まことの10秒
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うん? つぶらやくん、そこの時計、止まっていないかい?
やっぱりなあ、指している時間が妙に遅れていると思った。電池、代えないとだなあ。
私たち、時間への依存度は昔から、相当なものだろう。
時間を定め、守ることによって、規律あるまとまった動きが可能となる。
公的なことなら、それが人の命を左右する可能性だって、ままあるだろう。取り締まりに厳しくなるのも、当然のことといえる。
この時計たち、いわずもがな、私たちを対象として用意されているものだ。
何時何分、午前午後、知識を学んだ人間が、はじめてその意味を理解できるつくりをしている。
となれば、世には人間以外に向けた時計があっても、おかしくないとは思わないかい?
陽の傾き、腹の減り具合と、特別な道具を用意しなくても、おおよそ把握するための手段はある。
しかし、それ以外に時間をはかる方法があるのだとしたら? それはどのように出会うことができるのだろう?
私のむかしの体験なんだが、聞いてみないかい?
「まことの10秒を切り取ると、その10秒間だけ別世界へ跳ぶことができる」
この話を聞いたのは、中学一年生のときだったな。
ある朝、教室へ来てみると、二カ所で人だかりができている。
それらの中心にいた子たちは、ストップウォッチを手に、時間を測り出しては止め、リセットしてはまた測り出す……ということを繰り返していた。ときおり、周りを囲む野次馬たちと、操作する人を変えながらだ。
最短で二度押すたぐいじゃなかった。一押しと一押しの間が、ある程度開いている。
私もその野次馬へ混じってみて、それがぴったり10秒をカウントする競い合いなのだと分かったよ。
そして、まことの10秒の文言も、このときに聞く。
私もストップウォッチを手にして、いつも使っていたものとの違いに気が付いた。
秒数の下、コンマの数が非常に多い。
ミリ秒こと、1000分の1秒まで計測できるものは、どこかで見た覚えがあった。
しかし、このストップウォッチはそれよりも、更に2ケタ下まで計測できるようになっていたんだ。
いくら僅差を競う種目であったとしても、これほどのものを使うことは、そうないだろう。
尋ねたところによると、こいつは友達の身内が作った特製品とのこと。目的は先に話してくれた、まことの10秒を切り取ることに特化したのだとか。
こいつでぴったり10秒。
コンマの下に並ぶ桁たちも、すべて0で整えなくてはならないから、並みのストップウォッチで同じように試みるのとは、文字通りケタ違いの難しさだ。
集っていた誰もが、授業が始まるまでの空き時間で、目標達成に至ることはできなかったよ。
それからも学校にいる間の空き時間を縫って、挑戦は続いた。
まことの10秒切り取りができずとも、それに近い記録を出していくことでも、挑む心に火がともる。
――次こそは出せるんじゃないか。自分こそが出せるんじゃないか。
結果が分からないからこそ期待し、期待するから意欲を育む。
その情熱は放課後を迎えるまで、ほぼ衰えることなく続いたよ。
帰りのホームルームが終わると、さすがに朝ほどの人口集中はなくなる。
部活動や家の用事、単にこれより優先する事項が持ち上がるなどなど、教室には限られた面々しか残らなかった。
その残ったメンツの中に、私も混じっていたよ。
今朝、ふたつあったグループのうち、私たちのいたほうがより、まことの10秒に近い記録を出していてね。もうちょいで、きっちりゼロが並びそうな気配がしていたんだ。
ストップウォッチを用意してくれた彼を含めて、私たちは総勢4人。
ひとり3回挑んだなら交代のルールで、私たちはまことの10秒との間を詰めていった。
ホームルームも終わって数十分。校舎のそこかしこが、本格的に始まった部活動の気配に、ざわつき始めるころ。
私にストップウォッチ押しの、バトンが渡された。
直前の記録は、まことの10秒より、わずか0.00004秒遅い。並みのストップウォッチなら白旗あげて、ぴったしカンカンの判定をしてくれているところだろう。
しかし、この厳格ジャッジも、いよいよ年貢の納め時だろう。
一度目は0.0002秒早まった。
二度目は0.8秒と大幅に出遅れた。
そうなると三度目は期待薄、と見られても仕方ないところだろう。
しかし、リアルは往々にしてリアリティ先輩を殴りつけるもの。
三度目のトライ。そこでスタートしたストップウォッチの計測を、もう一度ボタンを押して止めた時。
10秒以下、きれいに並ぶ0を見た瞬間は、にわかに信じられなくて。
しばし視線が釘付けになったあと、まわりのみんなへ向かって「見た見た! 出たぞ」と興奮気味に声をかけたんだが。
おそらく、誰の耳にも届いていなかった。
なぜなら、顔をあげた私が認めたのは、他の三人が立っていた位置に突如として現れた、人間大の泥人形だったのだから。
精巧につくられたその泥人形たちは、先ほどまでみんながとっていたのと、寸分たがわないポーズを取っている。
ただ、その茶色い人形たちは、背中から銀色をした機械の腕らしきものを一本生やし、自分の頭上へ掲げていた。
その腕の先には、細い細い針が一本くっついている。
いずれもすぐ下に、彼らの頭が控えていた。ストップウォッチを用意してくれた彼の一にある人形などは、もはや針先が脳天に届きそうになっていたんだ。
それも、ごくごくわずかに動いている。
針先はほんのわずか、頭部の泥をつつき、いよいよ中へ入りこまんとしているところで。
ぱっと人形たちは、同じポーズを取る、もとの3人へ早変わりした。
彼らはすぐストップウォッチの示した数字を見て、驚きの声をあげたものの、自分の身に起こったことについて、自覚はしていないようだった。
私は体感した、まことの10秒であろう時間について、話そうか迷ったものの、結局は黙ることを決めたよ。
あのわずかな間だけでも、よからぬ空気を読み取るのに十分だったから。
そして翌日。
ストップウォッチの彼は、学校には来なかった。どうも突然の事故に遭ってしまい、長期の入院を余儀なくされてしまった、とのことだ。
クラス中でひそひそ話がする中、私の脳裏にはあの人形たちの姿が思い浮かんでいる。
あの奇妙なつくりをした人形たちは、やはり私たちを模したものなのだろう。
針が刺さったとき、その命運の尽きる時がくる……それを読み取れる時計だ。
もし、まことの10秒を普段から目にできる存在がいるなら、人はもう命にさえ見えないだろう。
終わりの見えた遊び道具。いかにいじるかにしか、関心がなくなる恐れだってある。
いつ終わるか分からないからこそ、頑張れる。
そう思ったら、知らなくていい真実の時間も、この世にはあるのかもしれないな。