故郷.1
epi.2「故郷.1」
純の家族は、母親である香織と祖父の栄治、祖母の真理子、加えてペットのハヤトラで構成されている。父親は、純が2語文を話し始める前に他界した。
純が、自分の家族と再会してまず感じたことは、昔と何も変わっていない、と言う安心感だった。香織の割腹がさらに良くなった、とも思ったが本人に睨まれたので口には出さないでいた。
「まる2年くらい帰ってなかったんだけど、何か変わったこととかあった?」
純は、昼食の食卓につきながら訊いた。
「ん~、母さんは会社の上司の父親がお亡くなりになった、ってことくらいかな。他には特に」
香織が手早くサラダを作りながら答えた。ジャガイモを潰しながら話していた所以か、抑揚に違和感がある。
「わしは・・・・・・昨日で70歳になった!」
「あ~、そうじゃなくてさ」
どうだと言わんばかりの得意げな声でそう言う栄治の声に、純は頬をポリポリと掻きながらもどかしそうな態度でモゾモゾとそう呟いた。その様子を見て、栄治は満足そうに頷いてから、いたずらじみた笑みをその彫りの深い顔に浮かべた。
「あとは、じいちゃんの会社の工場が増えたことぐらいかの」
「え? 次はどこにこさえるのさ?」
狙い通り食いついてきた純の態度に気を良くして、栄治は普段には珍しく、酒も飲んでいないのに笑いながら話し出した。
「わしが勤めてる会社の場所は分かるな? あそこへ行く道の途中で十字路があるだろ。あそこを右に曲がってずーっと行ったところや」
「・・・へぇ~」
純は、栄治の少し擬態語が混じったその説明に、生返事しかできなかった。純は、小学生の頃から祖父のそのしゃべり方に付き合ってきていた。今でも変わらないのか、と少しガッカリしつつも内心でやはり安心していた。
「ばぁちゃんは?」
「そうねぇ・・・・・・」
冷蔵庫の前で野菜類を取り出す手を止めて、天井を仰ぎながら真理子は止まった。そして、数秒ほどたってあぁ、と思い出したときの癖の感嘆詞を口にしながら改めて話し始めた。
「私の友達の春名さん覚えてる?」
「え、まぁ・・・うん。よく野菜とかお米持ってきてた家の人だよね?」
春名さんとは、純と香織が今のこの家に引っ越してきたときから親しくしてくれた人物だ。彼も、小学生のときにはよくお菓子をもらっていたので、よく覚えている。
「あの人がどうかしたの?」
彼が首を傾げると、真理子はにっこりと笑い、嬉し
そうな声色で続けた。
「お孫さんが2人も出来たんですって」
「あぁ・・・・・・孫!? 2人も!? それはおめでたいね。いつ?」
「ええっと・・・・・・確か先月の中頃だったかしら」
「もう少し早めに有給消化しとけば良かったかも」
ホントにねぇ、とケタケタ笑いながら真理子は言った。他にも、全くだ、と言った旨の小言が純に向かって飛ばされていた。
「へぇ・・・いろいろあったんだなぁ」
純はしみじみとした雰囲気でそう言った。
しばらくして、食卓に昼食がそろった。メニューはご飯、ポテトサラダ、味噌汁、豚肉の生姜焼き、と至極日本家庭的な内容だった。これで、彼が自分の家で昼食を食べるのもおおよそ2年ぶりになる。
昼食も、思いの外早めに終わった。
「ごちそうさま」
「お粗末様でした。純、これから何か予定はあるの?」
「ん? 特には無いけど? あぁ、でも少し散歩はしたいかな」
「そう。じゃあ、散歩がてらにお遣い頼める?」
「どこで何を買えば良いの?」
「!」
ここに来て、香織は自分の息子の変化に初めて驚いた。何しろ香織は、純は手伝いやおと言った行動をずいぶんと嫌がっていた、と記憶していたのだ。
それが、2年ぶりに帰ってきたら、さも当たり前のようにその頼みを承諾した。驚くのも無理からぬ事ではあった。
「近所のスーパーの場所覚えてるわね? あそこで豆腐とモヤシと茄子と挽き肉を買ってきてくれたら嬉しいかな?」
「別に構わないよ」
「じゃあ、お財布渡しとくからお願いね」
純は、ヘイヘイと気の抜けた返事をしながら財布を受け取り、食卓を抜けた。
純の故郷は、兵庫県の瀬戸内側の片田舎にある。山に囲まれ、南側の山を越えるとすぐに海にたどり着くことが出来る、そんな場所だった。
片田舎とは言え、ちゃんとJRの駅があり数10分ごとに電車が停まるから、姫路や神戸、もう少し言えば大阪や京都にだって行けないわけではない。
純が散歩と言って歩き回るのは、自分の家からおおよそ半径10㎞の範囲だった。あくまで、彼自身の足で動き回ることが前提で、の話だが。
彼のお気に入りのコースは、今も昔も西側へ向かって南側に回り込み、そして自宅へのルートを取るという物だった。今日もそのルートを取ろうかな、と彼は歩きながら考えていた。
しかし。
彼には、今、すぐに散歩のコースに入ることは許されていなかった。何せ、親に買い物を頼まれたのだ。
純が自衛官になって、まず最初に徹底的に変えさせられたものは、物事の優先順位だった。何にしても、まず最重要事項があれば、私情は後に回すように矯正されたのだ。その結果である。
「何か・・・・・・色々変わっちまってるなぁ」
近所のスーパーへの道中、彼はつくずくそうぼやいていた。無理もない。彼の記憶の中にある自分の街と比べて、今彼の目の前にある街には、記憶に無かったものがあり、あったものが消えているのだ。
それも、1つや2つではなく、かなりの量で。
彼が1番ショックを受けたのは、彼が街を出るまでずっと世話になっていた駄菓子屋が潰れていたことだった。その事実が、彼に最も具体的な時間経過の事実を教えてくれた。
「近所のスーパーって・・・・・・アレもずいぶん様変わりしたんだな」
交差点で信号待ちをしているときに目に入った目的地の姿を見て、純はそう呟いた。そう、彼の記憶の中にある近所のスーパーは、もっと薄汚れた雰囲気を漂わせていたのだ。それが、今となっては改装の所以で全体的に真新しくなった、と言う雰囲気があるのだ。
信号の色が変わった。
「ま、買うもの買えればそれで良いか」
歩き出しざまに、彼はそう言って足を進めだした。