其の二
「ぐっ……!」
目を覚ますと、身体中が痛んだ。
身体を起こすため、地面に手を付くと硬い感触が返ってくる。
「ここは……牢屋、か」
石造りの部屋には藁らしきものが申し訳程度に敷かれ、隅には穴が開いている。まさか、あそこで用を足せという事なんだろうか。
日本のムショがいかに恵まれているか、実感できる環境だった。まあ、俺は入った事はないんだが。
牢屋の天井付近には小さな窓がある。もちろん鉄の柵に阻まれ外に出る事は出来そうにない。その反対側には同様、鉄の格子がある。錆もないところを見ると、出来てそう時間は経っていないのだろうか。部屋もあまり使われた形跡もない。正しく牢屋と言えるような造りだった。
我ながら無鉄砲な事をしたものだと思う。
しかし、幼少の頃から「男は女を守るもの」と耳にたこが出来るくらい言われ続けたのだから、この性格は直らないと思う。
さて、これからどうするか……。
一先ず、外の様子を窺う。
牢屋の前には廊下が左右に伸びている。壁には松明があり、等間隔に備え付けられているようだ。
薄暗く、不気味だ。何より時折聞こえる人の声が不快だった。
「うっ、へへっ……わ、わかってるよぉ」
「出してくれぇ、出して……ひっくっ」
「はぁ、どれくらいここにいりゃいいんだ……もうどうでもいいわ」
中々に健全な精神状態らしい。
だが、ああなるのはごめんだ。
そうだな……とりあえず、叫んでみるか。
「すいませーーーーんっ!!!」
俺の声音が反響すると、同時に他の囚人がはたと止む。
しかし俺は構わず、叫んだ。
「すいませぇぇーーーーーんっっ!!」
「う、うるせぇっ!!」
「ああ、神様……狂人が、生まれてしまいました……お助け下さい、彼の者をお救い下さい」
「……だりぃ」
他の囚人の反応はあった。もう少しだろうか。
「しゅいませぇぇーーーんっ!!!」
「だぁ! うっるさいってんだよ、ボケぇっ!!」
女の声。それもかなり若い、いや幼い感じだ。
ふむ、これも外れだな。
俺はもう一度盛大に叫ぶべく、すぅっと息を肺一杯に吸い込んだ。
しかし叫ぼうとした瞬間、ガシャガシャと無骨な音が響き出した事に気付く。金属が擦れる音のようだ、多分看守がこちらに向かっているんだろう。
俺はそれに満足し、看守の到着を待った。
しかし、期待は外れてしまう。
「てめえかっ!!」
現れたのは、全身鎧を着た、子供だった。
身長は俺の胸に届かない。どう見ても、十代前半だ。さっき会ったリーシャよりも低い事から見ても、幼い事は明白だった。
だというのに、重そうな鎧を着て、腰には立派な長剣を携えている。身長にあっていないのか、鞘の先端を地面にガリガリ引きずりながら歩く姿は少し愛らしかった。
「てめえかっ、て聞いてんだよ!!」
「え? あ、はい」
「おい、今お前、ごついおっさんが来ると思ったのに、何でこんな子供がこんなところにいるんだ? って思っただろ?」
「え? あ、はい」
「舐めてんのかぁっ!!!?」
「舐めてはないですよ?」
「そ、そこは普通に返すんだな……」
「単純にびっくりしたというか、なんというか」
「……あたしはこう見えてもお前より年上だ。ドワーフ族だからな」
「ドワーフ族?」
「人族と違って十歳で成長が止まるんだ。だからこの姿のまま老衰で死ぬ。男は女より成長が早いから髭生やしたりしてるけどな」
「なるほど……」
「って、そんな話はどうでも……は、よくねえが、今はさっきのが優先だ!!」
「さっきの、とは?」
「しゅいましぇーーん!! とか言ってただろうが」
「ははは、ご冗談を」
「あれ? お前……だよな、叫んでたの?」
「すいませんとは叫んでましたね」
「やっぱり、お前あたしの事舐めてる? 舐めてるよな?」
「……少しだけ」
少女の額に青筋が立った。少しふざけ過ぎたかもしれない。非常識な存在が目の前に現れたもんだから……つい。
謝罪だけでもしておこうとした瞬間、少女が腰を落とした。次いで、見事な踏込と共に、格子を殴りつける。
聞きなれない、何かが壊れる音が響くと、鉄格子が一本、くの字に曲がっているのが視界に入る。
「…………わかったか?」
「おお、すごい」
「ふっ、当たり前だ。ドワーフは力が強いからな!」
得意顔で踏ん反り返っている。どうも子供っぽいというか愛らしいというか。こういう態度が舐められてしまう原因なんじゃないだろうか。
「それで聞きたい事があるんですが」
「おい!? もっと食いつけよ!?」
「いや、それはもう終わった事なので」
若干悲しそうな顔をされてしまったが、仕方ない事だ。
鉄格子を折り曲げてしまうくらいの人間は見た事が何回もあるし。まあ、この娘の体格で、という条件付きで考えると驚嘆に値するとは思う。
しかし俺は気付きつつあった。
ここは現代ではなく、外国でもなく、まったく違う世界なのだと。
つまり俗に言うファンタジー世界に、俺は迷い込んでしまったのだろうと考えていた。
ドワーフという名前も聞いた事がある。俺は、昔見たファンタジー映画で同じような種族が出た事を思い出していた。
「そ、そうか……」
しゅんとしてしまった。この娘は看守、なんだよな?
「看守はあなただけですか?」
「ああ……まあ、そうだぞ」
「見たところ新人みたいですが」
「う、うるさいな! なんでそんな事わかるんだよ!」
「普通、囚人とこんな風に話さないでしょう」
「え? そ、そうなのか……そう言われてみれば、そうか……ちょっと感情的になってたな……」
ちょっと感情的になったから鉄格子をぶん殴っちゃった、という事か。
この娘を怒らせると俺の首が飛ぶな。文字通り。
「ここはシュヴァリスって国なんですよね?」
「ああ。なんだ? お前知らずに来たのか?」
「知らずに来たというか、いつの間にか来ていたというか」
「……おまえ奴隷、じゃねぇよな?」
「違います」
「だよな、見たところ変な格好してるし……奴隷にしちゃ、育ちが良さそうだ。見た目もあんまり見た事ない。どこから来たんだ?」
「日本」
「……知らねぇな。外海国か?」
また知らない言葉が出たな……。とりあえず、今は聞かなくていいか。それよりも重要な事があるし。
そう言えば自己紹介していなかった。社会人として礼儀がなっていなかったな。
姿勢を正して、お辞儀をする。もちろん角度は三十度だ。
「申し遅れました、私、都新仁と申します」
「あ、ああ……あたしはカーナ・ミタリィだ」
なんか微妙に日本名っぽいな。まあ、たまたまだろうけど。
「で、俺は処刑されるんですかね?」
「……多分、そうだろうな。数日中に決定すると思うぞ」
「なるほど」
やはりな。予想通りの答えだった。
伯爵家の嫡男と言えば地位は相当高い。恐らくこの街は、発展度合いから見ると地方領だろう。とすると、ギュスタヴ家はこの街で最も高い地位で、且つ領主である事が考えられる。
仕方ない事とは言え、下手を打ってしまったな。
「れ、冷静なんだな」
「すぐに死ぬというわけではないので」
「……ふーん」
カーナは片眉をピクリと動かすと、品定めするような視線を送ってくる。
「おまえ冒険者か? それにしては身体の線も細い。魔術師……じゃないよな? 変な格好してるし……」
「ははは、一般人ですよ」
「それにしちゃ、肝が据わり過ぎているだろ」
「まあ、色々とありましてね」
「そうか……悪い事を聞いちまったな」
カーナが申し訳なさそうに顔を伏せる。
どうやら中々のお人よしみたいだ。
「ところでこの街に稼業人とかはいるんでしょうか?」
「稼業人……?」
「闇市とかを取り仕切っている連中の事です」
「……盗賊ギルドがそれに当たるんじゃねえの?」
「盗賊ギルド……ですか?」
「ああ、犯罪に手を染める事をいとわない連中だ」
ギルドってのはそのままの意味だったわけだ。
つまり組織だな。うん。
「しょっ引かれたり……ああ、捕まったり、処罰されたりは?」
「しねえな。表立っては動かねえし。噂じゃ、領主や官憲との繋がりがあるとかないとか。ただ周知されたりすれば、処罰するしかなくなるだろうけど」
「癒着か……どこでもあるもんだしな」
「……おい、今気づいたんだが、何で俺がお前の質問に答えてるんだ?」
「え? 今気づいたんですか?」
「おおお、お前、やっぱり馬鹿にしてるだろう!?」
カーナがその場で地団駄を踏み出す。ガシャガシャと五月蠅いが、どうみても子供がだだをこねているようにしか見えない。
「それより、いいんですか?」
「な、なにがだよ!」
「その、鉄格子。ぶっ壊れちゃってますけど。上に報告して直してもらった方が良いんじゃ?」
「え? あ、ああ……そうだな……うわぁ、やっちまったよ」
今更になって頭を抱え込んで悩み始めてしまった。
なんといか直情型で視野狭窄な性格だという事はわかった。
肩を落としながらとぼとぼと奥へと歩いていったカーナの後ろ姿を見つめる。そのまま、盛大な金属音が遠ざかり、聞こえなくなった。
「さて、出るか」
ここにいる意味はもうない。
俺は折れ曲がった鉄格子を握ると、全体重を掛けて引っ張った。しかし、意外に抵抗が強い。思ったより頑強に作られているらしい。
「くっ……!」
諦めずに引っ張り続けると、ほんの僅か、鉄格子がずれた。
いける!
ズズッ、と石材が削れる音がしたと思ったら、盛大に後ろに倒れ込んでしまう。俺はそのまま、ゴロゴロと転がり、壁へ激突した。
「……頭打った」
目の前に火花が散っているが、どうにか鉄格子は外れたようだ。手に握ったままの格子を放る。
一本の格子がなくなると、人一人通れるくらいの隙間が出来ていた。
俺は隙間に身体を挟み、そのまま外に出た。
「急ぐか……」
カーナが帰ってくるまでに脱走しておかないといけない。
廊下を突き進む最中、他の囚人の喚き声が聞こえたが無視しておいた。
途中、看守の詰所を通る時、俺の所持品があったので懐に仕舞う。そのまま近くの扉から出ると目の前に階段があった。
慎重に進むと、再び扉がある。意を決して外へ出ると、お天道様が顔を覗かせた。
振り返ると老朽化した建物があった。多分看守の寝泊りのための施設だろう。規模は小さく、手入れも行き届いていない。
しかし不用心だな。辺りには誰もいない。
見たところ、街の郊外といった感じだろう。遠目に街並みが見える。
(門番は二人か……あの屈強な二人と比べて何ともお粗末な感じだな)
俺を捕えた二人はかなり鍛えられていたが、この門番は片方は痩せているし、片方はぶくぶくに太っている。不意を突けば俺一人でもなんとかなりそうだ。
建物の外周は塀で取り囲まれている。しかしそれほど高くはないし、監視の目もさほど多くはなさそうだ。
近くに茂みに隠れて、様子を窺う。
巡回している看守はいないようだ入り口近くに門番が配置されているからそれで十分だと思っての事だろう。
おいおい、いいのか、これで。
内心呆れかえっていると、門番達が何やら話し出した。
「はぁ……今日も平和だねぇ」
「だな。毎日毎日ここに立ち尽くしても、何も起こりゃしねえ」
「まあ、こんな田舎にいる悪党なんて大した事ないしな。狭い界隈だ、脱走する奴もいねえ」
「近くの街まで遠いもんなあ。それに魔物に襲われてお終いってな感じだろう。手引きして脱走させる程の大物もいねえし」
「まっ、俺は楽して金稼げればなんでもいいんだけどな」
「違いねぇ」
うひひ、と下卑た笑いを受かべお喋りに勤しんでいる。
すぐ後ろに脱走犯がいるんだけどな。
「なあ、いつものいくか?」
「ん? ああ、そうだな。お前からでいいぜ」
「おう、悪いな。じゃあ、お言葉に甘えて」
痩せの方の看守の姿が消えた。外へ向かっていった事から、恐らくはさぼるつもりだろう。
管理も出来ていないらしい。これがこの街の実態なのか、あるいはこのムショ内だけの事なのかはまだわからないが。
太った方は一人で暇そうにしている。欠伸をして、ぼーっと外を眺めているだけだ。
俺は出来るだけ音を鳴らさないようにしながら、看守の背後へと近寄った。
後三メートル、まだ気付かない。
後一メートル、まだ気付かない。
後五十センチ、まだ……気付かない。
後数センチ、だが、まだ気付かない。
後ろから見れば、二人で整列しているように見えるだろう。
……さっさと気絶させよう。
俺は看守の首に腕を絡め、がっちり締め付けた。
「なぶぅっ! んぷうぅ………」
かなり気持ち悪い呻き声を漏らしながら、卒倒する看守。
殺してはいない、後々面倒な事になりかねないからな。
看守が気絶した事を確認すると、俺はその場から立ち去った。