理想と現実の亀裂
暫定評議会による城塞の統治は、軍閥の脅威が表面上は沈静化したにもかかわらず、新たな内部の圧力に晒されていた。カイトが掲げた「平等と法の支配」という理想は、権力の空白を埋める過程で、現実という名の硬い壁にぶつかり始めていた。
最大の亀裂は、評議会内部、すなわち革命の最前線で共に戦った同志たちの間に生じた。食糧と資源の公正な配給が始まった矢先、評議会に任命されたばかりの下級管理官たちが、権力を利用して私腹を肥やし始めたのだ。彼らは、過去の圧政の犠牲者だったはずだが、今や新たな既得権益者となっていた。
ランの通信記録には、資源倉庫からの物資の不正流用、旧友への優先的な食糧配給、そして「報奨金」と称する違法な徴収の報告が続々と集まっていた。
「カイト、見て。これは、私たちがトランの圧政と戦った目的を裏切る行為よ。」ランは、不正の証拠となるデータをカイトの前に提示した。
カイトの顔は青ざめた。彼は、革命の純粋さを信じていた。「これは許されない。彼らは新しい法の裁きを受けなければならない。評議会で直ちに懲罰委員会を立ち上げる。」
しかし、カイトの対応は、あまりにも**遅緩（ちかん - chậm chạp）**だった。彼は、厳格な手続きと証拠の収集にこだわり、その間に不正は拡大し続けた。
一方、旧体制の残党も動きを見せていた。上層区の富裕層や、トランの元行政官たちは、評議会の急進的な社会改革に激しく反発。彼らは、目に見える武力ではなく、評議会が制定した法律の穴を利用し、政治的な抵抗を組織し始めた。彼らは、合法的な集会と称して大規模な抗議活動を組織し、城塞の安定を揺るがした。
「私たちは、彼らの声を尊重しなければならない。表現の自由は、この新しい城塞の基礎だ。」カイトは主張した。
フォンは、この二重の危機に直面し、カイトの理想論に激しい焦燥を覚えた。
「カイト、彼らはあなたの**寛容（かんよう - khoan dung）**を弱さと見ている。腐敗した管理官は、市民の信頼を根底から揺るがし、旧体制の残党は、組織的な反乱の火種を蒔いている。」フォンは、治安維持隊司令部でカイトに詰め寄った。「懲罰委員会など待っている時間はない。我々が動かなければ、市民は再び混沌を恐れ、評議会から離反する。」
フォンは、カイトの承認を待たずに、行動に出た。
腐敗が最も深刻な中央資源倉庫。治安維持隊は、フォンとミカの指揮の下、夜間の奇襲作戦を実行した。彼らは、不正を行っていた管理官をその場で拘束し、横流しされていた物資を回収。この作戦は、評議会の委員会による長期的な調査よりも、数時間でより多くの結果を生み出した。
さらに、上層区で組織された旧体制派による大規模な抗議集会。フォンは、これが暴動へと発展する一歩手前で、強制的な解散を命じた。彼の隊員は、非殺傷性の武器を使用したが、その迅速かつ断固とした対応は、法の精神よりも力の行使を優先したものだった。
これらのフォンの行動は、腐敗と反乱の拡大を防ぐという点では、極めて効果的だった。市民は、評議会が「迅速に行動している」と評価し、治安維持隊への信頼は高まった。
しかし、これはカイトが築こうとした「法の支配」を直接的に侵害するものだった。
カイトは、激怒した。「フォン！ あなたは、私の承認なしに、市民を武力で鎮圧し、評議会が定めた法的手続きを完全に無視した！ これは、トランの行った圧政と何が違うのだ！？」
フォンは、冷たい視線を返した。「違います、カイト。トランは市民を抑圧した。私は、市民を守るために、秩序を回復しただけです。」
「あなたが理想を語っている間に、城塞の血液は汚染され、心臓は止まりかけていた。私が法の手続きに従っていたら、腐敗した管理官は証拠を隠滅し、抗議集会は暴徒化していただろう！」
「私たちは、理想のために戦ったのではないのか？ 力に頼るなら、私たちは何のために革命を起こしたのだ！」カイトは、叫んだ。
フォンは、静かに結論を突きつけた。「私たちは、理想を生き残らせるために戦ったのです。あなたが定めた『法』は、まだこの城塞の混沌には弱すぎる。私は、あなたがその法を強固にするまで、盾と剣として行動する。それが、あなたの革命が崩壊しないための、唯一の道だ。」
この対立は、評議会の基盤を揺るがした。カイトは、革命が、理想だけでは成り立たないという、残酷な現実を突きつけられた。彼の理想的な新体制は、フォンの強権的な軍事力という、彼自身が最も恐れる力に依存することでしか、存続できないのだ。亀裂は、もはや修復不可能なほどに深まっていた。
