幼馴染のカウントダウン
バレンタインを知ったのは幼稚園。
チューリップが咲いた日、お隣に引っ越してきたヒロ君に恋をした。お母さんの後ろに隠れてモジモジしていた私の顔を覗き込んで、ニコって笑った顔がキラキラに見えたヒロ君。それからヒロ君は、ずっと私の王子様。
「柚ちゃん、チョコをゆっくりまぜてね」
「うん、わかった! ねえママ、ヒロ君よろこんでくれるかな?」
ママと一緒に初めて作った手作りチョコ。沢山できたけど、その中で特にキレイにできたものを選んでラッピングした。
「いってきます!」
バレンタインのチョコを持って玄関を出る。ヒロ君の家は隣だから、あっという間に着いちゃう。ピンポンを押そうと思ってボタンに触ったけど、押さないで離した。
「あれ、なんか……はずかしい……?」
バレンタインのチョコはハートがいっぱい描いてある袋を見つめる。ヒロ君はサッカーが好きで、青色が好き。
どうしよう……。いっぱい間違えちゃった。
ヒロ君にハートのチョコなんてやだって言われたら、絶対いや──。
チョコを作るときは、あんなにワクワクしていたのに、楽しくてふわふわした気持ちがプシュウとしぼんでいく。でも、チョコを持ったまま帰ったら、ママにどうして渡さなかったの? ママと一緒に行こうって絶対に言われちゃう。
「…………ポストに入れちゃおう」
目の前にあるヒロ君の家のポストに誘われる。すごくいい考え。ポストも入れてって言ってる気がするもん。ちょっと背伸びして、ヒロ君の家のポストにチョコを入れた。コトン、と小さな音が鳴って、おしまい。走って家に帰る。手は冷たいのに、頬っぺたが熱い。心臓がドキドキしてる。
「柚ちゃん、早かったわね」
「うん、おとなりだもん」
「ヒロ君、なにか言ってた?」
「なにも言ってなかった」
まっすぐにコタツに潜り込んだ。嘘はついてない。ヒロ君に会ってないからヒロ君は何も言ってなかった。嘘はついてないよ。
「柚ちゃんの作ったチョコ、食べる?」
「ううん、いらない……」
さっきまでキラキラして見えたチョコなのに、今はちっとも見たくないし、食べたくない。ヒロ君のチョコ、ポストから見つかったかな、ヒロ君のチョコ、ちゃんと食べてくれるかな──やっぱりピンポンすればよかったかな……。
「…………ちゃん、っ、柚ちゃん!」
「ん、ママ、なあに……?」
気づいたらコタツで寝ていて、ママに起こされた。お風呂かなと思ってママを見上げる。
「ヒロ君が来てるわよ」
「──えっ?」
びっくりして玄関に急ぐ。ヒロ君が玄関にお皿を持って立っていた。お皿の上に布が乗ってて中身はわからない。もしかしてチョコ要らないって言われるのかな、と心配で心臓がギュッとする。
「チョコくれたの柚ちゃんだよね?」
ヒロ君の言葉に心臓がドキン、と大きく跳ねた。
「う、うん……」
「やっぱり柚ちゃんだった! ありがとう! すっごくおいしかったよ、お返し!」
ニコっと笑ったヒロ君にお皿を渡される。そろっと布をずらすとクッキーが三枚。鳥さんとクローバーとハート。
「わあ……っ、かわいい!」
「ママといっしょに作ったんだ」
「えっ、ヒロ君が作ったの? すごいね」
「バレンタインにチョコもらったらお返しを渡すんだって!」
「そうなんだ! ありがとう、ヒロ君」
初めてのバレンタイン。恥ずかしくて渡せなかったのに、ヒロ君が来てくれて心がぽかぽかになった。ヒロ君のまわりに沢山のキラキラが見える。
やっぱりヒロ君は私の王子様──!
◇◇◇
あれから十四年が経ち、高校三年生になった。
ヒロ君と私は、幼馴染のお隣さんとして変わらず仲良く過ごしている。残念だけど、バレンタインのチョコを直接渡せずにヒロ君の家の郵便受けに入れるのも変わっていない。十四年の間に、郵便ポストと郵便受けの違いがわかったけど。
「ヒロ君に今年こそチョコを渡す……っ!」
四月から私は地元の大学、ヒロ君は東京の大学への推薦が決まった。そして、それは私がヒロ君のお隣さんでいることのできるカウントダウンの始まりでもあるわけで──。
初めて出会った日からヒロ君を好きなことは、ずっと変わらない。ヒロ君が引越してきた日からヒロ君はずっと私の王子様のまま。好きはどんどん増えている。
幼馴染でお隣同士。もし好きと伝えて今の関係が壊れるのが怖かった──でも、あと少しでお隣の幼馴染は終わってしまう。
──ずっとヒロ君の隣にいたい。
でも、好きという二文字の言葉を言えないまま時間だけが過ぎていき、バレンタインの時期を迎えた。これはきっとラストチャンス。バレンタインにチョコを渡しに行こう。ポストじゃなくて、ヒロ君に手渡しして告白しようと決めた。
もし振られてもヒロ君は東京の大学に進学するし、もし両思いになっても東京には半日で行ける距離。きっとどうにかなる。告白の後のことは、未来の自分に任せよう。きっと大丈夫。
ヒロ君の好きなガトーショコラを焼いて、チョコペンで『好き』って書いた。私が告白をやめないようにおまじないをかける。ラッピングを終えたガトーショコラは大人っぽい雰囲気になった。大丈夫、変じゃない。
今日はヒロ君が家でのんびりしているのは確認済み。玄関を出て、ヒロ君の家の前まで三十秒。
「ううう〜やっぱりチョコを手渡しはハードルが高い……」
大きく息を吸って吐いた。私の口から白い息が立ち上って消えていく。何度も同じことを繰り返していたら、くしゃみが出た。
やっぱり郵便受けでいいんじゃないかな、一応『好き』ってチョコペンで書いているし、かさばるラブレターになるような気もする──と考えたところで顔を横にブンブン振った。幼稚園の頃から成長していない自分に喝をいれる。女は度胸。
「────えいっ」
インターホンを押して音が鳴ったと同時にヒロ君がドアをあけて、心臓が跳ねた。
「ひゃ……っ!」
「柚ちゃん、びっくりしすぎだよ──寒いから入って」
びっくりする私の腕を取って、ヒロ君の部屋に案内される。ここに来た目的を思い出して、心臓の音が聞こえていないか心配になるくらい早鐘を打ちはじめた。
「柚ちゃん、外寒かった?」
「う、うん……」
「そっか。あったかい飲み物持ってくるね」
「う、ん、ありがとう……」
いつものようにヒロ君の部屋のローソファに座る。小さい頃からお互いの家を毎日のように行き来していて、漫画を読んだり宿題をしている。いつもと同じだけど、バレンタインの日にヒロ君の部屋に来たのは初めて。意識すればするほど緊張が高まっていく。口から心臓が飛び出そう……。
「はい、柚ちゃん。ミルク多めにしてあるよ」
「あ、ありがとう」
にこにこしたヒロ君からカフェラテの入ったマグカップを受け取る。ヒロ君が隣に座ると、二人の間に沈黙が落ちた。
「…………あ、あのね、チョコを渡しにきたの」
ヒロ君の顔が見れないままチョコの入った紙袋を差し出すと、受け取ってくれて胸を撫で下ろした。
「柚ちゃん、嬉しい。開けていい?」
弾むような声に目線を上げれば、どこまでも嬉しそうなヒロ君と目が合った。いつ見てもヒロ君はキラキラして格好いい。
「えっと、あの、……あの……っ」
思わずヒロ君の洋服をギュッと握る。上手く言葉が出てこない私をヒロ君が覗き込む。
「ん? あとで開けたほうがいい?」
「う、ううん……。あのね、それ見ても驚かないでほしい……あと、ヒロ君とこれからも変わらないでいたい……」
『好き』って描いたチョコが迷惑でも、幼馴染として変わらず仲良くしたいなんて我が儘だとわかっている。でも、卒業まであと一ヶ月。ヒロ君の態度が冷たくなったら辛すぎるから。
「わかった。あけるね?」
ヒロ君の言葉にこくん、と頷いた。大きな手がラッピングのリボンを丁寧にほどく。最後まであけたら『好き』のガトーショコラが出てくる。
見ていられなくて、ソファの横のクッションに抱きついて顔を伏せた。でも、目を閉じているからヒロ君のラッピングをあける音のひとつひとつが鮮明に聞こえてしまう。
「っ……!」
フタをあける音がして、ヒロ君の息を呑んだ音が聞こえた。どうしよう、どうしよう、本当に恥ずかしすぎて顔を上げられない。
「柚ちゃん、ごめん……無理」
ヒロ君の言葉に顔をクッションで隠しててよかったと思った。目尻から涙が溢れていく。ヒロ君のクッションが汚れちゃう。好きでもない子に汚されるなんて嫌だよね。早く帰らなくちゃ──。
「ごめん、もう帰──」
「好きな子に好きって言われて、今までと同じは無理だよ。ごめんね、柚ちゃん」
「……えっ」
思ってもいなかった言葉に、顔をあげればヒロ君の顔がほんのり赤い。ヒロ君のまわりに浮かぶキラキラがいつもより沢山煌めいている。
「──俺も柚ちゃんが好きだよ」
「っ!」
「初めて会った日に一目惚れしてから、ずっと柚ちゃんが好きだよ」
甘い言葉に息を呑む。ぶわりと熱が身体を駆け巡って、顔が痛いくらいに熱くなる。
「ほ、本当……?」
「本当だよ。柚ちゃん、顔が真っ赤。可愛い」
私は両手で顔を覆って赤い顔を隠す。心臓のドキドキが止まらない。熱い顔が沸騰しそうなくらいにどんどん茹だっていく。
「うう、ヒロ君、恥ずかしいから見ないで……」
「柚ちゃんの恥ずかしがりやなところ、ずっと変わらなくて可愛いよね」
「ヒ、ヒロ君、なんか甘い〜〜〜っ!」
指の隙間からじとりと見つめれば、ますます甘さの増した眼差しに見つめられてしまう。
「ごめん、浮かれてる。卒業式に告白するつもりだったのに、長年の目標だった柚ちゃんからチョコを直接もらうのが叶った上に、大好きな幼馴染が大好きな彼女になったからね」
卒業式に告白という言葉に顔を覆っていた手を離した。ヒロ君も私に伝えようとしてくれていたことに、じわじわと胸に喜びが広がっていく。
「今度は柚ちゃんから直接好きって言われるのが目標かな」
ニコッと太陽みたいに笑うヒロ君にまっすぐ見つめられる。期待する眼差しはどこまでも甘くて優しい。心臓がきゅんと甘やかな音を立てた。
「……ヒロ君」
「ん」
「………………すき」
「はあ〜〜〜〜〜〜可愛すぎる。俺も柚ちゃんが好き」
ヒロ君の大きな手のひらが頬に添えられて、見つめ合う。まぶたを閉じれば唇に柔らかな感触が重なった。初めてのキスはチョコよりもずっと甘い。
あれからお隣さんの幼馴染から恋人になって、社会人三年目のバレンタインの日──私たちは夫婦になった。
おしまい