02話 どうしようもない人
◆14歳の冬(1)
熱が出て3日ほど寝込み、どうしても外に出たくなったわたしは、同居人のアルマに「買い物につき合って」とお願いした。
アルマは3つ年上の、元わたしの専属メイド。今はまるで姉妹のよう。
もともとあまり身体が丈夫でないわたしを気遣って、買い物の代行を引き受けるとゆってくれたんやが、その有難い申し出はすっぱりと断った。
だからね、市場の盛況ぶりを時間を気にせず、ジトジトと眺めたいんやって。そうしてると元気が貰えそうな気がしたんよ。彼女は「一緒に参りましょう」と言ってくれた。
「買いすぎではないですか? もう少し倹約なさらないと」
「今秋は人参が不作やったみたいやし、少し多めに買いこんどこかなって思ってん」
「だからって……。あまり日持ちはしませんよ」
屋敷を出てから早2年が経ち、わたしは何とか世間の一般常識というものを身につけた。……つもりなんやけど、いっつもこんな風に叱られている。
「わたしが持つからいいって」
「イケません! みっともありません。と言いますか、そのような持ち方では底抜けしてしまいます……、あ! ああっ! ホラ!」
「わあぁ!」
――でもこうして彼女と連れ立って街を歩くのはホント楽しい。
ふたりはオソロ着。
わたしはもうドレスなんて縁が無いし、アルマだって、メイド服は着ない。
目立ったら具合悪いし、目立つ必要も無いし。
「アルマ! あれ、食べて帰ろーよ! ワッフル」
「ダメです、もうお夕飯どきになっちゃいますよ? それに、お財布のヒモ、緩めすぎです!」
「えー、じゃあさぁ、今夜はアルマ特製の人参スープを作って?」
「分かりました。でも、ノエミさまも料理を覚えてくださいよ?」
ノエミ……というのは、わたしの名前。
もちろん偽名。
それでも最近はすっかりなじんで、逆に前の名前がすぐには出てこやん。
それからこの方言。
ちっとも直らんから、街なかじゃ、人目を気にしてついつい無口少女で通してまう。
ただでさえ真っ赤っかなクセ毛の外観やのに! アルマのようにさらりと流れるようなウエーブの、金色のきれいな髪となんでこうも違うの! と。
やから、露店なんかじゃ店の人とまだ目もうまく合わせらんなくて、自己主張しっかりできんまま値引き交渉が失敗することも多々アリで実に悔しい。そろそろ、ありのまま曝け出しの自分を貫くのもいいんだよ? ……と悩んでる今日この頃なんです。
でも。
それでもアルマのおかげでさしたる苦労もなく今日まで過ごせたのは大感謝。
アルマを人選しわたしにつけてくれた執事長にも大感謝。
「――あ。ノエミさま、そっちの道は止めましょう。こっちを通りましょう」
「えー、遠回りになるやん」
この先が飲み屋街の裏通りになるのは承知してる。
品の無いオジサンや、ワルに片足突っ込んでるヤカラさんも多々いる。
でもまだ日も高いよ?
わたしの反論を聞かずにアルマに腕を掴まれ、引っ張られた。
その背に声が掛かった。
アルマの舌打ちを聞いた気がした。
「オイ、お前。メイドやった女やないか?」
聞き覚えのある、高めのキーの男。
「……。お久しゅうございます。大坊ちゃま……ムッシュ・ド・モーリス」
振り向きざまの澄まし笑顔のアルマにとまどいつつ、彼女の取った行動のワケを知るわたし。
「……あ、モーリス兄さま!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夕食の支度中、アルマはずっと黙っていた。
胸にモヤモヤを溜めているのはその態度からして明らか。原因はモーリス兄さまにあることも明白だった。
「……ノエミさま。まさかあの方に偽名を名乗っては無いですよね?」
「え? あ、うん。ゆってない」
「……あの方は正直信用なりません。絶対に関わってはいけません」
昔からアルマが長兄であるモーリス兄さまを嫌っていたのは知っていた。屋敷に住んでいた時分、執事長に泣いて何かを訴えていたのも知っている。
あのあと、モーリス兄さまとわたし、アルマを先に帰らせて二人だけで話をしたので、彼女にはその内容が気になっているらしい。
「あんな。ラファイエット伯と共同で新しい事業を始めたんだけど資金が少し足りないんやって。それでどうしようか悩んでるって」
「ラファイエット……。伯爵さまでございますね?」
「う、うん。昔、お父さまの下で騎士団長をしてたひとり。小さい頃に一、二度会ったこともある」
「その方と事業を?」
「そう」
「モーリスさまには、あのお屋敷があるじゃありませんか?」
チクリと胸が痛んだ。
窓の外を見た。
白色の尖塔がそびえている。
パヤジャッタ王宮、国王がおわす本宮殿の一部。
かつて何度か出入りしたこともあった。
ふとあの頃を思い出した。
「……とっくに売ってもうたって」
そうつぶやいたっきり、次の言葉が出なくなった。
アルマの視線が痛かった。
そう感じるのは、彼女に隠してることがあるから。
なんでもお見通しされてる気がして、怖くなった。
モーリス兄さまが何かの事業をしようとしているのは事実。でも伯爵さまはいまいち乗り気でないらしく資金を出し渋りしてるんだとか。
そこで、とある商家のおばさまに気に入られてたのを幸いに、お金の無心をしたらしい。ところがおばさまはとっくに別の若い男に目移りしていたので門前で追い返されたそう。
それだけ聞いてたら一方的……な気もして同情すんねんけど、長兄兄さまもあちこちで浮気を繰り返してたそうやから、お互いさまってとこだった。
「……ノエミさま。わたし、見たんです、3日ほど前。モーリスさまを。夜の商売をしている女性の方と親しそうに歩いているのを。……わたし、腹が立ってしまいました。……ノエミさまが病床で苦しそうにしてるのに、どうしてこの方はのほほんとしてらっしゃるんだろうって」
「……うん」
「それだけじゃありません。別の日にも違う女の方と……その、……街なかなのに、……いやらしい手つきで……」
怒りと蔑みと嫌悪の混じった顔をしたアルマは、荒々しくお皿を食卓に置いた。
「……アルマ、ごめん」
「どうしてノエミさまが謝るんですか?」
アカン。
これ以上黙ってたら、心苦しくて涙が出そうなん。
「ごめん、アルマ。……わたしモーリス兄さまに手形、渡してもーた……」
「……手形? 有価証、ですか?」
うなづく、わたし。
しばしアルマがまばたきもせず固まった。
やがて「はっ」と息を吐き出し、テーブルをバン! と叩いた。
「……あ、アルマ」
「わたし。今日限りで暇乞いをさせて頂きます」
(ノエミとアルマ)