4.5
◇◆オスカー◇◆
業務時間が終わりという頃に、受付の女の子が大慌てでやって来た。
「副ギルド長!身分があるかと思われる若い女性が、見た事もない珍しい物を持ち込みです!」
持ち込みも多い受付は、相当の審美眼を持つ者を座らせている。そんな女の子が血相を変えてやって来たのだ。興味を引いた。
実際その客に会ってみると、なるほど。
姿はごく普通の少女だが、上等の服を着ているし、肌はきめ細かく、髪には艶がある。指の先まで整えられているところを見るに、どこかのお嬢様と推測する。
「お時間をいただきありがとうございます。私は桜子といいます。お売りしたい物はこれです」
丁寧な物言いに、商家の娘かと修正する。
とはいっても最初の推測と、高等教育を受けたような立ち振る舞いに、かなりの豪商と思われる。
それから、手渡された物に衝撃を受けた。
何に使う物なのかもわからないが、それよりも材質がまったくわからない。
これは……。
場所を移して商談が始まった。
サクラコさんは、まだ少女といっていい年頃と思われるのに、その考えも受け答えもしっかりしていた。
豪商の一人娘か?幼い頃から英才教育を受けてきたのか?すでに商売を任されているのか?
問題を提示すると流れるように回答をする。頭がいい。商談の度胸もいい。
この大陸の主だった豪商はだいたい頭に入っている。このお嬢様の情報はない。
本人が言ったとおり、どこか島国から飛ばされてきたのかもしれない。
それにしても、その島国はずいぶんと技術が発達しているものだ。このプラスチックという材質がどんなものかまったくわからない。
とても閉鎖的な国だというし、秘められた製法なのかもしれない。
結局今後の事も考えて、希少性の高いバンスクリップをひとつ金貨1000枚で買い取った。
商標権と合わせて、全部で金貨5000枚払ったが惜しくない。
このお嬢様との繋がりをもつために、今後二年間、売り上げの3%の支払いも契約した。
なにやらまだ、この大陸にはない物を持っているような口ぶりも上手いやり口だ。
実際後に“イチマンエンサツ”という、繊細かつ巧妙な絵画、絵画といっていいのだろうか?もの凄い芸術品を持ち込んできたのだ!
恥ずかしながら自分一人では判断できず、ギルド長に商談の席についてもらったのは、この年になってもまだまだ半人前だと自戒した出来事だ。
◇◆ラーシュ◇◆
商業者ギルドまで送ったサクラコさんと別れて、温かい気持ちのまま常宿に着いたぼくは、そういえばと思い返した。
サクラコさんはこの大陸ではない島国から来て、この国の事がわからないと言っていた。
あの髪留めはきっと高く買い取ってもらえるだろう。金は手に入ったとして、今夜泊まる宿とか大丈夫かな……。
気になってしまい、着いたばかりの宿をまた出た。
困ってないならいいんだ。
それにもうギルドにはいないかもしれないし。
それならそれで大丈夫という事だ。
商業者ギルドに戻るまで、言い訳のように頭の中で同じ言葉を繰り返す。
別れてから一時間は経っている。きっともういない。さっさと宿を取って、今頃はくつろいでいるかもしれない。
ギルドに着いてからもそんな事を思いながら、ギルドの入り口が見える建物の陰から動けない。
こんな気持ちも初めてで、自分ではどうにもできなかった。
人から優しくされるって、こんなに混乱するものだと知った。
どのくらいの時間が経ったか。ギルドの窓の灯りを見上げながら、サクラコさんと過ごした何時間かをずっと思い返していた。
あぁそうか……。
何度も何度も思い返していて気づいた。
この未練たらしい気持ちがすっかりなくなるまで、この温かい思いは、ぼくを幸せなままいさせてくれる。
こんな自分にも幸せな思い出ができたのだ。
その後、ギルドから出てきたサクラコさんと再会できた。
サクラコさんと再会できなかったら、ぼくはきっと朝までその場にいたと思う。
一晩中、サクラコさんと過ごした何時間かを思い返しながら。
それから話の流れで、ぼくの常宿を紹介する事になった。
本当はサクラコさんはぼくたちのような者が泊まる宿屋は似つかわしくないとわかっている。
言った事は本当だけど……、本心は、ぼくがサクラコさんと一緒にいたかったんだ。
これはこの大陸の事をよく知らないサクラコさんを騙す、ぼくの卑怯な下心だ。
常宿に向かう道すがら、ぼくは罪悪感で胸がドキドキしていた。
やっぱり今からでもちゃんとした宿屋を勧めた方がいいんじゃないか?
だけどどうやってそれを伝える?
ぼくは……、ぼくが卑怯な男だと知られたくない。
ぼくが自分勝手な思いのまま歩いていると、サクラコさんは、そんなぼくなんかを食事に誘ってくれた。
また初めての経験だ。
ぼくは生まれてから今まで、一度も食事に誘われた事がなかった。
誰かと一緒に食事をした事もなかった。
誘ってもらえて嬉しかったけど、ぼくたちのような者は料理を提供する場で食事ができない。
乾いた心で断りをいれると、何故かサクラコさんは猛然と広場の方に走り出していった。
言われた通り建物の陰で待っていると、たくさんの料理を持ったサクラコさんが戻って来て、当たり前のように「さあ食べよう!」と言った。
え……?
「ラーシュ君の好みがわからなかったから、私が美味しそうと思ったものを買ってきたんだけど、嫌いなものある?」
ぼくなんかのために、こんなに料理を買ってきてくれたんですか?
ぼくなんかの好き嫌いを気にしてくれたんですか?
サクラコさんは僕の手にコップを持たせると「お疲れ様~!」とコップ同士を合わせて美味そうに酒を飲んだ。
こんな、暗い場所で直接地面に座って、サクラコさん、綺麗な服が汚れちゃいますよ……。
「美味しい…」
今日何度も堪えた涙は、一度溢れ出したら止められなかった。