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短編

オタクが好きな悪役令嬢なんていません!

作者: 雑食ハラミ

「リリアーナ・オズワルド、貴様との婚約を破棄させてもらう!」


和やかなパーティー会場は、突如断罪の場と化した。招待客たちの目が一斉に声の主に注がれる。ルーク王太子は、婚約者のリリアーナ公爵令嬢を冷たくにらみつけた。胸を反らして仁王立ちする彼の傍らには、小動物のように怯えるいたいけな少女がしがみついていた。


「突然婚約破棄と言われましても驚くばかりですわ。よければ理由を教えてください」


リリアーナは、驚いたと言いつつ、つり上がった目を見開いた以外は衝撃を受けた様子はなかった。その平然とした態度は、見る者が見ればふてぶてしく映ったかもしれない。


「フローラに『お前は婚約者ではないのだから分を弁えろ』と言っただろう! その他にも数々の暴言、黙って見過ごすわけにはいかない!」


ルークはそう言うと、傍にいる少女の肩を強く抱いた。この少女がフローラのようだ。


「全て事実を申したまでのことですわ。婚約者はわたくしであってフローラ様ではございません。蟻が砂糖に群がるがごとく、未来の国王になるべきお方の傍にベタベタとつきまとわれては風紀が乱れるというものです。わたくし何か間違っているかしら?」


大げさにため息をついてみせ、扇で口元を隠し、ぷいと横を向いたリリアーナに、王太子は顔を真っ赤にして激高した。


「お、俺を砂糖に例えるとは何事だ! 公爵令嬢でなければ不敬罪で逮捕していたところだ! 今日から俺の隣に立つのはお前ではなく、このフローラだ。お前の数々の狼藉、公爵家の王室に対する貢献で帳消しにしてやるが、二度目はないと思え。今すぐここから消え去れ! 今すぐだ!」


そちらこそ、王家と縁続きの公爵家の令嬢に対してその仕打ちは何事だ。自分はよくても父が黙っちゃいない。今に見ていろ。リリアーナはまなじりを上げて王太子をねめつけたが、いつの間にか王太子付きの兵士たちがぐるりと彼女の周りを取り囲んでいた。彼らは武力だけでなく魔力も強いので、戦闘力が高く恐れられていた。元からリリアーナも無駄な抵抗をする気はない。優雅に一礼すると、くるりと背を向けてパーティー会場を後にした。これがかの有名な、「ルーク王太子婚約破棄事件」のあらましである。


**********


3日後、リリアーナはホグスワンデル魔法学校の敷地を大股で歩いていた。婚約破棄された令嬢は傷心を癒すため、しばらく雲隠れしていた方が同情を集められるという周囲の進言も聞かず、早くも学校に姿を現していた。本人によると「どうして被害者のわたくしがコソコソしていなければなりませんの?」とのことだった。


リリアーナは、ある場所を目指していた。そこは、廃墟一歩手前の旧校舎だった。新校舎に建て替える際、旧校舎はあらかた取り壊されたが、敷地の隅に一部だけ残された。かつては部室に利用されていたが、現在はそれも移転して表向きは立ち入り禁止となっていた。しかし実際は、授業をサボる生徒のたまり場となったり、部活として認定されないクラブの集合場所として利用されたり、学校の目の行き届かない活動の拠点として知る人ぞ知る場所だった。


リリアーナは、無秩序にツタが絡まる黒ずんだ壁にも何ら臆することなく、ずんずんと旧校舎に足を踏み入れた。中はじめっとしており、カビの臭いが鼻を突いたがそんなことはこれからしようとしていることに比べたらどうでもよかった。ここには初めて入るが、まるで行きなれた場所であるかのようにすいすい進んだ。


ギシギシときしむ階段を上ると、2階のある部屋の前に着いた。ドアが固く閉ざされており、ぱっと見何もない部屋に見える。しかしここが目的の場所だった。リリアーナは一度深呼吸をしてから大きな音を立ててドアをノックした。返事がない。もう一回ノックする。やはり無反応だ。イラっとした彼女は、懐から杖を取り出して呪文を唱えて施錠を壊した。鈍い音を立てて扉が開いたところを、我が物顔で中に入って行った。


「魔力が弱いと言われる公爵令嬢といえども、開錠の呪文くらいは知っていたのか」


部屋の中は薬草の匂いで充満していた。四方の壁はびっしりと棚になっており所狭しと薬草の入った瓶が並んでいる。その中央には実験器具がびっしり置かれた机があり、傍らに一人の男子生徒が立っていた。


「わたくしが来ると知っていながら結構なご挨拶ね。ここで不法行為が行われていることを告発してやってもいいのよ?」


リリアーナは、不敵な笑みを浮かべて男子生徒を見下ろした。制服のローブを着てはいるが、リリアーナのものと比べると裾がほつれ色褪せもしていた。一目でお下がりと見て取れる。肩に届きそうな黒髪はよく整えておらず、顔が半分隠れる形になっている。生気のない顔色のくせに目だけがぎょろっとこちらを向いていた。リリアーナが普段付き合う人種とは明らかに異なっていた。


「あんたは頼みがあってここに来たんだろう? しかも貴族がこんな場所に足を踏み入れるなんてよほど切羽詰まっていると見える。しかし、話を聞くなんて一言も言ってないが?」


誰が見ても、リリアーナの方が身分が上なのに、男子生徒は何ら気後れした様子はなかった。むしろ、貴族に対する敵意すら見える。リリアーナは、彼の言葉などお構いなしに自分の要件を伝えた。


「あなたの魔法薬づくりの腕を見込んで、公爵令嬢がこんな汚い場所まで来てあげたのよ。私の依頼はただ一つ。王太子とあの泥棒猫を殺してやりたいの。証拠が一切残らない薬を作ってちょうだい」


**********


これにはさすがの男子生徒も目を見張った。先日の婚約破棄事件はあっという間に下々の民まで広まり、国民の間で知らぬ者はいなかった。公衆の面前で恥をかかされて婚約破棄をされたのだから、復讐してやりたいというのはまだ分かる。しかし、殺すという物騒な言葉が出てくるとは思わなかった。


「俺に殺人の片棒を担げと? なんでそんなことをしなくちゃならないんだ? あんたとは今初めて会ったばかりなのに?」


「私に協力する理由? そうねえ。まず一つはあなたのプライドかしら? 魔法薬作りなら世界一という自負を持つあなたなら、一切証拠の残らない毒薬というのはやりがいのある挑戦だと思うわ。今までどんな高名な学者でも成しえなかった偉業を、平民出身の特待生が実現させるのよ。腕はあるけど極貧のあなたが、私というパトロンを得れば高価な原料も簡単に手に入る。鬼に金棒じゃない?」


男子生徒は黙ったままだった。それをいいことに、リリアーナはなおも話し続けた。


「もう一つは、あなたの経済状況よ。貴族しか魔力を持たないと言われるこの国において、平民の中から高い魔力を持つ者が生まれた。その者は特待生としてホグスワンデル魔法学校に入学して、特に魔法薬の調合で頭角を表した。でも、奨学金だけでは苦しいのでしょう? 周りが貴族ばかりで爪弾きにあうし、この学校には居場所がない。そんな中、自分の能力を生かして、本来免許がないとできない高級魔法薬の調合の仕事をここで請け負うことにした。学園には内緒で、学生たちから依頼を受けて高い報酬と引き換えに魔法薬を作る。顧客は金持ちばかりだからいい商売よね。あなたを差別する者たちも、実力は評価しているってことね、ねえ、ビクトール・シュナイダー?」


いきなり名前を呼ばれて、一瞬ビクトールは身体をぴくりとさせた。


「あなたの願いをわたくしが叶えてあげるわ。お金と研究のための環境ならいくらでも提供してあげる。あなたは前人未到の発明をして、今まで自分を馬鹿にしていた人間を見返して、この世界に一泡吹かせてやりたいのでしょう? 実はわたくしもなの。中身は違うけど、一泡吹かせてやりたいのは同じよ」


リリアーナは両手を机の上について、ビクトールの前に身を乗り出した。彼をまっすぐ見つめる目はギラギラ輝き、口元からは不敵な笑みがこぼれている。殺人の依頼をしておきながら、こんなに生命力に溢れた表情をする人間は初めて会った。


「……あんたの魔力じゃ、魅了の魔法は使えないはずだ。期待外れの公爵令嬢さん」


ビクトールはふっと視線を逸らしながら言った。彼の言う通り、リリアーナは貴族にしては魔力が少なかった。王室とも縁が深い公爵家にあって、魔力が少ないのは珍しかった。それでも王太子の婚約者に選ばれたのは、他に身分と年齢の条件が合った令嬢がいなかったからである。二人の婚約はまだ幼少のころから決まっていた。


「王太子が一介の男爵令嬢を気に入ったというのも分かる。詳しくは知らんが、100年に一度出るか出ないかの聖女らしいじゃないか? 魔力の高い子孫を残すためにも聖女を選ぶのは理にかなっている」


「あら、そこまでの計算ができればまだ救いはあったでしょうけど、残念ながら『真実の愛を見つけた』とかなんとからしいわよ。真実の愛ねえ。そんなものが本当にあると信じていたなんて笑っちゃうわ。案外ウブだったのね」


リリアーナは心底愉快そうに高笑いをした。自分の魔力の少なさを指摘されたことはどうでもいいらしい。それより元婚約者をこき下ろすのが楽しいのだ。


「私はそんな形のないもの要らないわ。本当にあるか分からないもの。形のある物しか信じない。そう、例えば証拠が残らない毒薬とか。わたくしをコケにした報いを味合わせてやるのよ」


「でも、たとえ証拠が残らないとしても、状況証拠からあんたの仕業だと疑われるだろう。そこから俺までたどり着いたら共犯だ。そんな危ない橋渡れるか。ふざけるな」


ビクトールは、ため息をつきながら言った。こんなバカげた会話はそろそろ終わりにしたい。しかし、リリアーナはただではここを去ってくれなそうだ。それが問題だ。


「わたくしも一度きりのお願いで受けてくれるとは思わないわ。だから明日から毎日通うことにします、あなたが承諾するまで。遥か東洋の国には『三顧の礼』という言葉があるらしいけど、わたくしは3回と言わず何回でも来て差し上げましょう。今日はこの辺でお暇いたします。ではごきげんよう」


**********


リリアーナは宣言通り、あれから毎日足を運ぶようになった。ビクトールが常にいるとは限らないのに、必ず彼がいる時間帯を狙って来るのだ。魔法で追跡をかけられているのかと疑いたくなるほどだ。


「何顧の礼だか知らないが、何度来られても俺はあんたの依頼を聞くつもりはない。まだ首が繋がっていたいんだ。頼むよ、出て行ってくれ」


ビクトールはほとほと困り果て、とうとう泣き落としにかかった。


「あら、今日のわたくしを追い出すなんてもったいないですわよ。お土産を持ってきましたの。はいこれ」


リリアーナは大きな紙袋をビクトールに渡した。中を開けると同時に焼き上がったばかりのパンの匂いが鼻をくすぐった。平民の彼の口にはなかなか入る機会がない、高級店のパンだった。


「何だこれ? 俺がこんなもの喜ぶと思ったのか?」


「あら? お気に召しませんでした? なかなか手に入らない品ですのよ? それならわたくしがいただくわ」


リリアーナはそう言うと、大きな口を開けてパンを頬張った。公爵令嬢にしては大胆な食べ方だ。薬草の匂いで充満しているこの部屋でよく平気で食べられるものだと、ビクトールは密かにあきれ返った。


「ねえ、どうしてわたくしが王太子たちを毒殺したいと思っているか、尋ねませんの? 普通殺したいとまで思わないでしょう?」


「なんだ、自分でも分かってるじゃないか。別に興味ないから聞きたくもない」


別の実験に没頭しているビクトールは顔を上げもせずに答えたが、リリアーナは無視して続けた。


「いくら王太子とはいえ、公爵家の令嬢に恥をかかせたら本来ただでは済まないでしょう? それなのに、相手が聖女候補だから強く出られないんですって。情けないわよね。娘一人守れやしないなんて。だから自分で復讐してやることにしたの。証拠の残らない薬と言ったけれど、例えバレても構わないのよ? どうせなら歴史に名を遺す悪女になってみたいじゃない? 王妃になるために辛い修業も耐えて来たのに、ここで梯子を外されたらどう生きたらいいか分からないもの」


「どう生きればいいか分からなくなったから、それくらいならド派手に死んでやるってことか」


ビクトールはやっとリリアーナの方に顔を向けた。


「貴族のお嬢様はお気楽でいいな。生きるだけでも必死な奴がごまんといるのに、生きる意味を考えるだけの余裕があるんだから」


せせら笑いながら言うビクトールに、リリアーナはフンと鼻を鳴らした。


「言ってくれるじゃない。平民風情のあなたに、わたくしの気持ちなんか分かるはずないでしょうけどね」


「分かりたくもないね。王太子が誰と結婚しようが知ったこっちゃないし、聖女のご加護だか知らんが、俺たち末端には関係ない。上澄みの方で勝手にやってることだ」


リリアーナは改めてビクトールを見つめた。ビクトールにとっては、リリアーナたちは上澄みなのだ。では沈殿しているところはどんな感じなのだろう。今までそんなこと考えてみたこともなかった。


「でも、あなたは上澄みの方に行けるチャンスはあるんじゃない? その類まれなる魔法薬の才能よ。わたくしなんか授業でやるだけでうんざりするのに、四六時中魔法薬のことを考えられるなんて最早才能ね。オタクも極めれば才能になるのね」


「おだてても何も出てこないぞ」


実験器具の隙間から顔を出してビクトールがぎろりとにらんだ。


「あら、別に他意はないわよ。今日のところはこれで失礼するわ。パンは置いていくからあなたが食べなければご家族にあげて。それではごきげんよう」


リリアーナはそう言うと、ティーパーティーから去るような優雅な物腰で部屋を出て行った。ビクトールは後姿を見送って大きなため息をついた。全く、彼女が来てからと言うもの、思考を乱されてばかりで調子が狂う。あれは一度目を付けたら目的を遂行するまで離れない性質だ。適当な薬を作って渡せばいなくなってくれるだろうか。しかし、それはそれで、ビクトールのプライドが許さなかった。この国で、どんな高位の魔法使いよりも魔法薬の調合には自信がある。実力だけなら今すぐにでも王立魔法技術省の高級官僚になれるはずだ。しかし彼は平民だ。いくら実力があっても平民が魔法技術省に入れた前例はない。実力だけでのし上がれるほどこの世界は甘くはなかった。


リリアーナが置いていった紙袋の中身を見ると、平民には手の届かない柔らかいパンが4つ入っていた。その時腹が鳴る音がした。一個手に取ろうとしたが、弟と妹の人数分しか残っていないのに気づいて手を引っ込めた。あの時意地を張ってなければ、リリアーナに食べられずに済んだのにという考えが頭をかすめ、慌てて打ち消した。家で勉強をしていると親から嫌味を言われるためなるべく寄り付かないようにしていたが、今日はパンを持って帰るしかなさそうだと諦めた。


**********


「えっ!?今何て言いました? 本当に薬を作って下さるの?」


リリアーナが毎日通うようになってしばらく経った頃、ようやくビクトールが彼女の依頼を受けると言い出した。


「そのために毎日しつこく来たんだろう? ただし条件がある」


「何ですの、条件って? 何でも聞きますわよ」


身を乗り出して聞こうとするリリアーナを、ビクトールはうっとおしそうに避けた。


「証拠が残らない毒薬の存在は、300年前の文献に記述がある。しかし、詳しい材料や配合までは書かれていない。もし書いてあったら禁断の書として魔法技術省の図書館に厳重に保管されるだろうが、そんな本は実在しないと思う。なぜなら、もし実在すれば、既に誰かが作って使っているはずだが、その形跡はないからだ」


「材料も作り方も分からないなら、手も足も出ないじゃありませんか。そこからどうするんですの?」


「分からないなら自分で発見すればいいんだよ。証拠が残らないようにする作用はいくつか解明されている。他の薬にも応用できるはずだ。それらをうまく組み合わせれば、理論上は可能だと思う。ただ一つ問題がある」


「問題、と言いますと?」


「材料が恐ろしく高価だ。金銭的な意味だけでなく、希少すぎて実在するのか怪しいと言われている物すらある。それを全部集めるだけでも奇跡に近い」


「可能性がゼロでないなら挑戦する価値はありますわ。その希少な材料というのを教えてください」


リリアーナは俄然やる気が出て来た。困難が立ちはだかるほど燃えるタイプなのだ。


「ルリノハタテアカリという標高の高い岩山の隙間にしか生息しない植物だ。しかも新月の日に咲いた花しか効果がない」


ルリノハタテアカリ? リリアーナは、聞いたこともない名前を聞いて顔をしかめた。


「そんな名前の植物聞いたこともないわ」


「だから希少と言っただろう。魔法技術省にもあるかどうか疑わしいと思う。薬の材料としても殆ど使われることはないから。昔の文献を漁ってちらほら名前が出るくらいだ」


ビクトールは、ここにいなければ図書館にいることが多かった。図書館で魔法薬学の本を読み漁るのだ。教室に居場所のない彼は、授業が終わるとすぐに教室を飛び出してここか、図書館へ逃げ出すことが多かった。


「分かったわ。公爵家の情報網を使って探し出して見せるわ。見つかったら持ってくるわね」


しかし、リリアーナが持って来たものはことごとく外れだった。


「これじゃ駄目だ。ルリノハタテアカリによく似ているが、別の種類の植物だ。岩山に生えているのも同じだが、標高が低いところにも生息している」


「ルリノハタテアカリであることは確かだが、新月じゃないと駄目だと言っただろう。これはその条件を満たしていない。期待した反応が起こらない」


「どうしてどれもこれも違いますの? 法外な報酬を払ったのよ? いくらわたくしでも破産してしまうわ!」


さすがのリリアーナもお手上げだった。今までどんな高価なものでも手に入らなかったことはない。だから今回の件もどうにかなるだろうと軽く考えていた。ここまで難しいものだとは予想してなかったのだ。


「遥か東洋の昔話に、余りにも求婚者がしつこいのでわざと無理難題を言って追い払った姫がいたそうですが、それと同じじゃないでしょうね!?」


「自分がしつこい自覚はあるのか。少しは成長したな。それはともかく、ルリノハタテアカリ自体滅多にない物だから仕方がない。しかも新月という条件が付くと限りなくゼロに近くなる。人に任せているとズルをして、新月関係なく花が咲いていれば採取してきてしまうだろうな。すぐにバレるもんじゃないし。まあ、それだけ不可能に近いってことだよ」


「でもルリノハタテアカリは確かに存在して、新月も必ず起きるわけでしょう? それなら新月の日に咲く花だって必ず存在するはずですわ。こうなったらもういい!」


リリアーナはそう言うと、憤然として部屋を出て行った。どうせまた懲りずに来るのだろうとビクトールは思ったが、予想に反してその日を境にリリアーナは姿を現さなくなった。あれだけしつこかったリリアーナも、とうとう諦めたらしい。


そして、数か月が経過した。平穏な日々を取り戻したビクトールは、いつものように廃校舎の一角で秘密の魔法薬の調合をしていた。そこへ足音を立ててやって来る人の気配を感じた。


「ビクトール! わたくしよ、リリアーナよ! ここを開けてちょうだい!」


ビクトールはびっくりして思わず言われた通りドアを開けてしまった。そこにはリリアーナが立っていた。手に持っているのは、ルリノハタテアカリだ。


「新月の日に取って来たわ。今度こそ偽物なんて言わせない。さあこれで材料は揃ったでしょう?」


「ちょっと待ってくれ。一体これはどうしたんだ? どうやって手に入れた?」


ビクトールは動揺を隠せなかった。リリアーナの再登場にも驚いたが、彼女が手にしているのは確かに条件に合ったルリノハタテアカリだったからだ。魔力の強い彼はぱっと見で普通とは違うものであることを察知できた。


「他人任せだと騙されてばかりだから、自分で取りに行ったのよ。標高の高い岩山と新月の日を調べて、しらみつぶしに登ったの。大変なんてもんじゃなかったわ、死ぬかと思った。お陰で体ががっしりした感じがしますわ。たおやかな公爵令嬢は卒業ね」


あっけらかんと笑うリリアーナに、さすがのビクトールも降参するしかなかった。まさかここまでやるとは思わなかった。彼はリリアーナという人間を見くびっていたのだ。こうなったら、彼も本気を出すしかない。


「……分かった。約束するよ、完璧な毒薬を作ってやる。俺のプライドにかけて」


それを聞いたリリアーナは顔をぱっと輝かせ、決意を固めたビクトールに抱き着かんばかりに喜びを表した。


「ありがとう! 恩に着るわ!」


それからビクトールの試行錯誤が始まった。リリアーナが取って来てくれたルリノハタテアカリは貴重なため、試作品を多く作れないのが最大のネックだったが、これまでに作り上げた理論体系を現実に当てはめていくやり方で実験を進めて行った。その間もリリアーナは毎日訪問して、差し入れを持って来たり、どうでもいい雑談をしに来たり、邪魔になることもあったが、この頃になるとビクトールも慣れっこになっていた。いつの間にか、リリアーナのいる毎日が日常になっていた。


婚約破棄から1年が経とうとしていた頃、ようやく証拠の残らない毒薬が完成した。


「ようやくこの日が来たのね! ありがとう、ビクトール! この恩をどうやって返せばいいのか分からないわ!」


リリアーナの喜びは尋常ではなかった。そんな彼女を、ビクトールは複雑な表情をで見つめた。


「本当にやるのか? それでどんな結果になろうとも?」


「もちろんよ! 大成功すれば万々歳だけど、そうでなくても私は不世出の悪女としてこの世に名前を残せるのよ! 悪名は無名に勝るって言うでしょ?」


そう言って笑うリリアーナは、この上もなく眩しかった。世にも恐ろしいことを考えているはずの彼女は生命力に溢れキラキラしていた。


毒薬はランチの時間に混ぜることにした。昼食は全校生徒が大広間に集まって摂ることになっていたが、多くの人間が出入りするのでこっそり混入しやすかったのだ。


後は、ルーク王太子とフローラがもがき苦しむのを待つだけだ。リリアーナは今か今かと待ち構えていた。ようやくこの日が来たのだ。一瞬でも見逃したくなかった。


しかし、事態は意外な展開を見せた。二人がもがき苦しむまではよかった。リリアーナは歓喜の雄たけびを上げたいのをぐっと我慢した。その後折り重なるように倒れたかと思うと、見る見る間に身体が縮んで服だけが残された。そして服の下からケロッ、ケロッと鳴き声が聞こえてきた。服の隙間から二匹のカエルが出て来たのだ。大広間は慌てふためく声と、こらえきれずに笑い転げる声で溢れかえった。


リリアーナは真っ青になりながら、直前にビクトールが言ったことを思い出した。「毒薬を完成させるだけでも非常に難しいが、完成しても成功するとは限らない。成功しなかったらとてつもなく間抜けな結果になる。貴重な材料を使ってもその辺のジョークグッズと同等の効果しかもたらさない恐れがある」と。成功と失敗を分けるのはほんの小さな差異と彼は言っていたが、起きてしまったことは仕方がない。リリアーナは頭を抱えた。


「容疑者を連れてきました!」


二匹のカエルが保護された後、王太子の取り巻きが一人の生徒をしょっ引いて来た。何とそれはビクトールだった。


「廃墟になった旧校舎で何やら怪しい実験を繰り返していたという証言があります。魔法薬の調合が得意で、学校に無断で薬も作っていたようです」


ビクトールを巻き込むつもりは毛頭なかった。これはリリアーナが計画してやったことだ。もし彼に疑いがかかれば、彼の未来は潰えてしまう。ただでさえ平民出身の特待生という弱い立場なのに、王太子に薬を盛ったとなれば、貴族より重い処分が下されるのは必至だった。


「待ちなさい、その人は関係ないわ。わたくしがやったのよ!」


リリアーナは大広間に響く大声で叫んだ。一斉に彼女に注目が集まる。王太子の取り巻きたちは信じられないという目で彼女を見た。


「何を驚いているの? 一年前に婚約破棄された腹いせでわたくしがやったのよ。勝手に人の婚約者を奪っておいてのうのうとしているのが許せなかったの。この平民は無関係よ。捕まえるならわたくしを捕まえなさい」


「お前がこいつのところに頻繁に会いに行っていたという目撃情報があるぞ!」


群衆の中から声がした。リリアーナは皮肉な笑みを浮かべながら答えた。


「この人に相談しに行った時期もあるのよ。でも断られたわ。そんな恐ろしいことできないって」


こうしてリリアーナは連行された。結果自体は大したことなかったが、王太子とその婚約者に薬を盛ったということが問題視された。厳しい尋問にも耐え、しばらく拘留されたのち、公爵家を追放という重い処分が下された。当然学校も退学となり、その後のリリアーナを見た者はいなかった。


**********


5年の歳月が流れた。23歳になったビクトールは、王立魔法技術省のローブを着てスラム街を歩いていた。確かこの辺だったはずだ。話には聞いていたが直接訪ねるのは初めてだった。


ビクトールが道を歩いていると、笑いながら走って来る子供とすれ違った。子供がいた方に向かうと、別の子供が外で遊んでいた。皆生き生きとした表情だ。


「こらーっ! ごはんの時間って言ったでしょう! 今すぐ戻ってきなさーい!」


スラム街の中にまだ真新しい建物が建っていた。そこから懐かしい声が響いて来た。


「サラー! ラルフー! 早くチビたちを連れてきて! スープが冷めちゃうわよ!」


ビクトールは建物の前に立った。一瞬ためらったが、建物の中に入ろうと足を踏み入れた時、一人の子供とぶつかった。


「ごめん、ここの園長さんに用事があるんだが?」


ビクトールは膝を曲げて子供に目線を合わせて質問した。


「えんちょうさん? リリアーナのこと? リリアーナ! お客さんだよ!」


リリアーナと呼ばれた人物が奥から出て来た。かつての公爵令嬢然としたお嬢様らしさはすっかり消えていたが、確かにリリアーナだった。化粧気もなく装飾の少ない動きやすい服装だが、健康的な手足を惜しげもなく晒し、顔つきも前より生気に溢れていた。


「お客さん……? ってビクトールじゃない! 久しぶり! どうしてここが分かったの?」


リリアーナは大きな声を上げてパタパタと駆け寄って来た。


「もしかしてこれ魔法技術省のローブ? 平民出身で入れた人は今までいなかったはずよ? すごいじゃない、大出世ね!」


「リリアーナはここで孤児院を開いたと聞いたけど?」


「あなたは見事になり上がって上澄みの層に行けたけど、私は沈殿層がどんなところか確かめたくなったのよ。ちょうど家も追い出されたし。でもただ追放されるだけじゃ癪じゃない? 実家をあの手この手で脅してお金を出させてこの孤児院を建てたの。ちょっとした事業をやってみたくなってね。5年でやっと形になってきたわ。どう? 小さいけど私のお城よ?」


誇らしげに両手を広げるリリアーナは輝くような笑顔を見せた。すっかりお嬢様言葉も抜けて庶民と変わりない。実際は苦労もしたに違いないが、そんな素振りはおくびにも出さなかった。


「あのね、実際にここに住むようになって分かったんだけど、平民でも魔力を持って生まれる子って少なくないのね。あなたほどの人はまれだけど。行く行くはそういった子を魔法学校に入学させる事業もやりたいわ。そうすれば自分の能力で道を切り開ける子が増えるでしょ? あ、ごめんなさい、私ばかり話して」


ビクトールは眩しそうな顔でリリアーナを見つめていたが、やっと口を開いた。


「ねえ、今でも王太子に毒を盛ってやりたいと思ってる? 今なら完璧な薬を作ることができるんだけど」


周りに聞こえないように小さな声で言ったが、リリアーナはずっと忘れていたようで大層驚いたようだった。


「別にもうどうでもいいわ。私が手を下さなくても最近内政が失敗続きで求心力が低下しているようだし、奥方ともうまくいってないみたいだし、勝手に自滅してくれたもの」


「じゃあ、今でも真実の愛は信じてない?」


「いきなり何言い出すの? あなた変よ? そうねえ…… ルリノハタテアカリよりもレアなんじゃないかしらね?」


リリアーナはそう言うと、いたずらっぽく笑った。


「……そうか。じゃあ、とりあえず俺とセックスしてみないか?」


「はあ? あなた何言い出すのよ!? ここ子供いるのよ?」


リリアーナは思わずぎょっとして、子供に聞かれないようにビクトールを建物の外に押しやった。


「俺は君のことを好ましく思って、できれば自分の物にしたい。やっと独り立ちできるだけの見込みができたから、こうして現れた。でも君は真実の愛は信じてないんだろう? じゃあとりあえずセックスだけしよう。セックスから真実の愛に目覚めることもあるかもしれない」


「ちょっと、セックス、セックスってあなた頭がおかしくなったの?」


「あの時君がかばってくれなければ、俺は魔法技術省に行きたいなんて思わなかった。平民だからどうせ無理だろうと諦めたままだった。君はどうなんだ? 俺みたいな子供を助けたくて孤児院を建てたんじゃないか? 俺は孤児じゃないけど、親に見放された点では同じだ。これは何だ? 真実の愛じゃないのか?」


リリアーナはパニックになって目を白黒させた。


「久しぶりに会ったと思ったら訳の分からないことばかり言って……一体どうしちゃったのよ? あなたそんな人だったっけ?」


「初めて会った人間に毒薬を作れと言った人間もいたな、そういえば」


「……うっ! とにかく出て行ってよ! ちょっと頭を冷やしてきて!」


「三顧の礼と言わず、何度でも来るからな。今日はこの辺で。ではごきげんよう」


真っ赤になったまま何も言えずたじたじとなっているリリアーナを愉快そうに眺めながら、ビクトールは孤児院を後にした。昔の意趣返しをしたつもりになって、少し気分がよくなった。


ビクトールは、5年前のことを思い出していた。証拠の残らない毒薬なんて夢物語もいいところだったが、リリアーナの情熱が彼の研究魂に火を付けた。もっとも、毒薬が成功しても、状況証拠などで足は付くだろうと思っていた。それでよかった。自分のような最下層の平民が公爵令嬢と一緒になることはできない。それならばせめて一緒に死にたかった。毒殺の共犯として一緒に裁かれて、一緒に死刑になる。そんな暗い希望に若い彼は取りすがった。もしかしたら彼女が彼に罪を被せるかもしれない、そんなことも考えたが、その逆はまるで考えてなかった。あそこで、全身全霊をかけて作った薬が失敗するはずがないと信じていた。爆笑の渦の中心にいる二匹のカエルを見た時、自分が笑われている気分になってかーっと頭に血が上った。しかし、その後彼女にかばわれたことでかつての自分は死んだ。今度は自分が彼女の役に立つ番だ。血のにじむような努力をして、絶対不可能と言われた王立魔法技術省に就職した。平民の出ながら異例の早さで出世を遂げた若き魔法使いの影に、実家から追放された公爵令嬢の存在があるとは誰も知らなかった。


(それにしても……さっきの顔は見ものだったな。あんな表情をするなんて。しばらくからかいがいがありそうだ)


ビクトールは真っ赤になったリリアーナの顔を思い出してくつくつと笑った。二人の止まった時計は、再び時を刻み始めた。


こちらが面白いなと思っていただけたら、現在投稿中の長編「没落令嬢の細腕繫盛記~こじらせ幼馴染が仲間になりたそうにこちらを見ています~」もよろしくお願いします!一部設定が被っているところがあります。


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