大地の崩壊
『緊急プロトコル起動。起動シーケンス、残り90秒』
アラームが叫び、赤色の警告灯が、ヴォイ枢機卿の血で染まった制御室を照らした。数百体の機甲化変異体が、起動の最終段階に入り、その関節から不気味な軋み音を立て始めている。
ランは、ジンとミカに支えられながら、コンソールに飛びついた。彼女の全身は、魔力枯渇と出血で震えているが、その瞳には、アンの託した希望を成就させるという、鋼鉄の意志が宿っていた。
「ミカ、フォン兄さんを!」ランは叫んだ。「ジン、周囲の岩盤に、残りの爆薬を仕掛けて! 脱出路の確保が最優先!」
ジンとミカは、フォンを安全な場所へ移動させつつ、ランの周囲の防御を固めた。フォンは、意識はあったが、口を動かす力さえなかった。ただ、血に濡れた目でランの背中を見つめ、彼女の成功を祈るしかなかった。
『残り60秒』
ランは、ヴォイの最後の防壁を突破するために、ディン教授のデータと、アンが残した秘密のコードを融合させた。
「ディンのシステムは巧妙よ…でも、アンさんのコードが、その論理の裏側を教えてくれる!」
彼女の指が、キーボードの上で驚異的な速度で動き、その度に、彼女の体から魔力の青い光が噴き出した。彼女は、体内の全ての魔力を、この一瞬に注ぎ込んでいる。起動シーケンスは、単なるスイッチではない。それは、**『大地の傷痕』**から魔力を吸い上げ、変異体の肉体に定着させるための、巨大な生命維持システムだ。
『残り40秒』
ランは、システムに侵入し、起動命令を**「逆転」させた。吸い上げるエネルギーの流れを、強制的に排出**へと切り替えたのだ。
変異体たちの瞳が、起動を示す赤色に輝き始めたが、それはすぐに不安定な紫色へと変わった。彼らの体内で、異常な魔力のフィードバックが発生し、金属の肉体が歪み、内部の液体が噴き出し始めた。
「成功だ…! でも、これは…!」ランは、ホログラムに表示されたデータを見て、顔色を変えた。
エネルギーの逆流は、変異体を破壊するだけでなく、その供給源である『大地の傷痕』の核をも不安定にさせたのだ。
『残り20秒』
コンソールが爆発寸前の警告音を上げ、空洞全体が激しい振動に見舞われた。亀裂から噴き出す紫色の魔力の奔流は、コントロールを失い、巨大な炎となって天を衝いた。
「ラン、離れろ! この洞窟は崩壊する!」ジンが叫び、最後の爆薬を脱出路の岩盤にセットした。
「まだだ! アンさんのデータ回収が…!」ランは、逆流がシステム全体に及ぶ最後の瞬間まで、コンソールから離れようとしなかった。
『残り5秒』
ジンはランに駆け寄り、強制的に彼女を引き剥がした。
ドゴオオオオオオォン!
ランがコンソールから引き離されたのと同時に、空洞全体が、まるで巨大な獣が咆哮したかのように爆発した。起動コンソールは粉砕され、数百体の変異体は、制御を失った魔力の炎に包まれ、無残な塊へと化した。
エネルギーの逆流は、古代の地殻の亀裂をさらに広げた。地面が激しく揺れ、天井の巨大な岩盤が、津波のように崩れ落ちてきた。
「爆破するぞ! 早く!」ジンは叫び、起爆装置を押した。
バババァン!
ジンが用意した爆発が、崩壊の波を一時的に止め、脱出へと続く新たなトンネルを開いた。ミカは、ランとフォンを抱え、ジンと共に、開いたばかりの狭い通路へと飛び込んだ。
彼らが飛び込んだ直後、彼らの背後で『大地の傷痕』の空洞全体が、恐ろしい轟音と共に完全に崩落した。ヴォイ枢機卿の死体、変異体の軍団、そして城塞の最もおぞましい秘密は、すべて、激しい魔力と崩壊した岩石の渦の中へと飲み込まれていった。
彼らの体が、瓦礫の山を転がり落ちた。
数時間後。
意識を取り戻したフォンは、再び暗いトンネルの湿った床に横たわっていた。頭上からは、水滴が落ちる音と、遠くで響く地震の余波のような微かな振動だけが聞こえる。
「…ランは?」フォンは掠れた声で尋ねた。
ミカが、フォンの傷の手当てをしながら、静かに答えた。「無事です。魔力は完全に空になりましたが、命に別状はありません。私たちも、ジンのおかげで、教会の追跡から逃れることができました。」
フォンは身体を起こし、ランを見た。彼女は血と泥にまみれ、眠っていたが、その表情は安堵に満ちていた。
そして、世界は救われた。アンの復讐は、人類の絶滅を防ぐという形で、最高の結末を迎えた。
しかし、フォンは知っていた。これは戦争の終わりではない。城塞の上層部は崩壊し、教会の権力は弱まったが、その代わりに生まれたのは、『虚ろな者たちの時代』、そして、城塞を失った人々による**『新しい混沌』**だ。
フォンは、静かにランの隣に横たわった。彼に残されたのは、愛する者の復讐を果たしたという冷たい確信と、この崩壊した世界を、次にどう生きていくかという、途方もない問いだけだった。




