01話 暗転した我が家
◆10歳の秋
「ナディーヌさま! お隠れください!」
「なんで? どーして?」
――人生の転落は一瞬。
伯爵家ってったら貴族の中でも相当【エエシ】の部類に入ると思うやけど、見えざる国家権力にはまったくの無力。
それをまざまざと見せつけられたカンジ。
パヤジャッタ公国辺境伯、最前衛騎士団・副団長だったお父さまがこの度、正騎士団長への昇任が決まり、城下のお屋敷で盛大な祝賀パーティが催された。
わたしも「お披露目しなさい」ってコトでメイドたちに囲まれながら必死にドレスアップしてた矢先。
階下の大広間で悲鳴やら怒鳴り声が聞こえて来て。
「いけません、ナディーヌさまッ! とにかくお部屋にお戻りくださいッ」
「いったい何の騒ぎ?」
「わたし共にもさっぱり分かりません」
執事やメイドたちも混乱状態。
「ええよ、自分の目で確かめる!」
「ナディーヌさまッ」
まだ着替えの途中だってのに無我夢中で駆けつけたら、お父さまが【同志であるはずの】近衛騎士らに取り囲まれ、散々ボコられてて。
ぐったりとして無抵抗になってるところに縄締めされて、ムリヤリ立たされようとしてた。
お母さまが狂ったように慈悲を乞うてたけど、騎士たちは冷ややかな視線と侮蔑の言葉を返すばかりでまったく取り合う気がなさそうやった。
三女で末っ子のわたしは、普段はお兄さまやお姉さまに大人しく従ってるんだけなんやが、このときばかりはさすがに居ても経ってもおられんくてキツめになじった。
「何で兄さまも姉さまも眺めてるだけなんっ! 放っといたらお父さまが連れて行かれてまうで!」
……などと。
ところが。
「しゃあないやろ。父さまは国を売ったらしいし」
二人の兄のうち、上の方の兄さまが力なく首を振った。完全にあきらめの境地で。
一番上の姉さまも、
「他国の兵を城下に招き入れようとしたみたいやよ? サイテーや」
いかにもお父さまの罪が確定したような口ぶり。
助けるどころか、逆に有難迷惑な顔つきで大捕り物を見物してる。
二女姉さまに至っては、ドレスのすそを握り締めて怒り心頭で両親を睨んでた。
「アステリア家ももうお終いや。大勢のお客さまの前でとんだ恥さらしやで」
その中にあって二男のレインツ兄さまだけが皆とちがった行動を取った。
それは、わたしからしたら英雄的行動、他の家族からしたら無謀で厄介な行動だった。
彼はどよめきと混乱の群をかき分けてお母さまを背側に逃がし、代わりに自らが矢面に立って騎士に掛け合ったのだった。
「もう一度ご説明ください。父がいかなる罪を犯したというんですか?」
「説明だと……?」
統率者の長らしい中年の騎士がニヤついた口元を歪め、応対する。あからさまに不遜な態度。
近衛騎士とゆってもその家柄はせいぜい下級騎士か、良くても子爵クラス。そこの次男坊以下の子弟が試験をくぐって国王直下の近衛騎士団に入る。そりゃあエリートコースには違わないけども、所領も自前の兵も持たない、国王お抱え軍隊の一隊員に過ぎない。
片やお父さまは辺境伯。自領と私軍を有する有力氏族だ。
彼らからしたら、通常なら家格が上であるはずの者から謙られて、いい気分なんやろ。嗜虐心や優越感を抱き、寛大に答えてやろうって気になった様子。
「さっきも言っただろう? 隣国カモデネンディを手引きし、恐れ多くも王陛下を害そうとした罪だ」
「父にそのような罪があるとは思えませんが?」
「しょせん、訛りの強いド辺境の、庶民出の下級貴族だったお前らだ。何をしでかすか分からん輩と捉えられても仕方あるまいさ。お上は何でもお見通しなのだ」
「……では、その証拠は?」
「……いかな伯爵家の御子息とは言え、口の利き方に気をつけられよ。我々は王の勅命を受けし者たちなのだぞ」
「口の利き方? それはお互いさまでは? もし無実が証明されれば、あなた方の非道は広く世間に知れ渡り、大いに非難の的となりましょう」
……レインツ兄さまは優しいし勇敢。それに背も高くて超イケメン男子。
実はこっそり憧れてもいるのです。
でも、アカンッ! アカンの! コイツらに逆らったらアカンの! そんなの子供のわたしでも分かるよ! 見てよ、コイツらの異常な目付きをっ。
――案の定、寄ってたかって袋叩きにされたレインツ兄さまは縄締めされ、お父さまと一緒に連れて行かれた。
パーティ会場は一転、わたしたち家族の公開処刑場のようになった。それまで父の昔語りに耳を傾けていた人も、取り巻きの人も。そして死を共にすると誓っていた部下も、頼れるはずの側近も、そして旧知の友人でさえも、全員が親の仇か、鬼籍の人でも出くわしたような、憎悪や忌避感をむき出しした様子で、息をひそめて立ち尽くし、巻き添えを受けるかも知れない未知の恐怖におののいていた。
関わりを恐れた人々の、震えながら我勝ちに消え去って行くさまは、なんて儚く惨めなことか。
「屋敷の者ども! 当家の爵位は本日限りではく奪される。この男名義の財産は私領ごとすべて没収する。異存のある者は前に出よ」
憤慨して一歩踏み出しかけたわたしを、いつの間に追いついたのか、荒い息のメイドが後ろから羽交い絞めした。決して放さぬと意思のこもった強い力だった。
「は、離して、アルマ!」
「離しません」
中年騎士が再度叫んだ。
「おまえら異存はないな」
「ございません」
長女姉さまが代表し答えた。声が裏返ってる。
「――それで良し。心配するな、おまえらの罪は問わん。しかも猶予をやる。今日より3日以内なら屋敷内に限定し私財を売って良し。得た金の半分はおまえらの相続財産として認め、見逃してやる。ここに署名せよ」
そう言いながらも、目についた調度品は既にどんどん持ち出されつつある。
「わ、分かりました! すぐにします! どうかお許しください!」
長子兄さまが飛びついてそれにサインした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
結局、お父さまは即日裁判を受け、死罪を言い渡された。
「国家反逆罪……」
悲憤したお母さまは床に伏せり、その後1年もしないうちにお父さまのもとに旅立たれた。
気弱だった長子兄さまの性格は一変して粗暴になり、屋敷を捨てたかのように帰宅しない日が増えていった。
やがてふたりの姉も、どこかの貴族に貰われて行くことになった。長子兄さまがまとめた縁談だとゆうが。そのとき【愛妾】とゆー単語を使ってメイドたちがコソコソと噂してたのを覚えている。
わたしは……ってゆーと、まだ幼かったし、姉らに比べたらビジュアル的に地味子だったので長子兄さまの魔の手から免れられてたんやけど、数年が経ち、ある日執事長が、「養女に貰い受けたいと申し出をされた男爵家さまがあります」と悲痛に顔を歪めて告げてきた。
お姉さまたちに続いて、とうとうわたしも長子兄さまに売られたんやと直感的に覚った。
「身売りってヤツ?」
「……なんとも申し上げられません」
数え12になっていたわたしには、執事長の苦悶の表情はもうよーく分かった。
「じゃあもうここには戻ってこれないんやね?」
「問題はそこではなく。……恐れながら男爵さまは、偏執的な好事家でございます。一刻も早くご決断されるべきかと存じます」
そのときわたしが執事長に向かって浮かべた表情は、恥ずかしくて今も思い出したくない。
その夜、お屋敷住まいから脱出し、街はずれの家に移れるよう、執事長が細かく段取りしてくれた。彼からすれば最後の奉公を全うしたわけやった。
追跡者の手からわたしを逃れさせた執事長は、自身も市井に身を潜らせた。わたしと同じ家出人の一人になったのだ。その後二度と彼に会うことは無かった。
(ノエミ・14歳の初夏)