第十話 伏龍 後編
動画を見終わった。
三国志と言っていいのか疑問が残るシュールな映像ではあるが、伏見の身体能力の高さは十分に伝わってきた。
相手が倒れていったのはもちろん演技なのだろうが、伏見の動きの俊敏さ、力強さ、高度な槍術や身のこなしなどは圧巻だった。
伏見の活躍ぶりは、一騎当千と言っても過言はないだろう。
「面白かったです。趙雲役の伏見先輩には痺れちゃいました」
「百万人の敵中を突破した本物の趙雲には遠く及ばない。私のは演技。相手も百人足らず」
伏見は首を横に振って悲嘆するように言うと、そっと目を閉じた。
趙雲は実在した人物だが、百万人の敵中を突破するエピソードはフィクションだ。
現代でも百万人を超える軍を有する国はほとんどない。三国志の時代の二、三世紀に、その人数を動員して一つの戦場に投入するなど非現実的だ。
そもそも百万人の敵の中を一人で突破するなど、人間に不可能なのは明白だ。
伏見はそうだと分かったうえで、理想としてはフィクションの三国志の豪傑のように強くなりたい、といことなのだろう。
男の子が特撮ヒーローに魅かれて、やがて作り物であることを理解してからも、憧れの気持ちは残り続けているような感じだろうか。
「伏龍はいつ目覚めるのかしら」
背後からの声に驚いて、歴奈は振り返った。
いつの間にか、大黒が後ろにいた。気が付かないうちに部室に入って来ていたらしい。
大黒が伏見の横に移動した。目を閉じた伏見の顔を、慈愛のこもったような微笑を浮かべて見つめている。そして、ゆっくりと伏見に手を伸ばした。
「夜宵? いつのまに」
大黒に軽く肩を叩かれ、伏見が目を開けた。
「今来たところ。ドラゴ、お茶の用意をお願いできる?」
伏見はうなずき、ノートパソコンを長テーブルの中棚にしまってから立ち上がった。
「歴奈のことをよろしく」
伏見は壁際の棚からポットのようなものを取って部室を出て行った。
それを見届けると、大黒が歴奈に向かって苦笑した。
「大丈夫だった?」
「あ、はい。何と言いますか――」
歴奈は、自分が伏見のように三国志の豪傑の強さを目指している同志だと勘違いされてしまったことを、手短に説明した。
「びっくりしたでしょう?」
「はい。私は、伏見先輩に同志と言われるほど、高い志を持って弓道をやっていたわけではないのでどうしたものかと。正直、少し怖くて」
「安心して。ドラゴはその勘違いにはすぐに気付くと思う。それに優しいから、絶対に怒ったりしないはずよ」
伏見が優しいことはなんとなく分かっていたが、大黒に言ってもらえて安心した。
「そういえば、さっき言っていた伏龍というのは?」
「苗字の伏と名前の龍の字を合わせた、ドラゴの仇名なの」
「伏龍って、元々は三国志の登場人物の仇名ですよね? 伏見先輩の名前と三国志好きであることが合わさって、そういう仇名がついている感じですか?」
「そうなのだけど、それだけではなくて――」
引き戸の開く音と同時に、大黒が口を閉じた。伏見が戻ってきたようだ。
「水、汲んできた。お茶の準備をする」
「お願い」
伏見はうなずくと、壁際の棚の前に移動してポットのようなものを置いた。
大黒が伏見の後ろ姿を見つめている。その表情には、先ほどと同じく慈しむような微笑が浮かんでいた。一体、何を思っているのだろう。
それに伏龍、つまり伏見が目覚めるとはどういう意味だろうか。
どちらも気になるが、伏見がいる状況では聞きにくかった。
歴奈の視線に気付くと、大黒が軽く肩を竦めた。




