咲かぬ春の夜
なんだか書きたくなって感情のままに書きました。
さながら女とは小説、それも純文学のようなものではないだろうか。小説というものは、大事なところに限って隠しながら話を進めていく。その大事なところは、読者に任せてしまうのである。物書きでない啓には、それは書き手が表現を思いつかないから書かないのか、読者に想像させ、楽しませるために敢えて書かないのかは分からないが、ただ、どちらにせよ彼にとっては至極面倒なことに思えた。それで自分が想像しえないと、想像力の乏しい者だと嘲笑されるからである。それが、彼が小説を読まない理由の一つである。
そして、そういう難解で読みづらい小説ほど良い評価を受けているという理不尽さも、彼を小説から遠ざけた理由として挙げられる。
馬鹿馬鹿しい。想像力が云々、そんなことを言うくらいなら、最初から全て書いてしまえばいいのだ。想像しなくても、伝えたいことが相手に伝わる。わざわざ難解にして、何が楽しいのだ。一と一を足すというのは、つまり千から九百九十九を引いたものと二十から十九を引いたものを足すというのと同じであるのだ、とでも言うようである。
そんなことを得意顔で言うのは、よほどの変わり者であろう。素直に一と一を足す者の方が、よほど上等な人間と見える。
女と似ているというのは、そこだ。女という生き物は、敢えて言いたいことを男に何も言わず、男に自分自身で分からせようとする。正に、俺の嫌いな純文学ではないか。それで、分かってもらえないとなると、機嫌を損ねて怒りだすのである。真に面倒な生き物だ。
そこまで考えて、啓はほうと溜息を吐いた。
もう既に夜も遅いが、深夜というほどの時間でもなく、人が何人かみえてもおかしくないのだが、辺りには非常に静かで、歩く音すら聞こえることがない。しかし、いつもの今頃なら、この時間でも騒がしいのだろう。というのも、この公園は花見の名所とも言われるほど桜が多く、毎年県外からもたくさんの花見客が来るのだ。やはり咲かない桜には用がないということだろう。
例年のこの頃は陽気な気候で、桜も満開であったが、どうも今年は異常気象らしく、蕾一つない桜を昇る白い靄は、もう四月ながら、春の訪れをまだ遥か遠くに感じさせた。白い靄を見上げた時に見えた空は、既に真っ黒に塗りつぶされて晴れか曇りかも分からない。啓は、傘を持ってきていないことに気付き、再び溜息を吐いた。
「久しぶりに会ったのに、いったい何?」
彼は、横で歩く女、結衣から不満気に声をかけられた。何、というのは、先程から何度も溜息を吐いていることであろう。確かに、失礼だったかもしれないと啓は謝った。「変わった人ね」と笑いかける彼女の顔は、想像が苦手である啓から見てもどことなく寂しそうだった。いや、啓ほどの長年の仲であるから察することができたのかもしれない。
くだらない。寂しければ、笑う必要なんてないのに。
「女って面倒だな、って考えてたんだよ」
彼は、溜息の理由を正直に述べた。結衣がクスリと笑う。今度は、本当の笑顔だった。彼女には笑顔が似合う。けれど、蕾一つ無い桜並木では、その笑顔も燻って見えた。きっと、本当の花見ができて、この場所でこの笑顔を見ることができたのなら、それは素晴らしい絵になっただろう。啓は、彼女の笑顔がこの上なく好きだっただけに、桜が咲いておらず、また暗い時間であったことが惜しかった。
「大学も終わったし、これから何度だって会えるじゃないか。花見なら来年すればいいだろ」
寂しそうなのは、花がないからだろうか、そう思った啓が言うと、結衣は彼の予想を全く外してそっぽを向いてしまった。「おい、どうした」と啓が訪ねても、彼女はこちらを振り向くどころか、返事すらしない。
「分かってないの?」
代わりに、罵倒とも呆れともとれるような声で、言葉を放った。正直に、分からんと言ってやる。
「なら、別にいいわ」
素っ気ない態度をして、結衣は啓の横から前に出て、一人で歩き始めた。彼女の黒髪が啓の体に触れたけれど、しっかりと防寒着を羽織っている彼は気付かない。ただ、彼女の髪の香りが、啓の鼻孔をくすぐった。
本当に、女とは面倒なものである。分かってほしいならはっきり言えばいいものを。啓は苛立ちを隠しながら、結衣のあとを追った。ただ、一般論は分からないが、結衣に限っては、さらに分かってほしい時ほど大事なことを隠したがり、見つけてほしく思う傾向がある。
啓にとって、女は面倒な生き物であり、出来るだけ関わりたくないものだというのは既述の通りだが、結衣のことを分かってやれないのは、なんだか自分が情けなく、駄目な男であるような気がした。自己満足であるのは啓も充分に自覚していたが、それでも、彼は彼女の気持ちをなんとかして理解してやりたいと考えた。
啓は、やや速足で歩く彼女の背中を追った。そういえば、四年前の今頃も、彼女は自分の前を歩いていた気がした。過去と、現在の映像で、彼女の姿だけが重なって見える。そう、彼女の姿だけだ。
四年前は昼だった。花が咲いていた。四年前と今年、季節は同じでも、景色はまったく違うものであった。だが、ただ単にそれだけだとすれば、先の言葉で機嫌を損ねる理由はないはずだ。
ああ、そうだ。俺は、四年前の春ここで、彼女に想いを告げたのだった。啓は、今まで忘れていたのが嘘のように鮮明と当時の春を思い出した。
その時に、何と想いを告げたのだったか。確か、彼女が文学少女だというのを聞いて、何か、風流なことを言おうと自分なりに考えた気がする。それで、高校を卒業した後、彼女をこの桜の下に呼んだ。そして、今となってはたどたどしく、恥ずかしいものだが、だいたいこのような会話をしたと思う。
「今日は、桜の綺麗な日です。私はあなたほど日本の風情などを理解できる頭を持ち合わせてはおりませんが、それでも、今日の桜はとても鮮やかで綺麗だと心得ました」
「それにしては貴方の目は、桜を見ていないように見えるけれど」
「いいえ、見ています。他の人には気付かない、しかし一際綺麗な桜を、私だけは見ています」
そう言うと、彼女はどうもそれが気に入ったようで、クスリと笑った。そして、たっぷりと間を空けてからもう一度口を開いた。
「誰にも気付かれないのなら、持っていっても構わないわね」
「いえ。今持っていっては、きっと地主が怒ります。四年後、もう一度来ます。もう一度、美しい花を見に来ます。その時こそ、綺麗な桜を一つ、持っていきたいと思います」
「ええ、分かったわ。綺麗な花を咲かせて、待ってるから」
啓は、頭を鈍器で叩かれたかのような衝撃を覚えた。結衣はきっと、その約束を四年間ずっと覚えていたのだ。そしてやっと来た四年後、寒波の影響で桜は咲かず、啓が桜を持っていくことは叶わなかった。
だというのに約束した本人が、「また来年来ればいい」などと言えば、機嫌を損ねるのも当然だろう。啓は、深い自己嫌悪に陥って、自分の頭を思い切り叩いた。
「待ってくれ、結衣」
啓は、彼女の肩を掴んだ。彼女は、こちらを振り向こうとしない。顔を覗き込むと、水滴が頬をつたっているのが見えた。肩を掴んだ手から、小刻みに震えが伝わってくる。結衣が、息を短くすぅっと吸った。
「私、私、あなたが約束なんて忘れていて、私のことなんてもう愛してないんじゃないかって、とても不安だった」
「俺が、悪かった」
啓は、素直に謝った。
「私こそ、ごめんなさい」
結衣自身も謝ったものだから、啓は驚いて、何故お前が謝るんだ、と尋ねた。
「あなたに桜を見せたかったけれど、とうとう今日まで桜は咲かなかった」
「お前が謝ることなんかじゃない。それに、そんなことはないよ。花は、もう見たさ」
啓は、そう言って結衣を抱き寄せた。ふわり、と舞い散った桜の花びらを、手のひらに乗せるように、優しく。花びらを濡らしていた水滴をそっと指で拭い、そして、軽く、口をつけた。
この花は、一際綺麗な花ながら、誰にも気付かれることがなくひっそりと咲いている。その美しさに気付くことができるのは、啓だけだ。
ひょっとすると、他の桜が咲いていないのは、騒がしいのを好まないこの花に気を遣ったのだろうか。そう考えると、なるほど確かに納得がいくような気がした。だって、そうでなければ、花が少しも咲いていない寂しい桜が、こんなにも優しく、美しいはずがない。
空を見ると、雲と桜の枝の間から月が覗いている。うまい具合に風が雲を流して、月に雲はかかっておらず、陰りのない煌々とした輝きが、桜の木々と二人を照らしていた。
なんか途中から雑でございます。勢いだけで書いた小説ですから当たり前なんですけどネ。
今回は短編も短編、ショートなストーリーを書いてみました。
たまにはこういう文学作品を書いてみるのもいいものです。