第二話 黒の似合う人 後編
女子生徒の表情がふっとほころび、歴奈は我に返った。
鍵を外す音がして女子生徒が出てこようとしていることに気付き、歴奈は何歩か後退した。左側の戸が半分ほどスライドして女子生徒が出てきた。
女子生徒はすぐに引き戸を閉めて、それから歴奈の前に立った。
黒の似合う人だった。
膝下まで丈のある、黒いロングカーディガンを羽織っている。
前は閉じられていないため、黒いセーラー服が見えていた。
スカートの色が黒なのは上着と違って固定だからだが、裾からすらりと伸びている足も黒いニーハイソックスに覆われている。
さらには上履きまで黒かった。布地部分まで黒い上履きは初めて見る。
髪も黒く艶やかだ。髪型は前下がりのボブカットだった。
そして、長いまつ毛の奥の大きな黒い瞳は、改めて見ても吸い込まれるような美しさだ。
ミステリアスな空気を纏った、見とれてしまうような美人。
世間的には高校生は美人ではなく美少女と言うのだろうが、歴奈より大人びて見える。
平均身長の歴奈より背も少しだが高く、162、3センチくらいか。体型はやや細身だ。
ほぼ全身が黒で覆われているが、優しそうな微笑のためか暗い印象は受けない。
「あなたは、……歴史の相談者かしら?」
女子生徒に訊ねられた。妙に気になる問い掛けだった。
だが一部が聞き取れなかったためか、意味がよく分からなかった。
歴史研究部では歴史の疑問に関する質問などを受け付けていて、質問にやって来る人のことを『歴史の相談者』と呼んでいるのだろうか。
「いえ、あの。私は歴史が好きで、歴史研究部を見学させていただけたらと。お邪魔にならないように、ちょっと見させて頂くだけでいいのですが」
「あら、ごめんなさい」
女子生徒は右手で口元を押さえた後で、再び笑顔を見せた。
「歴史研究部の部長、二年の大黒夜宵です。弥生時代は好きだけど、名前の字は、夜に今宵の宵と書くの」
女子生徒――、大黒の声は澄んでいた。そして、ゆったりとした優しげな口調だった。
「あなたのお名前は?」
「は、はい。申し遅れました。小倉歴奈、新一年生です」
歴奈は緊張しながら名乗った。
「ちょっと珍しい名前ね。どういう字なの?」
「えっと、歴史の歴に奈良の奈です。両親も歴史好きで、歴という字を入れたかったらしくて。それに女の子っぽくするために奈を付けて歴奈にしたそうです」
歴奈が歴史を好きになったのも、両親の影響を受けてのことだった。
「なるほど。素敵な名前ね」
大黒は目を細めて、納得したようにうなずいた。
「ありがとうございます。あの、夜宵というお名前も素敵です」
大黒の魅力的な笑顔に照れつつも、歴奈は小さな声で言った。
夜、そして夜の始まりと言う意味の宵で夜宵。
黒の似合う、どこか謎めいた雰囲気の大黒にぴったりの名前だと思った。
「ありがとう。それで、見学のことなのだけど」
大黒は一度、歴史研究部の部室の方に顔を向けた。
「来てもらったのに申し訳ないけど、今日は立て込んでいてね。ちょっと無理なの」
「そんな。悪いのはこっちです。部活体験期間の前なのに来てしまって」
「気にしないで。でも、また来週に来てもらっていい? 月曜日なら大丈夫かな」
「あ、はい。そのときは、よろしくお願いします」
「うん。待ってる。失礼するね」
大黒は部室に入って引き戸を閉めた。鍵も掛け直したようだ。それから窓の内側から歴奈に向かって手を振ると、カーテンの奥に消えた。
大黒が見えなくなっても、歴奈はカーテンの掛かった窓を見ながら呆然としていた。
あの窓越しに見つめられたときの全てを見透かされたような感覚は、一体何だったのだろう。現実だったのだろうか。大黒との出会い自体が幻だったような気もしてくる。
ふと、大黒から最初に言われた言葉が耳に蘇った。
『あなたは、……歴史の相談者かしら?』
大黒は実際に言ったはずだ。だからこそ、一部が聞き取れないということが起こった。
そういえば、あの問い掛けの意味は分からないままだ。
それは引っかかるが、とにかく、大黒と会話を交わしたことは間違いない。
現実感が戻って来るにつれて、不安が込み上げてきた。
鍵を掛けてカーテンで中を見えないようにしている。少しだけと前置きした見学も断られた。閉鎖的な部なのだろうか。
いや、それどころか美人の大黒は、ぱっとしない歴奈に失望して追い返したということは無いだろうか。
ネガティブになりかけたが、なんとかその思考に歯止めをかけた。
来週、月曜日に来るように言ってもらえたのだ。歴奈の名前にも興味を持ってくれた。
邪険に扱われたはずはないと自分に言い聞かせ、歴史研究部の部室に背を向けた。
階段に向かおうとしたが、他の部室のプレートが目に入ったときに違和感を覚えた。
振り返って歴史研究部のプレートを再度見てみると、部名の文字の左端に、黒く塗りつぶされた四角が印刷されていることに気付いた。他の部のプレートには無いものだ。
その黒い四角のことが、なぜか、やけに気になった。




