落胤02:落胤
逃げ回って隠れて、奇襲して、倒しきれずにまた逃げて隠れて……そんな生活をどれだけ続けたのか、俺はまだダンジョンから出られずにいた。ずっとダンジョンの中にいて昼も夜も分からないから、もしかすると何年もたっているかもしれない。それも魔王城に続く高難度ダンジョンの中でとなれば、今こうして生きているだけでも奇跡だ。
奇襲攻撃を1発加えて、即逃げるというのを繰り返し、どうにか倒した魔物を解体して食いつなぐ日々。気づけば魔物を倒すことにも慣れて、いくらか心に余裕もできていた。
だが、まだまだ正面から戦うほどの実力も自信もなく、逃げ回って隠れて奇襲して、と繰り返しているうちに、出口はどんどん遠のき、地上1階へ上がるどころか、逆に魔王城へ入り込んでしまう始末。
どうしてこうなった。
そしてとうとう、大きな扉の前で魔物に見つかり、仕方ないので俺は扉の中へ逃げ込んだ。
「ほう? こんな所に人間とは珍しい」
そこに魔王がいた。
はい終了。俺死んだ。
魔王の圧倒的な存在感に、もはや逃げる気も失せた。
「……いや……? 人間なのか……?」
おや? 魔王の様子が……?
玉座から腰を上げた魔王は、すくんで動けない俺に近づいてくると、しげしげと俺の顔をながめた。
それから魔王は俺に手をかざし、魔力を放出した。圧倒的な闇の魔力が吹き付ける。食らったらバラバラに砕け散って死ぬような気がしたが、予想に反して何も起きなかった。
「ふむ……やはりな。お前、余の子か」
「ファッ!?」
「今ので死なないのが証拠だ。
お前のように貧弱な人間など、普通ならバラバラに砕けて死んでいる。
だが余の魔力を受け継ぎ、極めて似た波長を持っているから、抵抗なく素通りしてしまった」
「……母は人間なのですが……?」
「ほう? いや、そうであろうな。お前も人間の姿なのだから。
……とすると、あの時か」
「あの時……?」
「お前の母は、自分が地球から転移してきたと話さなかったか?」
「なぜそれを……?」
こことは違う世界から来たという話は、何度も聞かされた。
幼いころは、理解できないままに「そうなのか」ぐらいにしか思っていなかったが、ある程度育ってからは妄言としか思えなかった。
だが、そんなものを、なぜ、魔王が知っているのか?
「実は、余も地球からの転生者なのだ。
同郷の者と分かって、懐かしい話で盛り上がったのだよ。で、そのまま1発ヤったわけだ。
さすがに種族が違うゆえ、そのまま共に暮らすというわけにはいかなかったがな。
そうかそうか。あの時に子ができていたか」
母の妄言を共有する仲間がいた? しかも、それが魔王?
意味が分からない。
「信じられぬか?
では……そうだな、こんな物を見たことはあるか?」
魔王が空中で指を動かすと、短い棒が現れた。
紫色で、一方の端がすぼんでいる。
魔王は、そのすぼんでいる部分を掴んでひねり、取り外した。
「ほれ。飲んでみろ」
毒か? と一瞬警戒したが、魔王が俺なんかを殺すのに、わざわざこんな方法をとる必要はない。たわむれにもてあそぶという可能性がないでもないが、なにやら母と知り合いらしいし……たぶん大丈夫だろう。
受け取ってみると、それは不思議な容器だった。そう、容器だ。棒じゃなかった。袋状になっていて、弓がしなるときのような硬くて柔らかい不思議な感触で、しかもよく見るとガラスみたいに無色透明だ。紫だと思っていたのは、中に紫色の液体が入っているからだった。これ、いったいどういう素材?
飲んでみると、エールみたいにシュワシュワしていて、味は赤ワインに近い。だが酒精はないようだ。ていうか、ウマいなコレ。
「……ブドウ?」
「うむ。ブドウ味の炭酸ジュースだ。
我らの故郷では、簡単に購入できるものだった。こちらの世界では製造されておらんゆえ、手に入らぬものだがな」
確かに、こんな飲み物は見たことも聞いたこともない。
ていうか、一番びっくりするのは、この容器だ。ナニコレ? 透明で弾力のある素材。透明なだけならビンがある。しかし落としたら割れるので、持ち運びには不便だ。持ち運ぶなら革袋の水筒がいい。だが、革袋は透明じゃないので、中身の残量が分かりにくい。それにフタがしっかり閉まらなくて漏れる事もあるんだが……この容器は、フタを閉めれば逆さまにしても漏れない。
こうなっては、むしろ母の妄言が単なる妄想ではなく、世にも奇妙な事実なのだと考えたほうが、色々とシンプルにつじつまが合う。
唯一の疑問は――
「手に入らぬって……これは、どうやって……?」
「それは余のスキルで購入したものだ。
魔王城を管理しているスキルで、部下の魔物を召喚したり、故郷の品物を召喚したりできる」
ヤバイ。
魔王が商売を始めたら、世界経済を掌握されるかもしれん。
……って、あれ……? じゃあ、魔王が父親っていうのは本当なのか……?
いきなり見知らぬ場所へ飛ばされて、出会った魔王は同郷の人で、故郷の品を召喚できて……そりゃ話も盛り上がるだろ。そこに酒が入ったら、勢いで1発ヤっちゃっても仕方ないかもしれない。
「もしかして、俺が光魔法をまともに使えないのは、魔王が父親だから……?」
「うん? そうなのか? お前、光魔法が……」
「自分にしか使えず、他人を癒せないので、僧侶としては使い物にならず……」
俺がため息をつくと、魔王は「いやいや」と手を振った。
「そうではなくて、お前、光魔法が使えるのか。凄いな」
「はい……?」
「お前は余の魔力を受け継いでおる。
膨大な闇の魔力だ。人間にしては多すぎるゆえ、時には『まるで魔力を感じない』と勘違いされる事もあろう。だがそれは、空や大地の果てが分からぬのと同じこと。
それだけの闇の魔力を持っていながら、わずかでも光魔法を使えるとは、にわかに信じがたい」
闇夜に本を読むのは難しい。暗すぎて文字が見えないから。
強い闇の魔力を持っていながら光魔法を使おうとするのは、そういう事だ。圧倒的な闇の魔力に覆い隠されて、光の魔法など塗りつぶされてしまう。だから発動しない。
自分自身に対してだけでも、まともに発動するというのが、ちょっと考えられない事だと魔王は語った。
「えええええええええええ!?」
ナニソレェ……!?
つまり俺は、そもそも光魔法をちょっとでも使える時点で奇跡的だと。圧倒的な闇の魔力を持っていると。魔王の息子だと。
……ちょっと1回帰っていいかな? 一晩寝てから考えたい。
「あー……なるほど。知らずにおったか。
ならば使い方も分からんだろうな。いや、分かっていたらそんな低密度な魔力ではあるまい。
よし。鍛えてやろう。今さら父親ヅラをするわけでもないが、それだけの魔力があって人間レベルの闇魔法を使うだけではもったいない。それに、知らなかったとはいえ養育費も払わず放置したというのは、地球的な倫理観からいってマズイからな。お前を鍛えて、お前が母親孝行をすれば、間接的には余も彼女を支えたと言ってよかろう」
うんうん、いい考えだ、と魔王はうなずいている。
この時、俺がもうちょっと人生経験を積んだ年齢だったなら、俺は口を開けなかっただろう。
だが、田舎村で生まれ育った世間知らずの15歳。人口も少なくて、ろくに対人関係を形成するスキルも身につかない。
「あー……あの……母は死にました」
「ええええええええええ!?」
驚く魔王に、俺は起きたことを話した。
「よし、ちょっとそのへんの魔物滅ぼしてくる」
「戻ってきたら鍛えてくれる感じですか? ここで待っていればいいでしょうか?」
特に止める理由もないが、送り出す前に俺の身の安全は確保しておきたい。
なんせ今の俺ときたら、魔王城に単身で乗り込んだ村人だ。
「あー、そうだな……準備運動でもやっててもらおうか」
魔王が軽く手を振ると、床に2つの魔法陣が現れた。
そこから2体の魔物が姿を現す。
2体の魔物は、完全に召喚が終わると、即座にひざまずいた。
「アークデーモン。そこの人間は余の息子だ。余が戻るまで軽く鍛えておけ。
デビルプリースト。つつがなく訓練を継続できるよう、サポートせよ」
「はっ」
「お任せください」
魔王は、2体の魔物が召喚されたときの様子を逆再生するように、床の中へ沈んで消えた。
魔王の姿が見えなくなると、2体の魔物が体を起こした。
「では、始めましょうか、若君」
「うっかり死亡しても即座に復活させますので、ご安心を」
ちっとも安心できねーよ!
絶叫したいが、どう見てもヤバイ相手なので、とても言えない。村の周りじゃ見ないような上位の魔物だ。ダンジョンで何回か見かけたが、ヤバすぎて奇襲するのは諦め、見かけたらすぐ逃げるようにしていた。
「参りますぞ」
アークデーモンの攻撃。
俺は死んでしまった。
デビルプリーストは復活魔法を唱えた。
俺は蘇生した。
「若君、まじめにやってください」
いやいや、何言ってるんでしょうね、この魔物どもは。
こんな上位の魔物相手に、ただの村人がどうこうできるわけないじゃん? いくら手加減してくれてるといっても、ねえ?
このあと、めっちゃ殺されて、めっちゃ蘇生された。
殺されるばかりで全く訓練にならない気がしたが、魔物が「鍛える」といったら、ひたすら戦うのが唯一の方法らしい。ワイルドだね。
それでも1万回ぐらい殺されると、だんだん目が慣れてくるから不思議なものだ。
あ、そういえば、これって「準備運動」って言ってたな。そーかー……地獄の特訓はまだ始まってもいなかったかー……。