上層区への入り口
「上層区は、都市全体を守る結界術式の中枢であり、同時に教会の**『信仰の盾』**が最も厚く展開されている場所だ。通常の侵入は自殺行為だぞ、フォン。」
鉄鎖団の司令室で、カイトは広げたホログラム地図を指差しながら警告した。地図上では、城塞の上層区が複雑な赤い網の目のように光り輝いている。
「わかっている、カイト。だからこそ、俺たちは公式の抜け道を使う。」フォンは冷徹に言い放った。「アンは、あのクソったれなシステムの中枢技術者だった。彼は、緊急時用の隠されたメンテナンスルートのアクセスコードを持っていた。そのルートは、上層区の旧エネルギー省施設へと直結している。」
ランは、その秘密のルートを確保するために、カイトの技術者たちと共に徹夜で作業を続けていた。彼女は、回収したデータから、城塞の古い暗号化キーを再構築し、フォンの記憶にある情報と照合していた。
「キーコードの再構築は完了しました。」ランは疲労の色濃い顔で言った。「理論上は、城塞の古い通信プロトコルを一時的に誤認させ、下層のメンテナンスゲートを開けることができます。ですが、これは一度きりのチャンスです。もし警報が鳴れば、上層区の衛兵と教会の特務部隊が、数秒で駆けつけます。」
「数秒あれば十分だ。」フォンは言い切り、カイトに向き直った。「俺たちの復讐は、ここから始まる。お前たちの役割は、俺たちが突入した後、城塞内部の通信を一時的に麻痺させ、混乱を引き起こすことだ。」
カイトはフォンの、死をも恐れぬ覚悟に、複雑な感情を抱いた。彼は理想のために戦うが、フォンは憎悪と愛という、より原始的な力で動いている。
「フォン、改めて聞く。お前の目的は、首席研究官のディンか、それとも上級大将のトランか? それとも、俺たちの解放のための情報か?」
フォンは装甲スーツのグローブをはめながら、カイトの目を真っ直ぐに見返した。
「全てだ。だが、最優先はディンと枢機卿ヴォイの抹殺。彼らはアンの魂を弄んだ。情報の回収はランに任せる。俺たちの行動が城塞を揺るがせば、お前たちの革命は成功するだろう。これは、復讐と革命の取引だ。俺は取引を破らない。」
カイトはフォンの決意を読み取り、ため息をついた。「わかった。我々は最善を尽くす。だが、もしお前たちが窮地に陥っても、俺たちには上層区に増援を送る手段はないことを忘れるな。」
作戦決行の時が来た。
フォンとランは、鉄鎖団のメンバー数名に護衛されながら、城塞の最下層にある、長年封鎖されていた巨大な下水道トンネルへと向かった。このトンネルは、禁域の汚染された地下水と城塞の廃水を混ぜ合わせる、巨大な迷路だった。
悪臭が鼻を刺し、暗闇の中で足元の汚水が音を立てる。フォンは、高性能なステルススーツに身を包んでいたが、この場所の腐敗は、スーツのフィルターさえも透過してくるようだった。
「…こんな場所が、光輝く城塞の真下にあるなんて。」ランは口元を覆いながら呟いた。
「光が強ければ強いほど、影も濃くなる。」フォンは冷たく返した。この場所こそ、彼らが城塞の真の姿を見るための入り口だった。
彼らは、カイトが提供した古い地図を頼りに、下水道の奥深く、忘れ去られたメンテナンスゲートへと到達した。そこにあるのは、重厚なチタン合金製のハッチで、表面には城塞軍の古い認証システムが組み込まれている。
「ここが、アンが言っていた場所です。このハッチは、非常時に上層区へのアクセスを必要とする、ごく少数の技術者と役人だけが知っていました。」フォンはランにアイコンタクトを送った。
ランは覚悟を決め、古いデータアクセスポートに特殊な光ケーブルを接続した。彼女の指が、コードを打ち込むためにキーパッドの上で停止した。緊張で、彼女の額には脂汗が光る。
フォンはランの横に立ち、彼女を完全に庇う体勢をとった。彼は懐かしさと痛みが混じり合った表情で、古びたキーパッドを見つめた。
(フォンの記憶)
ハッチを開くための起動シーケンス。それは単なるパスコードではなかった。アンがフォンに教えたのは、彼らの記念日、アンがフォンに送った最初の贈り物、そして二人が共有した秘密の暗号を組み合わせた、二人の思い出の物語だった。
『2-4-9-W-A-T-C-H-3』
「フォン、このコードを忘れるなよ。これは、俺の命よりも大切な、俺たちの秘密の鍵だ。」アンはかつて、そう言って笑った。その時のアンの優しい笑顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
今、その「秘密の鍵」は、彼の愛した者を侮辱した者たちを殺すための、破滅の引き金となる。
「ラン。」フォンは深く息を吸った。「コードだ。俺たちの過去が、今、未来を切り開く。」
ランは無言で頷き、震える指で、愛の記憶を破壊の道へと書き換えるために、認証シーケンスを入力し始めた。
ピ…ポ…パ…
電子音だけが、城塞の闇の深部で響き渡った。ハッチのロック機構が内側から唸りを上げ、重い金属が軋む音が鳴り響く。
「…開きます!」ランが囁いた。
ハッチはゆっくりとスライドし、その奥に広がるのは、上層区の施設へと続く、冷たく、無菌の、細いシャフトだった。
フォンは、ハッチの向こう側の、自分たちの人生を破壊した敵の本拠地を凝視した。
「行こう。裏切り者の故郷へ。」
彼はランを促し、ライフルを構え、光の届かないシャフトの闇へと、最初の一歩を踏み出した。




