第百二十八話 癌ダイエット
山中幸盛は「北斗」本年三月号の『奇跡』の中で次のように書いた。『昨年四月末から週に二回ほど魚釣りに出向き、六カ月後には(六十七キロ以上あった)体重を約四キロ減らすことに成功した。』と。
そのような釣りダイエットのさなか、本年の二月中頃から腹具合が変になった。大便が形をなさなくなり、溶けかけた軟便が少量ずつ漏れ出るようになったのだ。と同時に、うっすらと血液が混じるようにもなっていた。
便意をもよおしてトイレに駆け込むが、間に合わずにパンツを汚すことがしばしば起きるので、外出する際には紙オムツを履いて出かけるようになった。紙オムツをしていれば、万一ビチグソを洩らしたとしても、ズボンまで沁みることがないからだ。
しかし、腹痛は全然なく、出血はごく微量だったので、一昨年に前立腺癌の放射線治療を受けたので、その副作用に違いないと自己診断し、魚釣りにも紙オムツをして何度か出かけて行った。そして運動不足と水分の補給不足が良くないと思い立ち、どこに行くにも歩くことを心掛け、二リットル入りの水をペットボトルごとグビグビ飲むようになった。
ところが、そんな状態が四月になってからもずっと続いていたのでようやく観念し、医者に診てもらおうと、蟹江町で大腸内視鏡検査ができる医院がないかネットで調べてみた。すると蟹江警察署に隣接する久保田内科クリニックがやっていると分かったので、四月二十八日の夕刻、予約だけでもしておこうと電話すると、
「今からいらっしゃいますか?」
と言ってくれたので、バタバタと服を着替えて六時頃に車で駆けつけた。
夕刻は比較的患者が少ないようで、十分も待たずに診察室に通され、久保田医師に現状を報告すると、大腸カメラを肛門から突っ込む日は三週間後の五月二十一日に決まった。そして別室に移り、看護師が検査食とモビプレップを幸盛に渡し、使用法をていねいに説明してくれた。
検査日前日は朝昼晩と検査食を食べ、夜の九時に下剤を飲んで早めに就寝した。すると朝方に、黒い液体がドバッと堰を切ったように排出され、便器の水が真っ黒に染まるほどだったが、これはにじみ出た血液が固まっていたものと推測する。また、その後はビチグソも大量に出た。
そして朝八時からは腸内清掃だ。三十分ほどかけて、モビプレップをコップ二杯ゆっくり服用し、そのたびに、水またはお茶をコップ一杯飲む。これを一セットとし、四セットやれば十時で、便の状態を便器の水で見るとほぼ無色透明だ。
ここまでは順調にきて、そして久保田内科クリニックに午前十一時半頃に出向く。そしてまもなく内視鏡を肛門から突っ込むが、医師はすぐに、
「これは無理だ、先に進めない」
と、一分もしないうちに内視鏡を引き抜いてしまった。
つまり、直腸とS状結腸のつなぎ目あたりに大きな腫瘍ができていて、これが便をせき止めているので、ビチグソ状態にならないと通過できないという状況だったのだ。
「うちでは手に負えないから大きな病院を紹介します」
と病院名を四つほどあげてくれたが、幸盛は前立腺癌で世話になったK病院をお願いした。直ちにK病院に連絡してくれ、五日後の五月二十六日の朝九時に行くことになる。
そして紹介状を持参して受診したところ、即刻入院ということになってしまった。しかし、まさかその日のうちに入院ということは頭になかったので、一度家に帰って必要な物を持って来たいと頼むと、X線造影検査は午後二時からなので、それまでに戻ればよい、と言ってくれた。
一旦帰宅して、旅行カバンにパンツ、Tシャツ、紙オムツ、電気カミソリ、電子書籍、携帯の充電器などを押し込んでK病院に戻るとすぐに、内科病棟の四人部屋まで案内された。そこでパジャマやタオルを一日四一八円で貸してくれる契約書に記入し、早速持って来てくれたパジャマに着替えると、X線造影検査室まで連行された。
このようにして入院生活が始まったが、当日を含めた三日間は検査、検査の連続だった。中でも辛かったのは食道・胃・十二指腸を内視鏡で見る検査と、大腸内視鏡検査だが、後者はガスがブーブブーブブーと出っぱなしだったから、そこら中に便が飛び散ったに違いない。
それから五日後に外科病棟に移ったが、便が詰まっている場合は人工肛門にするしかない、ということだったので、幸盛は以前にも増して水をガブガブ飲み、なんとか便を出してしまおうと、手術の前三日間くらいは、昼夜を問わずほぼ三十分間隔でトイレに通った。
その結果、手術前に『オストメイトになられる方へ』という手引き書をもらったり、看護師がやって来て腹部にマジックインクでストーマの予定位置を描いていったりしたが、なぜだか奇跡的に、ストーマにせずに済んだので有り難い。
入院してから十日後に手術し、それから十日後に退院したが、帰宅して体重を測ると五十四キロだった。図らずも、癌ダイエットで体重が減り過ぎたことになる。