて、私は周りを見た。何処か私と似たような気配を感じ取って、もう一人が反応したんだ。
林の奥からやってきたのは一匹の子犬だった。犬種なんて分からない。兄や姉が飼っているらしいけど、私の部屋は離れの大部屋だから泣き声が聞こえてくることもない。だからそれが、生まれて初めて本物の犬をこの目で見た瞬間だった。
ドロドロに汚れた毛並み。血が流れていると言うことは十中八九人間によってつけられた傷だろう。体は栄養失調らしく少し痩せていて、その姿が私にはどうしようもなく哀れに映った。
まだ憐れみを感じる心があったことに驚きだったけど、それよりも先に体は動いて子犬を抱きしめていた。必死になって逃げようとする感覚が腕に、お腹に、胸元に、スカートが短いからむき出しの太股に感じられて、抱き方が分からないからこんな抱き方しか出来ないけど、私はこの子犬の半生を想って涙を流していた。
いつの間にか子犬は暴れるのをやめて、私が流した涙を懸命に舐め取っていた。
塩分摂取だといつかネットで覗いた医学サイトで知っていたけれど、そのいじらしいさまが私に笑顔を思い出させてくれた。
それからその林に行くと必ず一個余計に買ったパンを子犬にあげて、そのたびに懐いてくれた。自分からすり寄って来て、私の拠り所となってくれた。
その子犬と会っている間だけは、優しい気持ちになれた。生まれてこの方優しさとか愛情とかが湧いたことのない心が、動物相手とはいえ初めて感情を覚えたんだ。
だと言うのに、これほど無残な姿になって。
苦しかったよね?辛かったよね?本当は口に出したい言葉がのどを詰まらせたように出て来なくて、私は泣きながら犬を埋めた地面に向けて謝っていた。
「ごめんなさい」
私が貴方を育てていたから彼女に殺されてしまった。全ては私が悪いから、だから、ごめんなさい。
小さな幸せは直ぐに私の許から踵を返していくと言うことが、幾度目かの裏切りでようやく理解出来た。きっと私は幸せになってはいけないのだろう。
『んなこたぁねぇよ』
何かが聞こえたような気がしたけれど、周りには誰もいなかった。
不思議に思いつつも、このままここで昼食を取り始めた。
犬の分で用意していた水を犬を埋めた場所に掛けてパンを置くと、私もパンに齧りついた。今日ばかりは、何時も美味しいと思っていたパンも味気が無い。食欲もないし、何もやる気が起きなかった。まるでぽっかりと空洞が出来てしまったかのようで、泣き方も喘ぎ方も忘れてしまった私は、その空洞に対する感情を持て余していた。
□
いつの間にか手にパンの包装が握られていて、パンそのものは無くなっていた。同様に水もなくなっていて、いつの間にか昼食を摂り終えたことを理解した。
いつもはあの犬の相手をしながらゆっくりと食べていた。休憩時間ぎりぎりまで犬の相手をして、休憩時間が過ぎる少し前になれば林に隠して作った簡素な犬小屋に押し込めて教室に帰る生活を続けてきた。かれこれ8年近く。入学からこれまでずっと欠かさなかった。
でも、もうその必要が無くなっちゃった。もう林の中に板きれとかを重ねて作った犬小屋に戻す必要が無くなった。だってその犬も、この木の下で眠っているのだから。
また熱いものが溢れてきた。視界が歪む。生まれて一度だってこんな熱いものが流れたことはなかったのに、何故か私の意識に反してそれは目から止め処なく流れ続けてやまなかった。
制服の袖で拭って小屋のところまで行こうとした私に、またそれが聞こえた。
『一度も泣いたことのねぇ私をそこまで泣かせたんだ。あいつら、ぶち殺してやる』
荒々しい女の声。でもそれは今までも聞いてきたことがあるような気がして、私は歩を緩めてしまった。
周りには何もいない。
とうとう私も気が振れてしまったかと思って頭を振ると、何も考えずに森から出た。これ以上ここにいては、本当に気が振れてしまいそうだったから。
スコップを掃除用具入れに戻してから屋上に出た。既に授業が開始され、地続きになっている屋上には人っ子一人いない。いや、元々私のいる最下位のクラスの屋上まで来るのは余程の虐めっ子か虐められっこ位なもの。誰もここには足を運ぼうと思わないし、足を運ぶのは妹と兄と姉位なものだ。その彼らも、私が心配だとか言うのでもなく、ただ憂さを晴らしに来ているだけなのだから、本当は来てほしくはない。
つらつらとそんなことを取りとめもなく考えていると、なんだか眠気がやって来て、私はそのまま眠ってしまった。どうせ誰もこの時間帯には来ない。他のクラスでは普通の授業というのがあるらしいから、サボり魔と呼ばれる人たち以外には来ない。だから安心して寝られた。
□
しばらくすると、学校が揺れる様な大きな騒音が一帯を包んでいた。私と同年代くらいの女の子の悲鳴や野太い男の子っぽい怒鳴り声が響いて来て、ついに屋上にまで彼らが来たのかと身構えたけれど、どうやら違うらしかった。
「屋上に生徒を発見!」
チラリと声が聞こえた方向に目を向けると、そこには魔導装置を持った魔法使いたち、合計で20人余りがいた。
とっさに愛銃であるルガーP08とマウザーC96を手に具現化した。
ルガーP08はランゲ・ラウフのようにホルスターにもなるストックを取りつけた8インチの銃身を持つ物で、マウザーC96は形だけC96で、中身はM1932の内部機構に変えて、P08同様にホルスターにもなるストックを取りつけた物。最早もともとの面影すらない。
魔法使いたちが何かを言っていた様な気がするが、私はもう一人の言葉を聞いていた。聞いてしまった。
『――なぁ、聞こえてんだろ、俺。ばっくれようったってそうは問屋が卸さねぇ。……なぁ、気がつけよ。八年の付き合いだろうが――思い出せよ。夜のピアノバーや隣の県の見晴らしのいいとこまで案内してやったろうが忘れちまったか?』
もう一人が私の体を乗っ取っていく感覚が体中に広がって、意識が遠のくことなくまるで俯瞰する様な視点でその行為を見ていた。
私は彼女を知っている。彼女は八年前から私と共にいる、そして常に私の為に怒ってくれる私のただ一人の味方。何故感じられなかったかは分からないけど、私はようやっと一つになれた気がした。ようやっと、ようやっとだ。
『だぁからよぉ、俺は私で、私は俺なのさ。俺たちは二人で一つ―― 一心同体って奴さ。別に何か悪い事をやらかすわけじゃねぇ。ただ私に危害を加える奴をぶち殺すだけさ。この期に及んであの目ん玉逝かれたむさ苦しい野郎どもに話が通じるなんざ思っちゃいねぇだろ?俺も同感だし、向こうの校舎側はもう阿鼻叫喚、地獄絵図って状態になっていることだろうさ。
さてここで問題だが、俺たちは命を狙われている。ここで抵抗なりなんなりすればどうなると思う?』
早口でまくし立てられるような女の言葉。でもその解答はすでに決まっていた。
私も、ここ最近欲求不満だったんだ。それに、大切な子を殺されて頭に来ている。八つ当たりだとは分かっているけれど、最初に武器を向けられた時点で正当防衛に問えるし、今学園内全体がその状態だから文句を言う人は誰もいない。
『なんだ、分かっているじゃねぇの。……そうそう、ストレスやフラストレーションってのは適度な発散が重要ってね』
その女の言葉を最後に、私の意識は一瞬途切れるような感覚を覚えた。
■
少女は両手のルガーP08もどきとマウザーC96もどきを目の前の魔法使い達に向けた。何か言っているが、少女には関係の無いことであった。
アクティブスキル:魔弾の射手 起動
少女が忌避する殺人を助長するかのようなスキルが完全に起動して、体にそれが馴染んで行く感触が包んで行く。その感触が消えないうちに、少女は目の前で固まっている魔法使いたちに狙いを付けた。
ドンッ、という弾丸を打ち出した音が少女たち以外にいない屋上に響いた。
マウザーから一発の銃弾が発射され、300メートル離れている魔法使いの一人の頭に着弾して血の噴水を作り上げる。それはまるで音とともに操り人形の糸が途切れてしまったかのようで、現実味の感じられなかった魔法使いたちは一瞬動きを止めてしまった。
どんどんと撃ち抜いて行く。慈悲はいらない。彼らは私の敵で、私は彼らの敵。それだけ分かっていればいいし、それ以外には必要ない――だから躊躇いを持つべきではなく、一撃で終わらせなくてはならない。
その意識に共鳴するように、彼女の肢体は軽やかに動いた。
一人、また一人と命を散らせて行く。まるで晩秋の紅葉か牡丹の花のように儚く、そして呆気なくその命の輝きを失い、冷たい氷のような物に代わっていく。その数は既に五人を超えていた。
まだ、倒すべき敵は目の前にいる――だから、倒して。私を解放して
獰猛な野獣のような笑みを浮かべ、少女は猛るような嬌声を上げ、手に持つそれで彼らを撃ち抜いて行く。その動きは良く計算し尽くされ、一度足りとも少女の身体に彼らの武器が当たることはない。
「怯むな!所詮魔法が使えないクズなんだ!」
「喋っている暇があるなら、お得意の魔法でも出してみたらどうだい、旦那ぁ!!」
少女の回し蹴りと共に額に撃ち込まれた9mmマウザー弾。それは的確に男の眉間に着弾して風穴を開けた。
一回転して着地に使用した右足を軸にその勢いを殺すことなく横軸に一回転し、ルガーとマウザーを撃ち込んで行く――そのどれもが眉間に命中し、周囲にいた男や魔導装置を手にした女たちを永遠に沈黙させた。
「これで全員ってところか――おいそこの奴、動くな。動いたらどうなるか分かってんだろうなぁ?」
死亡確認のために体の一部に銃弾を撃ち込んで死んでいるのを確かめている中、少女は突如としてマウザーを屋上に続く階段の方に向けた。そこに人間がいると確信を持って少女は銃を向け、少しずつ近づいて行った。
トン、トン、トンと何処かのホラー映画のワンシーンのように足音が大きくなったように感じられる。
「撃たないでください!僕は貴女の同級生です!」
屋上に続いている階段の踊り場から身を乗り出したのは一人の少年だった。背丈は男子としては平均的で、恐らく十六歳ほど。背丈に差がありすぎるため判断が付きにくいが、少女と大体同じくらいの年だ。
「いや、同級生と言われたって、俺には判断の付けようがねぇんだがなぁ……この八年間本校舎の奴らとは、一部を除いて関わったことすらねぇわけで」
「……じゃあ、貴女が噂の――」
少年の続く言葉は銃声によってかき消された。
ハラリハラリと銃弾が髪に掠ったのか地面に落ちていく。彼我のその距離30メートル。スキルと本人の射撃能力を加味すれば命中して当然の距離だった。
「夕凪家の出来そこないッてか?まぁ、別に魔法とかそういう観点で見りゃあ確かに私は欠陥品以外の何物でもないがよぉ……それでどうかしたのかよ餓鬼」
粗暴な態度。先程まで口を開くことすらなかった少女とは違う。これは彼女の姿をした何かだ――そう少年に思わせる気迫があった。
濃密な気配。あわや気絶寸前にまで追いやられる圧倒的な殺気。彼女は噂で聞く存在とは随分と対照的だ。これが彼女の素なのだろう。いや、もう一つと言った方が正しいのかもしれない。
「んで、手前は何だ?何の興味を持って最下位のクラスの屋上なんぞに来た?理由言えば助けてやらんでもないぜ?――どうせ、追われてんだろこのキチガイ野郎たちに」
顎をしゃくって示す先には無残にも撃ち捨てられる形となった男たちの死体。一人の少女の凶行とは思わせない徹底したワンショット・ワンキル。その射撃の精度は本職やプロと言っては語弊がある。
寸分たがわずに眉間を狙った一撃。一部は至近弾であったが、それでもこの異常な命中精度は如何な本職といえど真似することはできないだろう。その技術を表すならば、彼女にこそこの名がふさわしい――いや、この名以外に彼女を形容する言葉はきっと古今東西を探したとしても存在しない。
そう彼女こそ、魔弾の射手。ザミエルの加護を得た外すことない弾丸を持つ少女……この少女から逃げられる人間など、この世界には一人としていないだろう。
そしてここにまた、彼女の魔弾に倒れる羊が一匹、やってきた。
「――――――!!」
突然向けられるマウザーC96。少年にその銃の名称などは分からないが、それが少年を確実に殺すことが出来ると無意識に理解させた。
耳元でゴングを鳴らすようなけたたましい音が屋上に響き……少年は死んでいなかった。
少年の頭から指二本分以上離れた位置を通過した弾丸は、そのさらに後ろで魔法を放とうとしていた男の眉間を正確に撃ち抜いて、階段の踊り場に新しい銃創を残していた。
「――まぁ、俺も鬼じゃねぇ。この地獄絵図からとっととおさらばしてぇし?ついてくるってんなら別に構いやしねぇが――何かやろうってんならその眉間に三つ目の鼻を拵えることになるぜ」
先程までよりも濃くなった殺気に意識を手放しかけるが、少年は彼女の瞳から目を外すことはなかった。
ほらよと言って放られたレミントンM870。見た目でなんとなく使い方は分かったが、少年はこれで何を成せと言うのかと思っていた。そもそも銃器の扱いの手解きすら受けていない。当たるかどうかすら定かではない。
「狙いより少し下を撃てば当たるから、後は……勝手にして」
男勝りにさばさばとした先程の雰囲気から、とたんに物静かな、うわさ通りの彼女が目の前にいた。とても同じ人間には見えないが、両者ともに共通しているのは人を信用していないことだろうか。先程の彼女よりも目に見えて警戒されているのが見て取れた。
どう考えても使い方を教えてくれと言って教えてくれるような相手ではないのが分かったためか、少年は後ろを向いていざ暴発しても少女に弾が行かないように位置取って銃をいじり始めた。
対する少女としても、この少年をどうするべきか、判断に困っていたところであった。もう片方は敵意も害意も感じないから放っておくスタンスで、彼女としては参考にすらなりえない。
結局のところ、少女には保留の選択肢しか用意されていないようで、幼いころから何でも自分の身一つでやってきた彼女にはかつて感じたことのないイライラが募っていた。
「――こうか!こうすれば装弾されるのか!」
歓喜の声を上げる呑気そうなその顔が、これまで絶望とか悲しみとか、あらゆる負の面と関係がなかっただろうその笑みが、どうしようもなく、少女には羨ましい物に見えた。
誘拐された時も、出先で強盗が押し掛けてきても、爆弾魔が一帯を爆破しようとしても、何であろうと一人で対処することを求められてきた彼女にとっては、そして家族から一切の関心を持たれず虐げられてきた彼女にとっては、その穏やかな笑みが酷く癇に障ったのだ。
「降りましょう。どうせ、魔法に頼ってばかりで銃の事なんて碌に知らないんだから、あっという間に殲滅できるはずよ」
……ああ、イライラする――ああ、むかむかする――喉が渇いて仕方がない……感情を持て余しすぎて欲求不満だ。
体の芯が疼く――かつて感じたことのない激しい情動に濡れてしまいそうだ。
――干乾びた心が何かを求めて喘いでいる――その何かを見つけて狂ったように嬌声を上げているんだ。何なのだそれは。教えてほしい。
――そうすれば、この心の飢えも渇きも、体の芯から来る疼きも収まるはずだから。
いっそ我がままになれれば、思うままにそれを貪れる環境にあれば、私のこの狂いそうな情動もすぐに収まるはずなのに。欲しい時に欲しい者は遠くにある――取りに行きたくても断崖と絶壁が、無限とすら感じる深いクレバスが口を開けて落ちるのを待っているんだ。
階段を降りながら、少女は少年に話しかけた。この鬱屈した思いをどのように発散させればよいか判断に困ったからで、そこに特別な理由はない筈であった。
もうひとつの人格が出てくると言うキリの良いのか悪いのかわからない場所でブチらせてもらいました。一応話としては二話目で終わりですが、これの後日譚も書いているので三話くらいの編成に成ります。視点がコロコロ変わって読みづらいと思いますが、お付き合いください。