19.5
◇◆ラーシュ◇◆
上級ポーションで回復した男は、ぼくのローブを視界に入れて少しだけ安心したようだった。
ただ、よけいに困惑していると思うけど。
サクラコさんは男に怪我の具合を聞いて、途切れ途切れの答えを聞くと、当然のように言った。
「そう!それならよかった!
じゃあ行けそうなら行こうか。よかったら町まで一緒に戻ろう」
「え…」
男は三度ぼくを見た。その気持ちはわかる。
「好きにしたらいい。この方はそんな事で怒鳴ったり殴ったりしない」
サクラコさんは憤慨したようにぼくを見た。
「ぼくたちのような者は、常に暴言と暴力に警戒しなければならないのです。いつ、どんな時にどうなるか、相手の機嫌次第なので…」
「…………」
これ、もう通訳だよね。
その後も、サクラコさんは男に食べ物を与え、食べ終えて落ち着いた男をシェアハウスに誘った。
サクラコさんがぼくにしてくれた事を思い返せば、これらはとても当たり前の行為だった。
男に話す前に、ぼくに一緒に住んでもいいかと聞いてくれたのは嬉しかった。ぼくの事を尊重してくれているとわかったから。
そういう事もあって同居には同意した。そうじゃなくても、ぼくがサクラコさんに反対する理由はない。
しかもあのお邸の持ち主はサクラコさんだ。ぼくは住まわせてもらっている方なのだから。
という訳で全部納得できるし、サクラコさんのしたい事、する事に反対なんてしないけど……。
何といっていいかわからない感情が、心の中に、少しある。
なんだか嫌な気持ちになる、これは何だろう?
「ラーシュ君、お茶を淹れるよ」
よくわからない気持ちを考えようとしたら、サクラコさんから声がかかった。
「ラーシュ君、もっと甘い方がよかったら使ってね」
「ありがとうございます」
美味しそうなアイスティーが入ったカップとシロップが渡された。
ぼくが甘い物好きなのを知っているサクラコさんの気遣いに、暗くなりかかった気持ちが霧散した。
ありがとうございます。
サクラコさんはいつもぼくを幸せにしてくれます。
◇◆クラウス◇◆
何で普通の女の子がぼくなんかの側にいられるんだろう?
何で普通の女の子がぼくなんかと会話できているんだろう?
何が何やらわからない。
同じくらいわからないけど、なんで普通の女の子と一緒に“こちら側の者”がいるんだろう?
まったくわからなかった。
それにしても、何でこの女の子はぼくなんかを心配してくれてるんだ?
本当に上級ポーションを使ってくれたのか?ぼくなんかに?
でもあれほどの怪我が治っているし(見えないけどたぶん)体の渇きも薄らいでいる。
上級ポーションなんてどんなかわからないけど、きっと使ってくれたんだろう。
さらに困惑が続く。
女の子は、ぼくに食べ物を与えてくれたのだ。
一瞬躊躇する。だけど空腹の限界を超えていたぼくは、ひと匙口にすると、後はもう手が止まらなかった。
すっかり満足するまで、与えられるまま食べつくす。
満腹になって、ハッとした。
「すみません!こんなにたくさん食べてしまって! ……すみません、料理のお代が……。ポーション代と一緒に、必ずお返ししますから」
「あぁ、うん。気にするならもらうから、今は気にしないでいいよ。
そういえばまだ名のってなかったね。私は桜子。
あのね、君にひとつ提案があるんだけど、聞いてくれる?」
女の子はまったく気にするでもなく、それどころか、ぼくに、名のってくれた?
……サクラコ、さん。
聞き間違いじゃなかったら、女の子の名前は“サクラコ”さんだ。
「私たち、私と、このラーシュ君ね、一軒の家で共同生活してるのよ。シェアハウスってわかる?
でね、もしよかったら、君もどうかな?」
え…
サクラコさんに言われた事が理解できなかった。
「本当だ。ぼくはサクラコさんの家でお世話になっている。とても信じられないと思うけど、サクラコさんはぼくたちのような者を厭わない。
ぼくもいまだに信じられない気持ちがある。夢じゃないかと思う事もある」
“こちら側の男”が淡々と言う。
夢か……。
ぼくは今、人生の最後に夢を見ているのか。
死にそうになっているのはそのまま、今までの人生で全くなかった、信じられない程の幸運を夢見ているのか。
でも、いい事なんてひとつもなかった人生だ。こんな、腹いっぱいや、親切にされる気持ちなんてぼくは知らない。
知らない事でも夢って見られるものかな?
それから、とても信じられない話を聞く。
国によっては、常識や価値観が違う事があるのは知っている。だけど大陸で共通の、美への意識が正反対なんて事があるんだろうか?
全ての人たちから忌み嫌われるほど醜いぼくたちのような者が、美形に見えるなんて事が?本当に?
夢か現かわからないまま、サクラコさんから冷たいお茶をもらう。
甘くて美味しい……。
冷たい感覚が、少しだけぼくを現実に戻した。
「……あの、クラウスといいます。 ……えっと、……えっと」
「うん、クラウス君。すぐに決めなくていいよ。とりあえずうちに来て、見て決めたら?」
「……はい」
優しい声に、小さく返事をしていた。




