表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

仮釈放

アルバイトと派遣で毎日を過ごすことは楽でありながらも、楽しくはないのだ。

いつも心のどこかで早くちゃんとした会社に就職しなければならないという気持ちが、私の後をずっと追いかけてくるような気がした。それは寝ている時でさえも面接で落ちる夢を見るのだから、ストレスとしてはかなり大きいものだ。


このような生活を初めて2年が経ったころ、アルバイト先からフルタイムでやってほしいという話が上がってきた。私は素直に喜んでその話を受けることにしたが、フルタイムとはいってもパートタイマーである。アルバイトとの違いは社会保険に加入できるかどうかという点だけであり、他に大きな違いはなかった。それでも馬鹿高い国民健康保険と国民年金を払うよりかは良いだろうと考えることにした。

何も変わることのない日々で、唯一変わったのは社員証くらいだろう。アルバイトのペラペラのラミネートカードから、プラスチックカードへと変わったのだが、私はどうも写真写りが悪い。

それでも心のどこかできっと、そのプラスチックカードの社員証を気に入っていたに違いない。それはアルバイトという一番下のカーストから一つ上に上がったんだという喜びと、なんとなく大人に近づけたような感じが好きだった。

こういうのは私だけなのかもしれないが、たとえば国民健康保険から健康保険組合に代わると、そこでは別の保険証を作ることになるのだが、その保険証がペラペラのラミネートカードからプラスチックカードへと変わったり、給与明細の欄で社会保険料として差し引かれているお金を見ると、なんとなく心の中で描いている大人に近づけたような気がして嬉しいのだ。

これでまたひとつ成長できたと思っていたのもわずかで、問題は次々に押し寄せてくる。職場での人間関係や、仕事量の激しい変動、そして派遣従業員との対立などがだんだんと強いストレスになってきた。

人間関係の対立は、嫌な人となるべくかかわらなければいいということである程度は抑えられるが、仕事量が減ってしまうという危機は私の努力ではどうにもならないことである。

そして仕事量の問題が、派遣従業員との対立を深めることになるのだ。

会社としては自社雇用の従業員を辞めさせるわけにはいかない。しかし派遣従業員をたくさん切ってしまうと、今後派遣会社との付き合いが難しくなってしまう。

そんな複雑な環境の中、一人の派遣従業員が禁断の果実に手を出してしまったのだ。

それは突然の出来事であり、私には到底理解できないことであった。

派遣従業員が、勤め先である派遣会社とその派遣先である我が勤め先の承諾なしに、我が勤め先のお客さんである相手会社に飛び込んでしまったのだ。そしてその派遣は手のひらを返したかのように、横柄でわがままな人間になってしまった。

何か勘違いしてるのではないかと思ったが、そのような腫れ物に触れることはしたくなかった。そしてこのような事件が、私をこの会社から早く出ていきたいという気持ちを強く持たせてくれた。

不本意ではあるが、無理やり心の中で「無理に次のステージに押し上げてくれてありがとう」と考えることにした。そうでもしないと怒りや悲しみの気持ちが抑えきれないのだ。

有休消化期間中に転職先の企業も決まり、不安はないと決めつけていたのがそもそもの間違いであった。この転職先の企業はこじんまりとした小さな会社でありながら、実は非常に黒い会社であった。まず入社してすぐに気付いたのが雰囲気の悪さだ。みな休憩時間になるといそいそと喫煙所へと向かう。それも吸い方が尋常ではなく、わずか5分の休憩で3本もの煙草を吸い上げてしまうのだ。

喫煙習慣のない私にはタバコなど無縁の世界であったはずが、多くの人から一緒にタバコ行かないかといわれ、それを断ってしまうとなんとその組織から省かれてしまうのだ。つまり、たばこを吸っている間に悪口を言う仲間がほしいのだろう。

そしてその悪口の標的は新入りの私に向けられた。

新しい仕事をなかなか覚えられずにいた私を、おそらく指導担当が「あいつは無能だ」などと言いふらしていたに違いないのだ。なぜなら、私のミスでもないのに、それをいかにもそうであるかのように言ってくるその言い方は、とても大きな悪意を感じるのだ。その悪意こそがおそらく私への敵対心なのだと思った。

あからさまな嫌がらせに対抗する力などあいにく持ち合わせていない。それどころか前職でのごたごたで疲弊しているというのに、これ以上の不安を抱えたくはなかった。

その日の帰りは、今思い返せば死んでしまうのではないかというくらいに荒々しい帰路であった。

その翌日、私は退職した。


退職したからにはもう考えないと決めた。そしてその翌日には派遣会社へ出向き登録を済ませると、家に帰ってからはずっと求人をあさった。とにかく次を決めないとお金が無くなってしまう。

お金が無くなってしまったら各支払いもできなくなってしまうし、そうなったら頑張って買った車も手放さなくてはならなくなってしまう。そして車を手放すことは、この僻地の住民は死ぬことを意味する。つまり就職活動さえもままならなくなってしまうのだ。それだけは避けたいと願いながら、気に入った会社を片っ端から電話しては、面接の取り決めをした。

毎日2社。しかし正社員ではなかなか決まらない。当たり前だが、心のどこかで前職で一生懸命やってアルバイトからパートへと上がれたことへの自信が過剰になっていたようだ。今考えれば赤面してしまうほど恥ずかしいことである。


再びパートとアルバイトで探すと、すぐに決まった。

それは面接のときに、即採用であることを告げられたのだが、嬉しさよりも安堵といったほうが適切かもしれない。これで一時しのぎはできるだろうと考えた。

時給850円で社保加入。もうこれだけで良かった。これで急いで面接の予約をたくさん入れる必要はなくなった。少なくとも仕事が見つかったということが、最大の安心となった。安い安心だと馬鹿にしないでもらいたい。


そしてわずかな安心が、どこかへ遊びに行こうなどという不純なものへと繋がるのにそう時間はかからなかった。

正社員の職探しは継続しつつも、金銭的な問題は一応解決できた。ちゃんと務まるかどうかは別として、最低限会社に行っていればその分のお金はもらえる。だから今急いで正社員を探す必要はないんだと考えてしまうのだ。


そして心にわずかな余裕ができると、家に居てもたってもいられなかった。

そして突発的に家を出て車に乗り込んでしまった。荷物はケータイと財布だけ。

財布の中に免許証とわずかな金が入っている。その金でできることなどたかが知れている。でもそれを惜しむことをしてきた生活から解放されるこの瞬間が最高に気持ちよく、まるで無期懲役で長く幽閉されていた囚人が娑婆に出てきたときの気持ちではないかと考えてしまうほどであった。


無期無職刑から仮釈放された私が最初に向かったのは、どこにでもあるようなドライブインであった。なぜドライブインなのかと聞かれると、それはこの息抜き旅の経由地でしかなかったのだ。

ここで軽食とわずかな水分を取り、ひたすら走り続ける予定だったにもかかわらず、この場所で不思議な体験をすることになるのだ。

このときはまだ、この深夜ドライブが人との出会いの巣になろうとは知らなかったのである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ