ヴォイの門
深層トンネルの長く、血塗られた通路を抜けると、彼らの目の前には、現実の法則が歪んでいるかのような巨大な地下空洞が広がっていた。
そこが**『大地の傷痕』**だった。
空洞の中心には、古代の激変によって生まれた巨大な亀裂があり、その裂け目からは、世界を形成する根源的な魔力――異界のエネルギーが、強烈な紫と緑の光となって脈打っていた。空気は重く、魔力の奔流に満たされており、音もなく壁が震えている。
そして、その禍々しい魔力の中心を囲むように、数百体の**機甲化変異体(Kikōka Hen'itai)**が整然と並べられていた。彼らは頭上を垂らし、起動を待つ巨大な軍隊のようだ。
「あれが…奴らの最終兵器か。」ジンは息を呑んだ。
フォンは意識のないランをミカに託し、ライフルを構え、その光景を冷徹に見据えた。彼の視線は、変異体ではなく、その起動儀式を指揮している人物に釘付けになった。
亀裂の縁に、純白と黄金の儀式用装甲を纏った人物が立っていた。教会の最高権力者の一人、**枢機卿ヴォイ(Voi)だ。彼の周囲には、他の監視者とは一線を画す、精鋭中の精鋭部隊――『聖典騎士団』**が、厳重な陣形を敷いていた。彼らは、魔術的な防御力を高める特殊なローブと、強固な盾で武装している。
「ヴォイ枢機卿だ…」ミカが声を潜めた。「彼こそが、再生計画の真の首謀者。」
フォンは憎悪を制御しようと努めたが、アンの魂を弄び、この世界に破滅をもたらそうとしている男の姿を見て、全身の血管が沸騰するのを感じた。
ヴォイの防御は完璧だった。彼と変異体の軍隊を守っているのは、分厚い鉄製の強化ゲートと、目に見えない**『信仰の結界』**だった。
「まずい、二重の防御だ。」ジンが分析した。「ゲートは特殊な電磁ロックで固められている。そして、あの結界…おそらく、**『不浄排除の術式』**だ。虚ろな者や、魔力の汚染を持つ者を近づけないための、教会の切り札だ。」
フォンは自らの体を見た。彼はディン教授との戦闘で、不浄の血を浴び、虚ろな者の領域を潜り抜けてきた。この結界に触れれば、彼の存在そのものが激しい拒絶反応を引き起こし、全身のアーマーを破壊される可能性があった。
「ランがこの結界を破ることは可能か?」フォンはミカに尋ねた。
ミカはランの脈を確認しながら、厳しい表情で答えた。「ランは今、魔力枯渇で動けません。彼女が回復しても、この規模の結界を破るには、時間が必要です。そして、彼女がもし結界にテクニカを使えば、ヴォイに即座に居場所を特定されます。」
フォンは、ライフルを強く握りしめた。彼には、時間も、優位性もなかった。三日後の夜明けは、数時間後に迫っている。
「残された道は一つ。正面からの突破だ。」フォンは静かに言った。「ジン、お前とミカは、ランを連れて、ここで待機しろ。」
「何を言っている!」ジンが怒鳴った。「あの騎士団とヴォイの前に、一人で突っ込む気か! 自殺行為だ!」
「俺は自殺はしない。俺は復讐を終えに来た。」フォンの目は、血よりも冷たい決意を放っていた。「俺の目的はヴォイを殺すこと。そして、ランが目を覚まし次第、機甲化変異体の起動シーケンスをハッキングすることだ。お前たちには、ランを安全な場所に守り、彼女が任務を遂行できる状況を維持する責任がある。」
フォンはアンのIDカードを胸のポケットに深く押し込んだ。彼がこの戦いに挑むのは、もはや軍事的な義務ではない。それは、愛する者との最後の、最も過酷な約束を果たすためだ。
「ジン、ミカ。俺が攻撃を開始したら、カイトの陽動部隊が外部で爆発を起こす。その隙を突け。ランがハッキングを終えたら、俺の援護など考えるな。脱出ルートへ向かえ。」
フォンは、鉄鎖団の最後の魔力パルスグレネードを数発、装備に装着した。
「一つだけ教えてくれ、フォン。」ミカが尋ねた。「どうやって、あの『信仰の結界』を通り抜けるつもりだ?」
フォンは一瞬、ヴォイの姿に目を向けた後、冷たく答えた。
「結界が不浄を排除するなら、俺は不浄そのものになる。俺の憎悪は、教会の魔力をも焼き尽くす。」
彼は深呼吸をし、衛兵の制服の残骸を捨て、真の戦闘服の冷たい感触を全身に受け止めた。彼はライフルをしっかりと構え、聖典騎士団と枢機卿ヴォイの待つ、強化ゲートへと向かって、歩み始めた。
彼は一人で、光の勢力と、人類の未来をかけた最終決戦に挑む。
――カチッ。
フォンが発砲のための安全装置を解除する音が、大地の傷痕の轟音に、かき消されることなく響き渡った。




