セキュリティ・グリッド
チタン合金製のハッチが閉ざされた瞬間、フォンとランは、城塞の上層区の空気に身を晒した。下水道の悪臭と腐敗とは対極にある、無菌的な清潔さと、人工的な冷たさが彼らを包み込む。壁は磨かれた鋼鉄、照明は眩しいほどの白色だ。この階層は、グレイゾーンの悲劇とは無縁の、選ばれたエリートたちの隔離された楽園だった。
「警戒を怠るな。」フォンは内線で囁いた。彼のステルススーツは、カイトの鉄鎖団が改良を加えたもので、熱感知を抑え、表面の魔力共鳴を僅かに歪ませる機能が追加されている。
彼らが最初に直面したのは、物理的な防御網だった。通路を横切るレーザーセンサーと、定期的に稼働する熱スキャン。フォンは、長年の戦場経験から来る反射神経で、熱スキャンのサイクルを読み取り、瞬時に姿勢を低くしてセンサーの隙間をすり抜けた。
「次は魔法防御です。」ランの声は緊張で固まっていた。
通路の天井と床には、複雑な魔法陣が薄く輝いていた。これこそが、教会の技術が最も発揮されている「セキュリティ・グリッド」だ。これは単なる警報システムではない。魔力共振センサーと呼ばれる結界は、不正な魔力の使用を感知するだけでなく、グレイゾーンの汚染、特にフォンのように虚ろな者と接戦を繰り広げてきた人間の、精神に残る魔的な残響までを検知する。
「ラン、お前の出番だ。魔力共振を最小限に抑えつつ、システムの論理回路を騙せ。微細な誤作動を引き起こすんだ。」
「分かっています…でも、ここの結界は厚すぎます。私の力が…まるで泥の中に手を突っ込むみたいに、抵抗されます。」
ランは目を閉じ、全身の集中力を指先に集めた。彼女は極限まで出力を絞り、まるでメスで神経を切開するように、セキュリティ・グリッドの電子脳に干渉していく。彼女の額からは血管が浮き上がり、静かな通路に彼女の荒い息遣いだけが響いた。
――カチッ。
彼女が魔力を引き抜くと同時に、グリッドの光が一瞬だけ揺らぎ、すぐに正常に戻った。しかし、その一瞬で、フォンはセンサーの検知範囲から脱出することができた。
「よくやった、ラン。」
二人が次の角を曲がり、古い配電盤の陰に身を隠した瞬間、通路の反対側から足音が聞こえてきた。
「城塞衛兵だ。三人組。教会の紋章はないが、装備は最新式だ。」フォンはヘルメットのズーム機能で確認した。
衛兵たちは傲慢な態度で、何の疑問も持たずに通路をパトロールしている。彼らにとって、この上層区への侵入者など、想像の範疇外なのだ。
フォンはランにアイコンタクトを送り、サイレンサー付きのレーザーピストルを構えた。彼は衛兵たちが角を曲がるのを待たず、素早く通路へ滑り出た。彼は静音のショックグレネードを衛兵たちの足元に投げつけた。
ブスッ!(無音の衝撃音)
衛兵たちは呻き声一つ上げることなく、全身の神経を麻痺させられ、床に崩れ落ちた。フォンは即座に彼らの意識を確認し、彼らの通信機と装備を無効化した。すべては5秒以内に完了した。
「衛兵の制服に着替える。時間がない。」
彼らは衛兵の制服を着用し、再び通路を進んだ。制服の裏側には、衛兵専用の小さな魔力抑制符が縫い込まれており、フォンのグレイゾーンの汚染を一時的に隠蔽するのに役立った。
「フォン兄さん…アンさんが教えてくれたルートは?」
「ここから3ブロック先。あのクソ教授ディンがいる旧エネルギー省施設だ。」
フォンの脳裏には、アンがかつて冗談めかして言った言葉が蘇る。『この城塞で最も安全な場所は、最も危険な場所だ。秘密を知っている人間だけが、その中に潜り込めるんだ。』
彼らはエレベーターを避け、古びた配管シャフトを上り続けた。上層区は清潔だが、その清潔さは表面的なもので、シャフトの奥からは、常に油と異界の魔力が混じったような、甘く病的な臭いが漏れ出ていた。
そしてついに、目的地が見えてきた。
旧エネルギー省施設――それは、他の近代的なビルとは異なり、古代の巨石と現代の鉄骨が融合したような、異質な外観を呈していた。建物の周囲には、目に見えない防御壁が展開されており、空間そのものが微かに歪んで見えた。
「これが…」ランは息を呑んだ。「私たちが突破したセキュリティ・グリッドとは全く違う。純粋な魔術結界です。私のテクニカ(術式工学)では、これを正面から突破するのは…不可能かもしれません。」
施設の入り口には、教会の枢機卿クラスしか持てないであろう、黄金と黒曜石でできた巨大な紋章が掲げられていた。その紋章の中心では、魂の血のようなものが滴り落ちているように見えた。
フォンはライフルを強く握りしめた。彼の復讐のターゲットは、この結界の奥にいる。
「不可能ではない。突破できない壁はない。」フォンは言った。「ラン、正面から突破する必要はない。必ず、アンが残した裏口がある。奴は、この場所の脆弱性を誰よりもよく知っていたはずだ。」
フォンは衛兵の制服のポケットに手を入れ、一つの古い電子カードを取り出した。それは、アンがかつて冗談で彼に渡した、機能しないはずのIDカードだ。
「さあ、愛の記憶が、この地獄の門を開くかどうか試してみよう。」
彼は、そのカードを壁に埋め込まれた読取機にかざした。




