血路
非常サイレンの甲高い音が実験施設内に鳴り響き、血のように赤い回転灯が狭い廊下を照らしていた。床を震わせる振動は、自爆までの残された時間を示している。「5分」という無情な数字は、命の終わりを告げるカウントダウンだ。
「フォン兄さん、どうすれば…！」ランは泣き崩れそうになるのを必死で耐え、背後の鋼鉄の扉を凝視した。扉は既に大きく歪み、まるで巨大な獣の歯型がついたかのように、内側へ向かってめり込んでいる。
フォンは動揺するランの肩を掴み、その瞳に強い意志を込めた。「怯えるな、ラン。彼らが望んだのは、俺たちをここで黙らせることだ。だが、俺たちは死なない。生きて、奴らの計画を世界中に晒す。」
彼は手榴弾の安全ピンを引き抜き、唇を固く結んだ。頭の中を過るのは、手に入れた極秘ファイルと、水槽の中で変異させられていた兵士たちの姿だ。そして、胸の奥底では、別の記憶が灼熱の炎となって燃え盛っていた。かつて愛した男、戦場で散ったと信じていたあの顔。もし彼もまた、この汚らしい実験の犠牲になっていたとしたら――その想像だけで、フォンの殺意は臨界点を超えた。
「作戦通りだ。通気ダクトまで走る。奴が入ってきたら、これで目眩ましをする」
――ガキィィィィン！
鋼鉄の扉が、ついに怪力によって引き剥がされた。
埃と硫黄の臭いと共に、あの「機械変異体（Kikai Hen'itai）」が暗闇から姿を現した。三メートルの巨体は狭い空間でさらに巨大に見え、背中の錆びたパイプからは毒々しい紫色の煙が立ち昇っている。その肉の球体のような頭部に散らばる数十の赤い瞳が、ターゲットであるフォンとランを正確に捉えていた。
「今だ！」
フォンは叫び、白リン手榴弾を床に転がした。着弾と同時に、部屋は灼熱の閃光と白い煙に包まれた。煙はフィルターを透過し、怪物の赤い目を焼き焦がす。
「グルアアアァァァッ！」
変異体の耳障りな咆哮が施設全体に響き渡った。
フォンはその一瞬の隙を見逃さなかった。彼はランを抱き上げ、よろめきながらも、部屋の隅にある大型の換気ダクトに向かって駆け出した。彼はアサルトライフルでダクトの蓋を打ち破り、まずランを中へ押し込む。
「早く！ファンを止めろ！」
ランは急いでダクトの中へ這い入ると、故障した制御パネルに両手を当てた。呪文を唱える間もなく、彼女の指先から青白い術式工学のエネルギーが迸る。この作業は、彼女の精神汚染度を危険なレベルまで押し上げるが、もはや躊躇している時間はない。巨大な排気ファンが軋みをあげて回転を止め、彼らの逃走経路を確保した。
その時、変異体の巨大な鉤爪がフォンの足元を切り裂いた。
「ッ…！」
フォンは血を吐きながらダクトの中に滑り込んだ。彼は素早く体勢を立て直し、背後を振り向いた。変異体は、その巨体と角質の外骨格を無理やり押し込み、ダクトの中を這い上がろうとしていた。
「フォン兄さん！」ランが恐怖に引きつった声で叫ぶ。
フォンは残りの弾倉の全てを怪物の頭部に向けて叩き込んだ。弾丸は外骨格を砕け散らせることはできなかったが、動きを一瞬だけ鈍らせる。その間、フォンはランを先頭に立たせ、狭く錆びた通路を這い上がっていった。
彼らの下から聞こえるのは、変異体が彼らを追って這い進む悍ましい音と、サイレンの断末魔だ。
「ここだ…出口だ！」
フォンがダクトの終端を蹴破ると、冷たい酸性雨と、廃墟となったエリア9の淀んだ空気が顔を打った。彼らは崩壊したビルの屋上近く、ほとんど垂直の場所に出た。
彼らが地上に降り立つか降り立たないかのうちだった。
ドーーーーーン！
凄まじい爆発音が彼らのすぐ下で轟いた。地下施設全体が火柱を噴き上げ、大地が激しく振動する。熱波と破片が二人の体を襲い、彼らは辛うじて建物の残骸の陰に身を隠した。
施設は完全に消滅し、煙と灰が空高く舞い上がった。証拠隠滅は完璧だ。そして、フォンとランは、公式記録上、この爆発で「戦死」したことになるだろう。
フォンは、ずぶ濡れの身体で立ち上がり、手にした極秘ファイルがまだアーマーの内側にあることを確認した。彼の心は、爆発の熱よりも激しく燃え滾っていた。
「これで終わりじゃない…」フォンは雨に濡れた顔を上げ、遠くに見える城塞の巨大な防壁を睨みつけた。「俺たちを裏切り、彼を侮辱した代償を、必ず払わせてやる。」
城塞の兵士としてではなく、追われる反逆者として。彼らの血路は、今、広大なグレーゾーンへと開かれた。彼らを待つのは、虚ろな者たちの群れか、それとも冷酷な追跡者か。
彼らの逃亡は、まだ始まったばかりだった。
